クレージーホース メモリアル1 - 旅行レポート

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The Gate サウスダコタ州の原住民スー族 (Oglala Lakota of Sioux) の英雄をたたえた教育目的の記念像クレージーホースメモリアル (The Crazy Horse Memorial)は、ラッシュモアと同じサウスダコタ州 (South Dakota) の国立公園ブラックヒルズ (パハサパ) にあります。ラピッドシティの空港 (Rapid City Regional Airport) から44号、16号を経て、車でおよそ1時間半くらいです。迫害を率先したジェファーソン大統領の彫刻が目と鼻の先にあるのは興味深いものです。
かつて19世紀後半、侵略者であるアメリカ人に迫害をうけたスー族は、自分たちの部族を守るために白人と戦いました。アパッチ族のジェロニモと同じように、白人部隊を倒したのがスー族のクレージーホースでした。彼は1842年にこの地に生まれたと言い伝えられています。彼は病気の妻の元に帰る途中、ネブラスカ州のロビンソン砦で、白人の銃/剣に後ろからねらわれ、その傷が元で短い生涯を閉じることとなります。1877年35歳の9月6日のことでした。彼をモチーフにした映画 "The Chief Crazy Horse" というのが存在するようです。
クレージーホースはかつて白人に「お前の土地はどこだ」と聞かれた時、左手の指を真っ直ぐ伸ばしこう答えたと言われます。「私の屍が横たえられて埋められる所だ。"My lands are where my dead lie buried."」彼は彼に出来る唯一の方法 -- 命をかけた戦い -- で自分の部族を守ったというわけです。
Hero
月日は経ち、1939年当時のスー族の酋長Henry Standing Bear氏は彫刻家のKorczak Ziolkowski氏に像の制作を依頼します。ジオルコウスキー氏はクレージーホースの死後31年たった9月6日にボストンで生まれました。スーの人たちはこの事実に運命的なものを感じていたようです。ホースの写真はなく、この像は英雄らしくりりしく作るという基本概念の元、ジオルコウスキー氏がデザインし1/34サイズのレプリカを作成しました。現在ではジオルコウスキー氏の死後、彼の子どもの代に引き継がれ、今まさに制作が行われているのです。
右かどの楕円がラッシュモア像との大きさの比較です。完成時の高さはなんと1.5km(563 ft)以上になる予定だとか。さらにこの像の周りにはインディアンの大学や病院、博物館などの施設が建設され、原住民の教育の中心になる構想が控えています。
Indian Museum
こちらは最近オープンしたインディアン博物館です。ジオルコウスキー氏らが構想した博物館は1983年の$60,000の寄付(約600万円)により実行に移されました。そもそもこのメモリアルの制作では、アメリカ人政府からの援助を受けない、人々の理想の集大成にするというジオルコウスキー氏の理念が今も守られています。二度にわたる政府援助を彼は断ったそうです。ラッシュモアの大統領たちは資金の90%が国の税金でまかなわれたそうですから、資金繰りもなかなか大変です。募金ボックスも設置されていますが、クレージーホースの岩を1ドルで購入することも出来ます。
博物館の展示物はそのほとんどがやはり寄贈された貴重な歴史的な品々です。木のぬくもりを伝える建物は、ジオルコウスキー氏の思い描いたようになっているそうです。クレージーホースメモリアルについての映画も上映されていました。是非見てきてください。
Inside
House Teepee
スー族は、バッファロー(バイソン)の狩猟を営む移住生活をおくる部族でした。彼らの家はティーピーと呼ばれる三角テントです。上から煙を出すようなしくみになっています。
変わってこちらはバイソンの毛皮でつくったテントです。狩猟したバッファローは、革も大切に利用していたようです。日本人が隅々まで鯨を食べたり利用したのと似た所があります。ちなみに当時の白人はこの毛皮のみが目当てで、多くのバッファローを殺して皮のみを剥ぎ取っていったといいます。同じように鯨も脂だけを取るのが目的の捕鯨を続けていた時代があったようです。
Tatanka House

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