九龍城砦探検記4 取り壊し反対住民集会

取り壊し計画が発表された九龍城砦ですが、91年秋にいよいよ住民の立ち退き期限を迎えました。で、その前夜に私も野次馬として行ってきました。

大部分の住民はすでに立ち退いていたのですが、補償金をめぐって一部の住民が「断固反対!徹底抗戦!」を訴えていました。通路の至るところに香港政庁の強硬策を批判するビラが貼られています。
 

夜中になって抗議集会が始まりました。住民たちが商店街へ集まってきます。

九龍城砦は他の地区よりも不動産相場が激安なわけですが、そのため政庁からの立ち退き補償額も少なく、補償金をもらっても他の場所で不動産が購入できない。特にここで店を開いている人にとっては、少ない補償金では他の場所で営業が再開できない・・・・というのが反対派住民たちの主張でした。

「我々はぁ〜、ダンコとしてぇ〜、政庁の横暴をぉ〜、絶対許さないとともにぃ〜、最後の最後までぇ〜、砦を死守するんだというぅ〜、決意を以ってぇ〜、明日の強制執行をぉ〜、ダンコとしてぇ・・・・」学生運動風の日本語に訳せばこんな感じです。

香港政庁を相手に取り壊し差し止めの訴訟も行っていました。で、どういう判決が出たのか・・・・そこまでの広東語は聞き取れませんでした(苦笑)。基本的に、九龍城砦は香港にあっても中国の一部で、英国の領土からは除外されている地区なのだから、香港政庁(当時は英国)に取り壊す権限はない・・・・といった訴えだったと思います。

「あの人は偉い人だよ。写真を撮っておきなさい」と誰かに言われたのでとりあえず撮った写真。後に知ったのですが、この人は劉千石という労組出身の立法評議会議員(国会議員みたいなもの)で、香港の革新勢力(民主派ともいう)のリーダーの1人でした。香港返還の前後には日本のマスコミにも紹介されていましたね。

「この人も偉い人だよ。写真を撮っておきなさい」と誰かに言われたのでとりあえず撮った写真。何でもこのお爺さんは九龍城砦の「城主」だそうです。つまり昔ここが本物の城砦だった頃から、ここに駐留していた清朝の役人の子孫で、先祖代々九龍城砦で暮らしているとか。「魔窟みたいに言われた時期もあったけど、ここの黒社会(ヤクザ)は住民には悪さはしなかったよ。警察が入れなくても住民が自警団を作ってたから治安は悪くなかったさ」

その5:城砦落城の日へ

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