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 読み物   業務日誌

 1都6県に800Km余の路線網をもち、 従業員数23,000人の大企業という設定の遠坂鉄道も、 実際には私一人で社長職から末端の雑用までこなさなければならず、 日々苦悩は尽きません。
 ここでは、遠坂鉄道の経営に臨んで私が感じたこと・考えたこと・悩み・ ふと閃いたくだらないアイデアなど業務に関することを中心に、 それ以外の事柄についても広く思いつくままに綴っていきたいと思います。
 なお更新は不定期になると思いますが、どうぞお許しください。


最新の日誌
[No.0040] 平成13年6月2日(土) 「ペーパークラフト」

 4ヶ月も更新しないとは・・・。「日誌」はおろか、そろそろ「月報」と呼ぶのにも抵抗を感じるようになってきたこのコーナーですが、どうぞよろしくお願いします(苦笑)。

 今日、駅で東武鉄道の広報誌「マンスリーとーぶ」の6月号を手にしました。「沿線ショートストーリー」時代から高橋克典さんの連載が好きで、毎号楽しみにしているのです。「三谷幸喜さんのインタビューも面白そうだな・・・」と思いつつも、今連載中の【とても長くて、短いものがたり】の続きが気になって、今回もそのページを真っ先に開きました。

 いつものように連載を読み終え、ナンとも言い難い不思議な気持ちになりながら、「さて、他の記事を・・・」とあらためて表紙をめくると、「今月のペーパークラフトは1800系です」の文字に気付きました。
 東武鉄道の公式ホームページ「TOBU LAND」の中にあるマンスリーとーぶのコーナーでは、毎月交代で新旧様々な東武電車のペーパークラフトがダウンロードできるようになっているのです(※1800系のペーパークラフトは平成13年6月限りです。お早めに・・・)。
 1800系の大ファンである私としては、これは気になります。帰宅するとすぐに、パソコンをインターネットにつないでダウンロードしました。

 さて、ダウンロードが終わって、パソコンの画面に展開した“1800系”を見て思わず絶句してしまいました。
 「子どものおもちゃだ・・・」

 とは言え、やはりあの赤い車体を見ているとワクワクしてきます。よく見ると、イイ顔をしているではありませんか。幾分曲がって引かれた窓枠なども愛嬌のうちです。早速、組み立てることにしました。

 プリンターから少しずつ姿を現わすイチハチを、じれったく思いながら待ちます。最初にフロントマスクが姿を現しました。「前面ガラスの隅に桟の残るタイプ」・・・かなりデフォルメしていますが、モデルは原型車の1815Fのようです。
 「1815Fファンの友人Hが喜ぶだろうな」
と思いながら、1819Fをこよなく愛する私自身はちょっぴり不満です。

 「そうだ!1819Fに改造しよう」
 そう思いつくまでに、たいして時間はかかりませんでした。早速、お絵描きソフトで先程の1815Fに手を加えます。

 前面ガラスの桟は消してパノラミックウィンドウに。ライトも角型にして、側面に行先表示器を取り付けます。車端部には1819F独特の縦長楕円形のトイレ窓を付け、ついでに歪んだ窓枠や白帯の塗り分けラインも新たに引き直します。屋根上のクーラも形を変えなければなりません。
 でも、何よりも大工事だったのが、台車の履き替えです。オリジナルはFS-356(T車だからFS-056か)に似ても似つかぬ無骨な台車を履いていましたが、1819Fの真髄はナンと言ってもスマートさ。角型ライトでスマートな車体に似合うのは、やはりスマートなFS-529A(T車だからFS-029A)しかないでしょう。

 FS-529Aは、私のもっとも好きな台車なので、遠坂鉄道の優等車にも多用しています。以前、車両の図面を引いていたときに散々描いた形なので手馴れたもの。フンフンと鼻歌交じりで描き替えていきます。台車の履き替わった1819Fは、どうです? すっかり見違えたでしょう。
 最後の仕上げに、ヘッドマークを「急行りょうもう」から「団体専用」に差し替えて、お色直しは完成です。

 いつになく興奮しながら車体を組み立てると、やはりイチハチはよいものです。デフォルメした滑稽さも手伝って、見ていると思わず頬が緩みます。
 が、しかし、よく見ると先頭車なのにパンタグラフのパーツが付いていて、屋根上に取り付け位置まで記してあるではありませんか! これには思わず顔を顰めてしまいました。

 乗りかかったイチハチ・・・じゃなかった、乗りかかった船だ。よぉし、こうなったら、中間車も全部作ってやる!と一瞬思いかけましたが、さすがにアホらしくなってこれはやめにしました。明日も撮影で朝が早いので、そろそろ寝るとしますか・・・。

[No.0039] 平成13年2月1日(木) 「200系10周年」

 久しぶりに日誌を更新します。今日は思い出話を少々・・・。

 今日・平成13年2月1日は、東武鉄道の200系「りょうもう号」が就役してから、丁度10周年なのです。あれから10年とは・・・まったくもって、月日の経つのは早いものです。

 10年前のあの日、200系営業開始一番列車となる「りょうもう6号」に、高校の授業をサボって始発の赤城駅から勇躍乗り込んだ日のことを、つい昨日のことのように思い出します。編成は当時、まだ201Fと202Fの2本しか到着しておらず、「りょうもう6号」にはこのうち202Fが充当されました。「1号車(モハ202-6)8番シート」と、乗車した席番まで鮮明に覚えています。

 沿線では道行く人々、ホームやすれ違う列車の乗客たちが一斉にこちらを振り向き、優越感にも似た快感を味わったこと、終点の浅草では出発式の準備でホームが飾り付けられていたこと、帰りの「りょうもう7号」の車内で記念品が配られたことなどが、懐かしく思い出されます。

 浅草まで1往復の“試乗”を終え、授業の始まっている教室へ「すみません、寝坊して・・・」と小さくなりながら入っていくと、担任のS先生の開口一番のセリフがこれです。
「遠坂! 新しい『りょうもう号』の乗り心地はどうだった?」

 さすがは担任! 生徒の行動をよく把握しておられました(苦笑)。

 あれから10年。2編成だった200系も10編成にまで勢力を拡大し、今や「りょうもう号」のすべてを取り仕切るまでになりました。また、急行から特急への格上げと、「りょうもう号」自体も大きく変化したこの10年間でした。
 私にとっては愛しいイチハチ型へ手前、200系への思いは好意一辺倒ではなく些か複雑ですが、郷土を代表する列車として、今後も末永く見守ってゆきたい存在に変わりはありません。

 以上、就役10周年を迎えた200系の思い出話でした。




業務日誌バックナンバー

 ここでは、過去の業務日誌をご覧頂きます。なお、スペースの都合により、掲載は主要なモノに限らせて頂きました。ダイジェスト版としてご覧ください。

平成12年
 [No.0038]  12月14日(木) 「12.12.12.」
 [No.0037]  11月28日(火) 「悲しき急行列車」
 [No.0036]  11月16日(木) 「新田町線迂回」
 [No.0035]  10月11日(水) 「サイトのリニューアル」
 [No.0034]  3月10日(金) 「新幹線列車食堂の廃止に思う」
 [No.0033]  3月5日(日) 「経営研究会」
 [No.0030]  2月11日(金) 「晴れときどき曇り」
 [No.0025]  1月5日(水) 「乗り初め」
 [No.0024]  1月1日(土) 「撮り初め」

平成11年
 [No.0020]  11月28日(日) 「車両デザイン」
 [No.0017]  11月2日(火) 「迂回運転」
 [No.0013]  9月21日(火) 「オーロラエクスプレス、西暦2000年問題」
 [No.0011]  9月17日(金) 「あんそく鉄道・瀧川 聡氏を偲ぶ」
 [No.0009]  8月31日(火) 「回想・板谷峠の夏」
 [No.0007]  8月25日(水) 「碓氷峠鉄道文化むら」
 [No.0003]  7月26日(月) 「林間学校」
 [No.0001]  7月24日(土) 「日誌開設」


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