エフレムは1054/55年からおよそ1065年までキエフの府主教であった。ポッペによれば、彼は当時、プロトプロエドロス(元老院議長?)という宮廷の高い位階をもった、ビザンツ帝国元老院のメンバーであった。このことは彼の印章からわかるという。1055年の、ノヴゴロド主教ルカ・ジジャタをそのホロープ(奴隷的存在)であったドゥジクが告発した。これを裁いたのが府主教エフレムだった。その結果ルカは3年もの間、投獄された。しかし彼に罪がないことがわかり、逆にエフレムはこのドゥジクを厳罰に処したという(ノヴゴロド年代記)。また、ある年(年は不明)の11月4日にエフレムにより、キエフのソフィア聖堂が新たに献堂された。

 ポッペやシチャーポフは、12世紀に「エフレム」という名前の府主教が二人存在したというよく知られる意見は誤りであるとする。第二のエフレムはコンスタンティノープルで一代限りの称号だけの府主教として叙任され、ペレヤスラヴリの主教座を占めていた(1070-1090年代)だけであり、彼はキエフ府主教ではなかった。


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