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今回は故宮へ皆さんをご案内致します。ここは“外朝”(皇帝が政務を司ったり儀式を行なったりする所。これに対して、皇帝が日常生活をしていた所は“内廷”と言う。)の入り口、午門です。ここで切符を買って中に入るのですが、ガイドさんが切符を買いに行っている間に観光客が物売りに捕まるのもここ。

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上の午門から入って、太和門へ向かっているところ。兵隊さんも休みを利用しての観光でしょうか?

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こちらはカップルです。女性がミニスカートの下に分厚いタイツを穿いていたのが中国らしい。

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太和門です。泣く子も黙る太和殿はこの門をくぐったところ。いつも思うのですが、中国ではどこの観光地に行ってもパノラマが必須ですね。スケールが大きいですから。

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質問:この狛犬は雄でしょうか、雌でしょうか?
答え:雄。何故なら地球の上に足を乗せているから(向かって左の足)。雌は子供の上に足を置いている。

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故宮の案内図です。ちょっと見にくいかもしれませんが、大体の感じはつかんで頂けるでしょう。

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故宮の概要説明です。正しい、流暢な日本語で書かれているのが印象的でした。やれば出来るんですね。そう言えば、「毛沢東選集」には誤字脱字が一つもなく、「ケ小平選集」は誤字が一つだけあったそうです(多分その後修正されたでしょうが)。「江沢民選集」が出るとしたら、何文字間違いがあるのでしょうか?力関係が分かったりして。

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映画「ラストエンペラー」と言えば、ここ太和殿でのシーンが思い出されます。ここを見た後、もう一回「ラストエンペラー」を見直したという人も結構いるのではないでしょうか?典礼が行われる時は文武百官がここに並び、皇帝が出てくるのを待ったそうですが、さぞかし壮大な光景であったことでしょう。尚、ここの地面はかなり深い所まで煉瓦で埋め尽くされています。何故でしょう?・・・それは敵が穴を掘って攻めてくるのを皇帝が懼れたからだとか。中国の皇帝もなかなか大変でした。

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太和殿横の防火用水を溜める壷です。壷の下の台に四角形の穴がありますが、何故だかお分かりになりますか?聞く所によると、冬場は水が凍る為、ここから火を焚くのだそうです。「この壷にはもともと金泊が塗られていたのですが、1900年に“八国聯軍”が剣で削ぎ落として持ち帰りました。」ガイドさんの口から、そして案内用のテープから、毎日この場所で繰り返されている言葉です。

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太和殿の後ろにある、中和殿です。

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明の永楽十八年(1420年)に立てられたが、その後三度火災に遭い、天啓七年に再建されたものが現在残っている。最初は華蓋殿と呼ばれたが、嘉靖年間には中極殿と改名され、順治年間に現在の名前(中和殿)になった。太和殿で大きな式典が開かれる時、皇帝は太和殿へ行く前にここで休憩をしたり、大臣の挨拶を受けたりした。春に先農壇で祭事が行なわれる時には、皇帝は先ずここで種や農具を見て祭事の準備をした。 (先農とは人々に農耕を伝えたとされる伝説中の神様)

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中和殿の中を覗いてみました。

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次は保和殿に参りましょう。この保和殿と上記の太和殿、中和殿が故宮の中核を成す建築物で、合わせて“三大殿”と呼ばれています。

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保和殿:明の永楽十八年(1420年)建立。清朝乾隆年間再建。原名謹身殿。明嘉靖年間建極殿と改名し、清の順治年間に保和殿と称す。元々は毎年大晦日に皇帝が少数民族の王侯大臣を招く宴の会場であったが、乾隆後期には科挙の“殿試”の会場となった。“殿試”は科挙制度の最終試験で、三年ごとに行われた。合格者を“進士”と総称し、上位三名をそれぞれ“状元”、“榜眼”、“探花”と称す。

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保和殿の中です。

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それでは乾清宮に参ります。

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乾清宮:明の永楽十八年(1420年)建立。清朝嘉慶3年(1798年)再建。明代より清の康熙年間にかけて、皇帝の住居兼政務の場所であった。雍正帝の即位後寝所を養心殿に移し、内廷の儀式や官吏の謁見、外国使節の接見の場所となった。雍正帝以降、皇位継承者の名前を収めた小箱を乾清宮の“正大光明”の額の後ろに安置し、皇帝の死後、小箱を取出して指定された皇子を即位させる方式を採った。清代には崩御した皇帝を安置する場所でもあり、儀礼に則って供養した後、景山内の観徳殿に移し、最後に出棺して陵墓に埋葬した。

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これがその“正大光明”です。

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次は交泰殿に参ります。

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交泰殿:明永楽十八年(1420年)建設、清の嘉慶年間に再建された。元旦や誕生日に、皇后はここでお祝いの言葉を受けた。乾隆十三年(1748年)、乾隆皇帝が皇帝の象徴である二十五個の玉璽をここに収めて以来、印章の保管場所となった。

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交泰殿の内部。

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坤寧宮に参ります。

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坤寧宮は永楽十八年(1420年)建設。明の時代は皇后の寝室であった。崇禎帝が煤山で首を吊ると、皇后もこの中で首を吊って後を追った。清の時代に、この中の西暖閣(西の部屋)を神を祭る場所とし、東暖閣(東の部屋)を皇帝の婚礼を行なう場所とした。康熙、同治、光緒帝の婚礼はこの中で行われた。

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お疲れ様でした。本当はまだこの先に景山公園と言う、故宮を一望できる小高い丘があるのですが、今回は割愛させていただきます。皆さんが故宮にいらっしゃった時のお楽しみということで・・・。




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