ももかの誕生

飾らず素直な気持ちを綴りたいと思います。

私はももかが生まれた日、それは雪が降る金沢でその日だけは快晴のとてもすばらしい    天気に恵まれた日でした。

私は今まで生きてきた人生のなかでいちばんの素晴らしい感動を体験しました。

小さな手足、もみじのように小さなかわいい手と手をつなぎ私は赤ちゃんの顔を見ながら 
心が震えるほど感動して涙があふれて朝まで眠ることができませんでした。朝日が       登り始め朝が近くなったことを 初めて知ったくらいです。

初めてのおむつかえ ドキドキしました。
「今日からは私が全部やっていくんだ、、」そんな何も解らない新米ママでした。

小さな身体、「赤ちゃん、がんばって生まれてきたね、ありがとう、ママだよ」
かぼそい足、、、私は思わず抱きしめて言いました。

「赤ちゃん、どんなことがあっても絶対お母さんが守ってあげるからね」

それがももかが生まれた日、、、
あの日の美しい朝日とかわいい助産院から見える雪景色、そして生まれたての赤ちゃんの  かわいさは忘れることはないでしょう。

ももかは、正常にうまれ、母乳も一生懸命たくさん飲み、すくすく、まるまる、むちむちの     赤ちゃん になりました。

しかしお首がなかなか座らず、この頃私は何件も有名な病院へ通います。
でも異常なし。しかし首は座らない、、、
別の病院で検査。医師がただの成長発達遅滞、大丈夫必要ないというなか、私はMRIを    撮って くれるように希望。
母親のカンは当たりました。 MRIにはしっかりと酸素欠乏の後が残っていました。
生後6か月の時、脳性まひと診断されました。

原因不明でおなかの中にいる時の、酸素欠乏によるものでは…といわれています。
出生児、へその緒が、首と肩にたすきがけだったので、もしかしたら、出産時一度         死にかけたのかもしれません。

だから、この世に生を受けたこと、生まれて来てくれたことに、今は感謝しています。

でも、私は出来た人間ではないので、感謝にかわるまでには、たくさんの心の葛藤が      ありました。

人間はつらすぎると涙すら出ないのだということを私は生まれて初めて知りました。

そして努力してもどうしょうもないことがあることも、、、。

朝起きて夢だったらと何度思ったことでしょう。

毎日行っていた公園へ行くことすらつらいことでした。

落ち着いて現実が見え始めた頃、私はももかが寝静まってからひとりでたくさんの涙を     その頃 流しました。


成長のゆっくりのももかをみて、「まあ、赤ちゃん、今何カ月?」とか何気ない決り文句の    ような質問にも、心が傷み、(実際は1才半くらいだったりして)「がんばってね」の励ましの   一言が重くのしかかったりして。

「がんばってね」という言葉は、実は、とてもつらい言葉になりえる言葉なんですよね。

がんばってるけれどがんばってもがんばっても何も変わらなくて先も見えない不安、
そんなとき「頑張って」と言われると「これ以上何もがんばればいいのだろう」と
感じるからだと思います。

でも相手には笑顔でありがとうと伝えなければいけない、 そんなこころのジレンマが       ありました。

言葉ってむずかしい。でも身をもって体験するまでは私も解らなかった。
過去には誰かを傷つけていたかもしれないと反省しました。

ももかの障害を受け入れられたのは、同い年の周りのお友達が歩き始めた頃でしょうか。
静かにゆっくりと現実を受け入れ始めました。

「障害は個性」最初は平気で笑ってそう発言する肢体不自由児施設の古い職員の言葉が   こころにつきささった時もありました。

まだ受け入れられていない頃の私です。

でも今は本当に個性なんだなあ…って心から思っています。

たくさんの流した涙は実はももかのためのものだけではなく、自分かわいい、自分を守る心、 自分のためのものではなかったかと今思います。

わたしが怖かったのは、親戚や第三者の目、好奇の目、そんな、くだらないもののためだと  気づいたとき、自分の心のきたなさや小ささを知り自分が恥ずかしくなりました。

そして、自分自身が今まで、障害者の方々を全く理解していなかったこと、なんとなく      同情心で ボランティア活動等を行っていたことを反省しました。

ももかとともに歩む中、一歩一歩、彼女のおかげで、私が成長させてもらっている、そう
今は心から思っています。

ももかの誕生はこころからの喜びでした。

しかし赤ちゃん誕生の人生で最大の喜びから徐々に 成長の遅れに不安な日々を送り、    そして 障害宣告、病院での検査、検査の日々、通院、療育と 慌ただしく休む暇もなく     眠れず誰も変われない現実。

過敏で泣きじゃくる赤ちゃんをあやしながらの電車やバスでの通院と療育生活の初期は    何もかも初めてで慣れず正直つらいものがありました。

「ちゃんと生んであげれなくてごめんね」
当時私はその思いでいっぱいでした。赤ちゃんの人生を狂わせてしまった。
原因不明でも理由があったにしても母親というものは父親とは違い自分のこころを        「自責の念で」痛いくらい痛めつけるのは10ヶ月共に愛おしく過ごしてきたからこそでは     ないでしょうか

でも ももかは生命力があったから生まれてこれた。人として生まれることはものすごい
難しいこと、強い子なんだ そしてきっとハンディをもって生まれてくるにはなんらかの
意味、メッセージがあるのではないかとも考えるようになります。

普通であることが当たり前の価値観であった私は世間一般の子育てからかけ離れていく    ことが当時不安だったのだと思います。これは私たちがマニュアル世代であるからという    ことも当てはまると思います。 

赤ちゃん雑誌等の子育て情報誌を読むことや写真やビデオを撮ることもこの時期
つらすぎてできませんでした。
(でも今は撮っておけばよかったと心から思います 実にもったいなかった、、、 )

でも少しづつこころは人との出会いの中で変化していきました。
時間は残酷なようで人に優しいです。

そしてつらさを体験した分、人は人に優しくなれるのだと思います。

ももかの小さな小さな成長は何百倍にもなって喜びとして私の元に返ってきました。
ももかはたくさんの感動や温かい出会いも与えてくれました。

たくさんの人の暖かさ、優しさ、思いやりにふれることができました。

そして、気が付くとたくさんの気ずきを与えてもらっていました。

ももかは私の大切なきらきらに輝く宝物です。

これは、不思議・・・ウソのような本当の話
ももか出生直前の不思議な夢・・・

私は当時早産しかかっていました。そこでお腹の赤ちゃんにイメージで毎日            伝えていました。

「赤ちゃん38週になるまでは 生まれて来ちゃダメだよ」

そんななか夢を見たのです。

広がるきれいな夜空、宇宙なのでしょうか、そこに女の子

「お母さん、いつ生まれたらいいですか?」

私(38Wをもうこえたから、、と夢を見ながら考えて)
「もう38Wに入ったからいつでも、いいよ。」

「それでは、私は2月の15日に生まれます」
美しい夢で それは、本当に鮮明な夢でした。

その夢を見た、その日の夜遅く、助産婦さんが、今日ということは、まず絶対に          ありえないと断言していたにもかかわらず、本当に、ももかは15日のPM11時5分に      生まれてきました。

満潮の時刻と共に人は生まれてくるといいますがももかもそうでした。

人の生は実に神秘的です。

この夢はわたしにとって、とても大切な夢となりました。
ももかはきっとこんな私だけれど、私を選んで生まれてきてくれたんだと、、、

この夢はつらい時に思いだすんですよね。

そして思い出すとこころが温かくなり、また、「よーし、がんばろう!」なんて、単純に       思ってしまうんですよね。

やっぱり授かった大切な子なんだって、初心に帰るんです。

子育てにつらくなった時は、あの初めて抱いた赤ちゃんの頃のぬくもりを              どうか思いだしてください。

あの時の感動を(*^-^*)

初めて抱きしめた歓びでいっぱいだった、あの時を。

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