世界で唯一残った
マニ教のお寺へお参りに行く


2010年7月 草庵

滅んでしまった世界的な宗教の代表格と言えば、やはりマニ教でしょう。

マニ教は3世紀にペルシャでマニが始めた宗教です。ゾロアスター教(拝火教)やユダヤ教、キリスト教、仏教などの要素を取り入れた教義で、 世界では光の王国(=善)と闇の王国(=悪)の戦いが続いており、現在は闇の勢力が支配していて、人間の肉体も闇によって構成されているが、肉体には「光 の破片」も残されており、智慧によってその光の部分を自覚し、厳しい戒律を守ることで光の部分を太陽へ戻すための修行を続け、来るべき光と闇との最終戦争 に備えるべし・・・という教えです。

一時は西はスペインや北アフリカ、東はインドに中国と、ユーラシア大陸全体に広がったマニ教でしたが、その後衰退して15世紀までに消滅し た・・・と言われていました。

ところが中国・福建省に、滅んだはずのマニ教のお寺が現存し ているというので、野次馬根性を出して参拝に行ってみました。


場所は泉州郊外の晋江市です。泉州といえば、唐の時代から中国の対外貿易港として栄え、イスラム教やキリスト教も盛んでしたが、マニ教(摩 尼教)はシルクロードを通ってウイグルから中国へ伝わりました。唐の都・長安には「大雲光明寺」という寺院が建てられましたが、会昌の廃仏(845年)で 仏教やキリスト教と一緒に外来宗教として弾圧され、都から離れた福建省から浙江省にかけて拠点を移したようです。これが山門。

  

この寺院は草庵と言い、北宋初期の10世紀末に建立されまし た。当初は藁ぶき屋根の寺だったので「草庵」と命名されたのですが、元の時代(1339年)に 石造りの建物になりました。もっともその後何回か改築されて、現在の建物は1930年代に完成したものだそうです。



境内には明の時代(1445年)に当時の住職だった明書が、「清浄光明 大 力智慧 無上至真 摩尼光仏」というマニ教の神髄を刻んだ石があります。

マニ教なのになぜ「仏」なのか思うでしょうが、マニ教は世界各地に布教するにあたって、相手が信仰する神の名や神話、哲学用語などを取り入れてしまう特徴 があ るとか。

そこで中国へ伝来した時も、経典を漢文に翻訳する際に、先に伝わっていた仏教から、「仏」「法身」「解脱」「涅槃」などの用語を大量に借用しました。

マニ教は南宋や明の時代に「魔教」と呼ばれて何回も弾圧され、「明教」と 名を変えて中国化を図ったり、仏教や道教を装って弾圧をかわそうとしていましたが、そん な状態が何百年も続くうちに、草庵の僧侶や信者たちも「ホントは仏教じゃなくて、マニ教なんだよ」という自覚が失われてしまい、「釈迦牟尼(ムニ)が訛っ て摩尼(マニ)になっただけ」と解釈されて、「ちょっと変わった仏教寺院」だ と認識されてしまったようです。

  

本堂の入口に「金玉満堂」と掲げられた石像がありました。もしかしてマニの石像?と思いましたが、銭楩という明の時代のお役人の石像でした。

銭楩は1529年から2年間、晋江県の知県(県知事)として赴任し、水利工事や教育の振興、仏塔の建立などを行い、清廉で慈悲深い行政を行うなど善政を敷 いたと言われていますが、儒教に熱心で、怪しげな神を祀り人心をたぶらかす「邪教」の取り締まりに辣腕を振るいました。

当然マニ教(明教)も弾圧の対象とされ、草庵の僧侶たちは追い出されて、龍泉書院という学校に変えられてしまいました。後に龍泉書院は閉鎖されて草庵は再 びお寺に戻りますが、その間にマニ教の経典や法器などは散逸してしまい、17世紀前半に書かれた地方史誌(閩書)には、草庵のマニ教について「今その術を 習う者は、呪術などを行っているが、その教えははなはだチンプンカンプンである」と記されています。こうして草庵は復興できたものの、本来のマニ教の教え は継承できなくなり、仏教や道教へ溶け込んでしまったのでした。

つまり銭楩は、世界最後のマニ教の拠点にとどめを刺した人物とも言えそうですが、龍泉書院は短期間に科挙合格者を18人出すという実績を上げたため、「学 校を建ててくれた偉い人」ということで、地元の人たちから銭大爺と讃えられいます。

  

本堂にも「金玉満堂」などと書かれていて、お賽銭箱が置いてあります。

「金玉満堂」はあくまで「きんぎょくまんどう」と読み、「黄金や玉器がいっぱい満ち溢れる=財を成す」という意味ですので、念のため。



御本尊の摩尼光仏、つまりお釈迦様ならぬおマニ様は、元の時 代に彫られた磨崖仏です。



一見お釈迦様のようですが、よく見ると長髪でかなり姿が異なっていますね。



ちなみにこれが「草庵はマニ教の寺である」とはっきり判明することになった証 拠の茶碗です。

1979年に大華厳寺(後述)を建てるために、境内を掘っていたところ、「明教会」と書かれた茶碗が大量に出土したのです。茶碗は12世紀初めかそれ以前 に作られたもので、当時はマニ教の法事などで多くの人が集まっていたのでしょう。

この茶碗によって、草庵は「ちょっと変わった仏教寺院」ではなく、マニ教のお寺だったことが確認され、91年には30数ヵ国の学者からなるユネスコの調査 団が訪れて、「摩尼光仏はマニである」とお墨付きを与えまし た。


草庵の内部と突然始まった占いの様子の動画です

  

おばさんが占いに使っていた道具がこれ。まず「聖杯」と言う 三日月形の木片を落として、「おみくじを引いてもいいか」を占い、神様から許可が出たら番号の 書かれた棒を一本引き、再び聖杯を落として「その棒に書かれた番号でいいか」と神様に確認してもらうという手順。つまり神様の許可が出ないとおみくじを引 くことすらできないわけで、台湾のお寺や廟でのやり方と同じです。



で、棒に書かれた番号のおみくじを引き出しの中から持って帰るのですが、おみくじには漢詩が書いてあるだけで、「吉」だの「凶」だの具体的な運勢は書かれ ていません。そこで「解籤」、つまりおみくじを解読してくれ る人に説明してもらうことになります。つまり中国ではおみくじを引くのは無料(ただし神様の気 分で引けない場合あり)ですが、解読が有料です。

草庵のおみくじは、中国の他のお寺や廟のおみくじと似たり寄ったりですが、おみくじに書かれた漢詩にはマニ教の神々や教えを含んだ詩がいくつかあり、まだ 「うちはマニ教の寺だよ」と自覚のあった明朝末期の頃に作られたものだろうと推測されています。

  

入れ替わり立ち替わり地元の女性たちが訪れて拝んでいきます。「世界唯一のマニ教の寺院」と言うので、てっきり遺跡みたいなものだろうと思っていたら、バ リバリ現 役のお寺でした。

「神霊体、正ニ仏国ヨリ勝ル」・・・仏教より霊験あらたかだという意味なのでしょうか?

  

本堂の天井には、太鼓や鐘が吊るされていました。しかし、太鼓は高すぎて叩けず、鐘も棒がないので突けず、文化財として飾ってある感じです。



壁には「養子契約」の紙が何枚も貼られていました。「このたび私たち夫婦に子宝が授かりましたので、おマニ様の養子にさせていただきます。無事成人いたし ましたら、たくさんのお礼をお供えさせていただきます」という内容が書かれています。まぁ神様の養子なら、神様も子供を守らなくちゃいけなくなりますから ね。

しかし、マニの養子とは、他所者からみれば不気味でもありま す・・・。

  

草庵から山を少し登ると、1979年に建立された大華厳寺と いう立派な仏教寺院がありました。動画に出てきたお坊さんはここの寺の僧侶のようです。一方で、世界唯一のマニ教の寺として有名になった草庵には、地元政 府の管理事務所が置かれていました。

大華厳寺には金ピカのお釈迦様や観音様、そして中国人に人気の関羽などが祀られていましたが、こちらの方は参拝する人は少ないようでした。やはり地元の人 たちにとっては、1000年前から村を守ってきたおマニ様の方がありがたいのでしょう。

一般に中国人の宗教観は日本人と似たり寄ったりで、どんな宗教の神様であっても気にせず、神様は多い方が御利益が多そうだということなので、摩尼光仏の正 体が実はマニ教の教祖だとわかったところで、関係ないのでしょう。


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