2k 東宮門(57k)

今回は頤和園の写真を掲載します。

4k 頤和園の説明(54k)

頤和園は万寿山と昆明湖から成り、面積は約290ヘクタール、うち四分の三は水面が占める。園内の宮殿、庭園建築は三千室余。貴重な収蔵文物でも世界的に有名な博物館公園である。頤和園の前身は清い(さんずいに猗)園で、乾隆十五年(一七五〇年)建立。一八六〇年、英仏連合軍に焼討ちされ、一八八八年に西太后が海軍予算を流用して再建した際に頤和園の名を使い始めた。一九〇〇年、八カ国連合軍英仏連合軍に破壊され、一九〇二年に修復された。頤和園は世界的に有名な古典的皇室庭園として、第一次全国重点文物保護単位に指定された。頤和園は伝統的庭園芸術の集大成であり、高く聳える仏香閣を中心に山と湖が鮮やかなコントラストを織り成している。新中国建国後も修復を重ね、八十年代に入って仏香閣、徳和園を開放し、四大部洲と蘇州街等の区域を修復したので建物の色彩も鮮やかさを増し、自然の景観とあいまってこの世の天国と称えられる。

2k 仁寿殿の説明(37k)

元の名を勤政殿。乾隆十五年(一七五〇年)建立。咸豊十年(一八六〇年)、英仏連合軍に焼討ちされ、光緒十二 年(一八八六年)に再建の際、『論語』の“仁は寿なり”から仁寿殿と改名された。ここは西太后と光緒帝が頤和園滞在時に朝政を行う場所であり、二人の誕生日には王公大臣の祝辞を受け、盛大な祝宴を催した。光緒二八年(一九〇二年)以降、外国使節の接見の場所としても使われた。

3k 仁寿門(60k)

東宮門から入ると、銅の獅子が一対、その向こうに仁寿門があります。

2k 仁寿殿(57k)

瑞獣の麒麟の先に見えるのが仁寿殿です。建物の周りに配した金木犀と銀木犀がちょうど盛りで、甘い匂いが漂っていました。

4k 大圓宝鏡(53k) 

仁寿殿内の中央には慈禧(西太后)の使った宝座が有り、金屏風がそびえています。屏風の両脇に大きな鏡があるためか、慈禧(西太后)自筆の“大圓宝鏡”という扁額が懸かっています。(奥にある扁額も彼女の筆によるものです。)余談ですが慈禧(西太后)の書いた字は中国全土で見ることができ、きまって大きくて太くて丸みのある字体です。何となく男性的な字・・・そんな気がします。

4k 徳和園入り口(48k)

この先に下の大戯台があります。切符切りのおじさんが清の時代の格好をしていて面白かったので一枚撮ってみました。徳和園の中には慈禧(西太后)の身の回りの品を陳列している部屋があり、ドイツ製の香水、鏡、ブラシ、ナイフ、フォーク、ガラス製の燭台、花瓶、それから西太后の写真などを置いていました。結構見ごたえがあります。

4k 大戯台1(56k)

三階建てで高さが21メートルあるこの建物は、慈禧(西太后)の為に京劇が演じられた場所で、別名“京劇揺籃”と呼ばれていました。

4k 大戯台2(51k)

同上。

2k 長廊の説明(47k)

乾隆十五年(一七五〇年)建立の後英仏連合軍に破壊され、清の光緒十二年(一八八六年)に再建される。長廊の梁には人物、山水、花鳥等八千副余りの名画が描かれている。東の邀月門から西の石丈亭まで二百七十三間、全長728メートルに及ぶ。中間には留佳、寄瀾、秋水、清遥の二層屋根の亭、東西の端にはそれぞれ湖岸に続く廊下が連なり、対鴎ほう(舟へんに方)と魚藻軒の臨水建築に隣接している。我が国古典庭園の中では最長の回廊である。長廊は山と湖水に挟まれ、排雲殿を中心に東西に対称にのびており、万寿山腹に点在する建築を繋いでいる。

4k 長廊(48k)

長さが728メートルある世界最長の“画廊”には、14000幅余りの絵が画かれているそうです。

2k 長廊の天井1(39k)

上の長廊の梁の部分には西遊記や三国演義、水滸伝などの名場面が画かれています。

2k 長廊の天井2(41k) 

手前に座っている人の虎須(張飛の特徴)、向かって左側の人の緑袍(関羽の特徴)から判断して、三国演義の桃園の誓いのシーンかと判断したのですが、真偽のほどは定かではありません。

呂布と貂蝉(連環の計) 3k 長廊の天井3(50k)

これは三国演義前半の見所を画いたものです。三国演義のファンの方はノーヒントで何の絵か当ててみて下さい(その他の方は左の写真にマウスカーソルを重ねてみてね)。

4k 亭子(59k)

長廊のところどころにある亭子(ティンズ)です。“寄瀾亭”と書かれているのが読み取れると思います。二重屋根になっているのが特徴です。

3k 亭子の天井(55k)

上の亭子の天井を下から写してみました。

2k 昆明湖(41k)

昆明湖は金の時代に“金海”、元の時代に“瓮山泊”、明の時代に“西湖”と呼ばれていました。清の乾隆帝年間に開拓される際、漢武帝が長安で開拓した“昆明湖”で水戦の訓練をした故事にちなんで“昆明湖”と名づけられました。面積は約200ヘクタールあり、頤和園の面積の四分の三を占めています。

3k 仏香閣仰観(61k)

仏香閣を下から見たところ。

4k 仏香閣(47k)

上まで長い階段があります。

2k 仏香閣の説明(42k)

清朝乾隆年間に建立された頤和園のシンボル。1860年英仏連合軍の進攻により焼失し、光緒年間に再建される。中国建国後、1953年の大改修を経て、壮麗な外観を取戻した。四層の櫓を持つ三階建八角形の構造で光緒時代の記録によれば、高さ十二丈八尺二寸六分(約42メートル:1丈=10尺=3.3mとして換算)、下部は20メートルの基台に乗っている。万寿山頂に聳え立ち、西山を借景としている。仏香閣は万寿山に雄大さ、万寿山は仏香閣に優美さを互いに補完し、中国史上楼閣建築の代表的な建築である。また、最上部からは頤和園全景はもとより、北京市を一望できる。

2k 宝雲閣(53k)

銅閣という別名の通り銅で出来た楼閣。頤和園内の著名な建築同様、ここも英仏連合軍の略奪に遭っています。仏香閣の西に隣接しています。基台は漢白玉製。1755年の鋳造で、高さ7.5メートル、重さ207トン。元々は月の一日と十五日にラマ僧が集って経典を唱和する場所でした。

3k 智慧海(奥)と牌坊(手前)(66k)

智慧海は梁を使わず、煉瓦を縦横に積み重ねて立てられており、無梁殿とも呼ばれます。中に入ってみると梁が無いせいか天井の高さが印象的で、菩薩像の大きさが際立ちます。牌楼も琉璃瓦製で、南側(正面)には「衆香界」、北側には「祇樹林」の扁額が懸っています。

2k 仏香閣上からの眺望(27k) 

この日は残念ながら曇っていてあまり見晴らしがききませんでした。手前が昆明湖、中央部にはテレビ塔が見えます。

4k 智慧海壁面(57k)

琉璃瓦のレリーフ。仏像の頭部が落とされているのはいたずらか文革か・・・。

2k 四大部洲(33k)

万寿山の北斜面に展開するチベット色を取り入れた寺院建築群。仏香閣と同時代の建立。南側にある香岩宗院之閣に安置された銅製の釈迦三尊像と十八羅漢像は再建時に園内の延寿寺から移されたものといわれています。

3k 蘇州街俯瞰(56k)

蘇州の街並を再現した商店街で、乾隆帝もここで買い物ごっこを楽しんだそうです。両替所があって、昔の貨幣に換えてくれます。以前は両替しないと買い物できなかったのですが、記念に持ち帰る人が多すぎて鋳造が間に合わなくなってきたのか、人民元もそのまま使えるようになっていました。

3k 蘇州街より四大部洲を望む(62k)

上の写真の位置からもと来た方を振り返ると、牌楼の向うに四大部洲が見えます。

3k 蘇州街(58k)

堀に沿ってお店が並んでいます。小間物屋、煙草屋、菓子屋、酒楼等、店の人も往時の服装です。似顔絵書書きがいたり、茶屋の二階は茶館だったりして、歩いているだけでも楽しいのですが、柵どころか縁石もないので、足元にはくれぐれも注意。

2k 蘇州街の薬屋(30k)

薬屋のディプレイ。松鶴画は長寿を表わしたものでしょう。画面ではわかりにくいかもしれませんが、右下にあるのが、人参、左下が鹿茸、どちらも強壮効果があります。「老いてなお壮ん」ということでしょうか?

2k おまけ(33k) 

古い消火器があったので撮ってみました。使えるかどうかは???




このページのホストはです。無料ホームページをどうぞ!
Copyright1998,1999,2000,2001 Tadashi Takeda.