べネズエラ刻々
ベネズエラ・レポート2005
アビラ山から見た首都カラカス
バリオ(カラカスの周りの丘に張り付くように広がる低所得者の住宅)
このHPは、混乱している南米のベネスエラ様子を2002年の11月から日記形式で
発信していました。2005年8月に帰国し「ベネズエラ刻々」は、終了しました。
まとめのような物を書こうと思った。それがこのベネズエラ・レポート2005です。
ベネズエラは、日本人が想像もつかないような状態になっています。
ベネズエラの善良な市民に残されたの唯一の道は、世界の人々に知って
もらうことだと思う。(あんまり効果は期待できないが・・・)
ベネズエラは、あまり日本とはなじみのない国です。
しかし、チャベス大統領を中心とする動きは、日本人の知らないうちにどんどん膨張して突然
アメリカ合衆国を始め世界の国々へ襲い掛からないとは言い切れない
ので、このレポートを書くことにした。
私は、残念ながら、ただの主婦で、スペイン語も
完璧ではなく、このレポートで書くことをきちんと証明することは
できない。このレポートは、ベネズエラの現状を大まかに
伝えることを目標にした。
私は、若いときから、人のために働きたいと思いながら、強い思い
だけが空回りして現在に至った。歳を重ね
記憶力も衰え能力の限界感じる。ベネズエラの現状を
お伝えすることは、そんな自分に与えられた使命(
ちょっとオーバーかも)のような気がする。
2005年中にはなんとしても形にしようと思っていたが、個人的な事情が重なり
果たせなかった。まとめは、私にとっては、難しい作業だった。
プレッシャーばかりが強くて書けなかった。それで
軽く書いてみた。ベネズエラ・レポートというよりエッセイみたいに
なった。一応伝えなければいけないと思い続けてきたことは、書けたのではないかと思う。
(2006年2月15日)(2006年4月加筆)
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(はじめにお断りしますが、このレポートで言う
現状は2005年8月時点の状況です。)
ベネズエラの現状を一口に言うと正義がない国だという事です。
理不尽な国なのです。
日本に暮らす人には、おそらく理解できないと思う。
私は、現実にそこにいてもなかなか受け入れられなかった。
たとえば、日本では、誰かが、悪いことをする間違ったことをする。
そうすれば、警察が来てくれて、悪い人を捕まえて、被害を受けた人
を助けてくれる。それが、この国では、そうならない。
ベネズエラで暮らす間、何度もバック・トゥー・ザ・フューチャー
2(Back to the future2)のパラレルワールドが、だぶった。
パラレルワールドでは、性格が悪くて乱暴者のビフが、主人公が持って
いた未来の情報を得てギャンブルで大儲けをして、その金で政治すら牛耳っているのです。
もちろん、良い事・悪い事の判断というのは、時代や国や宗教や主義によって
同じとはいえません。それにしても善と悪があって・・・
たとえば人を傷つけるようなことは、正当防衛以外は、悪いことだと思うのですが、
この国では、そうはならないのです。
これは、チャベス大統領になってからのことです。
また、今のベネズエラからの情報は真実ではない。
ベネズエラでは、法律がどんどん改正され、今は報道の自由がない。
政府によって管理された報道なのです。
この法律が施行される前、ベネズエラは、チャベス派と反チャベス派に分
かれて大混乱した。主な放送局・新聞・ラジオは反チャベス派だった。
混乱の中で、何が真実かを知るのは、難しい。私が受けた印象では、
反チャベス派、(一般の民放・新聞・ラジオ)は、ちょっと民衆を扇動
するようなところはあるが真実を伝えようとしていた。
国営放送と政府の発表には、「よくまあ、そんな事実と違うことを
ぬけぬけいえるなぁ!」とあきれることがよくあった。
ほとんどの日本人は、NHKを疑わないし、国の発表も信じている。
しかし、ベネズエラからの情報を同じ感覚できくととんでもないことになる。
ベネズエラ政府の発表を真に受けて、日本の政府が反応したりしているの
を見るともう本当に「うへゃ〜」という感じだった。
チャベス大統領は、貧民層を救う大統領という事になっているが、
ちょっと違うのではないかと思う。彼は、金持ちではない家庭の生まれで、
金持ちを心から憎んでいる。共産主義といわれることもあるが、
それも違うような気がする。彼は、野心家で中南米の英雄シモンボリ
バールになりたいと思っているようだ。カストロに憧れていると言う
人もいる。彼は、島国ではなしに南米のカストロになろうとしているのだという。
ルーマニアやソ連で共産主義経済が崩壊したが、わたしは、自由主義の資本主義
経済もひずみがどうしようもないほど大きくなったのではないかと思う。
その一つの例がチャベス大統領の前のこの国だったのではないかと思う。
貧富の差が大きく、
一握りの大金持ちが、やりたい放題。後の人々は、どれほど努力しても
どれほど能力があっても、バリオと呼ばれるカラカスを取り囲む山に
貼り付いたように建つ貧民街に住んでいた。
バリオは、都市として開発されないところで、きちんと道がない。
電気や水道はきているし、料金も取られるそうだが、下水は整っていない。
水洗トイレなのだが・・・その先はどうなっているのか?
ごみの収集もない。(道路がないので)
人々が勝手に自分で家を立てたので、法律の制限を全く受けていない。
どんどん継ぎ足して行く。
道もきちんととっていないので、家と家の間の粗末でものすごく急な
階段を登って自分の家に行く。救急車も・消防自動車も警察も来ない。
道路がないのだから・・・。
これがバリオです。私がこのHPでどうしてもお見せしたかったのは、バリオの写真です。
私は、長いこと普通の人がここに住んでいるという事が受け入れられな
かった。現実は、自分の周りで働いているほとんどの人がここに住んで
いた。アパートのガードマン、近くのレストランで働く人々、高級食材
のお店の店員さん、スーパーのレジの人、スーパーで働くほとんどの人
バスやトラック、タクシーの運転手さん、建築工事の人、電気や電話の
工事の人々。
バリオには、学校の先生やお医者さんも住んでいるという。
お医者さんは、もちろんすごい金持ちだ。しかしそれは、金持ち相手
のお医者さんだけなのだ。たとえば、公立の病院の医者、公立の学校の先生は、
バリオに住んでいる人も多いという。
それでは一体私たちが住んでいるような地域のマンションには誰が住
んでいるのだろう。ここは都心の高級住宅街で金持ちが住んでいたとして、
あちこちにあるマンションは誰が住んでいるのだろう。私は、15年ほど
前に4年間と今回3年間とそのことが不思議でいつも考えていたけど
結局答えは見つからなかった。
私が、今回ベネズエラに住みはじめた頃、とても驚いたことがある。
日本人の住むアパルタメントは、ほとんどプライベートのエレベーターが
ついている。鍵でエレベーターを操作してエレベーターのドアが
開いたら、そこに自宅のドアがある。
10軒しかないアパルタメントで3基エレベーターがあるのだ。
こちらの5軒用に一基、向こうの列に一基、そして真ん中にもう一つ
のエレベーターがあって、これは、普通にボタンで操作できるが、
電気や電話や水道・テレビの工事の人、商店からの配達、お手伝いさん
などはこのエレベーターを使う。
職業によって違うエレベーターを使う。どこかで聞いたことがある。
これって、アパルトヘイト????人種ではなしにお金の有無で人を
差別しているの?
ベネズエラは、産油国だ。石油以外の天然資源にも恵まれている。
そのために近隣国から、大勢の人々が、出稼ぎに来たり、そのまま住みついたりした。
バリオには、そういう海外からの不法滞在者が住んでいる
のだとはじめは思った。確かにそういう人もいるが、もともとのベネズエラ人
もバリオに住んでいた。田舎に土地を持っているという人もいる。
どうしてそういう人がバリオに住まなくてはいけないのか?
普通の家(アパルタメント)
に住めないのかそこが問題なのです。
私は、労働者の価値は、その人の能力や技術で決まると思っていた。
ところが、ベネズエラでは、日本では評価される技術や能力を持っ
ていても最低賃金で働かされていることが多い。なぜかというと
仕事の数に対して働きたい人が多い。
日本は、国が発展してきて産業が発達して人手が足りなくなって
労働者の地位が上がった(労働条件が良くなり給料も上がった)が、
ここでは、いくらでもかわりがいるのですぐに解雇される。
雇い主の力が圧倒的に強いのです。
なぜ働き手が多いかというと、日本は島国で簡単に人が入って
来れなかったけど、南米大陸では、資源があって、経済が良くなると
回りの国から人々が仕事を求めてどんどん入ってくるのです。
労働基準法とか法律は、日本より労働者に有利な部分も多いのだそうだ。
そのため正規の雇用をしない。日雇い労働者のままにしておく。
お金持ちの雇い主が弁護士さんたちを雇うので有能な弁護士さんたちは
、どんどん金持ちの都合の良い抜け道を考える。やっぱり弁護士とかは
弱いほうにつかなくては、世の中はどんどんゆがんでゆくのです。
人々は、能力があっても技術があっても最低賃金ももらえず働
かなくてはならない。不平を言ったり抗議するとすぐ首になる。
人件費が安いから、経営者は、益々金持ちになる。
そんな時現れたのがチャベス大統領だった。
彼は貧困層の味方として登場した。ずっと長い間虐げられて
抜け道のなかった人々は、熱狂的に彼を迎え、支持した。
貧しい人々だけではなく、ベネズエラの状態は正しくないと思っていた
中産階級の人々もチャベス大統領を支持した。
改革は一人ではできない。人々は、チャビスタ(チャベス大統領の支持者)
のリストを握って国会議員や地方の議員の選挙に走ったのだそうだ。
チャビスタの議員は過半数に達した。
ところが蓋を開けてみると当選した議員たちは「あれっ」と思うような
(尊敬できない)(議員にふさわしくない)人も多かったという。
過半数を超えたチャベス派は、法律をどんどん変えてゆく。
そして選挙管理委員や裁判官も自分たちの都合のいい人に変えてゆく。
憲法さえも変えてしまった。
人々が気がついたときは、すでに遅かった。
気付き始めた人々の抵抗が、「ベネズエラ刻々」に書かれている。
しかしそのどれもがチャベス大統領の勝利で一般の市民の打つ手は
もうないのではないかと思う。
チャベス大統領の力が大きくなりすぎて、チャベス大統領を倒すには、
軍のクーデター以外に道はないのだそうだ。
しかしチャベス大統領は、若い(軍人の)時、何度もクーデターを起こして
失敗して投獄されており、逆の立場になった今、しっかり要所を抑えて
あるのだそうで
・・・軍の中でクーデターを起こすのはほとんど不可能なのだそうだ。
<チャベス大統領について>
すごいカリスマ性が有る人だと思う。
ある人が言った。チャベス大統領がやったことは、
人々を憎み合わせることだった。
チャベス大統領は、もともと職業軍人だ。
戦うことが仕事なのだ。
彼は、ベネズエラの人々を金持ちと貧乏人に分け
憎み合わせた。今迄からベネズエラには、貧富の差はあった。しかし貧乏な
人々もそれ程金持ちを憎んでいたわけではなかった。しかし
チャベス大統領は、彼のカリスマ性で、人々に金持ちへの憎悪をあ
おった。チャベス大統領が失脚してもこの傷(憎悪)を直すのには、
長い時間がかかるだろう。
またチャベス大統領は、海外に行っても
国と国を仲たがいさせるようなことを言ったりしているのだそうだ。
そうだとするとまさにトラブルメーカーだ。
別の人は言った。チャベス大統領がここまで成功した理由は、一つ。
彼は、それぞれの人を買う(自分の思い通りに動かす)のにいくら
必要か計る能力を持っているのだという。
たとえば、5000円で言いなりになる人もいる。だが10万円出しても
100万円出してもいいなりにならない人もいる。
「あなたは、いくら出されたら彼の言いなりになる?」
「いくら出されたって言いなりにはならない。」
でもそれが、自分の母の病気を治す薬だったら…
いやそれがあなたの命だったら…
いやそれがあなたの愛する人の命だったら…
あなたは、彼の言いなりになるでしょう。
彼はどこまで出せばその人が彼の言いなりになるか計る能力があり、
それを実行するのだという。
私は、うなってしまった。
<南米の歴史>
私が、1回目にベネズエラにいた時、大統領選挙が行われた。その時
2人の候補者がいたのだが、友達は、カルロス・ペレスに入れるという。
なぜかというと、「彼は、2回目で、もうすでにかなり金持ちなので、
国の富をそれ程もって行かないだろう。」という。
その前のルシンチン大統領は、内科医の出身の大統領でとても温厚で
人柄の良い人のように見えたが、彼の任期が終わってから、彼は、
外国の口座に多額の金を隠し持っていたと報道されて、本当に驚いた。
南米では、大統領は、国民の財産を取って行ってしまうのだそうだ。
いつものことなのだそうだ。しかしチャベス大統領は、桁違い多いの
だそうだ。国の予算、石油公社の収益も自由に使っているのだという。
南米では、ヨーロッパから大勢の人が来てその人たちがお金を儲け、
ちょっと問題が起こると、儲けたお金をごっそり持ってヨーロッパ
に帰ってしまう。「だから南米はいつまでたっても貧乏で、ヨーロッパ
の国々は、たいした経済活動もしていないのに経済が安定しているの
だ。」という。
<共産主義では個人の自由は保障されない。>
こんな当たり前のことが私は、わかっていなかった。
私は、どちらかという豊かではない労働者の家庭に育った。
父は、いつもまじめに働いていたが、豊かではなかった。
共産主義というものがちゃんと理解できていたわけではなかったが、
人の命の価値が同じなら、たとえばある人は真面目に一所懸命働いて、
年に数百万しか稼げず、ある人は、数億円稼げるのはおかしいのでは
ないかと考えていた。
ベネズエラで今起こっているのは、一応共産化という事になっている。
自由に海外に出られなくなるという。
空いている建物には、勝手に住んでいいことになった。
身近な人たちが、真剣に悩んでいた。出国が禁止される前に
この国を出たほうが良いのではないか?
共産主義では、自分の行きたいところにいけず、
自分の財産も守られないのだと気付く。 言いたいことを
言っても警察に逮捕されるし、放送される情報も管理されている。
個人の人権は保障されない。個人の自由もない。
<日系人の反応>
ベネズエラの日系人の方々は、反チャベスが多かった。
自分で事業をいしておられる人々が多く、チャベス大統領になって
経済が悪くなって、廃業などに追い込まれた方もいた。
私が接触のあった日系人で明らかにチャベス大統領支持の方が
3人いらして、その人たちは、どちらかというと貧乏なベネズ
エラ人の付き合い多い方たちだった。「本当にチャベス大統領は、
貧困層のことを救おうとしているのでしょうか?」と突き詰めて
聞いてみるべきだった。なんとなく政治のことは、口にしないような
雰囲気が、私を含めて日本から来ている人々にはあったように思う。
私の周りの日本人やベネズエラ人は、ほとんどが反チャベスであったが
そうではない人もいた。その人たちは、チャベス大統領を支持している
わけではないが、ベネズエラは、あまりに長い間、金持ちが好き勝手に
やってきて貧困層を放っておいた。チャベス大統領が貧困層を救う人で
はないかもしれないが、現状を壊して新しい段階に進めたのだという意
見だった。
<ベネズエラの中産階級の人の意見>(私はごく限られた人としか接触はない。)
中産階級は、決して貧困層を放ってきたわけではなくいつも努力していた。
確かに中産階級は、いい人が多いような気もするが、でも彼らに
とってやっぱり貧乏人は貧乏なほうが都合よかったと思う。
<ずるはいけない事か?>
ベネズエラは、勤勉に働いてお金を儲ける人より、楽してお金を儲ける人の方が
立派だというような価値観がある。
ベネズエラでは、学校のPTAの役員を決めたり、マンションの管理組合の
役員を決めたりするのにみんなが争ってなりたがるのだそうだ。
そしてお金を預かるとそれを自分に有利に使ったり、着服するのだそうだ。
たとえば道路を建設するのに手抜き工事をして費用を直服するのなども
茶飯事なのだそうで、手抜き工事のせいで、すぐに悪くなる。補修の予算
を申請して予算が付く。紙面上予算は使われているのに全く補修は行われない
のだそうだ。
官も民もそろってこういう事をやっている。
これらは、チャベス大統領になってからではない。ずっとそうだった。
南米のほかの国も似たり寄ったりだという。「ずるをしない。」という事を
徹底するのは、本当に難しい。
そして期待したチャベス大統領は、
かつてないほどやっているのだという。
<どうしようもないお金持ちたち>
ある日の事、近くのピザ屋に行った。
そこは昔は、本格的な地中海料理
の店で、店の奥には、凝ったタイル細工の中庭もあり、とても雰囲気のよい店だった。
今回ベネズエラに来て、探したが、見つからず、だいぶ経ってから
このピザ屋の場所だったことがわかった。 夫は、あんな凝った店を
壊してこんなピザ屋にしたのかとひどく落胆していた。
一応はピザ屋だが奥に深い店で
なかなか良い店だと気がついたのは、もうだいぶ経ってからだった。
奥は、ベネズエラのレストランのほとんどがそうなのだが、冷房が
効きすぎているので、私たちは、外のテラス形式のところで食事を
することにした。
テラスに面したところに駐車場がある。車がどんどん入ってくる。
この店は、不景気といわれている昨今でも盛況だ。
高級そうなスポーツタイプの車が入ってきてまだ若い(30代)の男性と
奥さんには見えない女性が降りた。
ベネズエラのレストランの駐車場には、車を管理する人がいてその人に鍵
をわたしてゆく場合が多い。守衛さんとかレストランの車を管理する人は、
ランク的には一番下だと思う。
この管理の人が、車から降りた一見してお金持ちと思われる男性に
声をかけた。普通に「セニョール、・・・・」と声をかけたのだが・・・
私は、ここに少し前からいたので、この人が何を言おうとしたかわか
っていた。 店のテラスと駐車場の間を人が歩くので少し下げて車を止めて
くれるように頼もうとしているのだ。 その前の人にも頼んでいた。
ところがこの男性、全く無視・・・。聞こえてはいるのだが、全く無視なのだ。
駐車場の管理の人は、かなり声の通る人なのでテラスにいた人の視線が
集まった。 全く無視されても彼は、「ちょっと済みませんが、車を少し後ろ
へ下げてもらえませんか。」と繰り返し言っている。
全く無視・・・
店に入っていくその客にもう一度声をかける管理の人・・・
周りの人々の視線が集まる。私は、もうそこにいるだけで
心臓が凍りつきそうだった。それでも無視してその男は、店に入ってしまった。
人を人と思っていないのだ。
日本では、こういう人は見た事がない。
しばらくするとマネージャーみたいな人が出てきて、さっきの車の管理の人
を呼んで何かを話している。しかられているのだ。悪いのはどう見ても
あっちなのに・・・。これがベネズエラの現実です。
お金を持っている人が正義なのです。これじゃあ貧乏な人が怒
るのは無理はない。これは、極端に見えますが、ベネズエラのお金持ちを
よく現した出来事だったと思う。
<お金持ち予備軍>
私たちは、ベネズエラの大金持ちと接するチャンスはほとんどなかった。
娘が通うインターナショナルスクールはその数少ない接点だった。
普通、海外で働く人々の間では、インターナショナルスクールに子供を通わせるには年100万円ぐらいかかるといわれていた。
がここベネズエラは、それよりはるかに高かった。私たちは、
金持ちではないが、ボリに比べればとっても強いドル、そのドル
より強い円を持っていた。それでも高いと感じるのだから、
現地の人にとっては、めちゃくちゃ高い学校だった。
生徒ははっきり2種類に分かれた。私たちのように海外から来ている人間と
ベネズエラのお金持ちだった。子供たちの間でも明らかに違いがあった。
カフェテリアで食事をする。ベネズエラのお金持ちの子供たちは、
自分の食器を片付けないのだそうだ。「ここには、それをするための人
がいるのだから自分はする必要はない。」と言うのだそうだ。
お迎えに来るベネズエラ人のお母さんたちの最近の関心事は、ダイエットやエステでは
なく美容整形なのだそうだ。しかも全身の・・・。
長い休暇が終わって久しぶりに会うと全く見た目が変わっている人が
いるのだそうだ。海外で全身の美容整形手術をしてくるのだそうだ。スケールが違うのだ。
ある日、娘のクラスメイトが、うちに勉強にくるという。
娘たちは、高校の最終学年で海外に旅行に行った。
なんと贅沢な修学旅行かと思ったら、これは勉強の一環で、向こうで
データを取ってきちんとレポートにして提出しなければならなかった。
社会と理科系の2つの教科。きちんと提出しないと卒業できなくなる。
そのレポートを明日(月曜日)に提出しなくてはな
らないという日曜日だった。
旅行で同じ班だった子が、一緒にデーターを整理
するのだという。 娘は気が進まないようだったが、頼まれると嫌とは
いえない子だ。
9時ごろに来る約束が10時になっても来ない。
もう来ないのかと思った頃、「今から行く。」と電話が入った。
やっときたの
は11時・・・すぐにお昼(昼食)ではないか・・・
私は、どうしたものかと
悩んだ。娘にも何か食べさせてやらなくてはならない。
メニューを変更してこれなら食べれるだろうとお好み焼きを作り、
出した。「なにぃこれっ」という感じで、ほんの少しつついただけ
ほとんど残した。
一緒に勉強しようというのは名目で几帳面な娘の
データを写しにきたのだった。
写しらたすぐ帰るのかと思ったのに帰らない。
教えあうでもなくそれぞれ勝手にレポートを作っただけでやっと帰ったのは、
5時過ぎだった。しかもその間彼女は娘のパソコンをずっと使っていたので
娘は、彼女も明日提出しなくてはならないレポートを全くできずにいた。
私「何で言わないの!」
ベネズエラの子はみんなこんな感じなのだという。自分は、かなりやってあるから
夜やればなんとかなるからと言う。結局明け方までかかって、学校へ行った。
この学校にいるベネズエラ人の子は、みなお金持ちなのです。
特権階級なのです。小さい頃からお手伝いさんが面倒を見た。だれも「あんた、
ずるいやん!」と言わないのです。
だから、
自分のやっていることが、どれだけ身勝手か、ずるいか全く気が
つかないのです。 娘のクラスメートもそうでした。
悪気はないのです。 「今日は、すごく勉強がはかどった。」と喜んで帰っていったのです。
この子は、このまま大人になってベネズエラの金持ちに・・・
そして、人を使う立場の人間に
なるのです。(ハァー)
<貧しい人々・優しい人々>
そう、どうしても書いておかなければならないことがもう一つあった。
ベネズエラには、どうしようもない大金持ちと、意地の悪い小金持ちが多いのに、
私が接した貧しい人々は、優しい人が多かった。
この国で貧しい人々は、本当に虐げられている。安い賃金で長時間働かされ、ちょっとした不都合があるとすぐに解雇される。そういうひどい目にあっているのに、なぜか心の優しい人が沢山いた。
貧しい人の中にも2種類あって、体制に反抗的な人々というくか、凄く粗野な感じがする人たちもいた。よくテレビで見るチャベス派の人々はこの種類で、荒っぽく短気そうですさんだ感じがして近寄りがたかった。
ある人々は、とても温厚で優しかった。キリスト教のせいだろうか?とも思ったが、
ベネズエラのキリスト教は、カソリックだが、かなり南米的になっていた。
アパルタメントの守衛さん、お手伝いさん、商店の店員さん、アパルタメントの管理人さん、
やさしくて親切な人々がいた。私たちのように言葉の不自由な外国人の面倒をよく見てくれた。一方同じような職種の中にも私たちをすごく馬鹿にする人々もいた。
私たちの家族が忘れることのできないのは、守衛さんのビスカヤさんだった。
守衛さんは、警備会社から派遣されていて、かなり頻繁に変わった。
彼が私たちのアパルタメントに派遣されてきたのは、2003年の3月頃だったと思う。
温厚な50代後半か60代前半の男性で、いつも静かに笑っていた。
守衛さんは、玄関の中央のガラス張りの守衛室にいて、私たちは、出入りの時に顔を合わすだけだった。まだ政情がとても不安定な時だったが、何かあって私が状況を聞くと彼は、いつも
「大丈夫ですよ。」とか「すぐによくなりますよ。」とか「全ては、平静ですよ。」と答える。彼の優しい声を聞くとなんだか大丈夫なような気がするのだった。
今回赴任して以前と変わっていて驚いたのは、アパルタメントに
24時間の守衛さんがいて、高圧線の電線が張り巡らされ、鍵で
操作するエレベーターになっていたことだった。
私たちが住んでいる地区ではほとんどのアパートに守衛さんがいてた。しかも24時間だった。
ほとんどが警備会社から派遣されていた。アパルタメントで警備員を雇う場合もあった。
警備会社から派遣されている場合、きちんと制服を着てトランシーバー、警棒、持っている。銃を携行する場合も多かった。その人たちがちゃんと働いている
かどうかオートバイに乗った人が日に2回ぐらい確認に来た。
ビスカヤさんは、技術者だったが、リストラで職を失い。タクシー運転手になろうと車を買って間もない頃、強盗にあって車を盗られたのだという。保険に入ってなかった(そんな余裕はなかった)。
それで残された選択肢は、警備員しかなかった。
彼には、子供が5人いて、一番下の子供がまだ9歳だといった。
彼の給料は19万ボリ(約1万円ぐらい)。バリオに住んでいた。
とてもやっていけない給料だったが、長男が成人しており、携帯電話の技術者なので、彼から少し経済的に助けてもらっているのだといった。
警備員の勤務の状況がなかなかわからなかった。
昼間12時間勤務の人と夜間12時間勤務の人が毎日来る場合と
24時間勤務で1日おきの勤務の場合があった。 24時間の隔日勤務が一般的だった。
休みの日がなかった。日曜日も祭日も全くなし、これには、心底驚いた。病気などで休む時だけは、
別の人が送られてくる。
私は、今までにいろいろな国で海外生活を体験した。発展途上国ばかりだったから、どこでも警備員さんはいた。
彼らの勤務状態は良くなかったが、アフリカでも7日に1日は休みがあって別の人が来た。そして1年一回約一月のバケーションがあって、
地方から出ている人が多かったので、その間故郷に帰っていた。
ビスカヤさんは温厚な人で、いつも対応がゆったりしていて、安心できた。
仕事ぶりもまじめだった。心が優しいのかスペイン語が流暢ではない私たちでも嫌な思いをすることがなかった。
彼は、1年ぐらいたったころ体調が悪くなった。ずっと働きづめであったので、疲れが溜まってきたらしかった。
法律で15日間の休暇は保障されているので、休暇をとった。
すると彼の所属する警備会社は、彼を解雇した。
その休暇の15日分の給料を払いたくないのだ。
あまりにひどい。
彼の勤務態度は非常によかったので、このアパルタメントの住人も彼のことを気に入っている人が多かった。
管理組合の会長が変わったこともあって、警備会社との契約をやめて、このアパルタメントで彼を雇うことになった。
彼がリーダーで3人雇われ、1日働いて2日休むシフトになった。 休日や祭日はなかったが、1日働いて2日休めるので前よりずっと楽になった。 彼が後2人も見つけて来て監督することになった。給料も上がるのだろうと思ったが、給料はそのままだった。(彼を解雇したひどい警備会社
にこのアパルタメントの管理組合は、毎月1,335,000ボリ払っていた。単純計算すると彼のような人を7人雇えるお金だ) それでも彼はとても喜んでいた。「通勤の交通費も食費も減るしそれだけでも助かる。」と・・・そう彼らは給料少ないのに交通費も自分持ちなんだ。
あと一人は、若い背の高いお兄ちゃんで、私はずっと独身だと思っていた。体育の大学に通っているという事で、仕事中も勉強していた。
彼もとても良い人で私たちは、とても気に入っていたが、あと一人がなかなか定着しなかった。
1年たったころ、ちょっとした事件が持ち上がった。
このアパルタメントの住人のイタリア人の男性の車が、地下駐車場から盗まれた。
彼は海外旅行中で、警備員には、旅行に出かけることも言ってなかった。
この人は、いい会社(石油関係?)で働いているらしく、このアパルタメントの家賃も会社持ち、車も会社の物だったそうだ。 トヨタの4WDプラド、新しい形で人気の車種300万円ぐらいする。
彼は中年だったが独身で、ガールフレンドらしい女性をこのアパルタメントに住ませていたが、長続きせず。次々違う女性を住ませていたらしい。その中には鍵を与えていた人もあったらしい。鍵を返してもらわず別れた女性もあったという。
住人たちは、別れた女性の誰かが鍵を泥棒に渡したのだろうといっていた。
このアパルタメントの欠点は、車の出入り口が管理人から見えないことで、リモコンで住民が車で出入りする時に闇にまぎれて人が入って来てもそれを阻止することは難しい。 車泥棒は、他の車が出入りする時に車の出入り口から入ってきて使用人用のエレベーターで
イタリア人の部屋に行き、持っていた鍵で鉄格子のドアを開け、中のドアを壊し、寝室に入って車のキーと駐車場のドアのリモコンを盗み叉地下駐車場に降りて車に乗って悠々と駐車場を出て行ったらしい。
私から見ると、盗まれたほうの自業自得たが、ビスカヤさんをはじめ3人の警備員は、解雇された。
管理組合の会長が変わり、別の警備会社から警備員が送られてくるようになった。
「理不尽」・・・
私は、チャベス大統領下のこの国の現状をこのレポートの最初で理不尽と表現した。しかし、ベネズエラは、チャベス大統領の政治の前には・・・貧乏な人々にとっては、全くもってって理不尽な社会だったに違いない。
そして、今、ベネズエラは、一般の人々全体にとって理不尽な国になったのだと思う。
一握りのチャビスタ(チャベス大統領の熱狂的支持者)だけが甘い汁を吸っているらしい。
私たちは、大家さんに解雇に反対であることを伝え、大家さんもできることはしてくれたようだが、
解雇は、速やかに行われた。いつでも簡単に解雇できる契約になっていたらしい。あまりに不公平だ。
私は、ビスカヤさんに5万ボリ貸していた。高齢のお母さんがいて
彼女の体調がよくなく医療費がかさむと嘆いていた。そのためのお金だった。優しい彼が、年老いた母をお金がかかるために負担に思っているらしいことに心が痛んだ。
「お金は返さなでいいよ。」と伝えたら、彼は、とても喜んでいた。そして、まだ会えるだろうと思っていたのでお別れもしなかったのに、再度と会うチャンスはなかった。
若いお兄ちゃんは、このとき初めて、妻持ち子持ちだったと知った。せっかく頑張っていた
大学も他の仕事なら続けられないだろうに・・・この時勢、新しい仕事を見つけるのは大変だろうに、それ程気に病む風でもなく 黄色い野球帽をかぶりリュックサックにスポーツシューズ、どう見ても妻子持ちには見えない若々しいいでたちで、去っていった。
私たちが気持ちよく暮らせたのは、この2人のお陰でもあった。ありがとう。
お手伝いさんや、いろいろな修理の人々や、お店の人々、お世話になりました。ありがとう。
この人たちの未来は、ベネズエラの未来は、どうなるのだろうか?
ベネズエラは、豊かな国です。広い国土を持ち石油をはじめとする鉱山資源が豊富です。
もしも歴代の大統領が国民のことを考え、政治をしていたらとても良い国になっていただろう。
そして今、かつてないひどいことが起こっている。一握りの人が、こんなに多くの人を苦しめる。こんなことが許されて良いものだろうか?
結局人を苦しめているのは人なのです。
私は、世界のあちこちで住んで、日本人では、珍しい経験をしました。
そしてわかったことは、こんな単純なことでした。
私にできることは、ないのでしょうか?
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