阿蘇の文学碑・雑感



阿蘇には文豪や俳人が訪れて作品を残しています。「古人の跡を求める」ではなく、「古人が求めた所を求めつつ」ご紹介します。お散歩がてら ご高覧下さい。
last up date 2005.3.10
[夏目漱石][松尾芭蕉] [宗不旱][その他]
漱石
阿蘇高校の生徒さんの作品です
「夏目漱石」が猫とビールを抱えています。
(2003.11.2 阿蘇町文化祭より)

夏目漱石
夏目漱石が32歳の長女筆子が生まれた3ヶ月後に阿蘇を訪れます。明治32年8月30日に「養神亭(現・山王閣)」に泊まり「二百十日」を執筆しました。雄大な阿蘇の景色を見ながら書いたのでしょう。阿蘇登山して広大な阿蘇を眺めて一句。
行けど萩 ゆけどすすきの 原廣し
漱石は9月6日遭難した、と日記に記されているようです。その直後の句でしょうか(?)。初秋の頃、漱石が火山爆発にあい、広大な自然の中を途方に暮れて避難している心情(なかなか平地にでられないぞなもし)を表現している句だと思われます。
夏目漱石の銅像が山王閣の庭にあります。
英語の教授であった夏目金之助(氏の祝辞)は
"I love you."
を学生に和訳させました。(皆さんはどう訳しますか?)
「我汝を愛す」(明治時代です)
と学生は真面目に訳したんでしょう。が、漱石曰く、
「日本人はそういう無粋なことは言わないものだ。日本語では"I love you."は『星がとってもきれいだね』と訳すのだ」
と教えたそうです(笑)。皆さんはどう訳しますか?そうだ?!
「あなたの瞳...稲妻の後に美しい世界に誘われます。」(恋人に)
「できの悪い我が子だから愛さずにはいられないのだなあ。」(母性愛)
みなさんの「I love you.」の意訳を私にも是非教えて下さい(笑)。
山王閣の庭の一角にある「漱石記念館」を訪れました。漱石は明治時代に輸入された恵比寿(ビール)を愛飲していたのでしょう。小説「二百十日」にて
「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります。」
「おい君、ビールでない恵比寿でも飲んでみるかね」
そんな当時の雰囲気を残して一般に公開してあります。「半熟卵」を注文したら、生卵1個とゆで卵1個がでてくるかもしれません。
漱石記念館内には日本画家の巨匠である東山魁偉の作品(コピー)も展示してあり鑑賞しました。絵画は水墨画でしょう(?)草花に生命力を感じ取れる絵ですし、品格がありますね。「描くことが祈ることである」という信念の作家です。昭和32年6月8日の作品です。
漱石記念館内にある火野葦平の作品です。彼には河童について書いた作品があります。絵では阿蘇の河童がいつもより盛んに噴火している阿蘇山を指さして騒いでいるようです(笑)。頭のてっぺんにある皿の水が乾いては大変です。これも漱石記念館内で鑑賞できました。漱石記念館は、内牧温泉にある旅館「山王閣」(電話 0967-32-0625)内にあります。よろしければ宿泊しましょう。心優しいスタッフが迎えて下さいます。 阿蘇登山道路の坊中キャンプ場横には、夏目漱石の歌碑や句碑があります。まず最初にあったのは下記の歌です。
赤き煙 黒き煙の 二柱 真直に立つ 秋の大空
その時々によって阿蘇山の煙の色が違います。いつもの阿蘇山は白い噴煙が少しみえる程度です。漱石が登山した時は、阿蘇山の火山活動が活発だったのだろうと想像できます。灼熱の噴石が混じって赤い煙りと、火山灰の黒い煙と、青い空。3色が雄大さと自然への畏怖を思ったのでしょう。
鼻の先から出る黒煙りは鼠色の円柱の各部が絶え間なく蠕動を起こしつつあるが如く、むくむくと巻き上がって、半空から大気のうちに溶け込んで頭の上へ容赦なく雨と共に落ちてくる。
火山灰で気が遠くなるやら、癇癪をおこすやら、谷に落ちるわ、大変なご様子でした。
9月1日から漱石は天地の壮観たる阿蘇の噴火口を見に登山を試みました。「灰に濡れて 立つや薄(すすき)と 萩の中
火山灰が雨にうたれ、薄や萩が変わっていく風景でしょうか
行けど萩 ゆけどすすきの 原廣し
広大な草原と細い道だったのでしょう。
漱石は、善五郎谷(坊中キャンプ場内)で遭難したようです。火山灰が降り積もる中で、漱石は薄と萩の中を途方にくれていた時の様子が記念碑から読みとれます。もしかしたら漱石の「則天去私」の神髄はこの遭難時に「天災の宿命に則り、私は去りゆく宿命か...」と諦念が芽生えたからかも....と愚考すると面白いものです。(漱石が可哀想でなりません)
菫ほどな 小さき人に生まれたし(明治30年)
自分の能力や器量を知り、縁や宿命の中で懸命に生きる市井(しせい) の人を意味している。豪快な勢力を火山の爆発に例え、小さき存在であるひとりの人間が懸命に生きている。狭いところ(谷間や時世)で窮屈な思いをする一方、目立たぬ裏方として支え、人知れぬ存在の人もいる。私たちはどんな宿命や場所にあろうと、そこで持てる力を尽くし、そこを明々と照らす人間になりたいものだ。野に咲く一輪の菫の花は無言のうちに、そんな生き方を私たちに教えてくれる。 (しかし上記の他方の解釈として、明治30年7月、妻の鏡子が流産した。菫ほどの小さな胎児を見て詠った、別離の俳句なのかも知れないと愚考します。)
漱石の小説「二百十日」の記念碑です。漱石を偲んで建てられました。これも坊中キャンプ場にあります。
漱石は深さ2間(3.6m)ある谷底に落ちました。
「どうしてこんな谷があるんだろう」
「火溶石の流れたあとだよ。上がれるかい?」
「上がれるものか。」
「弱ったな。どうしよう。」
「落ちるときに生爪を剥がした。」
「痛そうだね。」
「なあに。痛いったって。痛いのは生きている証拠だ。」
痩せ我慢する頃、煙りが空を覆い、日は暮れようとしていました。
松本不二子の句碑が阿蘇山頂付近にある草千里にあります。
阿蘇が峰の 千里が浜の 朝あけの 若草原は 海の如しも
かつてこの草千里の草原では放牧が盛んに行われていました。
松尾芭蕉
内牧温泉にある満徳寺の庭園には、松尾芭蕉の句碑があります。
春もやや けしきととのふ 月と梅
長い冬がようやく過ぎ去ろうとする頃、少し春らしくなって...庭には梅が咲き始め...これだけでも春の訪れを悦んでいられるのだが、おや?月も出てきた。月と梅が早春の景色として穏やかな季節への移り変わりました。春が来た喜びを月と梅の構図・対比を句に表現しています。
元禄6年春の自画讃を含む画讃の句は『続猿蓑』下巻春之部の「梅」に再掲されているようです。この碑は江戸時代末期に建てられたとされています。芭蕉は全国を行脚されたのですね。
酒のめば いとど寝られぬ 夜の雪
芭蕉は酒にほろ酔いし、体がほどよく温かくなったのでしょう。しかし体の温もり以上に雪の寒さが厳しく堪え、さらに人恋しく心細くさみしさも加わって、酔いも醒めてきていよいよ眠れなくなったのでしょう。
JR阿蘇駅から約500m、阿蘇登山道路沿いにある西厳殿寺は、724年聖武天皇の頃に「阿蘇山頂」に建立されました。寺が島津・大友の戦いで焼失したのを、加藤清正(トラ退治の殿様)が再興し、明治4年に現在地に山頂から現地に降還されました。寺の入口(阿蘇中央病院横)には松尾芭蕉の句碑があります。貞享3年深川の句。天保15年に建立されたと隣の碑から推定されます。


まだまだ他にも文学碑はあるようです。とりあえず、ここまで。(2005年3月10日)
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