小金城(千葉県)


所在

 総武流山鉄道、その名も「小金城趾」駅から徒歩10分程度。駅から見て東側にあたる大谷口歴史公園がかつての小金城跡である。ただし、本来の小金城は広大な面積を占める巨城であり、他にも旧城域の遺構が部分的に残っているというが、今回は公園だけの見学にとどまった。

沿革

 「大谷口城」とも呼ばれる。関東の名族・千葉氏を支えた重臣・原氏のそのまた家臣にあたる高城氏の居城。築城は天文6年(1537年)、高城胤吉によると伝えられる。主家をしのぐ勢力を誇った高城氏は、小田原北条氏が下総に進出してくるとこれに従い、他国衆に名を連ねて各地を転戦した。下総屈指の実力者が居を構えた城にふさわしく、その規模はいくつもの丘陵地にまたがる巨大なものである。しかし北条氏の滅亡後に廃城となり、二度と再建されることはなかった。現在の小金城跡は、戦後の開発による変化が著しく、大谷口歴史公園など一部の遺構を除けば在りし日の姿を偲ぶことは難しい。

見聞記

 2010年1月30日訪問。実は家からかなり近いところにあるお城で、前々から一度行かんといかんなと思っていた。いや、別に近くたって見に行く義務はないのだろうけれども、一応。

 常磐線を馬橋で乗り換え、流山鉄道に乗って小金城趾駅へ。宅地化が進んでいるとはいえ、ところどころに畑も残り、まずはのどかな風景である。
 駅の東口から出、城跡のある大谷口歴史公園へ向かう。駅前の道を右に歩き、運動公園のある突当たりを左折すると、あとは道なりに歩いていけばよい。途中、道の右側に木が茂った微高地が見え、「大谷口馬屋敷緑地」という地名の看板が出ているが、これも城の遺構に含まれる。細長く削平されたような土地で、道側がわずかに盛り上がっているのは土塁の跡にも見える。それにしても「馬屋敷」とは面白い地名で、城のための軍馬を飼う場所だったのか、それとも馬の飼育を担当する武士の屋敷があったのか。

 馬屋敷からもう少し先に進むと、目当ての大谷口歴史公園に出る。木々に覆われた背の低い丘で、一見したところは何の変哲もない森林公園でしかない。しかしこれこそは、下総の大城郭・小金城の在りし日の姿を今に伝える貴重な史跡であり、土地所有者の厚意により歴史公園としての保存が可能となったものである。都市化の波に洗われる場所では、このような有徳人に巡り合わない限り、戦国の城跡が生き残ることは難しいのだろう。
 大谷口歴史公園は、かつての小金城内では金杉口と呼ばれていた虎口の跡にあたる。これは城の北側の出入り口であったらしい。入口付近に木でできた簡単な冠木門が復元(?)してあるのは、門であった当時を表現しているのだろう。発掘調査により様々な発見があったらしく、ところどころに詳しい説明の看板が立っているのはありがたい。
 ただし遺構が大規模に残っているわけではなく、一見したところ城跡とは分かり辛いかもしれないが、例外として障子堀跡がある。底に1か所、敵の動きを阻害するための間仕切りが設けられた堀である。小田原北条氏の勢力圏で多用された技術であり、高城氏が北条氏の傘下に入ったことと無関係ではないだろう。ただし、肝心の障子(間仕切り)部分は保存のため土に埋め戻してしまったようで、現在ではただの空堀にしか見えないのはちょっと残念。

 遊歩道に沿って緩やかな丘を上っていくと、背の低い土塁に縁取られた方形の空間に出る。ここが大谷口歴史公園の中心であり、昔は曲輪の一角だったのだろう。土塁は高さも幅もそれほどの規模ではないが、説明板によれば外側に空堀が設けられていたため土塁を大きくする必要はなく、身を隠す程度のものでしかなかったとのことである。
 別の説明板では、航空写真を利用し、かつての城域が図示されていた。これによれば、まさしく巨城としか表現しようのない、圧倒的なスケールを持つ城であったらしい。このほとんどが宅地化してしまったのか…改めて、人間という生き物は過去の上に現在を積み重ねて生きているものだなと思う。

 もう少し先に進むと、一段下がったところに畝堀の跡が現れる。空堀の中に幾条もの畝を作り、堀底に侵入(転落)した敵兵の動きを止めるための工夫で、先に見た障子堀と同じく北条系の城郭ではおなじみの存在だ(この城跡では畝が一つしかないものを障子堀、複数のものを畝堀と呼称しているらしい)。当城では比較的明瞭に畝が残っているとのことで、楽しみにしてきたのだが…実際に見てみると、発掘以来数年を経て堀底に土が溜まってしまい、畝はほとんど見分けがつかなくなってしまっていた。ネット上で公開されている写真によれば、数年前までは明瞭に保存されていただけに、無念極まりない話である。ただし見方を変えれば、城などというものは絶えざる補修作業がなければ保ち得ないのだ、ということの証明にもなりそうだ。畝堀の溝掃除に駆り出されて、ぶつぶつ言いながら作業をしていた昔の人の姿が浮かんでくるような。

 金杉口方面の遺構はこのくらいだが、折角なのでもう少し足を延ばして大勝院へ。これは高城氏によって、祈願寺として当地に招かれた由緒ある寺院で、「遠矢山大勝院」という珍しい寺名が武将の庇護の歴史を物語っている。往時に比べると寺の規模はかなり縮小しているらしいが、それでも広壮な境内に樹齢500年のイチョウ、700年のヤマザクラなどがそびえる、雰囲気のあるお寺さんだ。 
 また、寺の由緒を開設した説明板には、宅地化の推進により小金城(大谷口城)の遺構を「破壊」した不動産会社が名指しされており、地域の開発にあたって当寺との間に何らかのいきさつがあったことをうかがわせる。詳しい事情は分からないから何とも言えないが、やはり創建当初から小金城を守護してきた存在として、城の運命には特別な思いがあったのかもしれない。

 帰りはまた馬橋経由だったのだが、折角なので万満寺に寄っていくことにした。馬橋駅から徒歩5分程度、鎌倉時代からの由緒を持つ古刹である。天文年間には小金城主高城氏が京都の大徳寺からこの寺のために僧を招いたこともあるという。夕闇迫る中、風情のある伽藍を歩くのは気持ちのよいものだ。寺内では何といっても山門の仁王像が素晴らしいが、軒にしつらえられた獅子の木彫りなどもユーモラスで独特の表情をしている。
 寄り道ついでに、万満寺の隣にある王子神社にも参ってきた。こちらは特に予備知識もなく、本当にふらりと立ち寄っただけなのだが、境内の一角に並ぶ庚申塔が秀逸であった。青面金剛も踏みつけられている魔物も三猿も全てが味わい深く、見入ってしまった。有名なお堂や仏像も勿論よいものだが、こういう何気ない石像で「掘り出し物」があるとやった!という感じですね。ただ単に見て楽しいだけでなく、当時の人々の世界観や信仰心について考えるきっかけにもなり、一粒で二度おいしい。こういうところが神社仏閣の(本来とは別の意味での)ありがたさではないかと思う。

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(10.11.15)


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