T-34:戦車と戦車兵(1)


「私はやり抜いた。持ちこたえることができた。壕に隠れた5両の戦車を撃破した。敵は全く無力だった。彼らが乗っていたのは3号戦車や4号戦車であり、私は「34」で戦っていたからだ。敵の砲弾は、私の戦車の前面装甲を撃ち抜くことができなかった」
 第2次世界大戦に参加した戦車兵の中でも、T-34で戦車長を務めたアレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ・ボドナリ中尉のように、自らの乗る戦車についてこれほど自信に満ちた言葉を残すことのできる者は、そう多くはいないだろう。ソ連の戦車T-34が伝説的な存在となった第一の理由は、実際に操縦レバーを握り、あるいは主砲や機関銃で戦った兵士たちが、この戦車に信頼を寄せていたという点にある。かつて、ロシアの有名な軍事理論家A.A.スヴェチンは、「戦場における兵器の優劣は相対的なものでしかあり得ないのに対し、兵器に対する信頼という要素は非常に大きな意味を持っている」と語ったが、戦車兵たちの回想は彼の言葉の正しさをはっきりと裏付けている。スヴェチンは1914年から18年の第1次世界大戦に歩兵将校として従軍し、重砲や飛行機、装甲兵器の黎明期に立ち会った人物であり、戦場の実態をよく理解していた。もしも兵士や将校が自分たちに与えられた兵器に自信を持っていれば、彼らはより勇敢かつ大胆に戦うようになり、勝利に貢献することが可能となる。逆に、自らの手にある兵器が貧弱だと思い込んでいるか、あるいは現実に性能の劣るものであって、これを信頼せず捨ててしまうような軍隊であれば、敗北は避けられない。もちろん、プロパガンダや無知に基づく盲目的な信頼などは論外である。現実に、T-34は同時代の他の戦車を大きく凌駕する技術的な長所を備えており、これが戦車兵の自信のバックボーンとなっていた。その長所とは、角度をつけた傾斜装甲であり、V-2ディーゼルエンジンであった。
 幾何学の初歩を学んだ者であれば誰でも、装甲に傾斜を与えることで防御上の効果が増すという原則を容易に理解できるだろう。戦車長として戦った経験を持つアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ブルツェフ中尉は、次のように回想している。
「T-34の装甲板はパンターやティーガーのものより薄く、およそ45ミリほどしかなかった。しかしながら、角度がつけられているおかげで厚さ90ミリの装甲にも匹敵する効果があり、貫通を難しくしていた」
 装甲板の厚さだけに頼る単純な設計ではなく、幾何学的な効果を取り入れた防御方式を採用したことにより、「34」の乗員たちは、間違いなく敵の戦車よりも優位に立っていると感じていた。
「ドイツの戦車は、基本的に装甲板を垂直に立てており、これはもちろん大きな欠点だった。我が軍の戦車は装甲に角度をつけていた」
 戦車部隊の大隊長を務めたヴァシーリー・パーヴロヴィチ・ブリュホフ大尉はこう語っている。
 そして、戦車兵たちのこうした自信は、単に理論ばかりでなく、戦場での実体験によって裏付けられていた。ドイツが使用していた口径50ミリ以下の対戦車砲と戦車砲では、T-34の前面装甲を貫通することは至難の業だった。そればかりでなく、対戦車砲Pak-38(50ミリ)や3号戦車の60口径50ミリ砲の硬芯徹甲弾であれば、理論的にはT-34を正面から撃破できるはずであったが、現実には高硬度の傾斜装甲によって跳弾となり、ダメージを与えられないことが珍しくなかった。1942年の9月から10月にかけて、第48研究所(原注:正式名称は「戦車生産人民委員部付属第48中央科学研究所」)は、モスクワの第1及び第2修理廠に送られてきた損傷車両を対象に調査を実施している。これによれば、T-34が前面に受けた命中弾109発のうち実に89%が効果のないであり、かつまた戦車に損害を与えるのは75ミリ以上の砲弾に限られていた。しかしながら、ドイツ軍が75ミリの対戦車砲や戦車砲の数をそろえるに従い、T-34にとって状況は厳しくなり始めた。75ミリ砲の砲弾は修正能力を持ち(つまり、着弾すると装甲に対して直角になるよう向きを変える)、1200メートルの距離からT-34の装甲を撃ち抜くことができた(訳注:おそらくここで言及されているのはAPCBC弾であると思われる)。また、88ミリ高射砲や成形炸薬弾に対しても、T-34の傾斜装甲はすでに無力な存在であった。それでも、クルスクの戦い以前のドイツ軍は多数の50ミリ砲を使用していたのであり、「34」の乗員が傾斜装甲に寄せる信頼はほとんど裏切られることがなかった。
 ソ連の戦車兵たちが、わずかではあれT-34以上の評価を与えていたのは、レンドリースで供与されていたイギリス戦車の装甲だけであった。
「もしも砲塔を撃ち抜かれた場合、それがイギリスの戦車であれば、戦車長も照準手も生き残ることができるかもしれない。ほとんど破片が飛び散らないからだ。しかし「34」の装甲は粉々に砕けるから、砲塔の中にいる者が助かる可能性は低かった」(V.P.ブリュホフ)
 この現象は、マティルダやヴァレンタインといったイギリスの戦車の装甲が、多量のニッケルを含んでいることによって説明される。ソ連の45ミリ高硬度装甲板が1%から1,5%のニッケルを含んでいたのに対し、イギリスの戦車の中硬度装甲板ではニッケルの含有量が3%から3,5%にも達しており、装甲の靱性を高めていた。同時に、前線での応急処置としてT-34に増加装甲が施されるケースはなかったことを指摘しておかなければならない。唯一の例外は、第12親衛戦車軍団の技術部長代理を務めていたアナトーリー・ペトロヴィチ・シヴェビク中佐が証言しているケースで、ベルリン攻略の直前、パンツァーファウスト対策として寝台用の金網を戦車の表面に張り付けるという工作が実施された。しかし、これ以外に知られている「34」の増加装甲は、全て修理廠もしくは戦車生産工場の工夫の産物である。これと同じような状況は、戦車の塗装についてもあてはまる。戦車は工場において中も外も緑色に塗られ、そのまま前線へと送られた。ただし冬季に作戦を行なう際、部隊の技術部長代理は戦車を白に塗り替えるという任務を与えられた。例外は1944年から45年にかけての冬で、このとき前線はすでにヨーロッパへと移動していたのである。なお、インタビューを受けた元兵士のうち、戦車に迷彩が行なわれていたと証言した者は1人もいない。
 傾斜装甲以上に際立ち、そして戦車兵たちに自信を与えていた技術的特徴は、T-34のディーゼルエンジンであった。T-34の機関手兼操縦手や無線手、あるいは戦車長として教育を受けた兵士の多くは、平時の生活においても燃料に接した経験を持ち、少なくともガソリンに関する知識を有していた。つまりガソリンが揮発性で引火しやすく、よく燃える物質であることを、個人的な体験から知っていたのである。そしてT-34を生み出した技術者たちは、ガソリンを使った分かりやすい実験を行ない、ディーゼルエンジンの優位を証明して見せた。
「技術的な論争が最高潮に達した時、ニコライ・クチェレンコ技師は工場の中庭で実験を行なった。この実験は、実際にはそれほど科学的ではなかったのだが、新たな燃料の利点をアピールする上で非常に分かりやすいものであった。クチェレンコはまず、ガソリンが入ったバケツにトーチを放り込み、一瞬にしてそれを燃え上がらせた。次に、同じようなトーチを、今度はディーゼル油が入ったバケツに投じた。すると、まるで水に投げ入れられた時のように、トーチの炎が消え去ったのである」(D.S.イブラギモフ『対決』 モスクワ、陸海空軍社会協力団体、1989年、pp. 49-50)
 この実験は、戦車に砲弾が命中した時、その燃料や揮発成分によって防火性にどれだけの違いが出るかを雄弁に物語るものとなっている。そしてT-34の乗員たちは、この点に関しては、敵の戦車を見下してさえいた。
「彼らはガソリンエンジンを使用していた。これは大きなマイナスだった」
 こう語るのは機関銃手兼無線手だったピョートル・イリイチ・キリチェンコ曹長である。同じように、レンドリースで供与されていた同盟国の戦車(戦車長ユーリー・マックソヴィチ・ポリャンスキーの回想によれば、「ガソリンエンジンを積んでいた上に装甲が薄かったものだから、多くの戦車が命中弾により破壊された」)や、ソ連の戦車及び自走砲の中でもガソリンで動いていた車両(V.P.ブリュホフは「我が大隊にSU-76が配属されたことがあるが、ガソリンエンジンで動いていたためライターも同然で、最初の戦闘で全滅した」と述べている)は、兵士たちから嫌われていた。戦車がディーゼルエンジンで動いていることにより、T-34の乗員は、自分たちが敵よりもはるかに火災の恐怖から守られていると感じていた。何しろ、敵の戦車は揮発性で引火しやすい燃料を数百リットルも積んでいるのである。常に大量の燃料と隣り合わせる戦車兵たち(彼らは自分自身の手で給油を行なっていたから、燃料の量は熟知していた)は、対戦車砲弾が命中してもディーゼル燃料は燃えにくく、火災が起きたとしても脱出の時間は充分にある、という安心感をもって戦っていた。
 しかし実際のところ、バケツにトーチを放り込むという実験は、それほど大きな意味を持つものではなかった。統計を見る限り、ディーゼルエンジンを装備した戦車は、ガソリンエンジンの車両と比べてそれほど大きな耐火性を発揮してはいないのである。1942年10月のデータによれば、ディーゼルエンジンのT-34は、航空機用のガソリンエンジンを積んだT-70より高い確率で炎上してさえいる(23%対19%)。1943年、クビンカ装甲技術研究所の技術者たちは、各種の燃料に関する一般的な見解とは正反対の報告を行なった。
「1942年に生産された新型の戦車においても、ドイツ軍がディーゼルではなくガソリンエンジンを使い続けている理由は、以下の諸点により説明され得る:(中略)戦闘においてはディーゼル車両も高い確率で炎上しており、もしもガソリンエンジンの設計を工夫し、なおかつ自動消火装置を準備できるなら、ディーゼルエンジンの優位性はそれほど大きなものではなくなるからである」(『マイバッハHL210P45エンジン及び6号戦車ティーガーの動力装置の技術的な特徴に関する報告』 赤軍・装甲兵器総局、1943年、p.94)
 ここでもう一度、クチェレンコ技師が行なった実験を振り返ってみよう。彼はガソリンの入ったバケツにトーチを投げ入れることで、気化したガソリンを燃え上がらせた。一方、ディーゼルエンジン用の軽油が入ったバケツからは、トーチに引火するような気体は発生していなかった。しかし現実には、トーチなどとは比較にならないほど強力な炎、つまり砲弾の炸裂によって生じる火炎であれば、ディーゼル燃料を燃え上がらせることができたのである。戦闘室内に燃料タンクが置かれていたT-34は、車体後部にタンクを配置していた戦車と比べると、火災に強かったと言うことはできない。後部に被弾する確率は低かったからだ。これに関しては、V.P.ブリュホフの証言が参考になるだろう。
「戦車が燃えるのは、敵の弾が燃料タンクに命中し、タンクの中に燃料が多く残っている場合だ。戦闘が終わりに近づき、燃料が消費されていれば、戦車が炎上することはほとんどなかった」
 また、元戦車兵たちの意見によれば、ドイツ戦車のエンジンが唯一T-34のそれに勝っていた点は、エンジン音の静かさという要素であった。この点について、かつて戦車長として戦ったアルセンチー・コンスタンチノヴィチ・ロチキン少尉はこう語っている。
「ガソリンエンジンは燃えやすいが、一方で音は静かだった。T-34の場合、エンジンが轟音を上げるばかりでなく、キャタピラの音もやかましかった」
 もともと、T-34の動力装置では、排気管に消音装置をつけるような設計がなされていなかった。車体後部に設置された排気管には、マフラーの類は一切ついておらず、戦車の12気筒エンジンは恐ろしいうなり声を上げていた。さらに、消音装置のない排気管から放出されたガスは、爆音ばかりでなく土ぼこりが生じる原因ともなっていた。
「T-34の排気管は下向きについていたため、凄まじい土ぼこりの原因となった」(A.K.ロチキン)
 こうした数々の欠点はあるにせよ、T-34の開発チームが、同盟国や敵国の戦車が持っていない2つの技術的長所を自分たちの作品に与えた、という事実だけは否定できない。戦車兵にとって、これらの長所は、自らが操る兵器への自信を高めてくれるものであった。彼らは、自分たちの戦車に対する誇りを胸に戦場へと向かった。このような心理的要素は、傾斜装甲の実際の防御力やディーゼルエンジンの防火性よりもはるかに大きな効果を発揮したのである。

(06.02.16)


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