尼崎港線(福知山線末端部)跡を訪ねて

探訪日 : 1999年6月12日

99/06/29 更新


東西線が開通し様変わりした尼崎駅から、かつて南、尼崎港駅まで伸びていた福知山線末端部

通称:尼崎港線の現状を見に訪ねてきました。

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概略図

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(1)築堤と尼崎駅

尼崎港線の列車は一度改札を出て、西に150M程進んだ所に有る築堤上のホームから

発着していました。その福知山線から尼崎港方面に向かう東海道線を越えていた線路跡が

築堤として残っています。

尼崎駅より尼崎港線方向を望む

池田街道踏切

福知山線から真っ直ぐ伸びて東海道線を越え

ていた線路跡の築堤

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(2)尼崎駅跡

踏切の南側が、かつての尼崎港線「尼崎駅」のあった築堤部分です。現在は立ち入り禁止で

築堤だけが残っています。

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(3)橋台跡

そのまま南へ進んでいくと、1978年製の橋台が残っています。おそらくその時期に道路改良で

橋台を作り直した物でしょう。

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(4)橋台の裏側は

橋台の裏側は築堤が崩されていますが、崩してから年月が経っているようで草が茂っています。

跡地利用の計画でもあったのでしょうか?いまはフェンスで仕切られて静かな物です。

約50m程築堤が崩されている。

橋台の裏側

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(5)煉瓦作りの古い橋台

その先は、築堤も残っており少し南には草生していますが古い作りの煉瓦製橋台が有ります。

写真の物の更に南にもう少し低い橋台も見る事が出来ます。

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(6)売却されて、増築済み

築堤が終わると、跡地は駐車場として売却されています。道路に面した部分では建物が増築

されているのが分かります。

増築された部分の屋根は白く新しい

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(7)天神橋緑地

更に線路跡を南へ進むと「天神橋緑地」が有ります。線路跡を公園として整備する様で一部だけ

完成しています。レールを模したタイルが引かれ、終端には車止めも設置されています。

南側はぼちぼちと工事が進められていました。

車止めを模した看板

逆から見ると正に鉄道用車止め

完成している部分。レールを模したタイルが

引かれているのが分かる。

南では工事が進められている

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(8)金楽寺駅跡

工事をしている南側では広い草地が有ります。ここが中間駅「金楽寺駅」の跡のようです。

跡地の南側では踏み切りが有った事を示す「虎柵」が残っています。

現役時の金楽寺駅

撮影:1980年2月10日 御提供:れんたろう様

右奥の古いアパートは当時のままのようです

撮影:1999年6月12日

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(9)売却と新興住宅地

その南では、しばらく国鉄事業団管理の空き地が有りますが、売却が進められているらしく、

その南では、跡地はほとんど売却されて、新しい住宅が建っており線路跡とは言われなければ

気づかない状態になっています。

真新しい住宅が跡地に建ち並ぶ

枕木柵の空き地も一部残る

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(10)国道2号線交差部

何の痕跡も有りません。北側は兵庫三菱自動車尼崎営業所の敷地になっており、南側は例に

よって新しい住宅が建ち並んでいます。

2号線自体は整備が終了していて、踏み切りの痕跡など全く有りません。

兵庫三菱自動車の敷地

あまり利用されてはいないらしい。

国道2号線交差部。鉄道が通っていたとは

想像できない変わりようです。

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(11)阪神電車 交差部

阪神の高架下は阪神電鉄「大物変電所」になっています。

阪神交差部の線路下は「大物変電所」と

なっている。

線路跡は宅地となり往時の面影は無い。

尼崎港線現役当時の阪神電車 交差部

撮影1980年2月10日 御提供 れんたろう様

同じ地点での現状

撮影1999年6月12日

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(12)古レールの柵

そこから南側では、家の建っていない空き地は「NTT」所有地となっています。

敷地は大概、古レール製の柵で囲まれています。往時のレールで作られている物でしょうか?

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(13)終端

尼崎港駅付近は良く分かりません。敷地は広くなり、コンテナ輸送の運輸会社敷地などになって

いますが痕跡らしい物は、ほとんど有りません。阪神高速南には新しい高層住宅「築地北住宅」

が建てられ整備されてしまっていてそれらしい所は、高架下の「国鉄事業団 管理地」の札と、

近くに有る「日通尼崎営業所」だけでしょうか。

運輸会社の敷地となっている。

鉄道コンテナなどが置かれている。

阪神高速を越えた高架下敷地の門に掲げ

られた「国鉄事業団」の札

日通尼崎営業所

築地北住宅

現役当時の尼崎港駅に停車中の列車

DD13+スハフ42

撮影:1980年2月10日

提供:れんたろう様

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(14)エピログ

廃止からかなりの年月が経ち、痕跡も築堤などの僅かな物だけで、いつかは消えてしまうでしょう

探訪の帰りは少し東に有る尼崎市営バス「東本町」バス停から大体1本/時バスが有りますので

それでJR尼崎まで帰りました。10分ほどです。阪神大物駅へも出られます。

途中金楽寺付近(「天満神社」バス停付近)でバス路線は廃線跡に近付きます。バスで輸送量は

十分なようで、当時からバス移動が主体だったでしょう。何せ列車は朝夕1本づつしかなかったの

ですから。


今回、往時の貴重な御写真を快く御提供してくださいました、れんたろう様にこの場を借りまして

厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

れんたろう様のHP「国鉄だった頃・・・」には他にも貴重な当時の写真が収められております

ので合わせて御覧頂ければと思います。

「国鉄だった頃・・・」 http://member.nifty.ne.jp/jnr-loco/


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Tenko_Anton