カンボジアの「国賓」視察旅行

 プノンペンで知り合いの不動産会社の社長さんにばったり遇いました。この人はカンボジアで投資プロジェクトを進めていたのですが、いきなり「じゃあ、お姫様とディナーの約束をしてるから、一緒に来なさい」ということで、Gパン姿のままプノンペン随一の高級ホテルまでのこのこついて行ったら、内務大臣はじめカンボジア政府のエライ人たちがいて、シアヌーク国王のご令嬢であられる(といってももう中年の方ですが)ノロドム・ボバビデ姫もいました。
 私は社長さんに「日本のジャーナリスト」と紹介されてしまったところ、ボバビデ姫はビフテキを食べながら、「それなら是非ともご覧になっていただきたい所があります」と仰せになり、翌日、専用車に乗って連れていかれたところは、とある学校でした。

この学校はカンボジアの王宮舞踏を教える民族文化学院でした。インドの神話を躍りで再現する内容で、アンコール・ワットの時代から伝えられて来たものです。

しかしポルポト政権時代に踊り子たちのほとんどは処刑され、存続の危機に瀕してしまいました。そこでカンボジアに平和が戻って来た象徴として王宮舞踏を復興させようと、自身もかつて踊り子だったボバビデ姫の肝入れで民族文化学院が作らたのです。しかし予算不足で運営も思うようには進まず、「ぜひとも日本の皆さんにこの学校を紹介して、援助を呼びかけて欲しい」とのことでした。

例によって、男の子の写真はあまり撮っていません。これはカンフーの練習ではなく、やはり王宮舞踏の練習です。

お姫様からじきじきに頼まれた以上、どこかのメディアに載せてもらわないことには、私は「ペテン師」になってしまいます。幸い日本の某マスコミに記事を書かせてもらい、ひと安心しました。一方で、社長さんは、アンコール・ワットを買収してテーマ・パークにするというトンでもない計画を進めていたのですが、間もなく事業に失敗して夜逃げをしてしまい、今では「ペテン師」扱いされています。

 ちなみにこの旅行には、普段から「お姫さまになりたい」などとぬかすノーテンキな女性と一緒に行きました。私は常々「お姫さまなんて、もし革命がおきたら真っ先に処刑されちゃうかも知れないし、大変なんだぞ!」と言い聞かせていましたが、「何言ってんのよ、バカじゃない」と相手にしてもらえませんでした。しかしホンモノのお姫さまに会い、「ポルポト時代には皇族も処刑され、私も亡命生活を余儀なくされました」という話を直接聞いて、二度と「お姫さまになりたい」とは言わなくなりました(笑)。

 お姫さまや皇族って、単に王家に生まれて来たというだけで、なりたくてなったわけじゃないですよね。日本にも皇族はいますが、農家の子は農家、魚屋の子は魚屋が当たり前だった時代ならともかく、今の時代に職業選択の自由を与えず、基本的人権をないがしろにされながら、皇族としてまつり上げられているのは、ホントに気の毒だと思います。

 入国した時はバックパッカーとして、タクシーの客引きにもみくちゃにされたカンボジアでしたが、出国時には「VIP」として特別室に通されて飛行機を待ちました。何だか「わらしべ長者」のような気分でした(謎)。

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