◎更新履歴1◎



■2000年7月31日(月)
先週用意しておいたポールスミスの赤いシャツとシルバーと青紫のストライプのネクタイを着用。スーツは敢えて紺色。同僚の劉が「これさん(仮名)、今日はスゴイな〜」って真っ先に言ってくれたのが嬉しい。新しいシャツやネクタイをおろすといつも最初に気づいてくれたのが彼だった。

最後なのに全然最後っぽくなく、淡々と片付けとやり残しの業務を進め、合間に挨拶回りをしたりメールを書いたり。夕方、事業部長から休職通知を受け取る。おかしかったのは、事業部長がノータイだったこと。

7時から部の有志が壮行会を開いてくれた。「全員参加」の壮行会とは違って来たい人だけ来てくれているので嬉しい。一次会の後は仕事に戻る人、帰宅する人と様々で、二次会には八田さん、豊川、小室が来てくれた。最後の最後で先輩、同期、後輩から一人づつ出てくれたことになり、この6年間+αも捨てたモンじゃないなと思う。私は明日から休みだけどみんなは仕事。なのに夜中3時半までカラオケで一緒に歌った。私が最後に歌ったのはチャゲ&飛鳥の「プライド」。そしてみんなで最後にお約束というかクサイんだけどサザンの「みんなの歌」を歌っていたら(悔しいけど)泣けてきた。いつの日か、この場所で。つくづく上司には恵まれなかったけど、先輩、同期そして後輩には恵まれたな。帰国して今の会社に居続ける確率はかなり低いって自分でも分かっているけど、また一緒に会いたい人たちが居るってのは幸せ。みなさんありがとう。

■2000年7月30日(日)
西伊豆二日目。朝はとにかく弱い。だへやNIJIさんの攻撃にも反撃できず。「実験動物のように色々できますね〜」とだへに言われた。くそ〜。朝食もまた豪華。全部平らげたうえにご飯もお代わりした。昨日の夕食といい今朝といい、この食欲はどこから来るんだろう。

食事の後はまた泳ぐ。昨日よりも波が多く激しい。無邪気に遊んでいたが監視員の遊泳禁止の声が大きくなり渋々と浜に上がる。今日はもう泳げそうにないのでのんきにビールなんか飲んでいると救急車のサイレンが聞こえる。どうやら事故らしい。一人は救出され(しかし後から聞いた話では亡くなったとのこと)、もう一人が行方不明となっているようだ。ボートに加えてヘリコプターまで派遣され、ことの大きさに気づく。水に呑まれた人はどんなことを思いながら溺れてしまったのか。助かった(と思っていた)人はどんな気持ちなんだろう。行方不明者は私と同じくらいの年齢らしいが、親兄弟そして恋人は...私たちも遊泳禁止を暫く無視して泳いでいたけど一つ間違えば自分が溺れていたかもしれない。海を侮ってはいけないということを身に染みて実感した。

捜索が続く中、海辺の町営温泉に浸かって疲れを癒す。その後は昨日と同じ海の家でカツカレーを食べてビールを飲む。普段はビールなんてあまり飲めないのにどうしてこんなにウマイんだろう。いい気分で宿に戻って荷物をまとめて宿を後にする。モグさん、なっちゃんとは6日の菲の日までしばしのお別れ。去年は参加できなかったけど今年来られて良かった。幹事のEIGOさん良い機会をありがとう。そして相変わらず元気なモグ母さんもお疲れさまでした。

電車の中でまたビール。夕方6時半頃に東京駅に到着。ちょっと寄り道して夜中近くに帰宅。あ〜、楽しかった。

明日はいよいよ休職前最後の出勤日。

■2000年7月29日(土)
ネットで知り合った人たちと西伊豆旅行。十代から五十代まで、学生もいれば社会人も居るという年齢も立場もバラバラの人たちと一緒に近場といえども旅行することがあるなんて、ちょっと前まで考えられなかったこと。学校の繋がりでは学年やら卒業年次やらに縛られ、会社では入社年次やら役職に縛られるけど、ぜんぜん関係ない世界。みんなそれぞれ自分の武器を持っていて、それぞれが情報を発信しあって多様な価値が共存しているところ。

朝8時に「スーパービュー踊り子」号で東京駅を出発。下田駅から懐かしい東海バスに乗って松崎の一つ向こうで下車。お台場でもシドニーでも背景としての海はよく見たけど、泳ぐ目的で海に来たのはいつぶりだろう。感じのいい宿に着いて着替えてすぐに海岸へ。海の家でラーメンを食べて砂浜へ下りる。もうあとは泳ぐだけ。思ったより波が強かったが、泳いで、疲れたら仰向けに浮かんで、また泳いで、というくり返し。いいねぇ。宿に戻って飲んだビールもまた格別。

夜は海の幸を中心とした食事。運動のせいかリラックスしているせいか珍しく白飯をお代わりした。食後は部屋でごえもんさん作成の菲のシ○×ーのライ@△Dをみんなで聴く。いやぁ、よくできてるわ。夜の散歩で空を眺めると星が怖いくらいに出ている。先週の長野でも星が綺麗だった。

部屋に戻ってライ@△Dの続きを聴いて零時過ぎくらいに消灯。気持ちよく眠りに就けた。

■2000年7月28日(金)
ユニクロの1000円シャツ(襟あり、ジッパー付き)にグレーのパンツで出社。ちょっとインパクトあったみたい。土日は買い物をする時間が無さそうなので、昼休みに伊勢丹まで行って前から目に付けていた赤いワイシャツとシルバーと青紫のストライプのタイを購入。ここまで服装を崩しておいて31日の最終日にはスーツにこのシャツとネクタイという出で立ちで出社する予定。

今日は事業部の同期による送別会。内幸町と新橋の間にある雰囲気のいいイタリア料理屋だった。同じフロアに居ながら同期として集まったのは実に94年7月の配属時以来のこと。最後にボールペンとシャープペンシルのセット(革ケース付き)を頂く。7時から飲み始めて気づけば11時。時間を忘れる飲み会だった。

先週末は山で楽しんだが、今週末は海。西伊豆の海が待ってる♪

■2000年7月27日(木)
フェリーのチケットを受け取りに代官山へ。会社から恵比寿までバスで行ってそこから歩いてみた。まあ歩けない距離ではないし、乗り換えを考えると正解。お洒落な店が並ぶ一角にひっそりと「中日国際輪渡有限公司」(輪渡ってフェリーのことなんですね)という看板があってドアを開くとこれまたひっそりとおじさんが一人で座っていた。とても親切で、青春18切符で行く場合にはどの列車に乗ればいいか教えてくれたり、JRバスの時刻表をコピーしてくれたりした。二等の和室、学生料金で片道18,000円。15日の出発が楽しみ。

帰りは渋谷まで歩いてみた。これもまたちょうどいいくらいの距離。会社から持ち帰った荷物を持っていたので一旦は家に置いて外出。今日はお茶会という雰囲気だった。類は友を...の通り、自分がいいなと思う人の友人ってのはたいがいやっぱりしっくりくる人にお目にかかることが多い。

■2000年7月26日(水)
給料日。休職前に住民税10ヶ月分に相当する125,000円を会社に納めなくてはならず、もうほとんど残業代も付いていない給料から払うのは痛い。

合コン?というかなんというか位置づけの分からない飲み会。男性陣は旧北京愚連隊のジャボチンスキーさんとチートンさんと私。女性陣はみんな気さくな人たちでしかも美人揃い。帰りは男性陣だけで寿司屋に行って多分もう当分食べられないであろう寿司をつまんだ。

■2000年7月25日(火)
新人研修で一緒のクラスだった同期たちによる送別会。フタを開けてみればいつものメンバーで、互いの近況報告も兼ねて楽しく飲んだ。モリマツが今月中に父親になるとのこと。いいオヤジになりそう。それにしても同期ってのはいいもんだね。

■2000年7月24日(月)
出社しても眠い。今日は休肝日として帰宅途中でパンをいくつか買って家で食べた。たまにはこういう粗食もいい。

■2000年7月23日(日)
朝は9時頃起床。昨日の残りの焼きそばやらチーズやらを食べて片づけをして朝風呂に入りに今度は小屋のある町の町営温泉に行く。ここは別荘地の利用者も窓口に申し出ると町民料金で入れる。300円でこの設備は満足。しかも「道の駅」に併設されているのでこの辺りの特産物やらが買えていい。ロビーに長門町の歴史やら地理やらを紹介するパネルなんかもあって楽しめる。素朴な町なんだけど一生懸命地域性を活かして観光客を呼び寄せようというスタンスに好感が持てる。どこへ行っても東京のコピーじゃ面白くない。

帰りは軽井沢経由。軽井沢って多分初めてだと思うけど、「横浜カレーパン」とかタレントショップとかが並んでいて好きじゃない。遠くから車や列車で何時間もかけて来て人混みを見るのは勿体ない。

軽井沢からは渋滞を避けて埼玉の本庄あたりまで一般道を走行。途中で運転を代わったりして9時頃に練馬インター着。食事を済ませて11時頃に帰宅。疲れたけど久々に山を堪能。一緒に行ったメンバーも良かったのでとても満足。

しかも宿代がかからなかったのもあって、一人あたり高速代、ガソリン代、あらゆる食事代と花火代などを入れても1万円ちょうどくらいしか出費がなかった。来年もぜひやりたいな。

■2000年7月22日(土)
5時半起床。今日から明日にかけてセブンイレブン淡島店時代のバイト仲間たちと一緒に旅行。6時半に代々木上原は結構辛かった...途中で数人を拾って車二台でいざ長野県長門町の山小屋へ。途中、久々にマニュアル車を運転させてもらったが運転しやすい車だった。しかし冷静になるとこのメンバーと知り合ったのは10年前。よくまあ飲んだり旅行したりするよね。ネットの友人もそうだけどこういう仲間がいるというのは嬉しいもの。

山小屋には7年ぶりくらいに行った。道路が幾分整備されていたが、山道もなんとなく記憶にあってたどり着けた。相変わらず玄関の鍵が空回りする。共同所有者一家はよく使っているので手入れはそこそこされており、2時頃に到着してからみんなで軽く掃除をしたら小ぎれいになった。雨戸の戸袋にスズメ蜂が巣を作っていてその処置に苦労した。

近くのスーパーで食材を買い込んで遅いお昼にテラスでバーベキュー。ビールがすすむ。その後は最近できたらしい隣り町の町営温泉で風呂につかり、小屋に戻ってから花火をして部屋でまた飲む。夜は疲れもあってみんな0時半頃には寝た。

■2000年7月21日(金)
耳の聞こえ方がオーストラリアからの帰国以降ずっと悪いし、熱もあるようなので休暇を取って医者へ行った。この症状は広州と北京で病院に行ったときに似ていてイヤな感じ。今日も酒なし。

明日から一泊する山小屋の鍵を家で探したが、どうも出てきた鍵に自信がない。デジカメで撮影して共同所有者の家にメールして確認してもらった。便利になったもんだ。

■2000年7月20日(木)
海の日で休み。体がだるくほとんど一日中ぼんやりと過ごす。夜だけ定食屋に行って食事。酒は一切なし。

■2000年7月19日(水)
ユーザー会の手伝いのため今日はスーツ姿。各都道府県からユーザーが集まる会だが、沖縄の人がスニーカーに開襟のカジュアルなシャツで現れたのが面白い。今の日本でも気候に合った服選びをする人が居るというのが新鮮だった。

第四営業部のオフィシャルな(つまりいわゆる「全員参加」の)送別会。幹事の先輩がトラブル対応で急に来られなくなり、同期が臨時幹事となってくれた。楽しかったけど、「職場の飲み会」という感じ。こういうのは有志でやって頂ければそれでいいんだけど...明らかに「全員参加だし外出も出張も無いし」という感じでつまらなそうにしている人もいて、かえって申し訳ない。しつこいが、業務時間外に接待でもなく身内だけで「全員参加」って何?

二次会は体調不良もあり苦しかった。熱っぽい。

■2000年7月18日(火)
松井さんらと新大久保で飲んだ。

■2000年7月17日(月)
会社の創立記念日。101年を迎えたとのこと。web上で希望する記念品を選べるらしいが、iモード携帯やらTAなんかは向こうで使えないのでカラープリンターにする。

田町でだへと飲む。どういういきさつだったのか忘れたが、オーストラリア滞在中のレスのお礼だったか?何度も書いているが、年齢を気にせずに飲む機会があるというのはいいことだと思う。

帰宅したら社長から手紙が来ていた。101周年にあたり社員全員に出したものらしい。手書き原稿を印刷したものだったが面白い。

2000年7月16日(日)
渡航まで残り一ヶ月を切った。今日はのんびりと過ごした。夜、皆既月食。赤い月が不思議。

・表紙の写真を変更
・菲のオーストラリア公演の写真を「旅日記」に移設
・「旅日記」のレイアウトをちょっとだけ変更

2000年7月15日(土)
渋谷の文化村で映画「あの子を探して」を見た。都市と山間部との格差がここまでハッキリしているのは中国だねぇ。出演者は全員素人だということだが、妙に生々しさがある。スクリーンから立ち上るあの強烈な匂いと埃っぽさを巻き舌の強い北方系中国語と共に楽しんだが、この生々しさが合わない人もいるかも。それにしても客層が幅広い。単純だと思われるだろうが映画の後は「台南但仔麺」でメシ。

2000年7月14日(金)
ノータイ三日目。今日はシャツもブルーの半袖ボタンダウンで昨日よりラフな格好に。出張から帰ってきた部長に早速つかまる。最終的には「キミのそのシャツの下から白いTシャツが見えるのが目立つからマズイ。ネクタイを締める気が無いのなら、せめてその中のシャツを脱いで、それからネクタイは机の上に分かるように置いておけ。喫煙コーナーやトイレに行く際は胸ポケットにネクタイを入れておけ」という一言があり、私も承諾。下のTシャツも脱いでしまったのでますますラフになったような気がするが...

ごえもんと新宿で飲んだ。MDに録音した菲のオーストラリア公演の模様を一部だけだがCDに焼き付けてきてくれた。しかしごえもんはこのためにカラープリンター(ジャケット用?)やらCD-Rやらも買ったらしい...

2000年7月13日(木)
ノータイ二日目。朝、マネージャーに呼ばれる。「着用しろ」の一点張り。「急な接客などのためにネクタイは引き出しに入れてあるので」と言ってもダメ。しまいには「業務命令だ」と言われ、夕方改めてメールで「社内であっても最低限の礼儀である」との理由でネクタイ着用を言い渡される。ネクタイの非着用は非礼なのか?茶髪やオレンジのワイシャツが容認されていてノータイは許されないというのが分からない。

夜は一戸君と駒八別館で飲む。配属されたときに当時の上司と一緒に週に3〜4回は来ていた店。そして19日には部で行われる私の送別会の会場となる店。店長のキヨミさんは開口一番「辞めるんだって?」。休職になりそうだと伝えると、「あんたはどっかに行ってしまうような気がしたけどね」だって。一戸君とは主に来週末に実施する旧セブンイレブン淡島店バイト仲間の一泊旅行の話しをする、つもりが互いの近況やら今回のノータイ出勤、挙げ句の果ては技術論まで脱線してしまい、最後の最後で旅行の計画を立てた。

2000年7月12日(水)
初めてノータイで出勤。喫煙コーナーなどで少し反応があった程度で特に問題なく一日が終わった。首回りから締め付けが無くなり、快適。だいたいお客さんと会う機会の無い人が社内でネクタイをする必要があるんだろうか?上着だって、朝は片手に持って出勤して、会社ではロッカーに吊して、帰りはまた片手に持参。ごく当たり前の光景が奇異に映る。別に大したポリシーもなく暑いから外しただけ。しばらく続けてみようと思う。

渋谷の焼鳥屋で軽く飲む。

2000年7月11日(火)
昨日に引き続いて英訳。なんとか8時くらいまでに完了して同期に渡す。田町駅から渋谷までバスに乗ってみたら、25分弱で着いた。夜遅いとこのルートは混まないのでいい。

2000年7月10日(月)
他の部から回ってきたシステム紹介資料の英訳をやってみる。すっかり錆び付いた英語が使い物になるのか不安だったが、辞書をめくって言葉を推敲するという作業はとても面白い。そのままでは訳出できない日本的表現を如何に言い換えるか悩むのも不思議な魅力がある。

久々に施さんと飲んだ。月曜と水曜は日大で中国語を教えているとのことで、水道橋で会う。昔に比べて元気が無いかなと思ったが、飲んで話すうちにだんだん調子が出てきた。「私が万一この先ずっと日本に住んだとしても私は中国人です」という一言に嘘偽りのない「アイデンティティ」を感じた。

2000年7月9日(日)
昼過ぎまでゴロゴロした後、NIJIさんにダビングしてもらった周星馳のビデオを見る。「北京より愛をこめて」は大陸の描写がツボにハマって大笑い。「食神」も腹を抱えて笑ったが、感動的な場面もあり。カレン・モクがはまり役。周星馳モノ、他にも見たい!!>NIJIさん

夕方、美容院へ行く。席に着いて思い付きで「いつもと違う髪型で、しかもサラリーマンには見えない格好にしてください」と土屋さんにお願いしたら、確かにいつもと違うしあまりサラリーマンらしくない髪型になったが、寝癖の爆発頭になったような気もする...ま、いいや。

・表紙のレイアウトをちょっと変更
・表紙に「三十路カウンター」を設置。ふぅ。
・表紙の菲@シドニーの写真を変更
・菲のメルボルンとシドニーでの写真をなんの説明もなく表紙写真からリンク。とても菲が歌っているとは見えない写真ばかり...(望遠欲しい)

2000年7月8日(土)
疲れていたらしく、最終的に目が覚めた時には11時を回っていた。ビデオを見たりゴロゴロしたりのんびり過ごす。晩飯は何故か西安料理屋。どの皿も結構いける。

2000年7月7日(金)
仕事を終えて7時半ころに新大久保のリサへ。EIGOさんに伊豆の切符代を渡し、ごえもんには菲のオーストラリアライブのMDを貸す。さすがに昨日の今日なので最初とお開きの際にそれぞれビールをコップに一杯づつ飲んだだけで、あとはお茶を飲みながらひたすら食べる。ごえもんが隣りだったのでオーストラリア関連の話題になった。今夜から明朝にかけて台風が関東を直撃するので11時過ぎに解散。久々に中カラ歌った。気分いい。

2000年7月6日(木)
体調悪い。夕方、部長とマネージャーに呼ばれる。どうやら休職の件は超例外ということだがなんとか認められそう。これだけ大きな会社で歴史もあって、自己都合の留学で無給といえども休職が認められるのは第一号らしい。かろうじてバブル期の国内進学で前例が数件あったくらいだそうだ。その場で「君の休職が前例になって他の社員が後に続くといけないから誰にも黙っておくように」と釘を刺される。あ・ま・い!できるだけ多くの人に話ちゃうもんね〜。新しい制度として定着させてしまうのだ。ひっひっひ。

気になったのは、部長の一言。「君が中国の仕事でストレスを溜めて出社拒否になったことも人事には素直に話してある」。違う。断じて違う。あなたたちはそういう分かりやすい理由にして解決済みにしておきたいだろうが、絶対に違う。「中国の仕事」は確かにきつかったけど、何がきっかけでああなったか分かってないのか?分かっていてごまかしてんの?何度となく進言したのにあんなムチャクチャな体制で曖昧な責任分担でプロジェクトを進めさせて、ろくにマネジメントもしなかったのは誰だ?この件は休職前に必ずはっきりさせる。例外中の例外の起案などをいやいやながらも回してくれたのは感謝するけど、それとこれは別。私の名誉の問題。悔しくて涙が出そうになった。

会社帰りに入院中の後輩を見舞う。医者によると胃の荒れ方はかなりのものらしい。「さすがに見舞いに来たマネージャー本人に向かって"この部に異動してきたストレスだ"なんて言えなくて」と言っていた。やっぱりねぇ。あの人の部下でストレスで内臓をおかしくしたのは彼で三人目だ。ちなみに二人目は私。ほんとにあの人は自分のやっていること、自分が部下に与えているストレスについて全然わかってない。やっぱりアホに付ける薬は無いのか?

気を取り直して有楽町に出て上海創作料理屋とやらで久々にNIJIさん、laishanさんと飲む。この三人が揃ったのはいつ以来だろう。でもよく考えたら知り合ってからまだ1年程度しか経ってないんだよな。各自の近況などで盛り上がり11時過ぎに散会。生ビール一杯とジャック・ダニエルのロックだけなのに気分が悪くなる。帰宅後、全部吐いてしまった。

2000年7月5日(水)
昼前に技術者が来てパソコンを修理。結局は内部のHDのケーブルが外れていただけだった。データは全て無事。助かった〜。

昨日の続きで支店の人と八田さんと一緒にSOS(総合オフィスサポート)というドキュメント作成会社へ直接行って提案書作成と校正作業。依頼者が徹夜ならここのスタッフも徹夜というトンデモナイ会社。どういう勤務時間になっているんだろう。夜8時頃には終わるかと皆で思っていたが、結局私は0時過ぎにタクシーで帰宅。二人はまだまだ残るとのこと。

2000年7月4日(火)
八田さんから提案書作成の仕事を回してもらったので久々の残業。

2000年7月3日(月)
久々の出社は辛い。オーストラリアに持っていったパソコンはやはり起動せず。休み中に部内会議があったらしく、その場で「コウさんの送別会は野村君のと一緒に開催します」と部長が先走って言ってしまったらしい。おいおい。

以前使っていたThinkPad600に必要なソフトを入れたり設定を直したりして使い始める。このマシンはゴツイだけあって丈夫。今の軽薄パソコンってホントにヤワ。こないだも後輩が満員電車のせいで鞄の中に入れていたPCの液晶を割ってしまったらしい。薄さと軽さだけ追求すればいいってもんじゃないだろ。って私が持ち運びすぎか?とにかくコイツが無いと困るので修理依頼を出した。

とその後輩が見あたらないのでどうしたのかと思ったら、先週末に体調を崩して入院したらしい。なんとなくストレス性のものじゃないかと思うんだけど...

2000年7月2日(日)
機上で今日を迎えた。あの寒さの中を歩き回ったところへ疲れがどっと出たようで風邪気味。ごえもんも咳がひどい。成田には朝7時頃到着。リムジンバスで新宿に着いてごえもんと分かれ、山手線で渋谷へ。ホームで立ち食いソバが目について無性に食べたくなり山菜蕎麦を啜る。ウマイ!9時頃に帰宅。家族に土産のワインを渡したら驚いていた。まさかオーストラリアまで行っていたとは思いも寄らなかったらしい。その後はひたすら寝る。夕方頃に起きてパソコンを開こうとしたら起動しない。運び方がまずかったのか?取り敢えずは家のPCから書き込みをする。だいたくのレス、ありがたい。昼間に散々寝ておきながら0時前に就寝。

メルボルンもシドニーも快適な街だった。仕事さえあれば住みたいな。

2000年6月25日(日)〜7月2日(日) 王菲精彩澳洲演唱會(6/28メルボルン、6/30シドニー)追っかけの旅
荷造り完了。昼頃になって何気なく「休暇を取ったから今日から一週間くらいブラブラしてくる」と両親に話したら驚かれる。掲示板で告知をして、投票を済ませてから出発。

表紙のカウンターがいつのまにか6000を超えていました。皆様、見て下さってありがとうございます。

で、オーストラリア旅行の模様は、近日きっと公開...多分...

2000年6月24日(土)
完山の結婚式のために上京した坂本に会う。品川に吉野も駆けつけてちょっとの時間話した。吉野は仕事でかなり参っているようだ。坂本は相変わらず従順かつマイペース。この三人の性格の違いが面白い。

みんなと別れ、新宿で買い物をして天富へ。徐さんが珍しく飲んでいる。いい店だったな天富。記念にメニューをもらう。徹夜になりそうな雰囲気も漂っていたが、山手線で渋谷まで出て渋谷から歩いて帰宅。さ、明日は出発。

2000年6月23日(金
先輩の提案書作成をちょっとだけ手伝って、夜8時近くに会社を出た。天富でたまたまテーブルが隣りになって知り合った日中友好協会の松井さんと寿司を食べ、その場で中国人女性二人を紹介して頂いた。二人ともマジメだねぇ。

で、寿司の後にはやっぱり中華!ってことで(←ウソウソ)、一人で天富に行ったら、見知った顔(斉藤さん、青沼さん、オカナリさん、うみおさん)がチラホラ。結局終電に乗れず、タクシーで帰宅。

2000年6月22日(木)
朝、大使館へビザを取りに行く。受付が9時からだったので10時出社にしておいたが、会社に戻ってきたのは9時半だった。9時に渋谷に着いて渋谷から新橋行きのバスで六本木の手前まで10分で着いてしまい、そこから歩いて5分で大使館。通勤時間帯の都心方面のバスだったのに早かった。朝は一車線が一般車進入禁止でバス専用レーンになっているので早いようだ。恵比寿で乗り換えて日比谷線で行くよりも快適だった。と最近は都内の地理に関する発見が多い...

肝心のビザはあっさり発給された。窓口の人が中国語しか話さないのは驚く。あとは出発するだけだね。そこでヒマな時間に1年間の支出の概算をしてみた。学費と寮費で約50万円、食費が約15万円。他に日用品やら娯楽にかかる費用と休みのときの国内旅行代を含めると約100万円。なるほど。

それから6/9に新大久保のマイク103で収録があったNHKの「首都圏」。担当ディレクターが何故か会社に電話してきて「今日の夕方6時20分頃から放送しますので」と教えてくれた。放送当日にねぇ...妹に録画を頼んだからいいけど、メールアドレスだって教えてるんだから前日にでも教えてくれればなぁ。

職場を出て、地下のロビーに行ったら福島支店のモリが来ていた。7月初旬に北京と天津に出張で行くらしい。彼が担当している製造業のお客さんが天津に工場を作ることになって、その関連で北京のあの現地法人と一緒に受注を取ったという話しは前に聞いていたけど、出張で行くとはね。国内部隊と海外部隊に分ける意味はだんだん薄れてきた。

夜は佐々木さんの会社に寄って頼まれていたものを渡して、近くで珍しくワインなんか飲んだ。帰宅後、録画しておいたテープを見たら、我々の部屋がちょっとだけ映っていた。私も1秒か2秒ほど...あれだけ見ると一大ムーブメントかと錯覚する人も多いだろうな。メディアって怖いよ。

でも英語はそんなできないけど洋楽は聴くし歌う、という感覚が中国語の歌にも波及してくる時代なんだね。これは面白い。私が日本に帰ってきて初めて中国カラオケのオフ会に参加したときも、みんな中国語もできないし、中国にも行ったことないのに歌っていて不思議だった。「国際交流」だなんてご立派なコトは言わなくてもこういう所から自然に(肩肘をはらず)始めるってのは大事だと思うよ。

2000年6月21日(水)
あ〜、ヒマ。ちこちゃんが上京してきた時に撮った夜景のボケボケ写真を表紙にアップしてみた。

渋谷の台南担仔麺で7月に主任に昇格する岡田さんを囲んで飲んだが、9時前に終わってしまい解散。なんとなく物足りないなぁと思って、そういえばEIGOさんが天富に行くと言っていたので電話して合流。ウミオさん、tamaさん、Reiさん、terraさんがいた。着くなり「昨日100個も頼むから水餃子が無い!」と非難ごうごう。(後日、ホントは団体さんが入っていてなくなってしまったと知ったが...)でも代わりに食べたワンタンもうまかった。

しかし...昨日も中華で今日も一次会も二次会も中華。いいのか?

2000年6月20日(火)
ボーナス日。思ったよりあったので良かった。借金を返したらほとんど無くなったけど。

夜は千紋さん、佐々木さん、八田さん、劉、小室と天富へ。私が一人で先に着いたら松本さんや日中友好協会の人たちが来ていてみんなが着くまでの間は彼らのテーブルでご馳走になった。つくづく世の中は狭いもんで、天富のオヤジ(王さん)と千紋さんは北京の広播学院の同窓生だったらしく、しかも一年違い!それから友好協会の松井さんは私が知っているエンジニアのことを良く知っていたり...松井さんが「北京で困ったことがあったときに頼るといいよ」と金曜に北京の人を紹介してくれることになったし。

今日の天富は我々6人を入れて総勢20名のお客さんが入っていて、テーブルを外に出してなんとか食べられる状態という盛況ぶりだった。それからついに我々は水餃子100個をオーダーして、前回私が提案した「100個注文したら10個おまけ」というサービスの初適用者となった。紹興酒とビールでいい気分で帰宅。この店が無くなるのは本当に惜しいこと。

2000年6月19日(月)
病院と大使館に行ってきました。まず先週の血液検査の結果はシロ!もちろん品行方正な私は全然心配なんかしていませんでしたが、HIV、淋病、梅毒、肝炎には感染していないことが明らかになったわけです。それにしても保険適用外で全額自己負担なので先週と今週の二日間で計3万円近く かかりました。明細見たら診断書の発行料が約1万円だって!ちょっと奥さん!1万もあれば便利な押し入れ収納棚に高木枝切りバサミもオマケに付いて買える じゃないの!

そしてこの診断書を持って六本木(というより麻布十番が近いのかな?)の中国大使館へ。今まではビザ取得は会社に任せっきりだったので、初めて。ロビーの掲示板に色々な通知文があったので興味深く読んでいたら、こんなのがありました。

「本国政府外交部の通達により、発給されたビザに記載されているパスポート番号、氏名、有効期限などに多少の間違いが...」


ここまで読むと誰もが「多少の間違いがあっても無効なので受け取ったらちゃんと確認するように」と書いてあるんだろうな、と思います。で、先を読んでみると、

「...多少の間違いがあっても入国審査上は問題ありませんので、再発行、修正申請などは不要です」。

...これでいいのか?

大使館から会社まで地下鉄を乗り継ぐと午後の始業時間に間に合わないのでタクシーに乗ったら、1000円以内で着きました。地下鉄と電車の路線図を離れてちゃんと地図を開いてみるとこんな近かったんだと改めて思いました。

ビザは木曜に発給されます。会社の同僚の中国人に「血液検査はシロだったよ〜」って言ったら、「順調すぎて面白くない」と言われました。あはは。

8月半ばに船でまずは上海に入る予定ですが、ホームページ(http://www.fune.co.jp/J-index/W-world/JW-INDEX.html)で調べてみたら入港地はなんとバンド(外灘)!これは楽しみ。50時間もかかるけど、船であの外灘に入るってのは良さそうですね。

夜は一日遅れの父の日のプレゼントを買って、一人で「リンガーハット」でメシを喰って帰宅しました。今月いっぱいは普通のちゃんぽんが380円で食べられます。

それからちょうど一年前の今日、美留さんのホームページ「万事如意」のオフ会に参加しました。最近は自粛してますが、徹夜癖がついたのもあの時からでした。

2000年6月18日(日)
今日はバーベキュー大会。天気予報は雨だと言っていたので、後輩&先輩夫婦の新居の庭でやるか屋内で鉄板焼きにするかと考えていたら、朝からいい天気。最近よくはずれてくれる天気予報。で、こうなったら絶対に屋外でバーベキューだということになり、相模川の河原まで繰り出して決行!生活力にやや問題ありの男性陣が肉の買い出しチームだったのでいい肉がそろった。昨日に続いて今日もまた昼間っからビール&ワイン。うまい!1歳4ヶ月になる実紗希ちゃんは終始ご機嫌だった。いやいや、こういうのも楽しいね。

久々にこの更新履歴を書く。といっても更新してないんだけど...二週間分の日記を書くのは大変だった。

さ、明日はまた病院へ行って結果をもらって、そのまま中国大使館へ。これもまた楽しみ。

2000年6月17日(土)
友人たちと餃子会。ニラ玉シイタケ入りと豚肉と白菜入りの二種類で計約60個の水餃子を作った。サイドメニューとして、卵とトマトの炒め物と豆苗炒め。皮もちゃんと強力粉から作ったんだけど、やっぱり皮が勝負だね。私の作った皮なんか不格好だし、ボロボロだったし...中国人が見たら笑うかも。でも一から自分たちで作った水餃子を最後に思いっきり食べるのはとても幸せなことだと思う。不格好だけどおいしかった。ビールとワインでいい気分だったし。

飲み物はビール券(胡乱さんより以前いただいたものです。ありがとうございました)で買って、その他の材料費はな〜んと一人あたり400円弱。安いし、楽しいし、おいしいし、この企画は大正解だ。皆さんにもオススメ!!でも会場となった家は粉だらけになっていたな...

昼間っから飲んでいたので夜はぐっすり。

と書くと、まるで私が一人で色々な料理を作ったかのように読めるかもしれないが、「私の作った皮」や「自分たちで作った」などの表記から察して、そうではないことを読みとって頂きたい。(笑)

2000年6月16日(金)
午前中は昨日届いた書類をコピーしたりビザの申請書を書いたりで終わる。インチキ甚だしい勤め人である。午後はオーストラリアの旅程表を旅行社(と行っても四つ上のフロア)に取りに行って宿泊予定のホテルや菲のコンサート会場をネット上で探しまくる。「給料泥棒」とは私のためにある言葉なんだと思う。わはは。(←全く気にしてない)

千紋さんから餃子用の麺棒([才幹]麺杖)を借りた。渋谷の豆腐料理屋で定食っぽいのをサッと食べてビールもちょっとだけで帰宅。土日はイベントで連投なので早めに寝る。

2000年6月15日(木)
渋谷のユーロ・スペースで「花火降る夏」を見た。サム・リーはかっちょええのお。この監督は前作でもそうだったけど、時間の経過を(故意に)無視したショットをよく散りばめている。時間がねじれているように見えるんだけど、実はどこかで深い因果があるということを暗示しているんだろうか?返還当日、警察によってホテルの部屋に軟禁状態にあったボスがタバコを吸いながら黙って花火を眺めている背中がもの悲しい。広東語から普通語への切り替えも印象的。そういえばあの瞬間は休暇で香港に居て雨空の中で傘の隙間から花火を仰ぎ見たんだな。

映画館から近いので「天国」へ行ったら、ISPの集団に会う。酔っぱらいの佐々木さんに「レノン」というバーに連れていってもらった。酔っぱらって帰宅したら代理店から入学関係書類が届いていた。手元に「入学許可証」が届いてやっと実感が湧く。

2000年6月14日(水)
ぱっと帰宅。すぐに寝る。なんか最近、よく寝ている。

2000年6月13日(火)
帰宅後にメールを見たら代理店からメールが来ていて、語言文化大学から入学許可証他の書類一式が届いたらしい。一歩一歩。

夜は久々にごえもんと電話。オーストラリアの件の打ち合わせ。

2000年6月12日(月)
今日は休暇。先週の雪辱を果たすべく、早めに国立東京医療センターへ。昨日の昼のもんじゃ焼き以外は何も食べていないのでツライ。10時過ぎから回り始めて12時半頃に無事終了。耳鼻科の先生が「中国健診」の文字を見て話しかけてきてくれた。「私は引揚者で5歳まで北京で育ったんですよ」。しばらく中国談義に花が咲いたのは嬉しかったけど、聴力検査をやらずに「異常なし」と書いてくれたのはいいんだか、悪いんだか...さて今回の費用は覚悟していたがやはり高かった。血液検査やレントゲンもあったし全額自己負担なので約17,000円。ふぅ。結果は来週の月曜。

病院から恵比寿に向かうバスの中、頭の中は食べ物のことばかり。昨晩は中華を腹一杯食べる夢を見たし...焼き肉か豚カツが無性に食べたくなり、駅前の定食屋で「豚焼き肉の大根おろし乗せ定食」を食べる。これは昨日の晩メシ分。そのままJRの駅へ向かうも、神戸屋キッチンの前を通り過ごしたのにわざわざ引き返して珍しく甘いモノを食べる気になって、洋梨のペストリーとコーヒーを頼んだ。これは今日の朝食分。その後、山手線で田町へ行き、会社の中にある旅行社へ行こうとしたら駅前のバーガーキングに引き寄せられてハンバーガー(しかも「ワッパー」とかいうデカイやつ)を食べた。これは今日の昼飯分だ。旅行社でオーストラリアの申込を済ませて、その足で築地の別の旅行社へ行ってETAS(簡易ビザの登録)を済ませて帰宅。実家で食事となったが、またもやキムチクッパに焼き魚に野菜類に加えてさらに白飯も喰うという爆食状態。自分でもこんなに食べるとは思わなかった。

2000年6月11日(日)
今日はめぐめぐさんと一緒にちこちゃんをご案内。赤坂見附→日枝神社(御輿)→浅草(雷門、浅草寺、もんじゃ焼き)→両国(江戸東京博物館)→新宿(預けてあった荷物を回収)→新橋→お台場(夜景をチラッと見る)→新橋→東京。で、夜7時54分の新幹線に乗れるはずが...ちこちゃん、ごめん!!!新橋での猛ダッシュの甲斐もなくギリギリ間に合わなかった!!で、気を取り直して8時35分ののぞみに変更。お疲れさま〜。楽しかったよ!


江戸東京博物館はセンスがいい。江戸のコーナーも東京のコーナーも立体的な展示が巧み。ちょうど昨日、今日と回った場所の当時の様子やらを再確認できたのは良かった。

それから夜8時になってから明日が健康診断で8時以降は食事をしてはいけないことに気づく。腹減った。

2000年6月10日(土)
岡山のちこちゃんが研修で上京していて、今日はみんなで集まることに。ゆりかもめと水上バスの一日乗車券(900円はお得!)を買って、新橋→青海(ビーナスフォート、アトラクション、昼食)→お台場(人工の砂浜、水上バス)→日の出桟橋→新橋→銀座(資生堂パーラー)→新宿(紀伊国屋書店)と回り、新宿で駱駝サン他と合流。京王デパートの屋上ビアガーデンへ。ビアガーデンなんて久しぶりだ。その後、新大久保の103で中カラ。道中、お馬鹿な写真ばかりで...もう、いい加減にせねば...

それにしても梅雨入りしたというのに雨には降られず良かった良かった。

2000年6月9日(金)
なんにも予定は入れていなかったが、らいしゃんから誘いがあって新大久保の103へ。5時15分の定時にとっとと会社を出た。NHKの収録があるという話しだったけど...なんかアホくさかった。

2000年6月8日(木)
リーダー、タケと定例(?)会。今回は珍しく六本木。気づけば12時になっていて、恵比寿からタクシーで帰宅。

2000年6月7日(水)
昼休みに有楽町に行って新しいパスポートを受け取る。夜、突然の誘いがあって佐々木さんと田島さんと「あいらく」で飲んだ。ぷらどは休み。

2000年6月6日(火)
久々に思い立って中国語カラオケへ。目黒で1時間半くらい歌って3ヶ月ぶりに魚菜へ。一人あたり1300円...ビールも飲んだんだけどなぁ。

2000年6月5日(月)
事前に休暇を申請してあったので今日は長期ビザ取得に必要な健康診断へ。朝、駒沢の国立病院東京医療センター(←いつの間にか「国立第二病院」から改称したらしい)に電話で問い合わせた時には「健康診断の受付は11時までです」と言っていた(最近は確認する癖が付いていて念まで押したのに、名前を名乗らせなかったのが失敗)のに、着いてみたら「10時までです」とのこと。さすがに抗議したが、いくつかの項目の検査は無理ということなので、諦める。3月14日の日記にも書いたけど、こういうサービスみたいな部分の質が落ちてきているように思うのは私だけ?あわてて幾つか他の国立病院に電話してみたが、予約制で月末まで埋まっていたり、英文の診断書は出さなかったりで、また休暇取ってここまで来なくては...(←実は嬉しい)

それにしてもこの病院、明るくて清潔になった。94年の入社の際に必要な健康診断を受けに来たときは、薄汚い暗い病院で、週刊誌で医療廃棄物の管理がずさんとまで言われていたのに、全館立て直してとても気持ちの良い病院になっていた。一階ロビーの採光がうまい。

それからこれは小ネタだけど、中国のXビザやZビザ取得の際に必要な診断証明書って、国公立の病院でないと受理されないことが多いらしい。推測だけど、民間の病院だといくらでも手心を加えることができそうに見えるのかな?裏返していえば中国ではそういうことが...(以下自粛)
で、代理店も「国立○○病院とか××市立病院などの一目で国公立と分かる病院が良い」と言っているので、今回webで国公立病院を検索してみたら、ほとんどの国立病院の前身が軍関係だった。戸山の旧国立第一病院(現、国立病院国際医療センター)も今回の旧第二病院も陸軍病院だったらしい。たしかに戸山も駒沢も陸軍があったところ。もしやと思ったらやはり立川の病院も陸軍の航空隊がらみ。ちなみに家から一番近い国の病院は三宿の自衛隊中央病院でここももちろん軍の病院だったところ。ここで診てもらったことがある親戚に言わせると、「お医者さんも看護婦さんも軍服着ていて違和感あるんだけど、そこらへんの民間病院よりも態度がちゃんとしていていい」とのこと。婦長さんあたりは佐官クラスらしい...ここでも健康診断をしているのなら話の種に行ってみようかな。

おっと脱線...

さて、駒沢あたりまで来て何もせずに帰るのは勿体ないし、ましてや午後に出社するのも馬鹿馬鹿しい。おおそうだ、と思い立って104で中学校の電話番号を調べる。電話をかけて「37回生の者ですが、当時図書室の司書をされていた村上先生はもう退官されたでしょうか?」と尋ねたらまだ在職中!「そこまで来てるなら来なさい!」ということになって、久々の母校訪問となった。昔の先生ともお話したけど、なによりも図書室が懐かしい。当時、図書委員長としてあの一室を支配下に置いていた私(←かなり誇張)が、15年以上の歳月を超えて見たものは...って、これは「日々のひとこま」のネタにしよっと。

とにかく面白い一日だった。(でも健康診断、なんとかしなくちゃ)

2000年6月4日(日)
三島へ。天気は決して悪くはなかったが、ガスが出ていて富士山は下の方しか見えなかった。いとこらと大社脇の「あめや」で寿司を食べる。うまい。あの味で特上が2000円は絶対に安いと思う。(ってご馳走になったけど...) 帰りは東京駅でちょっと一杯。

なんだか「飲み会日記」になってるなぁ。

天安門事件11年。十周年の去年は北京に居たんだよな。

2000年6月3日(土)
都内をブラブラ。キネカ大森で「喜劇王」を観た。セシリアに生唾ゴックン(死語)。笑う映画だと思ってたのに泣いてしまった。雨のシーン、タクシーの中のシーン、カラオケで殴られながらも帰ると言い続けるシーン。上映中に地震あり。それから小さなことだが「セゾンカード」で映画代が300円引きになった。嬉しい。渋谷のベトナム料理屋でメシ。生春巻き、フォー、お好み焼き...堪能。

2000年6月2日(金)
オカナリさんの帰国祝い(?)で新大久保へ。「天富は勘弁」と言っておいたお陰で違う店になった。久々のリサ。改装してからは初めて。中カラも久々。楽しかったので徹夜も魅力的だったが、この季節はお日様の高いうちから外に出たいので終電ギリギリで帰宅。

2000年6月1日(木)
午前中に引継会議。無償保守期間が残っている案件が意外にあるな...ま、がんばって後はよろしく。夕方6時から新体制スタートの「キックオフ・パーティ」とやらがある。「全員参加」という通知があったような気がしたけど、オッサンの顔を見ながら終業時間後に飲む気がせず乾杯直後に退散。(遊び)疲れがたまっていたようで10時には寝てしまっていた。

2000年5月31日(水)
午前中は休んで目黒区役所の駒場出張所→歌舞伎町の新宿区役所→有楽町の旅券課を回る。朝っぱらから歌舞伎町を歩くというのはなんとなくイカガワシイ。それにしても何かと不便なので戸籍は目黒区に移して欲しい。旅券課では窓口の担当官の計らいで1年以上有効期間が残っているパスポートを更新することができた。余白不足の際は例外的に早めの更新が認められているらしい。もめたら「紛失」しようと思っていたんだけどうまくいって良かった。交通会館の中の写真屋のスピード写真の出来がまあまあ良かったので、今回は10年間有効の旅券を申請した。6月7日に受け取り。3冊目のパスポートになる。

夜はまた天富へ。白酒も一杯だけ。そしてまたしても餃子をたらふく喰らう。

2000年5月30日(火)
4人の同僚と一緒に天富へ。餃子が好評で60個を平らげる。白酒もちょっとだけ飲む。ご機嫌で帰宅。

2000年5月29日(月)
後輩と帰る時間が一緒になったので田町駅前で飲む。どうも月曜から飲む習慣ができてしまっている。途中、佐々木ジャボチンスキーさんや千紋さんから「渋谷で飲んでるから来い!」という電話がガンガンかかって来たが無視して帰宅。帰宅後、新宿に出てコーヒーを飲む。佐々木氏の留守電は10件を超えていた...

2000年5月28日(日)
一日中ずっと雨だという予報だったのに昼頃から晴れる。風は強いし、湿気も多かったがいい日差し。近所の美容院で髪の毛を切る。ホームページが見つかってからは初めて。照れくさい。髪を切られながら「佐治さんのことが出てたねぇ」と言われた。この店もずっとあの小学校の隣りにあるので、佐治さんのことは知っていたようだ。佐治さんが居なかった時期は校庭の花壇なども荒れてしまっていたらしいが、戻ってきてまたすぐに手入れがきちっとされるようになったとのこと。用務員のプロフェッショナルだったんだな。

夜中にNIJIさんの5000番獲得記念特集「愛の往復書簡」をアップ。

2000年5月27日(土)
渋谷→原宿→表参道→渋谷というコースを久々に歩く。原宿で前から気になっていたユニクロに立ち寄ってみた。実は全く初めてだったんだけど、安いし品物もちゃんとしている。若い客が圧倒的に目立つのは確かだが、オジサン、オバサンも平気で買い物をしていて、年輩者が排除されていない雰囲気が面白かった。似たような感じがどこかにあったよなあ、と考えていたら、3月のゴールドディスク大賞授賞式が客層の多様さという点で近いのでは?(ちと違う?) 日中は思ったより雨がたいしたことなくて良かった。

帰宅後、日本の写真家がチベットで月の光だけを頼りに写真を撮るというテレビ番組を見た。標高5000m以上の峠からチョモランマを仰ぎ見て撮影された写真は、惑星探査機がどこかの星の表面を撮影したような荒々しいものだったが、同時にとても神々しく息を呑む美しさだった。

2000年5月26日(金)
二通目の推薦書を書いてもらい書類が揃ったので北京語言文化大学への入学申請書類一式を発送。北京に関してはエキスパートだという自負があるので心配は何も無し。北京生活を心おきなく楽しもうと思う。

〜車到山前必有路〜 (案ずるよりも産むが易し)


夜はまたしても天富へ。珍しく一番に着いてビールを一人でぐびぐび飲んでいたらこれが後から効いてきて12時前に早々に退散。

2000年5月25日(木)
眠い。学校の申請費用(US$50)をT/Tで送金する。送金手数料が5500円ってのは馬鹿馬鹿しい限り。申請書類用の写真も撮る。イマイチ。

秋庭さんから続報。今度は日本語のメール。「今日は、ラサのポタラ宮殿の前の広場で、厚底靴を履いたかっちょいい小姐を見ました。中国も変わったなあー」だって。あはは。

夜は、先輩とメシを喰って、その後に「門」で軽く飲んだ。初の北京出張はいろいろな意味で刺激になったらしい。

2000年5月24日(水)
千紋さんに推薦状を書いてもらう。過分なお褒めの言葉を頂いた表版と一緒に、赤裸々な私が書かれている裏版を作成してくれた。裏版、自分のことなんだけど、大笑い。
帰宅したらちょうど入学申請書類一式がエージェントから届いていた。記入したり質問事項を整理したりしているうちに夜中の3時になってしまった。

2000年5月23日(火)
カイラス山を目指して大陸へ渡った秋庭さんから初めてのメール。チベット自治区ラサのインターネットカフェからローマ字で近況を伝えてきた。嬉しいねぇ。

旧中国部から移ってきた後輩一人を連れて久々に百人町の天富へ。水餃子うまい。彼も気に入ったようだ。松本さんに遭遇。「最近はよく来るんですか?」と尋ねたら「いやぁ、先週は1回しか来なくて」とのお答え。一体、何回来てるんだろう...

2000年5月22日(月)
昼過ぎ、NIJIさんから5000番獲得の報あり...悪夢じゃ〜。退屈な部内会議は中国語の単語帳を眺めていた。もうどうでもいいんだけど、会議であからさまに順番飛ばすな!(2回目)

またしても月曜から酒を...マーク・シティの中の飲食店は初めて。日本酒がうまかった。

2000年5月21日(日)
リーダーにもらった招待券で「アメリカン・ビューティ」を見る。赤いバラ繋がりで見たんだけど(嘘)、なんとも言えない結末。私のビューティーは何だろね。

2000年5月20日(土)
申請に必要な卒業証明書と成績証明書を取りに藤沢の山奥へ。卒業後も学校へ行くことはあっても車だったからこの湘南台駅は6年ぶりくらいかな。小田急江ノ島線の地味な駅だったのに、 今や地下鉄と相鉄線とが乗り入れていて駅舎も周りもすっかり変わっていた。居眠りしていて目が覚めたら立派なホームに「湘南台」と書かれていて度胆を抜かれる。地下の立派なコンコースは一大ターミナルという雰囲気。駅前にはスターバックスやらデニーズやらが出来ていてびっくり。 ま、6年も経てばこうも変わるか。駅からタクシーに乗って学校へ向かうと駅前以外は見慣れた光景。運ちゃんに言われて気づいたけど、いすゞ自動車の寮が取り壊されていた。そういやいつぞやの新聞でいすゞの工場が閉鎖されたことを読んだっけ。

タクシーを降りて本館へ向かうゆるやかな階段を上るとき、鳥肌が立った。90年の4月にやはりこんなリュックを背負ってこの微妙な歩幅の階段を初めて上ったんだよな。学校自体はあまり大きな変化なし。事務棟、メディアセンター、生協、学食、マシンルーム、銅像...懐かしいキャンパスなのに知っている人が誰も居ないのは正直言ってちょっと淋しかった。写真を撮ったりして事務室へ戻りかけると、吉川にバッタリと会う。彼は院の入試で来たそうだ。

彼と一緒に事務室へ行き、私は8通の証明書(3200円也)を受け取る。ちょっと多かったので 「封筒を頂けますか」と受付の人に尋ねてみたが、しばらく上司らしき人と相談した後、「そういったことは致しておりませんので」と言われてしまった。昔からこういう雰囲気の窓口だったんだけど、会社で働くようになってから改めて遭遇するとかなりショック。使い古しの封筒でもなんでも良かったんだけどな。普段の私だったら「ちょっとそれはないんじゃないの?」と食い下がるんだけど、ホントに呆れて何も言えなかった。こんなんでいいの?

生協に引き返したら旅行業務担当の鹿毛さんが居た。うわぁ、全然変わってないや。吉川と二人で生協のカウンターで鹿毛さんと話していると夏休みの旅行計画を立てているみたい。時間が戻る瞬間。ここで自動車学校の申込みもしたし、生まれて初めての外国になった韓国旅行も、あの無謀な大陸横断一人旅もこのカウンターから始まったんだよな。

帰りは駅まで神奈中バスに乗る。吉川との話が止まらない。向後の居たマンションが当然だけどまだある。よくここでレポート書いたよな。定食屋「とん菜」もまだあったので二人で昼飯を食べる。カツ煮定食、こんなに大盛りだったかなぁ。結局昼間っからビールを飲むことになり、あれやこれやで盛り上がる。学生の時は昼ビールなんてしなかったな。

町田で下車する吉川に別れを告げて下北沢へ。ドコモショップで携帯電話を解約。
さらば、N206s!(1998/8/16 - 2000/5/20) 君の事は忘れない!たとえ「ニセiモード」と呼ばれようとも...合掌。

2000年5月19日(金)
昼休みに抜け出してH"を購入。ついでに留学のエージェントに行って代行手数料を払ってきた。(帰社したら大幅に昼休みの時間をオーバーしていたような...)

輸出許可申請の件で商社と揉めて珍しく9時過ぎまで残業。タケとIPメッセンジャーを飛ばしあって軽く飲むことにする。タケの連れてきた後輩(女性二人)がメチャクチャおもろい。都の西北はみんなこんな感じなのか?

2000年5月18日(木)
自宅で携帯電話を便器を落としてしまった...用を足す前で良かったけど、救出後に必死のドライヤーの甲斐もなく昇天。何故かとっさに「めぐめぐさんなら落としたことがあるにちがいない!」と思ってパソコンの中に残っていた携帯番号を探し当てて電話した。が、「スリッパとホカロンなら落としたけどね」とのこと。ううむ、結構いいとこは突いていたな。ふっ。

でも菲のプリクラごと便器に落としたのはナイショ。

2000年5月17日(水)
代理店に行こうと思って今日は休暇。なのに担当者が休みで結局電話で済ませてしまった。渋谷でブックファースト、大盛堂、紀伊国屋と本屋三軒ハシゴ。欲しい本がたくさんあるよ〜。

大学時代のバイト仲間にページを発見された。検索したらヒットしたらしいが、検索キーはなんだったんだろう...

2000年5月16日(火)
月曜から飲むという反社会的行為はやめよう、と思ったら先週の日記にも同じこと書いていた...で、今日も懲りずに軽く飲んだ。ま、打ち合わせみたいなモンだったけど。

美容院の私の担当の人の奥さんが美留さんのページで私の「Aこれ子」写真を発見。くわばらくわばら。

2000年5月15日(月)
会社を出るときにふと思い立ってNIJIさんに電話してみたら、向こうも珍しく時間があったらしく渋谷で飲むことになった。ワンパターンの「びゃっこ」。突然の誘いに応じてくれてありがとね。最初が肝心。結託するも良し。でも二人で飲んだの初めてだったなぁ。ヒゲ、きたねぇぞ!

2000年5月14日(日)
後輩夫婦(いや、先輩夫婦と言うべきか?つまり会社の先輩と後輩が結婚している)の新居に招かれた。八田さん夫婦も赤ちゃん連れてやって来た。ちょっと見ないうちに大きくなった。工藤さんは一人で来ていた。何でも奥さんは7月に出産予定とのこと。なんかこういう場に一人で参加することが多いぞ...

帰宅後、テレビで久々に映画「ベルリン天使の詩」を見る。天使が地上に降りた途端に白黒の映像がカラーになるところが何度見てもいい。

「日々のひとこま」に天涯之記「98-11」(下)を追加。

2000年5月13日(土)
「宋家の三姉妹」を横浜の黄金町で見た。

2000年5月12日(金)
郡山支店に行った同期のモリが出張で東京に来たので玉川での新人研修時代の友人を集めて飲んだ。理系ばかりのクラスの中で「文系五人衆」と呼ばれていた我々のうち四人が集まった。モリは久々。当時の数々の疑惑が解明された。新幹線の最終で帰ると行っていたのを引き止めて駒場に泊めることにする。

2000年5月11日(木)
ふと思い立って久々に天富に行った。水餃子がウマイ。

2000年5月10日(水)
新しい担当者に案件を引き継ぐ毎に書類は減っていく。引き出しの中もだいぶスッキリしてきた。休職の件はどうもかなりの裏技になるらしい。

晩はベトナムのハロン湾で偶然会った若い夫婦と一緒に久々に再会して飲んだ。メールアドレスだけ教えていたが、まさか日本で飲むことになるとは...「台南但仔麺」でビーフンや大根餅をつつきながら話しが弾む。私より一つ下の奥さんはネット上でベトナムの雑貨を売る計画を立てていて、かなり具体化しているようだった。私と同い年の旦那さんも相変わらずニコニコしながらビールを飲んでいる。ハロンのフェリーで会ったときも思ったけど見ていて気持ちの良い夫婦だ。11時ごろ気分よく帰宅。

2000年5月9日(火)
二日酔い。月曜(しかも連休明け)に飲むというのはやはり反社会的な行為である。とっとと会社を出て、先輩と後輩と一緒に中華を食べて軽くビールをつぎあって帰宅した。

2000年5月8日(月)
久々の会社。辛い...しかも筋肉痛。前々からおかしいと思っていた毎月2500円の部費の不払いを通告。飲みたい人と飲みたいときに飲めるのがなにより。

夜はもう何回開催したか分からない新木場の会社に居たアキバさんの送別会。でも今晩が最後。アキバさんは今夜10時40分の夜行バスで大阪へ向かい、明日昼の新鑑真号で大阪港を発ち船中で2泊して上海に着く。彼の目標はチベットにある6600メートルの「カイラス山」。渋谷の「びゃっこ」で学生のコンパ集団と一緒になって大騒ぎしてアキバさんを集中攻撃してヘロヘロにする。10時40分のバスだというのに解放したのは11時近く。我々は鬼である。彼は結局11時20分のバスで旅立った。途中で降ろされなかっただろうかと心配(←取って付けたように)。「一日くらい出発遅れてもいいじゃん」とみんなでさんざん言っていたのだが、「船は毎週1便しかない」という事実が判明してちょっと焦った。

じゃ、気をつけていってらっしゃい。

アキバさんを見送った後に私が「やあ今日はすごかったですね」と感想を漏らしたところ、「あなたのときはこれ以上になりますよ」とみんなに釘を刺された。怖い...

2000年5月7日(日)
朝8時にワンボックスのバンを借りて少ない荷物を積む。ささきさんに手伝って頂いて11時頃に積み終わって二人でメシ。車はスカスカ。入社以来の荷物がこの程度とは...浦安でEigoさんにガス台と強引に包丁を押しつけて首都高で駒場へ。道路はガラガラで40分程度で到着。荷下ろしを終えて行徳に戻る。一般道も高速も空いていて快適。車体が高いので見える光景も新鮮。

行徳で車を返して部屋を掃除。ちょうど終えたところで不動産屋の立ち会いの人が来る。「5年と3ヶ月間のお住まいですね」と確認され、今更ながら驚く。3時に無事引き渡し完了。もう私の家ではない。

行徳の街ももう来ることは無いでしょうね。さよなら。

「つながり」の中に引越オフの様子をアップ!

2000年5月6日(土)
行徳オフという名目の引越大会。いやぁ、みなさんありがとうございました。それにしても温泉のヌード写真が出てくるとは...みんなが帰った後でキレイになった部屋でささきさん、アキバさん、ぷらど君で酒盛り。そこに菲通單のといし君も混ざって、さぁ大変。といし君は「これさんのイメージが変わりました」としきりに感心していた。う〜む。

といし君は零時ごろに去り、アキバさんは中野行き終電で府中まで帰る予定だったが吉祥寺まで歩いて力つきてそこらへんで寝たらしい。ぷらど君は1時頃に車で帰り、結局ささきさんが最後の宿泊者。穴の開いた座椅子(「スケベ座椅子」と命名)を平らにして寝ていた。(気に入ったらしく、翌日お持ち帰り)

2000年5月5日(金)
朝の6時半に寝る。しか〜し!カーテンをあげてしまったので、明るくて大変だった。(それでもしっかり寝られる私)

昼過ぎに一戸君が再度訪問。駒場行きの荷物を車で運んで行ってくれた。定食屋で食事を済ませて下北沢に行く。学生時代のバイト仲間と2年ぶりに集まって飲む。それにしてもみんな変わってない...安永さんは明日結婚だそうだ。

って、飲んでいる場合では無かった...

2000年5月4日(木)
夕方「ぷらど」がアパートに来た。部屋を見ておおいに呆れていた。で、翌朝6時くらいまで手伝ってもらった。棚などをお持ち帰り。それにしても自分に紙袋を集める性癖があったとは気づかなかった。夜中には一戸君も来てくれた。わざわざ車まで借りてくれてありがとう!カーテンなどをお持ち帰り。

2000年5月3日(水)
各地で学校を下見して帰国。空港で軽食をとった後に4月に新設された渋谷行きのリムジンバスで帰る。便利。北京の空気のせいか喉が痛い。

2000年4月30日(日)〜5月1日(月)
天涯でオンネル君に会う。元気そうだった。ニヤリ。

天涯から帰ってきてユカさんにも会った。相変わらずの天然ぶりというか何というか...天然の東西対抗王座決定戦ができそうである。

2000年4月28日(金)
小公共は2元。一人のときは極力タクシーに乗らないようにする。出張者じゃないんだし。

いつの間にかカウンターが4000番を突破。

2000年4月27日(木)
前日は2時に寝たのに6時起き。出張じゃないので荷物は軽い。それから台湾ともベトナムとも違って勝手の知った国なので余計なモノは持たない。いったん会社へ行って机の上に置かれている託送物を受け取る。7時半過ぎに会社から箱崎のTCATまでタクシーで。(←この費用は当然会社につける)

TCATを8時半に出るバスに乗り、9時20分には成田着。箱崎で出国手続きもチェックインも済ましているので10時40分の出発まで時間がある。いつも40分前に空港に駆け込んでチェックインをしている私にしてはとても優秀。今回お世話になる人への土産を買って離陸。

北京。前回は1月だった。暗くて冷たくてどんよりしたあの冬と違って暖かく緑が綺麗な季節。久しぶりに柳絮が舞うのを見る。北京は秋が一番いいと言われているけど、冬を予感させる秋よりも夏を前にしたこの季節の方が好き。

託送物を受け取りに来た車で会社のビルへ行く。絶対に会いたくない人は会議中。大内山さんのアパートで少し休み、夕方は日壇公園の中の野外レストランで食事。餃子、魚香肉糸、豆苗、香菜...やっぱりウマイなぁ。何回も言っているけど、野菜が野菜の味をしているという悦び。小陳、古澤さん、大内山さん、内山さんと私の5人でビールも飲んで160元。陳極平は相変わらず元気。日本語も上達したようで我々の話を結構理解しているらしい。

2000年4月26日(水)
夜、渋谷で飲む。

2000年4月25日(火)
夜、行徳に戻る。駅近くの定食屋で晩飯。さんまの塩焼き、大根の煮付け、ポテトサラダ、漬け物、味噌汁、ごはんで800円。店をやっている夫婦と雑談などする。北京と日本を行ったり来たりでロクな生活じゃなかったけど、それでも5年以上は居を構えた土地、行徳。中国に行かずにここにずっと生活していたらどんなだったんだろう。たとえ一年でも一つの街に落ち着いて住むというごくごく当たり前のことに憧れる。とにかく9月から始まる一年間は(勉強もあるけど)「生活」をしたい。どこの街になるかは分からないけど。

部屋を整理...ホントに7日に引っ越せるのか?

2000年4月24日(月)
今日から8Fで仕事。お約束だが朝はいつも通り9Fのボタンを押してしまった。喫煙コーナーからレインボーブリッジが見えなくなってしまったのが残念。それから逆サイドに移ったので机からは芝公園の緑や東京タワーが見えなくなってしまった。午前中は段ボールをひたすら開けて棚にしまうという作業。午後になってネットワークの設定を変えて4時過ぎにメールやwebが見られるようになった。

後輩の女性に金曜のことを注意した。アナタは「ごめんなさい」って言えないの?

水道局に電話して他の公共サービスと同じ時期に供給を停止してもらうように依頼。

2000年4月23日(日)
ゴミ出しのついでに人に不要品の写真を撮ったので、どうせならと思ってアップした。表紙の「不要品一斉放出!」からどうぞ。

2000年4月22日(土)
電話、ガス、下水の中止手続きを電話ですませる。5/8になった時点ですべて使えなくなる。95年の2月に一つづつ開設していったものを今日のたった一時間で閉じる。東京電力は土曜でやっていなかったがwebで中止手続きができた。これはこっちとしても楽だし、東電側の業務も楽になっているハズ。水道局はお休みなのでまた平日に。財形の一部を崩したのが口座に入っていたので借金の類を全て返済。車の保険は等級が無茶苦茶に良くなっているので中断にする。中断の期限は5年以内。まぁ日本に居るでしょう。JAFは年会費が安いので継続。それにしても帰国してからの生活のスタイルが想像つかない。(←密かに楽しみなんだけど)

要らないものを捨て始める。使えるものは掲示板で応募して引き取ってもらう。そういえばこれだけ大片づけするのは去年の9月の「蒸し風呂オフ」以来だ...天気が良いので布団も干した。

表紙からリンクしていた「台湾日記」を「旅日記」の中に移設。「例の猫」のストラップの写真を追加した。これを機に誤字や勘違いを訂正。夜市で食べた生春巻き風のヤツは「潤肉巻」じゃなくて「潤餅捲」だった。「潤肉巻」ってなんかいやらしいぞ。

2000年4月21日(金)
一日中、段ボールとファイルとゴミに囲まれていた。入社以来ずっと居た9階から8階へ引越。しかしそれにしても一番荷物の多いマネージャーが出張中とはねぇ...おまけに先輩も急に出張、後輩は自分の分を終えると3時にフェイドアウト(←これには非常に腹を立てている。せめてなんか一言残して帰れ!)

書類を整理しない廃棄しない上司なので尻拭いが大変。不在を良いことにバンバン捨ててやった。どうせ気づかないだろうし。

夜はビールを二杯とジャックダニエルと梅酒と...ま、軽く飲んだ。久々に行徳に帰る。

2000年4月20日(木)
で、朝になってANAのマイレージ用の空席状況をwebで確認。この前のときは電話でしか確認できなかったのに...便利になったのう。予約は電話で。あっさり取れてホッとした。ま、計画性の無さは勘弁してね。それから北京駐在のUさんに電話して留学中の人を紹介してもらう。4/27〜5/3で大陸の4〜5校を見てくる予定。宿泊は出張者のホテルに転がり込むことにする。大内山さん、ありがと。

生保と年金の解約について色々説明を受ける。「続けた方がよろしいですよ」ってねぇ...収入ゼロでどうやって保険料払うの!年金は取り敢えず中断にしようかな?でも解約すれば4年分の学費に相当する金が戻ってくるなぁ...休職が通れば健保と厚生年金は払い続けなくてはいけないし、日本に居ないのに住民税も払わなくてはいけないし、どうしようかな。

2000年4月19日(水)
何してたんだろ?やっぱり一週間以上も日記をほったらかしにしておくと忘れてしまう...あ、そうだそうだ、夜中に思い立って「大陸・留学先下見の旅」行きを決めたんだ。

2000年4月14日(金)〜18日(火)
初めての台湾。ベトナムのときはパソコンなんて持って行きたくなかったけど、今回は美留さんの真似をして旅と同時進行で「今天的台湾」を更新してみた。いやいや、それにしても同じ中国圏でも大陸と違う!(それでも大陸は捨てがたい...なんなんでしょ、この感覚)

「今天的台湾」は帰国後に台湾日記としてまとめて「旅日記」に収録。いきなりのミッションは面白かった。NIJIさんに「てきと〜」に振った管理人代行は好評だった。多謝!

それから4/14未明に麻ちゃんが3333をゲット!

┏( ・_・)y-~~~<<イロイロトメデテエナ。フ。

2000年4月13日(木)
荷造りをして訪台前最後のメールチェックをしたら菲通單(王菲メーリングリスト)停止の告知がごえもんから来ていた。北京の首都体育館のライブに行って、周りの日本人に「王菲いいよ」と触れ回っていたらぷらどが林さんのページを教えてくれて、そこからメーリングリストに飛んで、登録して、日本にもファンが居ることに驚き、武道館ライブを知り、会社から国際電話してチケットを買って、会議をでっちあげて日本に行き、二日間とも聴いて、オフ会、美留さんのページで掲示板デビュー、電脳世界へ入り込み、多くの友人と出会い...しみじみ。ごえもん!ありがとう、お疲れさま、そして今後もよろしく。

2000年4月12日(水)
九段会館で映画の試写会。「アイアン・ジャイアント」というアメリカのアニメだったが良かった。水爆が出てきた時に結末は分かってしまったけど、アイアン・ジャイアントはちゃんと生きていて救いがあった。アメリカ。銃社会を築き上げた一方でこういった映画も作るという変なバランス感覚。

2000年4月11日(火)
コンテンツが増えてきたのに伴って表紙の文字を少しだけ小さくした
つながりのリンク集のキャラメルのURLを更新。
めざせ!練公の☆をちょっとマシにする。リンクなどは調整中。

...と一気に更新してみました。

2000年4月10日(月)
見積その他で珍しくお仕事。あとは片づけの仕上げをしていた。机の上がスッキリ。喫煙コーナーでよく話す同期が寮を出て結婚含みで一人暮らしを始めたらしい。電子レンジとトースターを欲しがっていたので行徳へ帰ってもう長らく使っていなかった文明の利器を彼にあげる。「なんでいらないの?」と聞かれて事情を話した。あ、同期で今回のことを話したのはコイツが初めてだ。

ワーナーに転職したリーダーから試写会の券が届いた。

面接お疲れ。

2000年4月9日(日)
駒場の界隈をカメラを持って散歩。久々の発見。で、「日々のひとこま」に「ソメイヨシノ」をアップ。表紙にも彩りをと思い、駒場公園の桜と洋館の写真を貼り付ける。

2000年4月8日(土)
美留さんとlaishanさんのサイトの合同オフ会で花見。ここんとこずっと珍しく週間天気予報ばかり見ていたけど、晴れてよかった。お二人とも幹事お疲れさまでした。こういう花見は94年以来のこと。楽しかったよ。今まで謎に包まれていた麻ちゃんも姫路からわざわざ上京。お嬢さんだね〜。総勢30名が参加というのはスゴイよ!それにしてもビール、日本酒、白酒(52度の五糧液)と調子に乗って飲み過ぎた。

正午から3時頃まで花見をして徒歩で新大久保のマイク103へ。このあたりから気分が悪くなる...辛うじて「一千個傷心的理由」と「用心良苦」を歌う。6時半にカラオケはお開きになり、7時から韓国料理屋で食事。相変わらず虹さんと熱い絡みを...11時に解散。せっかくの天気だし桜も綺麗だったので明日は近所を散歩して写真でも撮ろうと思い、後ろ髪を引かれつつも帰宅。インチキな方々、お疲れさまでした。で、私は帰宅途中の渋谷駅の便所でゲーゲー隊としての勤めもきっちりと果たす。

2000年4月7日(金
あっという間に金曜日〜。で、今日も渋谷の「びゃっこ」へ(笑)。安いんだよなぁ、ここ。それにしても前にベトナム人たちを連れていって以来、ここのおばちゃんに「ベトナムのおにーちゃん!」と呼ばれている私...

渋谷マークシティ、本日オープン。ガキだらけになった渋谷が少しはバランス良くなるか?

表紙のカウンターが3000を突破。「旅日記」の更新どうしよう...

2000年4月6日(木)
用心良苦のMP3ファイルを「めざせ!練公の☆」にアップ。4.5MBは重い...転送に30分近くかかった。表紙に「めざせ!練公の☆」のリンクバーナーを設置。カーソルをかざすと色が変わるのに気づいていますか?(←初挑戦だったので反応してほしい私...)

2000年4月5日(水)
21日の職場の引越を前に書類の整理(というかほとんど廃棄)を開始。6年間、色々やってきたなぁ。苦労して作った資料だとか提案書だとか...それから中国の飲み屋やらサウナやらの名刺も出るわ出るわ...

同期のタケとリーダーと渋谷の「台南坦仔麺」で飲んでさらに「びゃっこ」で飲んだ。新人研修以来の友人。毎回ふと思い出したように集まるのが面白い。前回は恵比寿のインド料理屋でそのときの私はホントにダメダメだったな。今はすっかり良くなった♪

歌詞カードのページを更新。7人分全員揃う。

2000年4月4日(火)
清明節。去年のこの日は広州だった。飛行機の窓から見えた煙に驚いたことを菲のメーリングリストに投稿したんだったっけ。

久々にレス。

2000年4月3日(月)
新年度初日!で、イキナリ休暇(苦笑)。今日は表参道にある留学のエージェントの資料室に行ってきた。かなりの資料が集まっていて便利。ここの情報で数校に絞ってから出張のついでに下見してネット上で生の声を読んで選べばよさそう。

渋谷から表参道まで青山通りを久々に歩いたが、小さい頃から気になっていた「(株)志賀昆虫普及社」の看板がまだ残っていた。謎だよな〜。

何かと銀行印が必要になるのにどこにも見あたらず行徳で印鑑を探す。夜になってなんとか発掘。

友人の良い知らせあり。がんばったね。

2000年4月2日(日)

2000年4月1日(土)
煙草を買いに出たついでに爺さんみたいに近くの公園を散歩。天気がいいのでいい気分。東大の学生が芝生の上で花見をしていた。いい季節。カメラを持ってこなかったのが悔やまれる。

夕方、居候中のベトナム人留学生4人と私と妹とで渋谷の「びゃっこ」で飲む。みんな23歳前後なんだけど、よく食べる!つくづくこの店にしてよかったと思う。大盛りだし、安いし、サービスで一皿余分に付けてくれたし、端数は切り捨ててくれるし...おばちゃんも私のことを覚えていてくれたようだった。彼らも「日本の居酒屋」を楽しんでくれたらしく、一安心。それにしてもこの歳の男子学生って女の子の話しばっかり...って自分もそうだったんだな。

同じ学生でも彼らと昔の私とでは学ぶ態度がまったく違う。彼らは程度の差こそあれみんな国の将来を背負っている。国費留学生として日本に招かれた彼ら。この代は計24名が日本に国費で来ているとのことだが、そのうちの6分の1が私の目の前で飲んでいることになる。機械、電気、情報、土木...専攻も学校もバラバラだけどみんな今のベトナムをなんとかしたいと願っていて、国に帰ったら近代化に貢献したいという。建設途上の国という今の日本とは違う背景があるからなんだけど、なんというか気持ちの良い志。店のおばちゃんに「大臣になったらおばさんをベトナムに招待します!」と言っていたフォン君...このお調子モノ!(笑)

お開きになって渋谷駅前まで来たらフォン君が仲間になんか言っている。「方南町」という地名がチラホラ聞こえてくる。どうやらその街に住むベトナム人の女子学生(←これって死語?)に想いを寄せているらしく、「一人で行くのはなんだからみんなで行こうよ」と言っているらしい。く〜、かわいいぞ!!(とにわかにオッサン化する私)

と、以上が飲み会強化週間の五日目の様子。

2000年3月31日(金)
大阪からS本が上京。Y野とK山(卒業以来だ!)も来るというので新橋のおでん屋で軽く飲む。さらに中華料理屋で遅れてきたK山の腹を満たして終電で帰宅。Y野が転職考慮中だというのは知っていたが、K山が退職して米国留学の道を考えているとは驚いた。入籍してまだ結婚式を挙げていないK山は大変そう。相手本人は同意したらしいが、相手の親御さんが「今の会社のキミだからこそ...」みたいなことをおっしゃっているらしい。でも奥さんが同意してくれて良かったね。それぞれの転機。身の周りでしかもこの短期間にこんなに立て続けに新しい選択の話しがあるのが不思議。でも実際は自分がそういう話しに興味を持っていて敏感になっているからこそ、よく聞こえてくるんだろうけどね。というわけで飲み会強化週間の四日目感慨深いものだった。

あ、そういえば今日は部全体の歓送迎会だったな...「全員参加」と言われるとどうしても避けてしまう...でも月に2500円もの部費を積み立ててるから行かないと損だなぁ...あ、払わなければいいのか。はは。

2000年3月30日(木)
秋庭さんが退職の挨拶回りにきたので、捕まえて早退して喫茶店で話す。カイラス山、がんばって登って下さい。北京では世話したけどバンコクでは世話になりました。日本でも年齢が近いということもあってホントに公私にわたってバカしたり、飲んだり、泊まりに行ったり、アドバイスもらったりと楽しかったです。96年に偶然北京のプロジェクトで出会っただけで、仕事上の関係はなくなった今でもこんなに遊んだりするとは思いませんでした。ありがとう。そしていってらっしゃい...ってこんなことは面とは向かって言いませんがね。

今日は休肝日。行徳に帰る。

2000年3月29日(水)
事業部解散式。この手のものには出席しないことにしたので欠席。その後の旧海外部によるNさん送別会だけ出席。55歳から「セカンドキャリアプログラム」を選択したという勇気とやる気に脱帽。知らないところでいろいろと論文やら記事やらを書いていたようで驚いた。「55歳でもこういう選択はあるんです。若い人はなおさらです」。新しい道を選んだNさんとはじっくり話しをしたかったのに、部長から盛り上げ役を期待されて困る。二次会の手配やらなんやら...二次会はスナック。「新しい市場がどうとか」とか「俺みたいに見通しの利く人間になれ」とか「ADSLがなんちゃら」とかどうしてそういう話ししかできないの??Nさんが主役じゃないの?いや、せめて隣りに店の女性が付いたら仕事以外の話しくらいできないの?11時前にはお開きになったが、と〜っても不機嫌になって帰宅。明日予定していた居候留学生たちとの飲み会は週末に変更することにして、すぐ寝る。飲み会強化週間の三日目

2000年3月28日(火)
朝、3人と顔を付き合わせて実家でメシを喰い、一緒に玄関を出て...よく考えるとすごい光景。でも昨晩のあのメンバーで10時までに出社できたのは奇跡に近い。

なんで退職しようと思っていたのかもう一度初心に還って考えてみる。移籍しても同じことの繰り返しかな、とも思う。それから今まで一緒に仕事をしてきて私をさんざん見てきている人が私を欲しいと言ってくれたことで、逆に自信になったというか、吹っ切れた。午後、社内移籍の話しの方は正式に辞退した。いろいろお世話になりました。

飲み会強化週間二日目。今日は控えめにビール1杯とジャックダニエルのロック2杯。ほろ酔い。

2000年3月27日(月)
更新。「日々のひとこま」に「98-11」(中)をアップ。

Tさんと外の喫茶店で会って話す。本気で私のことを雇いたいらしい。仕事内容も条件も決して悪くないのに...なんなんだろ、この感覚。

ノンストップ飲み会週間初日。今日は私の幹事で秋庭さんと斉藤さんの送別会。花束を二人に贈ったのだが、斉藤さんは二件目の店(山珍海味)で内蒙古のきれいな店員さんに渡してしまい、秋庭さんは道ゆく人に配って残りは私の家に寄贈。まったく...渋谷で三次会までやって2時過ぎに解散。この時間でも9人くらいは居たってのはスゴイ。しかも月曜なのに...で、秋庭さん、佐々木さん、河野君が私の実家に泊まることになる。たまたまベトナム人の居候留学生たちが居なかったのでスペースがあったものの、最後の最後で意外な展開。

2000年3月26日(日)
10時に起床。煙草を買いに出た以外はずっと家に居た。

2000年3月25日(土)
モグさん上京。葛西臨海公園なんて久しぶり。風はまだ冷たいけど久々の海はいい気分転換になった。モグさんの不思議な安心感っていいなと思う。そして大塚のお好み焼きは実にうまかった。(酒はほどほどにした)

朝刊に「過労自殺 会社に責任」という見出し。企業責任を認める初の最高裁判決が出たらしい。享年24歳。ご両親の無念を想う。

2000年3月24日(金)
午前中に歯医者を済ませる。3回を費やして歯石とやらを落とした。最後の今日はいつもと違う機械を口に入れられ緊張した。レントゲンも撮ったし結構大変な作業だったのでかなり高いのではと思って銀行で2万円も下ろして臨んだが、3回の治療で3200円。医者知らずだったので相場が全然分からなくなっていた。保険ってすごい。

午後に出社。心が動いていた関連会社への移籍について「申し出を受けたい」と電話で伝える。が、どうも雇用の形態が前回の話しと違う。月曜に会って話すことになる。どうせ同じ仕事をするなら良い条件で働きたい。決戦は月曜日だが、不安が残る。今日が最終日のwebによる教育とテストを受ける。4月からの新しい体制で積極的に売り込んでいくサービス/商品体系に関する知識を学んでテストに回答するものだが、どうも実感が湧かない。合格はしたもののこれが自分の扱いたい商品なのか疑問が消えない。今日は給料日。今月から給与明細が完全にweb化されて紙ではもらえなくなった。流れだからやむを得ないとは思うが、開封(=アクセス)履歴だけでも分かるようにしてほしい。webによる「教育」、webによる給与明細。匂いが無くなってゆく。

水鳥さんの「千言萬語」の歌詞カードはちょっと違うデザインで作ってみた。本人からのコメントが未着なのでこれも未リンク。

佐々木氏に誘われて月曜の送別会の場所の下見...と称して渋谷で飲む。月曜の場所は「素材屋」に決定。美留さんの発表会後に行った上海料理の店で中華をつまむ。偶然そこに辻夫妻から電話が入り、目と鼻の先で買い物をしているとのこと。結局4人で飲む。どうもここんとこパターンになっているような気がするが、紹興酒が出てきて...

酒で取り乱したのは何年ぶりだろう。吐くか寝るかの私があんなになったのは97年の2月の北京以来じゃないだろうか。仕事のこと、留学のこと、同級生のこと...抑えていたものが全部あふれ出た。場が重くなり、散会。ごめん。酔い覚ましに渋谷から家まで歩いた。記憶を無くしていればまだいいが、全部こうして覚えているのがいやだ。

2000年3月23日(木)
朝、いつものように小学校の前を通ると「卒業式」という看板が出ていた。佐治さんの仕事も今日が最後だ。一杯飲んで話してみたかったな。

「用心良苦」に訳詞を載せるが、北京に居る大内山さんに見てもらったらかなり直された。イメージしていた内容とだいぶ違うので驚く。すぐに更新。虹さんの「任逍遥」の歌詞カードを作る。訳が仮のものなので未リンク。

会社帰りに渋谷で軽く飲む。夢は追いたいけど、割り切れないものもある。

2000年3月22日(水)
久々の更新。「日々のひとこま」に「98-11」(前編)をアップ。これは後編までで終わるかな?それから「つながり」にオリハーさんの「Oriental Heart」を追加。2222番ゲットということで特大紹介文欄をプレゼント。同じく「つながり」に「用心良苦」の歌詞を裏ページから移設して少し文章を追加。更に夜間に「98-11」の文字と背景の色を調整し、写真を取り込む。

「中カラへの道」もローカルで作り始める。ええっと、仕事は...

2000年3月21日(火)
連休明けの会社。なんか久々な感じ。で、相変わらずヒマ。そしてこれも相変わらずだけど長い部内会議の後に早々に会社を飛び出て帰宅。久々に実家で食事をもらう。更新よりもまずはレスをと思ったらエライ量になってしまった。次回はちょっと簡単にしよう。少しずつ書き始めた。なんかうまくいかなくて何回も書き直す。頭の中でまだごちゃごちゃと絡まっていて、イライラする。いろいろとすれ違い。

┏( ・_・)┛<<久々ニ登場シテミタゼ!フ。

2000年3月18日(土)〜20日(月
いろんなことが起こった。かなりディープだったし、衝撃的な三連休だった。久々に吼える気になり、更新を開始!と思ったら寝てしまった。大馬鹿者。18日はネリコウで受賞して大久保で徹夜、19日は某所に弔問、20日はふと時間ができたのでTANKさんのライブ。生と死が一気に駆けめぐる日々だった。「日々のひとこま」に綴ることにする。それにしても中カラにかなりの投資をした後の出費(往路は飛行機、帰路は新幹線)はキツイ!

2000年3月17日(金)
いよいよ明日は本番。明日も目黒で本番前の調整があるが、そこで新しいことはもうできないので今日が実質最後の練習となった。会社を早々に後にししばらくは一人で歌っていた。「歌いたい気分」というめぐめぐさんが来てくれ、その後にNIJIさんも登場。2時間くらい歌ってまたしても「魚彩」へ向かう。なんだか話しが盛り上がってしまい、結局店を後にしたのは夜中の3時!タクシーで帰宅。もうとっとと寝る。

2000年3月16日(木)
なんだか昨晩の電話の件で自席に居てもほとんど上の空。午後、新木場へ行って今後のことなどを聞く。本体からの下請け的な仕事一辺倒の現状から脱却して自主的に海外案件を手がけたいということらしい。で、技術者集団の海外SI部にも営業を欲しいとのこと。開拓してゆくのは大変なんだけど、もともと性に合っているかも。技術的な裏付けがあるというのもいいかな。もう少し考えてみよう。で、時間も時間なので新木場の飲み屋で「軽く」ということで飲み始める...結局6時から11時までかかった...

お、そうそう、3/14に私が怒った「MDプレゼント無かった事件」。新木場へ行く際に店に寄って、無事ブランクディスクを受け取った。しかも本来は2枚のところを「お詫びの気持ちを込めて」4枚だったのでこの件は以後不問に付すことにした。(弱々な私...)でもこれでまた連絡がうまくいっていなかったりしたら、厳重に注意するつもりだったんだからね!

帰宅後、昨晩の続報を聞く。彼にはリストラを推進する部署での仕事(つまり首切り役)は耐え難いものだったらしい。でも未遂を2回している身でありながら死ぬまで会社を辞めずに続けたのは責任感のせい?それとも守るもの(家族)のため?いずれにせよ辞めても逃げてもいいんだってことも分からなくなっていたんだろうか。

2000年3月15日(水)
今日は事前に医療看護休暇で休むことを公言していたので、堂々と一日休暇。10時に2回目の歯医者に行き、レントゲンを撮り、歯石をギーギーと除去。やはりレントゲンで見ても虫歯は無いそうで安心した。その後、妹と共に渋谷まで歩いて買い物。18日のカラオケの小道具(葉巻、グラサン、シャツなど)を買った。今日は衣装持参で練習なので家でかなり苦労しつつタキシードに着替えて上にコートを着て出かける。103へ行くと、水鳥さんは色っぽいチャイナドレス姿。みんな数曲づつ歌って渋谷へ。そう、今日は菲がNHKホールに来る日。

タキシード姿のままで菲を迎えるのもいいか、と一瞬思ったけどやはり恥ずかしいので実家で着替えて渋谷に戻る。NHKホールは長蛇の列。3Fの席だったので遠かったな。Eyes on me以外の歌が聴きたかったなぁ。とは言え菲は相変わらずキレイでした。片方の肩を露わにしていてまたこれがお美しい。うーんでも私にとって最高だった菲は北京の首都体育館のコンサートなんだなぁ、今でも。初めてのナマ菲だったのもあるけど、あの終始リラックスしていた菲は一番良かった。武道館は観客も菲も力が入っていたというかピリピリしていた気がしたし、広さといいステージとの距離といい北京と大差なかったと思うんだけど、私は不思議な距離を感じた。

あっという間に歌は終わって、あとはもう流れに任せて誰構わず節操のない応援をした。ざっと見て、モーニング娘。と浜崎あゆみあたりのファンが多かったみたい。それにしても菲の歌のとき、隣のだいたくへりおす君と一緒に大型タペストリーを広げてずっと立っていたら、前の方の人たちは不思議そうな顔をして見ていたけどそんなもんなのかな?

9時半ごろにすべてが終わり、空腹を感じたのと、余韻と興奮の冷めやらぬうちにみんなと話してみたかったのもあって唐突に食事会を青龍門で開く。結構な人数だったのと初対面の人もそれなりに居たので不安だったがまぁなんとかまとめることができた、かも。

帰宅後、学生時代の懐かしい名前からの電話のメモがある。「夜中でもいいからすぐに電話してください」という言葉にただならぬものを感じて電話をする。いくつか想定していた中で一番悪いニュースだった。M君の自殺。私なんかよりずっと芯が強くて根性もあって心も広かったM君。2年前に結婚したパートナーを遺して...どうして?何人かは土曜から広島に行くらしいが、時刻表を見ると土曜は練馬の後にどうしても行けない。日曜の早朝の飛行機か新幹線で行くことにする。まだ実感は湧かないけど、ショック。どんなになってもいいから生きようよ。少なくともいいことがある可能性は残るんだから。死んだら...ゼロだよ。

2000年3月14日(火)
今朝、会社でカウンターを見たら2000を越えていました。2月24日の1000から3週間で1000人!?皆様ありがとうございます。ちゃんと更新しますね。

社内の人材公募に応募することにしました。昨日も「ウチに来てよ」という申し出を関連会社のある方から頂いて複雑な気持ちです。今月一杯が応募期間です。でも留学はどうしようかな。いくつになってもやりたいことはやっていい、というのは頭では分かるのですが、これでまた一年先送りにすると31歳。パンクな私と落ち着きたい私が抗争中です。それから結婚の「適齢期」ってホントにあるんですかね?こればっかりは分からないや。(読んだ方は要回答!)

会社の帰りにキム●ヤで録音可能なMD Walkmanを購入。小さくて軽いんですね!煙草100箱分の出費はこの時期には痛かったけど、こういう携帯式のオーディオは高校3年のときにウォークマンを買って以来なのでいいかな。ところで、「今ならブランクディスクを2枚プレゼント!」というPOPが出ていて、たいした金額ではないにしろすぐにマイク103で自分の声を録音したかった私にとっては魅力でした。店員も「今だけの特典ですよ」などと言っていたしそもそもここは日本なので、まぁ入れ忘れはないだろうとは思ったのですが、機種を選んで「じゃ、これにします」と言った後に念のため「カラのディスク、入れておいて下さいね」と付け加えました。シツコイとは思ったけど中国で買い物するときの癖が残っているんでしょうね。で、会計を済ませ、急いでいたんでそのまま(←これが良くなかった)目黒のマイク103へ行き、録音の準備...

ない!ディスクが入っていない!念を押したのに入ってないとはね...当然のことながら店に電話する。出てきた男は「私は担当ではないので〜」とかふざけたことを抜かしている。(いま「ふざけた」と入れて変換してみたら「巫山戯た」って出てきた!知らなかった...)購入時間と氏名と買ったモデル名を伝え、翌日か翌々日に寄るからディスク二枚を保管しておくように言ったが不安が残る。またシツコイかと思ったけど復唱させてメモに書かせて名前を名乗らせて「担当者とやらにちゃんとメモごと渡しておくように」と言って電話を切る。こんなに細かく言ったのは北京の職場での新人指導以来です。

前々から北京から日本に一時帰国するたびに感じていたのですが、日本がかつて誇っていたサービスのレベルって今はかなり落ちていませんか??成田空港の到着ロビーのエスカレーターで私の真後ろに立っていた空港の制服を着た若い3人組、エスカレーターが突然停止してみんな結構とまどっているのに、なんの一言もないばかりか「ホント、こっち(第一ターミナル)はボロだよね〜」などとふざけあっていたこと。有名な●●国屋書店である有名な作家の名前を出して全集はどこですか、と尋ねたら「私はバイトなんで社員にきいてください」と言われたこと。不況下でしかたないのかもしれないけど、デパートでもアルバイトがやたらと増えている。で、バイト自体をなっていないと言う気はないけど、プロフェッショナルが本当に少なくなっているように思う。好みの多様化によって商品やサービスの体系も複雑になっているから全体をすべて理解するのは無理なんでしょうが...東海村の事故もH2ロケットの失敗もどこかで「職人の不在」という点では繋がっているのではと常々思っています。

はっ、何書いているんだ!ええと、とにかくこの日は103の近くのコンビニでディスクを買って一人で歌って録音していました。

2000年3月13日(月)
オカナリさんの提案で車に乗って何故か蒲田へ。産業プラザのレストランで初対面の人たち(中国語教室の集まりらしい)とさらに見知らぬ一般客を前に歌うことになるとは...家、大久保の天富、蒲田のレストランとエスカレート気味。でも気持ちいいもんです。その後、いつものメンバーで「金春」という店で餃子などを食べる。白酒に薬草やタツノオトシゴなんかを漬けたものを飲んだ。思ったよりうまい。

歌の注意点としては、
・前半しっとり、後半はげしく
・立ち方に気を付ける
・「唇」と「春」の発音注意
・意味の切れ目を意識しながら歌う
など。

衣装は...タキシードに帽子にバラに...退くかな??

2000年3月12日(日)
徹夜明け。帰宅後はすぐに寝る。寝起きに掲示板のレスをして美留さんのエレクトーン発表会へ。演奏によってあんなにも表情がある楽器だとは思わなかった。いや、ホントにこれは新鮮な体験をした。「蘇州夜曲」のアレンジはドラマがあってとても切ない感じで聞き惚れてしまった。でも電子音をずっと聴いているのはつらいかも。その後は渋谷の中華料理屋で打ち上げ。酔い冷ましも兼ねて徒歩で帰宅。

帰宅後、少し「つながり」を更新した。本文の更新は「越南日記」でまとめたものをベースにしようと思う。(←「思った」だけかい!)

2000年3月11日(土)
土曜というのに朝8時半には起きてパワーポイントで資料を作り始める。3時過ぎになんとか終えて5時に会社に寄ってプロジェクターを持ち出す。タクシーで六本木へ向かい、結局到着したのは5時半ころでした。みなさん、すみませんでした。
で、「いっぱいいっぱい」の中、プロジェクターの解像度やらパソコンの画面やらと格闘して7時15分に開始。十数名の聴衆はみんな顔見知り。知らない人にも見てもらいたかったな。やはり準備不足と視点が定まらないのは問題でした。次の機会は無いでしょうが、ポイントを明確にするのは大事ですね。あとはしゃべり方かな?北京のシャングリラホテルの宴会場で100名の日本人を前に日系企業向けのセミナーをやったことがあるのですが、「お前の話し方はメリハリが無いので1時間はつらい」と言われたことがあります。これは私の歌にも言えるかもしれませんね。

で、「越南日記」を終えた私はすっかりリラックスして、中カラ練習(音源が違うので調子はイマイチ)やら菲のDVD鑑賞やらをして結局「キャラメル@将軍」で徹夜(正確には途中で思いっきりソファーで寝ていた)でした。土曜夜の六本木って日本人の方が少ないのでは?

2000年3月10日(金)
リンクに踏台さんの「親愛的日記」を追加。

しかし自分が通ったからって馬鹿みたいにはしゃぎすぎましたね。でも観客席からの応援頼みます!明日の「越南(ベトナム)日記」の準備で今日は大変です。

...と事前に書いておいたのですが、この後に渋谷の「台南坦仔麺」に二日連続で行き、気付けば紹興酒が6本空いていました。一人一本...で、帰宅したらすぐに寝てしまったのは言うまでもありません。

2000年3月9日(木)
「つながり」を新設。友人を紹介するページという位置づけ。

待ちきれずに昼ごろ家に電話。ちょうど配達があった時間だったらしい。本選出場!あれだけ練習しただけにこれはうれしい!!みんな、ありがとう。

2000年3月8日(水)
初めての歯医者。歯石を取った。虫歯は無いまま30年近くきてしまった。夜、池袋で食べ放題のエスニック。美味かったけど、食べ過ぎた。池袋ってめったに行かないから道が全然分からない。

カラオケの通知、来ない。ドキはムネムネ。

2000年3月7日(火)
恥ずかしい話しだが、渋谷のタワーレコードに初めて行った。張學友、陳昇、張震嶽、王菲を購入。菲のライブCDの隣にDVD版も売っていた。欲しいなぁ。陳昇は昨晩たまたま「愛情麻辣湯」のサントラを久しぶりに出してきて「不再譲イ尓孤單」を聴いてハマってしまった。前に聴いたときもいいとは思ったんだけど、何で涙出そうになるかなぁ?ついでに丸井に立ち寄る。売場は春物で賑わっている。もうすぐ春なんだねぇ。あんまり長いすると衝動買いしそうでそそくさと逃げ帰る。

オンネル君から電話あり。結構歌っているらしい。夜、今日の収穫のCDたちを一気に聴いた。今日から禁煙再開。本選出場可否の知らせは明日か?それからなんとなく季節の変わり目は不安定だ。
┏( ・_・)┛<<更新ドウシタァ!

2000年3月5日(日)
作りかけのリンクページを完成させてアップ! するつもりだったのに、徹夜明けで一日中寝ていたので更新無し。これでいいのか?

2000年3月4日(土)
1時半に103着。予選直前の練習でみんなどこかおかしい。いつもと違う!3回程度歌って、あとは喉を休める。気分転換に違う歌も歌ったりする。3時頃、私の番が回ってくる。審査員の前に立った時は緊張したが、歌い始めたらなんだか気持ちが楽になった。声も出ていたしメリハリを効かせることもできた(少なくとも自分にはそう思えた)ので今までの中で一番良いできだったと思う。こんなこと書いて本選に進めなかったら恥ずかしいけど、楽しく歌えたからいいや。で、歌った後はみんな一気に緊張の糸が切れたようで5回目の「魚彩」で打ち上げ。これがなんだか異様に盛り上がって11時近くまで続いたんだっけ?その後、大久保に場所を移して、laishan、まっきーさん、YUKIさんと合流して天富へ。なんとなく予想していたけど店には上海的道道さんがいた。これも予想していたけど、結局この店で朝を迎える。

たかだかカラオケコンクールなんだけど、みんなで練習したり禁煙したり互いの注意点を指摘しあったり...なんだか部活とか運動会を思い出してしまった。いいよね、こういう刺激。

お、そうそう、禁煙は今日をもって中断。久々の一本を思いっきり肺に吸い込んだら咳き込んだ。

2000年3月3日(金)
カウンターが1500を突破。ハッ、全然更新してない...

最後の練習。さすがにここんとこ歌ってばかりで声の調子が良くない。煙草吸っていたらもっとひどいかも。練習後は4回目になる魚彩へ。相変わらず1500円くらいしかかからない。変な店...

2000年3月2日(木)
中カラの練習。EIGOさんに録音してもらう。夜は恒例の魚彩、ではなく大久保の天富へ。ここも安いし水餃がウマイので好きな店。帰宅後に家で録音したテープを聴く。ひどいなぁ。

2000年3月1日(水)
道ばたで田島さんに会った。久々なので軽く飲むことにした。辞めることを話したら「新しく作る部隊に来ないか」と言われる。色々話してみると私を買ってくれているらしい。人から必要にされたことって今まで無かったので嬉しい反面、考えてしまう。回答期限は今月半ばの社内公募開始前。昨日も今日もひさびさにたまたま会った人に影響を受けている。な〜んかね。
禁煙はなんとか継続中。

2000年2月29日(火
更新なし。

昼間、偶然に支配人と会う。喫茶店でちょっと話す。午後、電話をもらう。「知り合いに聞いたら理由書の文言次第では休職もできるぞ」とのこと。だいぶ前、私の上司はいったい何を根拠に「無理だ」って言ったんだろう...悲しいね。

附中時代の友達の集まり。山口のタイ赴任を前に急遽呼びかけたわりには8人揃った。北京で登録した「ゆびとま」を見てN.Y.の山口からメールもらったのがきっかけ。メールってすごい。変わっていない男性陣(特に佐藤)に比べて、女性陣の変わり様ってば...中には卒業以来15年ほど会っていない人も居て最初は緊張してたけど、あっという間に時間を超えてしまった。やる前は二次会どうしようなんて考えていたのに結局一軒目で7時前から11時近くまで飲んだので銀座でお開き。あ〜楽しかった!ん〜、もらいタバコで二本だけ吸ったような気もするけど...NIJIさん、ここ見てないよね??

2000年2月28日(月)
「日々のひとこま」の「38年間の仕事」に後日談を追加。気になっていた言い回しもさりげなく修正。裏ページに「用心良苦」の歌詞をアップ。(自分用に作ったんだけどね)
暫定的禁煙三日目。

中カラ大会のエントリーのためにオカナリさんとアベさんと一緒に練馬の時報社へ行く。申し込んですぐ帰ってくるというイメージだったんだけど、さすが相手は新聞社、色々と話し込むことになった。結局渋谷での飲み会に大幅に遅れる。cunshanさんは大阪以来。

2000年2月27日(日)
昼過ぎNIJIさんからのCDが届いたのでさっそく歌詞を書き写してピンインを振る。掲示板上で話しが進み、NIJIさん、めぐめぐさんと私で練習へ。暫定的禁煙二日目。NIJIさんも禁煙開始。中カラ帰りは目黒の居酒屋「魚彩」と相場が決まっており(嘘)、私はこの4日間で三回目である。店員と目があってニヤリとされた。でも安いからいいんだよな〜。

更新無し。
┏( ・_・)┛<<俺モ期間限定ノ禁煙ダゼ。ソレニシテモ何燃エテンダカ。フ。

2000年2月26日(土)
部内旅行...すごかった。ご飯に日本酒、ビール、ワサビ、醤油などを入れてじゃんけんで負けたら一気飲み...学生じゃないんだから!で、朝から江ノ島でボーリング大会。最下位チームの罰ゲームは昨晩の残りの白酒一気飲み。面白かったけど、濃い集まりだった。結局、鎌倉らしいところへは行かず、江ノ電に乗ったくらいかな。
昼過ぎにドロドロになって帰宅。夜は目黒で少しだけ中カラ。また魚彩へ行く。予選の日までを取り敢えずの目標として禁煙開始!

2000年2月25日(金)
「日々のひとこま」に「38年間の仕事」をアップ。「つながり」を新設して「これ子の部屋」をアップ。リボン柄は冗談だって分かってもらえるか?
今日から明日にかけて部内旅行! って今までの部はそんなの無かったからちょっと緊張。せっかく鎌倉に行くのなら梅が見たい。
ところで、この「更新履歴」、読んでいる人っているのでしょうか?

2000年2月24日(木)
昼過ぎ、表紙のカウンターが遂に1000番になった。記念インタビュー「これ子の部屋」を実施。「千紋」ってなんでかと思ったら...容赦ない回答に動揺。

中カラ練習会、間違えて新大久保へ行ってしまい最後の10分だけ参加する。で、唐突だけどエントリーすることにする。発音が自己流になってるので辞書を引いてピンインからやらなくては...目黒の居酒屋「魚彩」で飲む。安い。
┏( ・_・)y-~~~<<マ、インタビューノ結果、予想ハツイテタンダロ。フ。

2000年2月23日(水)
朝、会社で掲示板を開けてみたらエライことになっていた。昼休みはおにぎりを片手にレスに徹する。しかし感想が少ない...

石川さんが召集をかけたISP構築海外チームの飲み会。荒れるメンバーだと思っていたら案の定...振り切って終電近くに帰宅。

2000年2月22日(火)
掲示板の色合いなどを調整してリンク。

オンネル君から昨晩電話あり。元気そう。
┏( ・_・)y-~~~<<掲示板ノレスデ寝不足ナンナヨ。フ。

2000年2月21日(月)
フォーのエピソードをアップした。最近下北沢で食べたフォーはニュクマムのパンチが足りないんだよなぁ。夜、OTDの掲示板にカスタマイズをかけ始める。

日曜は実家の本棚を整理した。中学から大学にかけての自分の興味の移ろいがわかって面白かった。三浦綾子、中島みゆき、地方自治、学生運動史、體育會の機関誌、UNIX、宇宙開発、情報通信、アメリカの「地球の歩き方」、生命、カオスとフラクタル...たまには赤面ものの恋文あり、写真あり...久々に思いっきりものを捨てたなぁ。でも読みながらこんな作業をしてたからかなりの時間を要してしまった。
┏( ・_・)y-~~~<<俺ノコーナーナノニ日記化シテネェカ最近ヨォ。フ。

2000年2月18日(金)
最近はよく寝ているのに、な〜んか疲れたね。書く気もしない。もっと長い文章を書いているプロの方々ってスゴイ。じょうちゃんとちこちゃんの掲示板でも公にした。カウンターは600を越えた...週末に更新しようっと。会社のスキャナで新聞記事をスキャン。明日は朝から夕方まで組合の集会。副支部委員なんて引き受けなければよかった...
┏( ・_・)y-~~~<<今日ハ更新ナシダゼ。フ。

2000年2月17日(木)
廃棄済み掲示板に「不味鯛」なる人の書き込みを発見。ま、そろそろ公開しようと思っていた矢先だった(←言い訳がましいですか?)ので、美留さん、踏台さん、駱駝さん、ヨーコ・ハマさん、タビ→さん、まきおかさん、オンネル君の掲示板で存在を公にする。カウンターは明日にも500を超えそう。嬉しいけどチト怖いぞ。

会社の同僚(八田氏と大杉嬢)の指摘を受けてこの更新履歴を設置。ちなみにこの下で喫煙しながら辛口のコメントをしているヤツは、「昔は色々悪いことをしてきたらしいが今では卒業してすっかり落ち着いた族上がりのマスター。三島市出身の43歳・既婚。好きな言葉は”根性”」という設定で昨年の春頃に生まれたキャラクター。メールや掲示板にたびたび登場していた。平仮名は苦手だが意外に優しいナイスガイだ。
┏( ・_・)y-~~~<<オ前ハ根性ナシダケドナ。フ。

2000年2月16日(水)
「旅日記」の更新をするテンションにはなれなかったので、北京時代の仲間たちと開催した「餃子大会」の様子を裏ページにアップ。仕事上の付き合いはなくなっているのに部門も会社も関係なくしょっちゅう飲む仲間。彼らにも「維新伝心」のURLを教える。ついでに裏ページのレイアウトを多少変更。いつの間にかカウンターが400を突破している。ありがたや、ありがたや。放棄していた掲示板にゲリラ的な投稿を発見。
┏( ・_・)y-~~~<<仕事シロヨ、テメェ! クヒヒ〜。

2000年2月15日(火)
「日々の一齣」を「日々のひとこま」に改称。朝、ホームを確認したら内回り電車は1番線ではなく2番線だったので渋谷のオヤジのハナシも「二番ホームの社長」に改称。ちなみに今朝ゴミ箱をさぐっていたのは女性だった。「怠惰な配達人より」の背景を元気の出そうな夏空風なヤツに変更。冬は嫌い。
┏( ・_・)y-~~~<<オイオイ、ソロソロ「旅日記」ノ更新...フ。

2000年2月14日(月)
0時過ぎに「怠惰な配達人より」を新設。前書きのような挨拶のような位置づけ。夕方に「日々の一齣」を新設。渋谷駅のオヤジのネタを勤務時間中に延々と書いていた。
┏( ・_・)y-~~~<<スーツ姿ノ野郎ガホームデ写真撮ッテンノハ飛ンダオ笑イ草ダゼ。フ。

2000年2月10日(木)
裏ページをひっそりと新設。あんなコト、こんなコト、すっすごーい、こんなコトまでぇ、というものをひっそりとアップ。夜、文章を書きためていたファイルをうっかり削除してしまう。面倒くさくなって「旅日記」の更新がこの日から止まる。
┏( ・_・)y-~~~<<マ、旅行中ノ日記ヲ基ニシテ書キ直スンダナ。フ。

2000年2月5日(土)
ホームページの師匠である美留さんからの「維(これ)らしくない」という指摘を受けて、表紙を変更。苦しまぎれに「維新伝心」と命名。「旅日記」の内容を徐々に追加し始める。
┏( ・_・)y-~~~<<ココラヘンデ一般公開シテオケバ良カッタノニナ。フ。

2000年2月2日(水)
各方面からのプレッシャーに抗えず、また、ベトナムの記憶と匂いが風化しつつあったのでついに「旅日記」(すぐに「街日記」と改称。さらにその後に「アレフ」と改称...はしていません)を開設。それにしても自分のパソコンも持っていないのに秋葉原で「ホームページ・ビルダー2001」を買うとはね。尚、この時点でカウンターは160くらいだったはず。
┏( ・_・)y-~~~<<マ、原形ガ出来タワケダナ。フ。

2000年1月10日(月)
どうやらオンネル君は他の人にもページの存在を明かしてしまったらしい。ひえぇ。書き込みが相次ぐ。
┏( ・_・)y-~~~<<厳重ニ口止メシナカッタオ前ガ悪イナ。フ。

2000年1月9日(日)
友人のオンネル君にだけこっそりとURLを教えた。その日の晩、ヒゲオヤジの画像付き書き込みを掲示板にされる。
┏( ・_・)y-~~~<<管理人モ書イテイナイウチニ書カレルトハナ。フ。

2000年1月6日(木)
手始めにジオシティーズに場所を確保した。しばらくほったらかしにしておくと削除されるらしいので、ジオが提供するツールで適当に表紙だけ作ってみた。
┏( ・_・)y-~~~<<チャント完成サセルマデ黙ッテオクツモリダッタノニナ。フ。


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