カンボジア・命がけ汽車の旅
 

 確か92年でしたっけ?自衛隊がPKOとやらでカンボジアへ行ったのは?
 ちょうどその年の夏、私もカンボジアへ旅行しました。なぜカンボジアへ出かけたかというと、昔から興味があったんですよ。ポル・ポト政権の大虐殺とか、貨幣を廃止して全国民を強制労働させたとか。そういや大学の東洋史のレポートでも、「シアヌークと織田信長」というコジツケ的な比較論を書いて、Aをもらいました(笑)。
 でも、ずっと内戦とかが続いて危なかったし、日本もヘン・サムリン政権を認めてなかったので入国が難しかったりしてたのですが、内戦各派が歩み寄って、国連の主導のもとで選挙が行われることになったんですよね。そこで「やっと安全になっただろう」と思ってカンボジアへ気楽に出かけたのですが、これがトンだ大間違い。ポルポト派は突然選挙を拒否して内戦が再発するわ、選挙を妨害するために外国人を狙ってテロを仕掛けるわで、かなり危ない旅となってしまいました。

 てなことはさておいて、カンボジアの首都・プノンペンから、当時、自衛隊が駐屯していたタケオまで、列車に乗ってPKOの野次馬に出かけた時のお話です。

プノンペンの市内の様子です。ポル・ポト政権時代(75〜79年)は全住民が強制下放させられ、無人の都市になっていたのですが、この時までにほとんど復興し、他の東南アジアの都市と変わらぬ賑わいを見せていました。ちょうど「国連景気」に沸いていて、タイ資本や華人資本の進出が目立ちました。

市内バスも走っていました。何だか懐かしいようなスタイル…。おそらく日本製の中古バスでしょう。
しかし地方へ行くバスは、ポルポト派の攻勢が激化したため、まともに運行されていない状態でした。

  

駅で切符を買いホームへ向かうと、ゲゲッ、貨物列車じゃないか!まさか、これに乗れって言うの…。
当時、プノンペンからの列車はバッタンバン行きと、タケオ経由のシアヌーク・ビル行きがそれぞれ1本ずつあるだけで、人も貨物も同じ車両に詰め込まれていました。ホームでは物売りのおばさんや子供たちが、熱心に商売をしています。
  
  

貨物はほとんどが家畜でした。室内の「1等席」は牛や馬が占拠してしまい、人間は屋根の上の「2等席」に乗るようです。

先頭車まで行って見ましたが、やはり貨車だけ。機関車の前には台車が連結してありましたが、ここは「特等席」と見えてすでに満員です。あとで知ったのですが、この台車は線路に地雷が仕掛けてあるかも知れないので、機関車や貨車に代わって先に犠牲となるための「地雷よけ」として連結していたとか。よく見ると一番前に警備兵が座ってますね・・・ひえ〜。

最初は貨車の中に乗っていた人もいましたが、牛や馬が暴れるため、続々と屋根に追いやられています。そうか、こうやって上がるのか…。

苦労してようやく屋根に上がりました。でも乗客は次々と押しかけくるので、座るスペースもいっぱいです。屋根の上で立席だけは避けたい…。

向かい側のホームのバッタンバン行きも超満員。発車時刻を1時間過ぎても、動く気配はありません。

ようやく出発しました。時速20〜30km程度の鈍行列車ですが、線路の状態が悪いのでガタガタ揺れます。屋根の上って丸みがあるし、つかまる所もないので、振り落とされないかどうか必死です。鉄橋の上で揺れた時はマジで死ぬと思いました(^_^,,, そんな最中に人をかき分けながら屋根の上を移動している奴がいて、「死んだらどうする、フザケルな!」とムカつきましたが、その男は車掌さんで「え〜、どなた様も切符を拝見させていただきます…」。他にもガキがジュースやアイスを売り歩いたりと、人の気も知らずに、屋根の上は賑やかでした。

炎天下のもと屋根は鉄板と同じなので、もう目玉焼き状態です。しかしスコールが降ったら一体どうなるんだ…。ノロノロと4時間、幸い雨には降られずようやくタケオに着きました。帰りの列車の時刻を確かめようとしたら、ええっ、この鉄道、2日に1本しか走らないの!? プノンペンの駅には「1日2往復」と表示が出ていたのに、列車が次々とゲリラに襲われて破壊されてしまい、間引き運転実施中とか…。
 ちなみに数日後、私が乗ったこの列車もゲリラに襲撃され、乗客のうち外国人は人質としてジャングルに連行され、そのまま処刑されてしまう事件が起きました…(冷)。
 終点のシアヌーク・ビルへは、後日車で行きましたが、途中で小便がしたくなり、車を止めてもらって道路脇の草むらへ行こうとしたら、運転手が「道路脇には地雷があるから、小便なら道でしろ!」。もう、毎日がヒヤヒヤでした。

 さてタケオでは、自衛隊のキャンプに日の丸が揚がっていたのを確認し、仕方がないので車をチャーターしてプノンペンに戻ったのですが、道路は自衛隊の補修作業で整備され、けっこう快適に走れました。自衛隊もこんなに道路整備が上手なのなら、傘下に土建会社でも作って防衛費を自力で稼ぐべきですね。そうすれば消費税も廃止できるでしょう。中国の人民解放軍はそうやって自活してます。
 そういや当時、自衛隊員は日本から来たマスコミの取材を逃れるためバックパッカーに扮装し、夜な夜なプノンペンのナイトクラブに繰り出していたようですが、自衛隊が自活できたら「国民の血税の防衛費で、女を買うなんてケシカラン!」という批判に脅えなくても済むでしょう。 

 次ページでは、プノンペンの定番観光コースの写真を紹介する予定です。心臓の弱い人は、見ないほうがいいですよ。

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