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 このページは、遠坂鉄道業務日誌のバックナンバーです。ここにはNo.0024,0025,0030,0033を収録しました。他のバックナンバーと最新の業務日誌はこちらをご覧ください。

業務日誌バックナンバー
[No.0024] 平成12年1月1日(土) 「撮り初め」

 1999.12.25 東武日光線・静和−藤岡
 別に、忘年会で飲みすぎた、というわけではないのですが、 暮れの30日頃から胃の調子が悪く、年末は終日臥せっておりました。
 本日、めでたく西暦2000年を迎えたわけですが、 体の方はまだ本調子ではなく、 “撮り初め”に行こうかどうしようかと迷っていたところ、 朝方に写真仲間から
「土休335運用に前パンが入っているよ」
と連絡が入り、 渋々出かけることにしました。
 “前パン”というのは、 東武10000型の2両固定車のみを3本つないだ編成が、 Mc車の2丁備えたパンタグラフを 先頭に振りかざして走る列車のことで、 近年は運用の都合上、 土休日の限られた運用でしか見られなくなっています。
 いくら珍しい存在とは言っても、 所詮はステンレス通勤車の10000型。 わくわくするような被写体ではありません。
 ただ、11200(11250を含む)形を撮るには、 この前パン編成を組んだときしかチャンスがないわけで、 いつか全編成をカメラに収めようと目論む(本気か!?)当方としては、 撮れるときに撮っておかねば…という義務感で出かけて行きました。

 国道50号を東へ約1時間も走ると、目指す日光線が見えてきます。
 それにしても、よりによって撮り初めが10000型とは・・・。 去年の撮り納めははたして何だったかなと、 カメラのセットを終えて列車が来るまでの間、 撮影データを記したノートを繰ると、
「1999.12.25 サテ〜スギタ 2254列車 11265F先頭前パン」
の文字が・・・。こんなモノばかり撮っているとは、我ながら呆れます。

 思い起こせば去年の撮り初めは、 全日本実業団駅伝があることを忘れて、 コースより南の伊勢崎線・木崎付近へ早朝に出かけてしまい、 昼前、コースより北にある我が家へ戻ろうとしたところ、 交通規制によりことごとく帰路を絶たれ、 難渋しました。
 今年はこれに懲りて、 駅伝のコースである県道2号線には近づくまいと思っていましたが、 だからと言って正月早々から10000型なんぞを狙ることになろうとは、 まさか思いもしませんでした。

 さて、ようやく時間が来て、前パンがやって来ました。先頭は11256Fです。
 背景はすっきりしたところを選び、少しローアングルで前パンを強調。 架線柱やビームにパンタがかからないように・・・と、 ここまで気を使って待ったのに、 後ろからイヤな音が近づいてきます。 浅草発9時30分の9列車、スペーシア・けごん9号です。
「うそっ! なんで? 先週のこの時間はかぶらなかったのに・・・」
と、ここまで1秒。
「だいたいコレ、9列車でしょ?  なんで9レが走っているの? 9レはB期間、ウヤでしょ!」
と、もう1秒。
「あっ!、正月は4日間だけA期間か。元旦なんぞに撮りに来るから・・・」
と、ここまでさらにもう1秒。
 タイミングの良い(?)ことに、私の構えた正にその位置で、 両列車は轟音をたててすれ違っていきました。
 後は虚しく、足取りも重く帰るだけです。

 家に着くと、 ちょうど実業団駅伝のトップ走者のゴールの瞬間を、 居間のテレビが映し出していました。


[No.0025] 平成12年1月5日(水) 「乗り初め」

 今日(5日)は旅心を誘われて、久しぶりに東武18型電車の乗客となりました。
 今回はその報告で、少々長いです。ご了承ください。

 東武鉄道では毎年正月に、成田山参詣客を対象とした団体を沿線各駅で募集しており、 出発駅から伊勢崎線・牛田駅までは東武の臨時電車、 牛田から京成関屋まで徒歩連絡のうえ、 京成関屋から京成成田まで京成の臨時電車、 という行程です。
 このうち東武線内の臨電については、伊勢崎線関係各駅からの列車に限り、 昨年から1819Fが使用されています。

 1819Fを使用する団体は、この成田山参詣団体の他にもあるのですが、 大抵は東京・埼玉南部地区発の温泉旅行で行程も2泊3日と長く、 宿代込みで結構値が張るため、 1819Fの乗車だけが目的で参加するには少々不向きなのです。
 そこへいくと今回の成田山参詣団体は、 日帰りだし料金も\4,000弱と手頃。 出発地が群馬・栃木・埼玉北部であるのも好都合です。

 そんなわけで、兼ねてから1819Fに乗るなら”成田臨”と 目星はつけていたのですが、 旅行目的が目的だけに参加客層が年配者中心で、 変な”鉄道マニア”が一人で紛れ込むのは どうにも具合が悪いなァ・・・という懸念もありました。
 ただ、聞いた話によると、この成田臨も年々参加者が減っており、 このままだといつまで存続するか分からない、 というような噂もあるようです。
 「もしかしたら来年はないかもよ」
と半分脅かされて、今回乗車を決意しました。 幸い、旅行好きの友人Hが同行してくれることになり、 車中で一人、浮いた存在になるのだけは回避できました。

 平成12年1月5日。年が明けてから列車に乗るのはこれが初めてなので、 さながら「乗り初め」なわけですが、 乗り初めが1819Fとはいかにも縁起がイイ。 元旦の不吉さを、補ってもまだ余りありそうです。

 さて、定刻7時55分、太田駅に颯爽と入線してきた1819F。 僅か2分ほどの停車時間なので他の団体客と慌しく乗り込むと、 上着を脱ぐ間もなく発車。 グングンとスピードが上がるにつれて、 懐かしいTM-63型モータの唸りが聞えてきます。
 興奮も冷めやらぬまま、腰を下ろして改めて車内を見渡すと、 枕カバーこそないものの昔と同じ黄褐色のシートが並んでいます。 白系統の明るい室内、落ち着いた雰囲気、客室扉のオレンジの色ガラスまで、 何もかもが”あのとき”のままです。懐かしい・・・。

 平成10年3月31日。1819F使用の最後の急行りょうもうに乗ってから、 早くも2年近くが経過しました。 あれからもう2年。まだ2年。いろいろな言い方が出来ますが、 その間、私にも1819Fにもいろいろなことがありました。 それを乗り越えて、今こうして再会できたということは、 非常に嬉しいことであり、感無量です。
 今回の団体旅行に申し込んで、本当によかったと思います。

 館林では7分程停車し、ドアも開くので先頭車の前で記念撮影です。 ホームを1本隔てた駅西側の側線には、1811Fをはじめ3本の18型が 役目を終えて静かに眠っています。その色褪せた姿と言ったら・・・。 かつての鮮やかな赤い塗装の面影はなく、ピンク色すら通り越しています。 それも薄汚れて、ところどころペンキも剥げかけています。
 やはり、鉄道車両は走っていてナンボのもの。 アアならなくてよかったネと、思わず1819Fの車体を撫でてやりたくなります。

 館林の先、茂林寺前〜川俣間では写友がこの列車を撮影している筈なので、 デッキに立って手を振ります。 他にも沿線にちらほら、この1819Fを撮影しているファンらしき人の姿が目に付きました。
 いつもなら私も確実にあちらの組なのですが、 今日は悠々と車窓から彼らを眺めています。
 いやあ、なかなかいい気分です。

 牛田から京成関屋へ移動し、京成の臨電で成田へ。 京成車は味気ないロングシートの3400形でしたが、 空いているのをいいことに運転席の後ろを占領して、 久しぶりに見る京成沿線の風景を存分に楽しみました。

 また、途中の京成佐倉では 後続のスカイライナーに抜かれるため5分ほど停車をしましたが、 この待避時間を利用して、 佐倉市在住の信州ふれあい鉄道・原山氏がホームで出迎えてくれました。
 もちろん、団体列車ですから時刻表に載っているわけでもなく、 京成佐倉で待避があることも私には分からなかったのですが、 氏はこの臨電の京成成田着の時刻と前後の定期列車の時刻、 それに各駅の構内配線から推測して、京成佐倉で待避があるに違いないと 確信したそうです。

 果たせるかな、京成佐倉駅の手前で場内信号機が見えて来ると、 下り副本線が注意(黄色)を現示しているではありませんか。
 ドアこそ開かないものの、窓を一杯に開けて出迎えの謝辞を述べ、 わずか5分程でしたが近況報告をしたりと、楽しいひとときを過ごせました。 まるで、私たちのために停車してくれたようで、ちょっと得した気分です。

 成田では2時間半ほど自由時間があり、 その間に各自で成田山に参拝するようになっています。
 他の団体客らと共に参道を歩き、 土産物屋などを冷やかしながら参拝を終えて戻ってくると、 もう午後1時近く。 駅近くの食堂で昼食を済ませると、 まもなく帰りの電車の発車時刻です。

 帰りの車中は、歩き疲れたのとお腹がきつくなったのとで眠気を催し、 1両貸切なのをよいことに少々無作法ではありましたが、 ロングシートを寝台代わりにして横になりました。
 気がつくと列車は市川真間に停車しており、 待避線に入って後続の特急・上野行に道を譲っていました。

 ここ市川真間は、学生時代にお世話になったH先輩の実家の最寄駅で、 寝ぼけた頭でボンヤリとそんなことを考えていると、 続けて上野行のスカイライナーが通過していき、 まもなくこの列車も動き出しました。

 荒川を渡って京成関屋着。団体一行はそのまま東武線に乗り換えて浅草へ向かいますが、 帰りの1819Fの発車までには少し時間があるので、 私たちは牛田の駅前で一行から離脱し、 一杯お茶を飲んでから浅草へ向かいました。

 夕暮れのせまる浅草駅3番線を16時36分に発車。 北千住で後続のりょうもう号に追い抜かれる頃、 車窓はすっかり日が暮れて、街の明かりだけを映しています。
 往路はあまり車内を検分できなかったので復路ではじっくり見てやろうと、 車内が落ち着いた頃を見計らって席を立ちました。 途中、空いている席を見つけて腰を下ろし、 一人静かに車窓を眺めていると、 朝早かったためか、ついウトウトと居眠りがでます。
 1819Fの旅が退屈だからではありません。 むしろ、安心して乗っていられる存在だからこそ、 居眠りがでるのでしょう。座席の固さ、肘掛の高さ、適度な揺れ具合、 心地よいレールサウンド・・・。
 身体全体でなつかしい乗り心地を満喫したようです。
 気がつくと列車は加須を通過していました。
 自席へ戻ると、列車はまもなく利根川を渡って館林へと到着します。

 館林到着18時13分、発車34分。21分もの停車時間の間に、 後から来るりょうもう号と準急電車の2本に道を譲るわけですが、 いくら遅い臨時電車と言えども、少し長く停まり過ぎのような気もします。
 ちなみに、館林で先発の準急電車に乗り換えれば、 このまま1819Fに乗り通すより先に太田へ到着します。 現に添乗員さんからそのような説明がなされると、 何人かの乗客が降り支度を始めました。
 「でも、成田山へ参詣に出かけるような年配者は、 概して旅路を急がないもの。乗り換えも厭うだろうし、 早く帰りたい何人かは乗り換えるだろうが、 大方はこのまま車中に留まるだろう。 若干空くのは結構、結構。 えっ? 私たち? むろん、私たちは最後まで乗っていきますよ」
と内心思っていると、 館林の到着と同時に車内の乗客が一斉に席を立ちました。
 ひとしきりのざわめきの後に車内を見渡すと、 残っているのは私たち2人だけ。 空になった角瓶が、 主のいなくなった席に虚しく佇んでいました。

 2000. 1. 5 浅草にて
 さて、こうして体験してきました「平成12年成田山参詣団体」ですが、 総じて言えば、参加してよかったと思います。
 1819Fに久しぶりに乗車できたことはもちろんですが、 普段は東武線内、それも電車の外観にしか目を向けずに撮影をしておりましたが、 撮影対象とする1819Fが一翼を担っている団体旅行の全体像を伺い知ることが出来ましたし、 車中でしか見ることの出来ない1819Fの別の”顔”にも触れることができました。
 今回の体験を活かし、今後はまた違った視点から、 団体列車・1819Fを記録してゆきたいと思っています。


[No.0030] 平成12年2月11日(金) 「晴れときどき曇り」

 最近、天気は晴れなのに、なぜか失撮が続いています。

1月某日、福居〜県間、2532列車、81119F+8559F 通過前後2分間曇り
2月某日、福居〜県間、2308列車、8527F+8539F+8543F、通過前後1分間曇り
2月某日、細谷〜木崎間、2305列車、81108F+8566F、通過前後3分間曇り

 鉄道写真を撮られる方なら経験がおありかと思いますが、 一面青空なのにお目当ての列車が通るときになると、 どこからかともなく小さな雲が沸いてきて太陽を覆い隠す、アレです。
 それも、あちこちに雲があってときどき日が陰る天候ならまだしも、 雲一つない青空なのに、なぜか太陽のところにだけ小さな雲が沸くのですよね〜。 上か下にほんの少しズレてくれれば問題ないのに、 この広い天空上で、どうやったらあんな小さい雲と太陽がうまく重なるのかと まったく不思議に思うくらい、タイミングよく列車と一緒にやってきて、 太陽の前を横切っていくのです。 まるで誰かがどこかで操作しているかのようです。

 撮影者のリクエストに応じて何度でもポーズをとってくれる人物写真や、 被写体が動かず好みの光線状態を待てる風景写真とは違い、 1日にたった1回きりのシャッターチャンスを狙う鉄道写真では、 片道数時間かけて苦労して撮影地へ出向いても、 ほんの一瞬の曇りのせいでその日の努力はすべて無に帰します。 そうなれば、あとは足取りも重く家路に就くだけです。
 そんなとき、帰りの車中で聞くラジオの天気予報は決まって、 「今日は雲一つない快晴でした」と告げています。

 「な〜にが快晴だよ、雲はあったぞ!  今日は快晴じゃなくて『曇り』。誰が何と言おうと『曇り』。 最初から『曇り』と予報してくれれば、撮りになんか来なかったのに・・・」と、 つい愚痴の一つも出てしまいます。

 そもそも気象学的に言う「晴れ」とはどんなものなのでしょうか。
 事典で調べると、空を覆う雲の量が2割以上8割以下の場合を「晴れ」と言い、 雲の量がそれ以下ならば「快晴」、それ以上なら「曇り」と決めているようです。
 私たち鉄道写真愛好家にしてみれば、一瞬のシャッターチャンスを切り取る その大切な瞬間に、たとえ一瞬でも曇ってしまえば、 いくら気象学的に「今日は晴れ」と言われても、 本能的に納得できないものなのです。

 そこで、鉄道写真学的に見た、私流「天気の種類」なるものを考えてみました。 ここ何回かの失撮の恨み辛みが混じっており、幾分辛口な評価ですがご笑覧ください。

鉄道写真学的天気の種類
快 晴 真っ青な空で雲一つない天候。一瞬でも日が陰ることがあれば快晴とは言わない。
晴 れ 風が弱く、空が少し白く濁った天候。もちろん雲は1片たりともあってはいけない。
晴れ時々曇り 晴れてはいるがところどころに雲があり、たまに日が陰る天候。 ただし、列車通過時には日が射していることが条件。
曇り時々晴れ 一面雲に覆われているが、ところどころに隙間があり時折日が射す天候で、 お目当ての列車の通過時に日が射した場合。
晴れのち曇り お目当ての列車が午前中で、無事に撮影できたあとに曇る天候。
曇りのち晴れ お目当ての列車が午後で、それまでに雲が晴れる天候。
曇 り 雲の量に関わらず、お目当ての列車の通過時に陽射しがない天候は、 すべて曇りである。
“鉄”はお休みである。

 いろいろと勝手なことを書いてだいぶすっきりしましたが、 ココ一番で曇られるとやはり虚しいもの・・・。 あ々、砂漠でも月でもどこでもいいから、 雲のないところで写真は撮りたいものです(笑)。


[No.0033] 平成12年3月5日(日) 「経営研究会」

 3月4〜5日に学生時代の鉄研のOB会が山形県の肘折温泉であり、 このOB会に山形大学鉄道経営研究会の面々も集まることから、 完成したばかりの機関誌「Anti E」第6号を持って出かけてきました。

 在学中は何度か会員一同が集まり、機関誌の発行や研究会を開いていましたが、 卒業して会員が離散して以来、なかなか一同に会しての活動が出来ませんでした。
 今回、久々に一同が揃ったことと機関誌が発行できたことで、 約4年ぶりの研究会開催となりました。 発行された機関誌の内容確認のほかは取り立てて研究会らしい活動はありませんでしたが、 余興でゲームをしたりと久しぶりの会合は楽しいひとときでした。

 
雪の肘折にて記念撮影(左)と 機関誌「Anti E」第6号の表紙

 一方でこの4年間には、悲しい出来事もありました。
 昨年9月の当欄に書きましたとおり、 私たちのかけがえのない仲間であるあんそく鉄道の瀧川 聡氏がお亡くなりになり、 彼の姿を研究会で見られなくなってしまったことは大変残念です。

 しかし、今号の機関誌の編集者であった彼の遺業を継いで、 無事に機関誌の発行を果たせたことにより、 彼の死を悼む気持ちの上でも一つの区切りがついたように思います。

 今後は天界から、架空鉄道界の発展を見守ってくださると信じて、 当会の活動を盛り立てていきたいと思います。



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