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 このページは、遠坂鉄道業務日誌のバックナンバーです。ここにはNo.0001,0003,0007,0009を収録しました。他のバックナンバーと最新の業務日誌はこちらをご覧ください。

業務日誌バックナンバー
[No.0001] 平成11年7月24日(土) 「日誌開設」

 本日から「業務日誌」をつけることになりました。できれば毎日つけたいものですが、 ネタ、手間双方の見地から言ってそれはムリであることは明らかですので、 せめて1週間に1度くらいのペースで定期更新を目指したいと思います。
 もっとも、初めのうちは面白くて毎日更新したりするかもしれませんが。


[No.0003] 平成11年7月26日(月) 「林間学校」

diary0003.jpg  ついにやりました! 今シーズン初のヘッドマーク付き「林間学校号」の運転です。
 これだけでは“?”の人も多いでしょうから解説させていただきますと、 東武日光線に毎年この時期に運転される小学生の移動教室用臨時電車・・・通称・林間学校・・・に この夏初めて8000型未更新車が使用され、 その前頭部を今や希少価値となったヘッドマークが飾ったのでした。
 この臨時電車運用には8000・10000・30000型が共通して使用されるのですが、 方向幕に「団体専用・林間学校」の用意されていない8000型未更新車が運用された場合のみ、 先頭車貫通扉のサボ受けに合わせて作られた専用のヘッドマーク「快速・林間学校」が装着されるのです。10000型や8000型更新車は、方向幕に「団体専用・林間学校」が用意されているのでヘッドマークを付ける必要はありませんし、また、付けたくてもサボ受けがないので付けられないのです。
 写真撮影の見地から言えば、やはりヘッドマークの付いた8000型未更新車の林間学校号が一番“Photogenic”なわけで、今シーズンの運転が始まってからずっと監視していましたが、 8000型未更新車が運用に入ったのは今日が始めてなのです。 今日は天気も上々で、林間学校号の勇姿を存分にカメラへ収め、満足の帰宅であります。

 さて映像事業部の話題はここまで。ここからは鉄道事業本部の話題に移りたいと思います。
 この林間学校号を見ていて思ったのですが、わが遠坂鉄道でも、 このような団体列車を運転してみたくなりました。 もちろん、特大のヘッドマークをつけて・・・。
 考えられる最も現実的な行先は、東武線と同じ日光。 現実界でもJR日光線経由で神奈川方面から集約臨が運転されています。 でもそれでは芸がありません。
 そこで考えたのが、自分が中学時代にお世話になった榛名の高原学校。 あれって多分群馬県の施設でしょうから県外の児童・生徒が使用することはないのでしょうけれど、 そこはそれ架空鉄道のよいところで、勝手に東京都下の学校も利用できることにしてしまいましょう。または、東京都の施設が榛名にあるという想定でもよいですね。
 次に決めるのは運転区間。降車駅は渋川にしてそこからバスとなります。 乗車駅は、最近重層化が完成して臨時列車の発着も可能になった東京駅でもよいのですが、 何せ都心は子どもの数が減っているのであまり現実的ではありません。 ということで、少しでも子どものいそうな東京西部を目指して池袋発着ということにいたします。 豊島区立の各小学校が交代で高原学校に行く、という設定です。
 将来、TAKO電鉄線との相互乗り入れが実現したときは、 同線へ乗り入れて多摩地区の小学生を根こそぎ高原学校へつれて行ってしまいましょう。
 さてダイヤですが、高原学校は2泊3日ということなので、 初日の朝はゆっくりと9時過ぎの出発とします。 宇都宮線・池袋駅のホーム使用状況から逆算して、9時40分発がよいようです。大宮10時05分着、 同09分発。大宮からは太田線の急行線に入り快速運転。 この臨時列車のスジは、今春から運転を開始した東京−長野原間直通の特別快速のスジと サイクル上で丁度30分ズレた位置にあるので、 これを利用して特別快速と同じダイヤで走って行きます。 桶川で先行の905H・快速桐生行を追い越し、熊谷で1分運転停車。 熊谷からは高崎線へ入り、深谷で先行の快速前橋行を時変をかけて待避させて追い抜きます。 高崎11時03分着・同04分発。新前橋から吾妻線になり、終点・渋川には11時22分に到着します。
 最後に使用車両ですが、 団体専用車両ではなく、 東武の林間学校号に倣って通勤車両の間合い運用で走らせてみたいと思います。 となれば、俄然使ってみたい車両は最新鋭の8000系。 スマートなマスクに「快速・高原学校」のヘッドマークをつけてみたいです。 おでこのLEDには「9833M・団体専用」を表示します。

 こうして準備の整った「高原学校号」。 平成○○年7月20日、高原学校に出発する小学生の第1陣の待つ池袋駅に 8000系第9編成の8109Fが颯爽と入線。 特注で用意された特大のヘッドマークが、 駅員の手で今まさに電車の前頭部に取り付けられようとしたそのとき・・・。
 「あっ、サボ受けがない・・・」


[No.0007] 平成11年8月25日(水) 「碓氷峠鉄道文化むら」

 日曜日(22日)に大学時代の先輩で石巻市在住のAさんが来群し、 Aさんのリクエストで信越本線・横川駅に隣接して今春オープンした 「碓氷峠鉄道文化むら」へ行ってきました。
 信越本線・横川〜軽井沢間の廃止により役目を終えたEF63形電気機関車が 現役時代そのままの姿で保存され、 また、園内をところ狭しと走り回る2フィートゲージSL、ミニSLなど、 展示および利用施設には随分と費用がかかっているように思われました。
 夏休み中の日曜とあってか、会場は親子連れで賑わっていましたが、 果たしていつまでこの盛況が続くだろうか・・・とふと疑問に思いました。 私自身は、残念ながらもう一度訪れたいと思う施設ではなかったからです。
 世の観光客たちの興味は次々と移り変わっていきます。 開園当時、あれだけ賑わった栃木県にある某電鉄系テーマパークも、 現在は営業すればするほど赤字だという話を聞きます。
 開園10周年を過ぎてもまだなお好調な浦安にある某ランドのように、 観客の関心を引き続けるためには常に新しい施設を提供し続けなければならず、 とても大変なことです。

 さて、遠坂鉄道の存在する架空鉄道の世界では、 碓氷峠の鉄路は当社とも関係の深い関北電鉄の尽力によって守られていますが、 こんな立派な施設を作り維持していくだけの財力が地元自治体にあったのなら、 どうして廃止が決まる前に鉄路の存続をもっと真剣に考え、 関係各所に働きかけていくための糧にできなかったのかと、 同じ群馬県民としては悔やまれてなりません。
 帰りに、旧丸山変電所跡へと続く線路を辿ってみました。 峠へ向けて真っ直ぐに伸びるレールは、 表面に赤く錆が浮いてはいるもののほとんどが当時のまま残されており、 目をつむると電気機関車に後押しされた関北特急が、 今にも姿を現しそうな気がいたしました。
 所詮、私たち小市民には、空想の世界で碓氷峠の鉄路の存続を夢見ることぐらいしか できないものなのでしょうか・・・。

 一方、廃止された鉄道の代わりに運転を始めた代替バスは、 その小回りさが利いてかなかなか好調のようです。
 運転開始当時(1997年10月)は7往復/1日でしたが、現在(1999年8月)では平日10往復、 土曜・休日は12.5往復にまで増便されました。
 先日訪れたときには、途中の第3碓氷橋梁(通称:めがね橋)までの区間運転も行われているようで、 こういう柔軟な対応はバスならではの施策だと感心したものです。
 自動車ゆえに安全性・定時性にまったく問題がないわけではありませんが、 廃止前の信越本線の、碓氷峠区間の普通列車の運転本数が7本/日だったことを考えると、 峠区間のみの利用者にとってはバス転換”さまさま”といった感じで、 鉄路廃止の是非は人それぞれのようです。


[No.0009] 平成11年8月31日(火) 「回想・板谷峠の夏」

 8月もとうとう今日で最後になってしまいました。 いやあ、月日が経つのは本当に早いものです。あれからもう9年・・・。

 毎年この時期になると、私は9年前のあの、 暑かった奥羽本線・板谷峠のスイッチバック最後の夏を思い出します。
 今でこそ400系新幹線電車が颯爽と行き交う板谷峠ですが、 つい10年前まではEF71、ED78といった電気機関車が、 僅か2〜3両の50系客車を牽いて峠を上り下りしていたんだと思うと、 本当に時の流れの早さ感じます。

diary0009-1.jpg  私の手元に1本のVTRがあります。 株式会社ジェイアール東日本企画から発売されている「列車通り」という運転室展望ビデオです。
 この「列車通り」のシリーズの第25巻に、 晩年の板谷峠のスイッチバック式運転形態を記録した映像が収められており、 1990年8月30日に運転された臨時列車「お別れスイッチバック号」(EF71+ED78+12系客車6両)の 先頭機関車の運転室にビデオカメラを取り付けて、 福島から米沢まで前方の風景をノー・カットで収録しているのです。
 このVTRの始めには、地上から撮影した同列車の走行シーンがあり、 この部分がBGMと合わせて私のお気に入りで、 毎年8月の終りになるとテープを引っ張り出してきては、 暑く、熱かったあの夏のことを思い出しながら鑑賞するのです。

 「お別れスイッチバック号」が名物・峠の力餅で有名な峠駅にさしかかると、 ホームに溢れんばかりに集まった人だかりから一斉にフラッシュが焚かれ、 人煙まれな山間の小駅は、一瞬感動のるつぼと化します。
 続いてEF71に牽かれた2両の50系普通列車が入線し、 こちらも車内は満員。 僅か1分足らずの停車時間というのに、写真を撮る人、 力餅を買い求める人と、スイッチバックへの別れを惜しむ人々の熱気でホームは一杯になります。

diary0009-2.jpg  あれから9年。ホームを一杯に埋めた人たちの姿はもうなく、 赤岩・板谷・峠・大沢の4駅連続スイッチバックの各駅は、 今年も静かな夏を過ごしたことでしょう。まるであの“騒ぎ”が夢の中の出来事であったかのように・・・。
 でも私は、確かにこの目で見てきました。 あの時あの場所には幻ではなく、本当に多くの人々が集まったのです。
 スピードも遅く冷房もない、技術的にも機関車が客車を牽くという旧態依然とした 何の変哲もない輸送形態を、 あれだけ多くの人たちが愛し、別れを惜しんで集まったことは紛れもない事実なのです。
 華やかで目を見張る最新技術でなくとも、 脚光も浴びず、ただ黙々と走り続けた彼らのような堅実な姿が、 時として多くの人々の心を動かすこともあるのだと、感じさせられたシーンでした。

 さて9年後の今、机に向かって方眼紙に定規と鉛筆を当てているとき、 当社・尾瀬線は急勾配・スイッチバック式停車場などその運転の特殊性から、 ついつい板谷峠のあのシーンにその思いを重ねてしまいます。
 当社がもし、現在の輸送形態を廃止・または変えようとするとき、 あれだけ多くの人たちが集い、そして別れを惜しんでくれるでしょうか・・・。 そんな思いが念頭をかすめた、夏の終りの一日でした。



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