
長篠城(愛知県)
所在
JR飯田線長篠城駅から徒歩10分。だそうだが、実際に駅から行ったことはないので道はよく分からぬ。できれば車で行った方がいいかもよ。
沿革
元来は今川氏に属していたが、その滅亡後は徳川と武田の両勢力の間を揺れ動いていた。武田信玄病没後、城主奥平貞昌は徳川家康に味方し、天正3年(1575年)に武田勝頼の攻撃を受けることになった。城は落城寸前まで追い詰められるがよく持ちこたえ、逆に援軍として出動した織田・徳川連合軍が野戦によって武田軍を打ち破っている。これが有名な長篠合戦である。
その後の城の経過は、例によってよく分かりません。合戦以後の長篠城に興味を持つ人というのもあまりいないのだろうけど。
見聞記
今まで数回訪れているが、1度目は大昔、小学校で林間学校に行く途中立ち寄らされたものである。従ってあんまりよく憶えていない。ただ城跡にこじんまりした資料館があり、その展示物は多少記憶に残っている。一番鮮烈だったのは、磔に架けられた鳥居強右衛門の絵である。当時、何故かこの絵を旗指物に使う武将がいたらしく、資料館にあったものはおそらくその旗(レプリカかもしれないが)である。裸の男がものすごい形相で磔にされているという図には、子供心に恐ろしい印象を与えられた。それと、恐ろしく大きな木の幹をスライスしたものがあり、年輪のところに起きた事件などを書いたものがあった。他にも甲冑や鉄砲があったはずだがよく憶えていない。
その後は2回くらい行っているが、いずれも奥三河に行く途中ついでに寄ったという程度で、あまり詳しくは見ていない。しかも資料館は休みで入れなかった。
ただし、城の遺構自体は比較的詳しく見た。駐車場の方向から見るとそれほど要害の地という感じはせず、かなり平坦な地形である。中に入ると深い空堀が残っていて、いかにも城跡だという感じがする。また、城の一角が小高くなっていて(現在はその上に稲荷神社があったと思う)、指揮所の存在を思わせる。
しかし長篠城の一番の見所は、背後の川に接した面であろう。すなわち城があるのは豊川と宇連川の合流する三角地帯で、しかも非常に高い断崖の上である。今は木が生い茂っていてあまり眺望がきかないが、それでも下を見おろすと目もくらむような高さで、武田軍が布陣していたという対岸の山地も見ることができる。この方向から攻撃することは困難である。
また鳥居強右衛門が救援を求めるために城を脱出した時もこの断崖を降りていったはずである。恐らくは暗夜、この急峻ながけを降り、しかも厳重な武田軍の警戒を突破したときの強右衛門の心境は悲壮なものであっただろう。確かに、昔は「壮士」と呼ぶべき人物がいたのである。
古戦場は城から離れていて、しかも織田信長や武田勝頼の本陣跡は互いに遠く隔たっているので、もし長篠合戦の跡を見てまわろうとするなら車が必要だろう。武田軍の幹部将校の墓など、関連した遺跡も多いはずである。
(99.11.21)
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