
今回は、 「流山史跡めぐり」 といたします
2000年6月11日 更新
| 今回は、松戸の隣の市である流山の史跡をご紹介 別に深い意味は無く、ただ単にお隣って意味です |
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| ちょうど、桜が満開!! これは「馬橋駅」の駅前広場です |
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| 守龍山 東福寺 | ||
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ご本尊は 「薬師瑠璃光如来」 弘仁五年(814年) 弘法大師により開山 由来としては: 弘法大師が当地に来たおりに、五色池に住んでいた龍王が老人に化けて、弘法大師に仏像を彫り伽藍を営むことを請い当時まだ海だった麓に突然海龍が現れて竜宮の霊仏を捧げた そこで弘法大師はこの像に手を加えて薬師如来を本尊とした その際、海龍が背鰭の先を残したので この地を「鰭ヶ崎」(ひれがさき)という なんて由緒のあるすてきな名なんでしょうね きっと住んでる人も知らない人が多いんじゃないかな ← は庚申塚 |
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← 仁王門 両側に金剛力士がいます 高さ2m70センチあります (流山市指定有形文化財) |
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← これがかの有名な左甚五郎作 「目つぶしの鴨」 この鴨は、夜な夜な近所の田圃に舞い降りて稲を荒らしたりして悪事がひどかった ある日足に泥が付いているのが見つかり怪しまれて目に釘を打たれた それ以来田圃は荒らされなくなったとさ |
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境内は、桜の名所だけあってなかなかのもんです 他に、大イチョウの木 弘法大師巡拝場准四国八八ヶ所 などがあり結構楽しめます |
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| 東福寺の奥の院 千仏堂 | ||
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東福寺の裏門から歩いて2〜3分のところにある奥の院 創建年は不明 享和二年(1802年)再建 本尊は「中尊阿弥陀如来」 |
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千仏堂の名の由来は 本尊の左右の壁に各十段、一段毎に各五十体 計千体の小阿弥陀如来像が祀られているため 「阿弥陀如来立像一体付千体阿弥陀如来立像一具」は 流山市の指定有形文化財 |
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| 鰭ヶ崎 三本松 古墳 | ||
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なんと 流山にある 前方後円墳 です 全長25m 前方部8m 後円部径17m 最大高さ2.5m ちゃんと? 円筒埴輪や人物埴輪が出土しています 時期はたぶん6世紀ころといわれる 頂上に 「三本松稲荷」が祀られています 文政11年(1828年) 埋葬されている人は不明だが、たぶん国府台古墳群を築いた有力な首長層としたしい関係にあった地元の有力者ってとこでしょうか |
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| 洞雲山 流山寺(どううんざん りゅうざんじ) | ||
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寺自体は昭和40年再建 創建は、江戸初期 曹洞宗 本尊は、薬師如来 ←の句碑は 名月やいずれの用にたつけぶり 斗囿の作 |
| 大黒様やら「大川立砂の息子斗囿」の句碑がある |
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| 赤城神社 | ||
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赤城神社と言えば「大しめ縄」です この大しめ縄は、5〜60人が3班に分かれて稲わらを打ち縄をなって芯に竹を入れて3本をよって作る 長さ10m、太さ1.5m、重さ350キロ これを鳥居に掲げる 流山市の無形民族文化財になっている「大しめ縄行事」が 10月19日20日(現在は第3土日)に行われている |
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当然この日はお祭りですね 例大祭といいますね 創建:元和年間? 祭神:大己貴命 (おおなむちのみこと) と 豊受姫命 (とようけひめのみこと) |
![]() 拝殿 間口五間、奥行三間 中に本殿があり 間口一間、奥行一間 |
| 赤城神社(赤城山)の由来 1.今から750年前関東地方に大雨が降り、いまの栃木・群馬地方の渡良瀬川などにも 濁流が押し寄せて、赤城山の麓を削り各川を呑み込んで太日川(ふといかわ)と 名を変えてこの地まで押し寄せてきた 数日後、水が引いて見てみると小山があるではないか で、赤城山となった ちなみにこの赤城山標高15m、周囲350m さらに、山が流れてきたので「流山」 おそまつ 2.もう一つの伝承 山ではなく上州赤城神社のお札が流れ着いた 3.い〜や、お札でなく 神様だ 4.人だ と、いろいろある 2番の説が有力出そうです 個人的には1番ですね、なんたって山が流れて来なきゃ「流山」にならないっす |
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![]() ってなことが ← の石碑「赤城祀碑」に書いてあります(たぶん) なにせ全て漢文 かの一橋家の儒学者「久保築水」が文化年間に書いてます ちなみに本家の上毛赤城山の神様は 司水神(天候を司る神)とか 作神(農業を司る神) ですね さすがに歴史のある神社 各所に石碑やらがあります |
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← この狛犬は 参道の急な階段を登ったところにあります 寛政三年(1791年) と読めます |
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こちらの狛犬は 拝殿のすぐ前にいます 昭和六〇年 天皇陛下ご在位六〇年記念とあります やはり少し近代的?かな |
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← 水神様も祀ってあります → は拝殿の中 明治四一年(1908年)再建されたもの よく見えませんがその奥に 江戸時代の名工 八木文蔵作の彫刻がある (建物の外から見ることができます) |
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← 消防のための採水口も これくらい気を遣ってあると妙に嬉しい |
この神社には講中があり 毎年六月頃本家の 上州赤城山赤城神社に参詣するそうです |
| 光明院 | ||
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真言宗豊山派 先ほどの赤城神社の別当祈願寺 なんたって小林一茶と流山の俳人秋元双樹の句碑がたくさんあることで有名な寺院です |
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そうです、かの有名な小林一茶は、流山にしょっちゅう来ていたんです 一茶と言えば 名月を取てくれろと泣子かな やれ打つな蝿(はへ)が手を摺り足をする 痩蛙(やせがへる)まけるな一茶是にあり 雀の子そこのけそこのけ御馬が通る もう、名句のオンパレードですね 日本人で知らない人がいないくらい有名な俳人ですね |
| 秋元双樹(あきもとそうじゅ) 本名:秋元三左衛門 宝暦七年(1757年)生まれ なんたって、味醂(みりん)を売り出して流山と言えば味醂と言わしめた人です 天晴みりん(あっぱれみりん)とか万上みりんとかはここで作られていたんですよ 江戸時代の味醂は飲みのもだったんですね 酒の飲めない人や女性に大人気で関東一円で飲まれてました |
この双樹さん、葛飾派の俳人としても有名で、一茶も葛飾派に属していた関係から流山に起居したようです → は、双樹の墓です 文化九年(1812年)没 享年56歳 |
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←は、双樹の句で 「庭掃いてそして昼寝と時鳥」 にわはいてそしてひるねとほととぎす |
ちなみに、双樹と一茶との関係から一茶の出身地の長野県信濃町と流山市は平成九年姉妹都市になってます |
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← 双樹と一茶の連句碑 豆引や跡は月夜に任す也 双樹 烟らぬ家もうそ寒くして 一茶 文化元年(1804年)九月のの連句です 意味は→ |
一日中豆を引き抜いてくたびれた、あとはお月さんにたのみます ってとこでしょうか で、一茶が 夕げの煙で煙っている家も煙っていない家も晩秋の夕暮れで何となく薄ら寒いなぁ と受けたんでしょう |
| 一茶双樹記念館 | ||
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| 平成3年流山市が双樹の子孫が住んでいた家を買収してこの記念館を建てた 家も庭も当時の姿に復元されてます 平成7年4月5日オープン観覧料100円 部屋は茶室(一茶庵・双樹亭)として借りられます 下の句碑は 名月や流残りのきりぎりす です 石は黒姫山の自然石です |
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| 長流寺 ちょうりゅうじ | ||
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浄土宗 山号は 宝泉寺 → 本尊:阿弥陀仏 |
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長流寺でなんたって有名なのは ← の馬頭観音です 馬頭観音で本当に馬の首が彫ってあるのは結構めずらしいです まさしく「馬頭」観音ですね 普通は、憤怒の形相で光背に火焔ありの肌は赤いのありでとても観音菩薩とは思えぬ相がおおく、頭頂に馬の首があることが多い |
近世になって馬頭観音は、特に馬の病気の平癒に功徳があるとか旅の安全を守るとされ、民間に広まった もともとは、転輪聖王(てんりんじょうおう)という王が馬にまたがって四方の敵を蹴散らすというように害と悪魔を取り除くと言うところから来ている 七観音とか六観音とかの一つ |
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← 流山七福神の一つ 恵比寿様 恵比寿さんは日本神話の神様です 商売繁盛がシンボル 鯛と釣り竿をもってます |
七福神ってのは 弁財天・大黒天・寿老人・福禄寿・布袋・恵比寿・毘沙門天(多聞天ともいう)ですね ここで疑問が一つ 仏教に神様って変じゃない? はっきりとした理由は不明だそうです 神仏ごちゃ混ぜ状態ですね |
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←は、徳本上人の筆によるもの 達筆 |
| 庚申塔・庚申塚 | ||
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← → 江戸時代慶長十三年以前の作 庚申とは、庚申(かのえさる 干支でいうと57番目)の日の夜に眠ってしまうと命が縮まり、眠らずに身を慎めば災難がのぞかれるとされた禁忌のこと これを守庚申と呼んだ 仏家では、青面金剛(しょうめんこんごう) 神家では、猿田彦 をまつった |
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| 近藤勇陣屋跡 | ||
![]() 当時の写真とか由緒書きが塀のところに展示されています |
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| 流山に敗走してきた近藤勇や土方歳三らが「長岡の酒屋:長岡屋」に陣屋を置いて 奥州へ向かう準備をする 総勢227人の大所帯だったようです 長岡屋は今の秋元酒造 ここら辺のところは、司馬遼太郎の「燃えよ剣」に書いてあるんですよ ぜひ読みましょうね(^-^) |
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| その他 | ||
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← 浅間神社と富岳 当然、富士講ですね つまりここに富士山があるわけでして・・・ ちゃんと一合目からあります 頂上まで登れます 本当に富士山から持ち帰った石もあるという話です |
富士講 江戸時代に発展した商人・職人・農民の講で、相互扶助的色彩を持つもの 社寺に小富士を築いた 修験道の影響でしょうか 日月星の本体・万物の創造・生成の神である仙元大菩薩を信仰する 幕府からはたびたび禁止令がでたくらい繁栄し影響力があったようです |
| 浅間神社の狛犬達 どうしても狛犬を見ると写真に納めてしまいます |
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加村河岸 (かむらかし) この河岸は、本多田中藩の御用河岸として繁栄したので「本多河岸」とも言われた 下総飛地領一万石の年貢米を江戸に運ぶための河岸です |
| 流山では米相場が立ち、また醤油や味醂などありこの地方の中心となり たいそう栄え、このあたりの旧道は「流山広小路」といわれていた あの「上野広小路」と同じ広小路ですね 渡し船もあり、この流山と対岸の丹後村(今の三郷市)を結び、「丹後の渡し」と呼ばれた ↑の川は、江戸川とは違い掘られた川で「今上落し」(いまがみおとし)という 利根運河の北の野田市今上の耕地の排水をするために掘られたもの 江戸時代〜明治時代の大治水工事の名残です 残念ながら治水は思うに任せず付近の農民の苦労は絶えなかった |
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