私たちの海外赴任

  ベネズエラ共和国  カラカス (情報提供Y.Y.さん)            

期間 :' 94年〜99年

使用言語 :スペイン語

* 時差 日本マイナス 13時間(サマータイムなし)  

現地通貨  ボリバル、 日系の銀行はなし。

電力 : 110ボルト、コンセントの形は違う。変圧器は持参した。

赴任前の準備など : 娘が5歳の時でしたので、現地の状況を把握して、狂犬病、破傷風、黄熱病、ポリオの1回プラス(現地は3回する)など、親も打って行きました。

持っていって良かった物、必要なかったもの: 日本からは炊飯器・餅つき器・ホットプレート・電気鍋・和食器。 子供の為には薬(座薬)、湿布薬など 
中学程度の英語の辞典と帰国子女財団が発行している、理数関係の翻訳辞典。 
スペイン語のポケット辞典・簡単なスペイン語会話集
は便利。

子供のための日本語の算数・国語の(毎日1枚切り離して使える)ドリル
四季がないので、写真入りの学習辞典で四季の行事や花が載っているもの・ビデオ。

週末はスポーツクラブ以外は余り出かけられないので、遊ぶ道具は必要。 現地はサイズがなかったり、すごく高いので、日本やアメリカから購入して行くのがよい。例えば、ゴルフ、テニス、シュノーケリング、浮き輪、ローラーブレード、等。子供の物も同様。

生活情報

:一年中半袖でOKですが、レストランや事務所は冷房をがんがん、かけるので寒い。長袖のフリースなど大人も子供も必要。朝晩は冷え込むので(カラカスは高地)カーデガンやジャケットが必要。パジャマは長袖が良い。タオルケットはあった方が良い。
子供の運動靴は紐の物がほとんどなので、必要な子供は持参した方が良い。
ゴムの入っているズボンが売られていないので、ゴム入りのズボンは便利。

:カラカスは韓国食材店(ロッテ)に日本食材があったが、高く(約3倍)賞味期限が消されている。会社の送付制度が楽しみ。アメリカに行ってトランク一杯に買い込んでくる。形は違うが、白菜・大根は手に入る。

お米は(ロッテにて)カリフォルニア米が購入できるが、時々店から姿を消し、出てくると値上がりしてる。という状態。駐在中に何度も値上がりして、いつ入るかわからない?という時もあった。パスタやパン、うどん、そばとご飯のサイクルを長くしたこともあった。こんなに貴重なお米なのに、飼い犬がこっそり食べていた。(-_-メ)

日曜日の朝に中国朝市が立つので、そこで、豆腐・チンゲン菜は手に入る。たまに、里芋がある。「手に入る」と言うより、あればラッキーと言う感じの食材調達。毎日行かないと、野菜はそろわない。

日本食レストランはありましたが、高く、それ以外は色々なレストラン(イタリアン・スペイン・フランス・中国など)が楽しめた。

:治安が悪いのでマンションに暮らした。子供は外で遊べないので、マンション内の公園が広い、プールあり、などの所を選ぶと良いと思います。

日本人学校のバスのルートの関係で、日本人が住む所はその付近となり、自然と集まっていました。かなり広い所に暮らせるので、幼児は日本に帰国すると、メイド部屋と間違えます(笑)

医療事情:日本語の出来る医者が一人。メトロポリターナ病院のDr.アパルセロ。日本に留学経験あり(奥さんは日本人)

しかし、日本の薬は手に入らないし、品不足で良い薬が売り切れる事も。英語が出来る医者もいるが、ほとんどがスペイン語。

カラカスの病院は、やや日本並みですが、田舎は望めません。

歯科に入った所、器具を食器洗剤で洗ったのを目撃!それを、娘の口に…でも洗わないよりはまし・・と前向きに前向きに。

医者に関しては、皆、優しく高ピシャでなかったので、雑談したり、リラックスして楽しくかかれたし、一緒に食事に行ったりして楽しんだ。わからない生活情報や、専門がちがうが良い薬を教えてくれたり、親切だった。

 娘が骨折した時は英語の出来るクリニカ・アビラ病院の現地人医師にお世話になった。 いつもニコニコ、ジョークを飛ばし、終わると飴を戴いた。

現地で妊娠、出産した友人のお話ですが、曰く「赴任2か月目に妊娠したので、生活が軌道に乗る前に精神的に参りました。
 日本で産むか現地で出産するか、かなり迷いましたが、最終的には現地で出産。後で後悔しない様に、本人の意思で決めてください。 ベネズエラは無痛分娩がノーマルで、日本と違うので不安でしたが、その国の一番良い方法をと思い、私も無痛にしました。無痛分娩は思ったより楽で、入院を延長して、3泊4日にしました。出産から5年経ちますが、私はベネズエラで出産して良かったと思っています。苦しいこともありましたが、今では、海外での出産は私の誇りとなりました。頑張ってきてよかったなと思ってます。

使用人:駐在者の紹介でベネズエラ人・コロンビア人・ペルー人など。 トラブルはほとんどの人があり。しかし、気が合うメイドさんと出会うと信頼も生まれ、別れもつらかった。当時は1日1500円程度

余暇:会員制のスポーツクラブで水泳、ゴルフ、テニスなど。数日の休暇があるなら、カリブ海(ロス・ロケス)・ギアナ高地・メリダ(アンデスの高地)など国内でもすばらしい所がたくさんあります。

国外ではペルー、アルゼンチン・ガラパゴス諸島(エクアドル)、カリブ海クルーズ、イグアスの滝、アメリカ、等。帰国してからではなかなか行けない、南米の国々をお薦めします。お子さんが小学生でしたら、ギアナ高地のエンゼルフォールまでのジャングル登山など。カリブ海でのスキューバーダイビングをしたい!!とライセンスをカリブで取った方も多いです。練習でカリブ海!なんて贅沢!

交通手段 :タクシーや自家用車。タクシーは、夕方・夜は治安が悪いので乗らない方が良い。タクシーは昭和30年代の車。クラシックカーではなく、ただ、車検システムがないだけ。スーパーではタクシーキットが売っている。ライセンスもなにもない。 スピードメータが壊れているもの、ウインカーがセロファンの赤だったり、手で合図する。
雨が降って来たら、ウインドウはガラス部分を手で引っ張り上げる。ボンネットを開けると、エンジンのみ・・というのがざら。しかし、お金持ちは高級車。激しい差です。

治安:ものすごく悪い。日本人の友人が、腕にはめた時計を町中で無理矢理奪われたり、車の盗難にもあいました。低い階に住んでいた方は旅行中に泥棒に入られ、電化製品を盗まれました。カラカスでは毎日、50人くらいの死者があります。クリスマスの時は特に気を付けてください。

私は出来るだけ外を歩くとき、金属は身につけない、結婚指輪もはずし、Tシャツ、Gパン、メイドさんより汚い格好で歩きました。路地には入らない、人とすれ違う時は相手との距離を持つ、後ろに歩く人に注意など・・緊張感がありました。物にはこだわらず、「命さえあれば」という気持ちで。

教育関係 (お友達の情報を含め、4家族のお子さん達の通った学校のことを紹介いたします。)

・幼稚園:(ミカシータ・ブランカ)1歳半からおむつが取れていれば入園。先生は人種に関係なく可愛がってくれたし、子供を通じてお誕生会で、お母さんとも仲良くなれた。国際的な幼稚園で色々な国の子供がいた。費用が高いので、現地では上流家庭と外国人が多かった。スペイン語だったので、母子共にコミュケーションが取れず苦労した。

・日本人学校:(カラカス日本人学校中心街からは遠いので、スクールバスが向かえに来る。 子供達は「楽しいので、土日も学校に行きたい」と話していた。学齢が低かったので、日本語を学ばせたいと思ったので、日本人学校を選びました。習い事はバイオリン・英語・スペイン語・水泳・ピアノを。

・インターナショナル:(コレヒオ・インターナショナル・デ・カラカス)入学には、簡単な試験有(英語のレベルチェック程度)
カラカスに転勤になる前がエル・ティグレ市(地方)だったので、そこのアメリカンスクールからの転校。中心部から離れていたが、先生方が信頼できた。校長先生が「任せてください。あなた方のお子さんをお預かりします。彼女はすばらしい!」と不安な私達両親を安心させ、温かく包んでくれて、本当にこの学校を選んで良かったと今でも思います。1クラスは15人程度。外国人の転勤族が多かった。

・治安が悪かったので小学6年生の次男と高校生の長男を一緒にしたかったし、せっかく異国に来たのだから、日本のシステムとちがった環境で勉強させたかったので、インターを選んだ。 学校外ではボーイスカウトなどにも参加しました。
高校生の子供でも、、カラカスは一人では歩くには危険なので、幼児の様に、送り向かえをしたり、自由を規制せざる逐えなかった。日本では考えられないので、始めはお互い大変だった。授業は英語、おしゃべりはスペイン語で慣れるまで大変でしたが、校則ずくめの日本とちがい大部分は本人の自覚と責任に任されて、自由だが、早くから大人扱い(個人)され、社交的なマナーも要求された。
学校のランチやスナックの時間は低学年から、自分でお金を持って行き好きな物を購入して食べる。人はどうか?というのではなく自分で決めて行動するところが良かった。

・補習校がないので日本語の維持に苦労した。一日数枚のドリルと日本語の本を読ませたが、寝言は英語になった。

心に残ったこと 日本から行くと余りのちがいにカルチャーショックがあるが、日本の流儀は持ち込まない方が楽に生活できます。物がなかったり、治安が悪くて思う様には生活出来ないけれど、それでも楽しみを見つけて暮らして行くのは、気持ち次第です。特にお母さんには笑っていてほしいと願います。習慣などが違うと言うことは、発見もあるわけです。片言の言葉でもこちらが心を開いて話しかければ、お友達にもなれる、フレンドリーなお国柄です。

一度、南米の味を知ると、おもしろくて、奥が深くて、興味が湧きます。物がないのに、便利ではないのに、・・日本と違うのに、日本より温かな心や親切な男性、ある意味ではとても豊かな心を与えてくれました。

98年後半に大統領選挙があり、治安が一層悪化して、暴動やクーデターの噂が流れたので、早めに帰国した。が何もなかった。

お薦めのサイト、本  Guide to Venezuela ( By Janice Bauman & Leni Young)

 


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