Last update : 1999/11/09
奥の細道中の日光

元禄2年(1698年)松尾芭蕉は奥の細道行脚おくのほそみちあんぎゃで日光に訪れ、句を残しています。

卯月朔日御山に詣拜す。
往昔此御山を二荒山と書しを、空海大師開基の時日光と改給ふ。
千歳未來をさとり給ふにや、今此御光一天にかゝやきて、恩澤八荒にあふれ、四民安堵の栖穩なり。
猶憚多くて筆をさし置ぬ。
あらたうと青葉若葉の日の光

今の言葉に直すと、次のようになります。

四月一日、御山にお参りしました。 昔はこの御山を二荒山と書きましたが、空海大師が開山されたとき日光と改められました。それは千年後の今日の世の繁栄を予知したからなのでしょうか、今は御光が全国に輝いて、恩恵が国の隅々にまで行き届き、士農工商の人民は皆安心して暮らし、天下は太平に治まっています。おそれ多くてこれ以上は書けません。
あらたふと青葉若葉の日の光

以前私は「御光」とは、東照大権現の御威光であり、この句は「徳川幕府の安泰と徳川家康」について書かれていると説明を受けたことがありますが、あらためて読んでみると、そうではないことがわかります。また日光山の開基は、空海大師と書かれていますが間違いです。(もちろん勝道上人しょうどうしょうにんの開基です。)松尾芭蕉が単に間違ったのか、何かの意図を持って間違ったのかは不明です。

また、同行の曾良そらは次のように詠んでいます。

剃捨て黒髪山に衣更

この句は現在の男体山なんたいさんを詠んだ句とされています。当時は男体山なんたいさん黒髪山くろかみやまと、呼んでいたことがわかります。

関連:日光の名前の由来

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