ロシア史雑話20

ソヴィエト連邦と41人の元帥


 先回に引き続き軍人の話になってしまった。何分にも雑話のコーナーであり、身の回りで見つけた材料を片端から使っているため、同じネタが続いてしまうこともあるわけで。殺伐とした話ばっかりで嫌だと思われるかもしれませんが、そこら辺はご勘弁下さい。

 かなり前に買ったロシアの軍事歴史雑誌を読み返していたら、ソ連の歴代元帥一覧表が掲載されていることに気がついた。と言っても海軍や各兵科の元帥までは含まれず、「ソヴィエト連邦元帥(マルシャル・ソヴィエツコヴォ・ソユーザ)」カテゴリーだけである。しかしいずれにせよ、ドイツ軍などに比べると日本ではあまり知られていないソ連軍人についての資料であるから、謹んでここに紹介したい。
 この表をよく観察してみると、単に大物軍人の名が並んでいるばかりでなく、いろいろ面白いものが見えてくる(ような気がする)のだが、それはまた後ほど。


姓、名・父称(生没年)

昇進の年・月・日

備考

ヴォロシーロフ、クリメント・エフレモヴィチ(1881−1969)

1935.11.20

2
トゥハチェフスキー、ミハイル・ニコラエヴィチ(1893−1937)

1935.11.20
1937.6.11階級剥奪。1957.1.31剥奪の取り消し。

3
エゴーロフ、アレクサンドル・イリイチ(1883−1939)

1935.11.20
1939.2.22階級剥奪。1956.3.14剥奪の取り消し。

4
ブジョンヌイ、セミョーン・ミハイロヴィチ(1883−1973)

1935.11.20

5
ブリュヘル、ヴァシーリー・コンスタンチノヴィチ(1890−1938)

1935.11.20
1938.10.22逮捕、同年11.9獄死。1939.3.10階級剥奪。1956.3.14剥奪の取り消し。

6
チモシェンコ、セミョーン・コンスタンチノヴィチ(1895−1870)

1940.5.7

7
シャポシニコフ、ボリス・ミハイロヴィチ(1882−1945)

1940.5.7

8
クリーク、グリゴーリー・イヴァノヴィチ(1890−1950)

1940.5.7
1942.2.19階級剥奪。同年3.17少将に任命。没後1957.9.28元帥に復帰。

9
ジューコフ、ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ(1896−1974)

1943.1.18

10
ヴァシレフスキー、アレクサンドル・ミハイロヴィチ(1895−1977)

1943.2.16

11
スターリン、ヨシフ・ヴィサリオーノヴィチ(1879−1953)

1943.3.6
1945.6.27「ソヴィエト連邦大元帥(ゲネラリシムス・ソヴィエツコヴォ・ソユーザ)」の称号を得る。

12
コーネフ、イヴァン・ステパノヴィチ(1897−1973)

1944.2.12

13
ゴヴォロフ、レオニード・アレクサンドロヴィチ(1897−1955)

1944.6.18

14
ロコソフスキー、コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ(1896−1968)

1944.6.29

15
マリノフスキー、ロジオン・ヤコヴレヴィチ(1898−1967)

1944.9.10

16
トルブヒン、フョードル・イヴァノヴィチ(1894−1949)

1944.9.12

17
メレツコフ、キリル・アファナーシエヴィチ(1897−1968)

1944.10.26

18
ベリヤ、ラヴレンチー・パーヴロヴィチ(1899−1953)

1945.7.9
1953.6.26階級剥奪。

19
ソコロフスキー、ヴァシーリー・ダニーロヴィチ(1897−1968)

1946.6.3

20
ブルガーニン、ニコライ・アレクサンドロヴィチ(1895−1975)

1947.11.3
1958.11.26少将に降等。

21
バグラミヤン、イヴァン・フリストフォロヴィチ(1897−1982)

1955.3.11

22
ビリュゾフ、セルゲイ・セミョーノヴィチ(1904−1964)

1955.3.11

23
グレチコ、アンドレイ・アントノヴィチ(1903−1976)

1955.3.11

24
エリョーメンコ、アンドレイ・イヴァノヴィチ(1892−1970)

1955.3.11

25
モスカレンコ、キリル・セミョーノヴィチ(1902−1985)

1955.3.11

26
チュイコフ、ヴァシーリー・イヴァノヴィチ(1900−1982)

1955.3.11

27
ザハーロフ、マトヴェイ・ヴァシーリエヴィチ(1898−1972)

1959.5.8

28
ゴリコフ、フィリップ・イヴァノヴィチ(1900−1980)

1961.5.6

29
クルィロフ、ニコライ・イヴァノヴィチ(1903−1972)

1962.4.28

30
ヤクボフスキー、イヴァン・イグナーチエヴィチ(1912−1976)

1967.4.12

31
バチツキー、パーヴェル・フョードロヴィチ(1910−1984)

1968.4.15

32
コシェヴォイ、ピョートル・キリロヴィチ(1904−1976)

1968.4.15

33
ブレジネフ、レオニード・イリイチ(1906−1982)

1976.5.7

34
ウスチノフ、ドミトリー・フョードロヴィチ(1908−1984)

1976.7.30

35
クリコフ、ヴィクトル・グリゴリエヴィチ(1921−)

1977.1.14

36
オガルコフ、ニコライ・ヴァシーリエヴィチ(1917−1994)

1977.1.14

37
ソコロフ、セルゲイ・レオニードヴィチ(1911−)

1978.2.17

38
アフロメーエフ、セルゲイ・フョードロヴィチ(1923−1991)

1983.3.25

39
クルコトキン、セミョーン・コンスタンチノヴィチ(1917−1990)

1983.3.25

40
ペトロフ、ヴァシーリー・イヴァノヴィチ(1917−)

1983.3.25

41
ヤゾフ、ドミトリー・チモフェーエヴィチ(1923−)

1990.4.28

※生没年データは2002年当時のものであり、この後に物故者が出た可能性も否定できない。

 その当時は正式名称を「労農赤軍」といったソヴィエト連邦軍が、初めて元帥の称号を導入したのは、1935年9月22日のことである。そして2か月後の11月20日、一挙に5人の軍人が、初めて元帥に任命された。
 この5元帥の特長は、とにかく若いこと。最年長のヴォロシーロフが54歳、卓越した軍事理論家として名高いトゥハチェフスキーに至っては42歳にすぎない。国によって元帥の位置づけは異なっているから一概には言えないが、少なくとも同時代の世界では例外的に若い元帥だと思われる。40〜50代の軍人が国軍の中枢を占めること自体、ソ連軍の組織そのものがまだ若かった時代ゆえの現象かもしれない。
 しかしながら、栄光の原初5元帥のうち、トゥハチェフスキーとエゴーロフ、ブリュヘルの3名は、元帥就任からわずか数年で非命に倒れることになる。30年代後半、赤軍を襲った大粛清の犠牲者として。5人の中で生きのびたのは、スターリンと親しい関係を築いていた2人だけであった。

 大粛清で生じた欠員の穴埋めというわけでもあるまいが、1940年には、一挙に3人の新元帥が誕生することになる。複数の軍人の同時昇進という現象は、この後も何度か観察することができる。
 しかしこの3人のうち、チモシェンコとシャポシニコフはともかく、砲兵総局長だったクリークはスターリンの引き立てだけで出世した無能な軍人とされ、極めて評判が悪い。クリークに与えられた任務や地位は、明らかに彼自身の能力を超えるもので、とりわけ戦争が始まるとその弊害は明らかなものとなり、42年には元帥の称号を奪われている。この点では意外に信賞必罰が徹底していると言えるかもしれない。しかし終戦直後の1946年に退役、50年には死刑判決を受けて銃殺というのは、時代はあまりにも過酷なものであった。スターリン批判後の1957年には名誉回復により元帥に復帰しているが、この点ではトゥハチェフスキーら赤軍大粛清の犠牲者と同じ道をたどっているというのが何とも皮肉な話である。

 1941年、独ソ戦開戦。表をご覧になればお分かりのように、開戦後最初の2年間は1人も新しい元帥が任命されていない。負け続けに負けていた当時のソ連軍にとって、誰かを元帥に昇進させるだけの根拠はどこにもなかったのだろう。
 だが、スターリングラードでの勝利に自信をつけたのか、43年に入るとジューコフ、ヴァシレフスキーの両雄が相次いで元帥の称号を手にする。そしてその後、御大スターリンもこれに続く。この当時のスターリンは、国防人民委員(後の国防相に該当)と軍の最高司令官、それに国家防衛委員会議長を兼任していたから、今まで元帥を名乗らなかった方が不思議なくらいである。しかし戦局が落ち着くのを待ち、しかも現場の指揮官連が元帥になってから初めてというのは、スターリン一流の用心深さのなせるわざかもしれない。
 なお、スターリンが「大元帥」なる称号(本当にこの訳がふさわしいかどうかは疑問)を名乗っていたことは知られている通りだが、実はこれはドイツ降伏後(45年6月27日)の産物である。「アドルフの野郎もいなくなったし、もう怖いものなしだもんね」という心境の表れか。よく誤解されているのだが、独ソ戦中のスターリンは大元帥ではなかったのである。
 そして1944年、コーネフを初めとする一連の元帥昇進ラッシュは圧巻でさえある。言うまでもなく、この時期はソ連軍が緒戦の鬱憤を晴らすかのように押せ押せの大攻勢を見せていた頃であり、将軍たちにハッパをかけるため元帥の称号が授与されたのだろう。目の前にニンジンをぶら下げる、というやつだ。実際、44年に元帥の名乗りを許されたのは、いずれも前線を受け持つ現場の指揮官ばかり。年齢もそれに応じて若く(50歳のトルブヒンが最年長)、この時期のソヴィエト連邦元帥はバリバリの実戦派ぞろいだったことが分かる。日本の元帥のように、名誉職的なものではなかったようだ。

 そして独ソ戦終了後に初めて誕生した元帥が、「スターリンの死刑執行人」ことベリヤである。前線で手柄を立てたとはとても思えない人物だが、軍に準ずる組織である内務省のボスだったこと、及び国家防衛委員会の副議長だったことなどから、この栄誉にあずかったのだろう。しかし周知のごとく、ベリヤはスターリン没後の政争に敗れて失脚、処刑される。恐ろしいのは、逮捕の日に即元帥の称号が剥奪されていること。この辺りの無駄な手回しの良さを、他の分野で発揮してもらいたいものだ…
 他にも、命こそ奪われていないものの、元帥の称号を取り上げられた人物がいる。やはりポスト・スターリン期の指導者の1人、ブルガーニンである。58年にフルシチョフと争って首相の座を失ったばかりでなく、少将にまで降格されてしまった。まさに仁義なき戦い。ちなみにベリヤとブルガーニンは、スターリン粛清の犠牲者とは違い、没後にも元帥の称号は返してもらっていないらしい。
 他方、55年3月11日には、何と6人もの軍人が一挙に元帥昇格を果たしている。スターリングラードの英雄・チュイコフなど、ドイツとの戦いで第一線に立った指揮官ばかりで、昇進そのものは妥当なところか。ただ、この時期に6人まとめてというのは不自然な気もする。あるいは、フルシチョフの権力強化と時期的に重なっていることと関係があるのかもしれない。軍を掌握するためにお手盛りの元帥を大量生産した、というのは穿った見方にすぎるだろうか。

 この後、60年代にも何人かの新元帥が誕生しているが、1976年に至ってとんでもない大物が。書記長ブレジネフその人である。目立った軍功がない、というか軍人ですらないブレジネフだが、実はこの頃、ソヴィエト連邦国防評議会議長というよく分からない役職を務めている。それに若い頃、ドイツとの戦いで軍の政治委員を務めた経歴があるようだ(どっちにしても軍人ではないのだが)。やたらに勲章をじゃらつかせた写真からも分かるように、ブレジネフは我が身をきらびやかに飾り立てることが大好きな人物だったようで、元帥の称号もその一環だったのだろう。
 それからブレジネフのみならず、後期ソヴィエトの元帥たちを見ると、かなり高齢になってから任命されている例が多い。40代が当たり前だった戦時中とはえらい違いだ。実際に戦争が続いている間は、戦功に応じて「切り取り放題」に与えられていた趣のある元帥の称号だが、ブレジネフ時代にもなると、軍歴の最後を飾る名誉職的なものに変わってきたのだろう。まあ、戦時中のあり方が異様だったと言った方が適当かもしれないが。

 そして、最後のソヴィエト連邦元帥となったのが国防相ヤゾフ。ヤゾフについては、91年8月の反ゴルバチョフクーデタに参加した1人として記憶されている方も多いはずだ。結局クーデタそのものは散々な結果に終わるのだが、その後ソ連自体が潰れてしまったどさくさのおかげか、ヤゾフは元帥の位を剥奪されずにすんだ模様である。ブルガーニンなどと比べると運が良かった、と言っていいのかどうか。
 ちなみにヤゾフは、ソ連大統領令(つまり、ゴルバチョフの大統領令)によって元帥に就任したただ1人の軍人であった。この意味でも歴史に残る人物なのである。

★ ★ ★ ★ ★

 

 以上、ソヴィエト連邦の元帥の歴史を振り返ってきたわけだが、これによってロシア/ソ連の歴史に対する何らかの理解が得られるわけでは全くない。完全に好事家向けの雑文で、ソ連軍に興味ある方々に楽しんでいただければ幸いである。ただ、一口にソ連軍と言っても時代ごとに大きな変化を被っているわけで、元帥の性格の移り変わりも、ソ連軍史を追っかける上でおもしろい切り口になるかもしれない。
 なお、「ソヴィエト連邦元帥」という称号は、1993年2月11日をもって正式に廃止された(ソ連自体の消滅から1年以上がすぎている点は、万事スローペースなロシアらしい話だ)。しかしながら、それ以前に元帥とされた者は、引き続きこの称号を保持することも取り決められている。いずれにせよ、こうやって少しずつ「ソヴィエト的」なものは歴史の彼方に押しやられていくのだろう。

(04.03.18)


ロシア史雑話へ戻る

ロシア史のページへ戻る

ホームページへ戻る