
イラン旅行記
2日目 テヘラン観光後アフワズへ
夕べはひどく眠かったのに窓から飛び込んでくる車の騒音でほとんど眠れなかった。5時に起床し、早めの朝食をとり部屋に戻って外を眺めると、アルボルズ山脈の山々が朝日に照らされて桃色に染まっている。
朝日に染まった山々
山の手前の高いビルが邪魔なのでもっと良い位置から写真を撮ろうとホテルの外に出て見晴らしの良い場所を探しながら歩く。まだ人通りは少ないが、通勤客を乗せたバスが次々と通り過ぎる。どのバスも前部には男性、後部には女性ときっちり分かれて乗っている。女性の席が空いていて男性の席が混んでいても男性は女性の席には行かない。2台連結したバスも通るが、前の車両には男性、後ろの車両には女性が乗っている。バスの乗客と視線が合うと笑顔をするので手を振ると大勢の人が手を振り返してくれる。イランの人たちはなかなかフレンドリーだ。
朝の歩道 バス
10分ほど歩くと山が良く見える場所が見つかったが、もう桃色には輝いていなかった。シャッターチャンスは短い。ホテルに引き返し朝食をとったあと8時に出発、歩いて絨毯博物館に行くと展示物の入れ替え中で休館だという。いつ開くかわからないので代わりに最終日に訪れる予定だったガラス博物館に行くことにして次の目的地考古学博物館へ向かう。
絨毯博物館
車窓から150年前のガジャール朝時代に造られた重厚な城門が見えた。当時は16の城門があったそうだが今は1つしか残っていない。城門の内部は現在軍が使用している。
城門
30分足らずで考古学博物館に到着した。この博物館はアンドレ・ゴダールドというフランスの考古学者兼建築家が設計したもので1935年に完成している。門はササン朝時代の城門を再現している。実物の2分の1の大きさというがそれでも15mの高さがあり大きい。イスラムの国らしく壁にコーランの言葉が描かれたタイルが貼られている。見学にきた女子学生のグループがたくさんいたが、なぜか男子学生のグループは見られなかった。
考古学博物館ゲート 見学の女子学生
館内に入るとまず直径1mくらいある大きな彩色土器がたくさん並べられているのが目に付いた。紀元前5500年ころの土器で、ワインを造るときブドウをつぶすために用いられたという。模様は単なる装飾ではなく宗教的な意味をもっているという。
彩色土器
その先にはチョガサンビルの遺跡の発掘品が並べられていた。大きな鉄のカンヌキがあったのには驚いた。
チョガサンビル遺跡のカンヌキ
5つの連結された壷が展示されていた。死者の体に塗るオイルを入れる壷で、5つの壷は中でつながっていて5種のオイルをミックスして用いるようになっている。
連結した壷
たくさんのリュトンが展示されていた。動物の顔を象ったものなどが多いが宗教的な意味があるのだろう。
リュトン
その先にはペルセポリスの宝物殿跡で発見された謁見の図が置かれていた。アレキサンダー大王はペルセポリスを征服したとき3万頭のラクダ、馬、ロバで宝物を運び出したが、このレリーフは持ち出されずに済んだ。そばにはアルタクセスクセス王の宮殿から発掘された階段も飾られている。
ペルセポリスの謁見の図(拡大) アルタクセスクセス王の宮殿の階段
そのほか頭のとれたスーサ出土のダリウスの像、ペルセポリスの百柱の間にあった2頭の牡牛の像のある柱頭、パルキアの王子の像などが目を引いた。
ダリウスの像 100柱の間の柱頭 パルケア王国の王子の像
ガラス器もたくさん展示されていた。正倉院にもこれと同種のガラス器が収められているという。
ガラス器
次いで別館のイスラム博物館を見学する。中に入るとロビーの正面に古いモスクの模型が飾ってあった。初期のモスクには日干し煉瓦造りでドームやミナレットはない。
イスラム館 最古のモスクの模型
展示物は2階と3階にあり、2階にはアラビア語の種々の書体、コーラン、細密画、古い絨毯などが展示されていた。兵士が戦場に向かうとき着たお守りの下着も並べられていた。大勢の人がコーランの字を書いたシャツで日本の千人針と同じである。
書体 コーラン
3階には精巧な彫刻が施された漆喰の扉、飾り板、メフラーブ(メッカの方向を示すモスク内の壁の凹み)、木製のメンバル(説教台)、サファビー朝時代の青磁器などが展示されていた。
漆喰彫刻の扉 漆喰彫刻の飾り板
メフラーブ メンバル
この後、ガラス博物館を見学する。この建物はガジャール朝時代に首相の私邸として建てられ、その後エジプト大使館として使われ、1920年にファラ王女が買ってアメリカ人のデザイナーに改装させ、1936年に博物館になった。内部はヨーロッパ風の装飾が施されている。
ガラス博物館 館内
展示物には墓の副葬品として発掘されたものが多い。なかにはBC400年ころのガラス器があり驚かされる。棚に小さな瓶がたくさん並んでいたが、これは毒壷で戦争に負けたときに女性が自殺するために持っていた。
副葬品のガラス 毒壷
戦場に出かけた夫を待つ妻が涙を貯めたという涙壷が置いてあった。このように乾燥した国で果たして涙を貯められるのだろうか。2重になったガラスの瓶も飾られていた。2重にするのは保温のためというが、このような複雑な構造のガラスをどのようにして作ったのだろうか。
涙壷 2重のガラスビン
このあとフェルドーシー・ホテルへ行きイラン最初の昼食をとる。
フェルドーシー・ホテル
ナンと麦の入ったスープが出た後、ビュッフェ式のサラダを食べ、メインディッシュはライスとシシケバブであった。サラダの種類がたくさんあり少しずつ取っていったら皿に盛りきれなくなったので2階建てに盛って持ってきたが、メインディッシュを食べる前に腹が一杯になってしまった。
スープ サラダ
メインディッシュ
食後テヘラン空港に向かい、30分ほどで到着、大韓航空の事故以来乾電池を機内に持ち込めなくなったというのでカメラから外して添乗員の殿岡さんに預けて15時50分に搭乗、1時間ほどでアフワズ空港に到着した。アフワズはフーセフスタン州の州都で人口は約100万人、石油が採れ、イランの砂糖の80%を生産している。ナツメヤシの産地としても有名である。
17時15分空港発、30分ほどで前回の旅行で昼食をとったファジル・ホテルに到着した。ホテルの前にはカールン川が流れていてライトアップされた橋が水面に映えて美しい。岸辺は地元の人の憩いの場になっていて水煙草屋さんが店を出していた。ホテルの向かいに土産物屋があり、女性たちは早速入って安い安いとスカーフなどを買い込んでいた。綿のスカーフが1枚1ドルというから確かに安い。一般的に土産物店は割高のことが多いが、この店は安く前回の旅行でも大勢の人が買い物をしていた。
ファジル・ホテル
ライトアップされた橋 水煙草のパイプ
夕食は今度もナン、ヨーグルト、サラダとスープが出てメインディッシュはミルクフィッシュという白身の魚だった。メインディッシュの中身はその都度変わるが、この後も料理はだいたいこのようなものであった。スープのカップが3箇所も欠けていたので周りの人のカップを見ると8人中6人が欠けていた。欠けていても飲むには差し支えないという考えなのだろう。