
00/03/15更新
城東貨物線 都島(信)〜鴫野間に昔の淀川電車区、淀川貨物駅への分岐跡があり
今も路盤だけが残っています。
電車区や貨物駅のあった場所には病院やマンションが建っていますがそこに至る路線には
痕跡が数多く残っています。
今回城東貨物線を訪ねるついでに、少し寄り道をしてみました。
探訪日:1998年2月8日
城東貨物線からの分岐は都島方と鴫野方、両方からデルタ線になっていましたが、まず
都島方から見ていきます。
城東貨物線から別れて、徐々に盛土が低くなっていきます。これはこの先、京阪本線の
下を潜る為 地平に降りるからで現在では低いガードが交通の妨げとなるので桁は撤去
されています。(写真1)
| (1)桁が撤去されている。
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(2)地平に降りてくる路盤跡
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地平に降りた後、国道1号線沿いに暫く進み、そして京阪本線の下を潜ります。(写真3)
ガード付近には35km制限の標識が残っています。(写真4)
| (3)京阪本線との交差部(左が1号線)
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(4)35km制限標識が残る
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その先、ビルの裏手を進んでいくと商店街にぶつかります。(写真5/6)現役時には商店街
の中に踏切が有り、電車が通っていく光景を想像して不思議な感じがします。
その当時は、アーケードも無かったのでしょうか??
今は駐輪場として活用されています。(半分閉鎖)
京橋からの線路跡も用地だけが残っていて痕跡としては環状線方の橋台と盛土の擁壁が
一部残っているだけです。
その先の路盤跡は整地されていて、都島警察署の仮庁舎が建っています。(写真9)
| (8)環状線方に残る橋台
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(9)都島警察署
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その先は、すっかり整備されていて線路の痕跡は何一つ残っていません。
路盤跡と思われる所は都島休日救急診療所(写真10)や都島南公園になっていて、かつて
ここに線路があった事を偲ばせる物は公園のカラータイルに描かれたSLの絵(写真11)
だけです。
更に旧電車区や貨物駅があった所は大阪市総合医療センター病院(写真12)と桜ノ宮
リバーシティーになっていてかつての面影はありません。
引き返して、京阪との交差部付近から別れて鴫野方の線路跡を見ていきます。
おそらく、1号線を踏切で渡ったものと思われますが現役当時は渋滞の原因となったのでは
ないかと推察され、その事も電車区を移転した理由の一つではないかと思われます。
1号線の南側の路盤は柵で囲まれ車や物が置かれています。(写真13)が、その先の細い
道を越えてからは廃線跡らしい盛土が城東貨物線まで続いています。(写真14)
(13)
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(14)前方が城東貨物線 路盤は緩く右に曲がっていく。
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現役当時にDD13に牽かれた貨物列車や片町線/環状線の103系が通っていたのを
想像して”一度は見ておきたかったなあ” と思いながら歩いていました。
現役当時の事をご存知の方は、どんな風であったか教えて頂ければと思います。
(掲示板をお使い頂くか、またはメールでどうぞ。morita@asia.interq.or.jp)
移転した淀川電車区も組織上は列車配置の無い電留線(森ノ宮電車区淀川派出)に
なりましたが、JR西日本 大阪近辺の線路配置は今後大きく変化する事はあるので
しょうか?良い方向に向かって進んでいって欲しいと思います。