ソ連側が見たタンク・デサント


 第2次世界大戦におけるソ連軍が話題となる際、戦車の上に乗って行軍・戦闘を行う歩兵、所謂タンク・デサントはシンボルとして取り上げられやすいアイテムではないかと思う。それも、好意的なシンボルでは決してない。人命軽視(そもそもこの世に人命を重視する軍隊が存在するのか否かという観点に立つと、これはかなり奇妙な性格づけに思われるのだが)、戦術的・技術的には遅れが甚だしく、数を恃んで大損害と引き換えに強引な勝利をつかむソ連軍のイメージ。その可視的な象徴の1つがタンク・デサント、と言ってもいいだろう。

 タンク・デサントに関する記述の例としては、手許にある資料の中から(ちょっと古いが)『ミリタリー・クラシックス』誌第17号(2007年春)に掲載された「タンクデサント兵になってみよう!」なる一文を挙げておきたい。過去にタイムスリップした現代日本人が、1943年11月のウクライナでタンク・デサントの戦いを経験するという筋書きである。主人公を含む兵士たちは、短機関銃を持っただけで戦車の装甲板上に跨乗し、丘陵上のドイツ軍陣地に真正面から突入させられる。「敵陣を突破して、いけるところまでいく」という大変アバウトな目的の下に。
 いざ戦闘が始まると、彼らはひたすら戦車にしがみついたまま、雨あられと降り注ぐ銃砲弾を耐え忍ぶ。そして敵の塹壕へなだれ込んだところで降車、あとは敵歩兵との殴り合い。全体として阿鼻叫喚な場面ばかりなのだが、これが妙に薄っぺらな文体で書きつづられるため、読んでいて非常に辛い。
 最大の問題は、タンク・デサントが何を目的として行われるのか?が、この文章からはさっぱり分からないことである。登場人物の台詞によれば、「俺たちソ連軍ではトラックが慢性的に不足している」(これって本当なの?)から、戦車に直接乗って行くしかないのだそうだ。ということは、トラックが足りていたらそれで突撃をかけるつもりなのか?そんな無茶な。
 また、戦車にとって最も恐ろしいのは歩兵の近接攻撃で、だから敵は戦車に跨乗する歩兵を狙い撃つのだという説明。してみると、タンク・デサントの目的は、敵戦車を破壊する肉攻隊を送り込むことであるらしい。具体的にはどのような資材を使うのか?対戦車銃や破甲地雷を持参するのか?そのような描写は全くなされていない。
 のみならず、今回の任務は突破ではなく敵陣を潰すことだけで、戦車と戦う可能性は低いのだという。だったらタンク・デサントの必要なぞ全くなく、戦車隊だけで蹂躙すれば事が足りるのでは?全くもってわけが分からない。目的も定めぬまま、損害を受けることが自己目的化したような形で突っ込まされるタンク・デサント。実に浅薄なテキストで、表題には「軍隊ってレベルじゃねーぞ!」などという挑発的な煽り文句が付されているが、この記事自体のレベルも一体どうなのか…と考え込まずにはいられない。
 もっとも、こうして軽く書き飛ばされる読み物の中にこそ、実は世間の「常識」が現れるのかもしれない。参考資料が明示されていないのが非常に残念だが、そもそもそんなものが必要であったかどうか。書き手も読み手も同じタンク・デサント像を共有している、という確信があれば、イメージの源などは詮索されないのが常だから。こうなるとすでに、歴史ではなくファンタジーの領域である。

 しかし、これはあまりにもひどいのではないかと思う。彼らは物語の登場人物ではなく、実際に生き、そして死んでいった生身の人間であり、いかに戦争が後世の人間に異常な感興を催しめる存在であるとはいえ、上記の如き軽々しいテキストで笑い者にされるいわれは全くない。彼らをファンタジーの世界から歴史に戻してやらなければならない。
 では何故、筆者は「タンクデサント兵になってみよう!」を歴史ではなくファンタジーと感じるのか?一言で言えば、それは読んでいて強烈な違和感を覚えるからであり、自分なりのタンク・デサント像と全くそぐわないからである。文字通りの絵空事としか思われない。ただし、「自分なりのタンク・デサント像」の源泉は、今までに読んできた体験談やロシアで出版された戦史本の類で、それほど体系的なものとはなっていない。判断の基礎となる材料を見つけ、これに分析を加える必要がある。
 残念ながら、筆者にはこの研究に割く時間も資源も限られており、ネット上でアクセスできる数点の史料に限らざるを得ない。以下に示す4点の文書は、いずれも露語及び英語版ウィキペディアのタンク・デサントの項で紹介されているもので、我ながらお手軽なものではある。それでもとにかく史料は史料で、本稿ではこれを基礎に話を進めていく。別の証拠を見つけて反証されればすぐに崩れ去ってしまう代物かもしれないが、寧ろそのような反証が待たれるところでもある。それでは始めることにしたい。

 本稿で取り上げる史料は以下の通り。

・『赤軍歩兵戦闘規則第2部(大隊、連隊編)』[1942年]
・E.マトヴェーエフ『戦車兵の戦闘技術』[1942年]
・『赤軍装甲・機械化軍戦闘規則第1部(戦車、戦車小隊、戦車中隊編)』[1944年]
・「春の泥濘期、森林・沼沢地において敵防御陣地の中間線を突破するため、歩兵大隊が実施したタンク・デサントとしての戦闘行動について」『歩兵大隊の戦闘行動:大祖国戦争戦訓集』[1957年]

 いずれもソ連軍当局やその関係者が刊行したもので、同時代もしくはそれに準ずる史料である。あくまでも内部文書であるから、一般向けの宣伝や顕彰ではなく、将兵に対し実戦での部隊運用法を徹底させる、あるいは戦訓を学ばせることが目的となっている。ソ連軍が本来タンク・デサントに何をさせたかったのか、何を意図していたか、を知るのに適した材料ではないかと思う。
 他方、軍首脳すなわちタンク・デサントを「戦わせた側」の視点ばかりが反映され、「戦った側」のそれが分かりにくいという欠点は確かにある。軍の構想は構想として、現場での運用状況は全く異なっていたという可能性は当然考慮しなければならない。このギャップを少しでも埋めるため、上記4点の文書につき検証した後で、今まで読んだ元兵士たちの体験談からタンク・デサントに関係する部分をいくつかご紹介しておくことにする。先述のように体系的な読み方をしてきたわけではないし、数も足りないという問題はあるのだが、実態を把握する一助にはなると思う。そして最後に現時点での結論をまとめ、本稿の締めくくりとしたい。
 関心のある方は、最後までおつき合いいただければ幸甚である。

1.1942年の歩兵隊規則に見るタンク・デサント
2.1942年の戦訓集に見るタンク・デサント
3.1944年の戦車隊規則に見るタンク・デサント
4.1957年の戦訓集に見るタンク・デサント
5.体験者の回想に見るタンク・デサント
6.まとめ

※ 本稿では便宜的に「タンク・デサント」の表記を用いるが、筆者はこの言葉そのものに疑問を感じており、他のテキストでは全て「戦車跨乗兵」で統一している。理由はまとめの部分で触れることにしたい。

(14.06.23)


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