「ガイジ」という言葉を通して思ったこと

ある日の掲示板のかきこみにガイジという言葉をつかったものがありました。

その方の価値観では障害児、障害者は劣っているという簡単にかいた書き込みでした。

でもその単語、そして言葉に私はものすごくショックを受けたのでした。

言葉というものは その人が何気なく発したものでも、書いたものでも相手のこころにささるものもあります。

時には涙するくらいに、相手を傷つけるものもあります。健常であることが優れていることとは私は思いません。

たしかに障害があること=不便であることはほとんどの場合間違いありません。

でも優劣というものは人間の価値観で簡単につけられるものなのでしょうか。

健常者・障害者という言葉も人間が作ったものです。そんなものに左右されてもいいのでしょうか。



人として生きていく上でなにが基準なのでしょうか。

障害があること、ないこと、、そんなこと なんにも関係はないと思うのです。

この世に生を受けたということ そこからがはじまりであり命の長さではなくて、いかに人として生きるか、、、

周りのひとに影響を与えるか、、、だと私は思うのです。
by cona

はじめまして。○○に住んでいる、まこ、といいます。HP見ました。とってもすてきなHPですね。♪

こなさんのお人柄がHPいっぱいにあふれていて、読んでてとっても暖かな気持ちになりました。

でもそのなかで、ショックを受けたのがやはり『ガイジ』という言葉でした。

実は、うちの生まれたばかり(3ヶ月)の息子も、出生時のトラブルから低酸素性虚血性脳症となり、
重度の後遺症を残してしまいました。

まだ、突然の出来事に戸惑いや不安ばかりの心境だっただけに
その言葉のもつ意味に、言葉で言い表せないぐらいの打撃を受けました。

どうして、こんなにも世間は障害者に冷たいのでしょう。たとえば、身体の病気の人に対してもそうでしょうか?

突然の事故で怪我を負ってしまった人には?
それが治る病気や怪我の時には、その人の痛みを理解しようとするのに・・・

もう治らない・・・後遺症となってしまったら、その人はお荷物になってしまうということですか?

社会で、いわゆる健常な人と足並みをそろえられない人は、劣っていると決め付けられてしまうのですか?

いったいなにを基準に、誰がそんなことを決められるのでしょうか?とっても悲しいですね。

でも、それに対する、こなさんの考え方に、とても勇気づけられました。
私達の子供は、かけがえのない愛しい存在なのですから・・・

主人はいつも「あの状態のK(息子の名前です)が、Kなんだよぁ〜♪」といいます。

(あの状態だからこそ、克徳なんだと言うような意味合いです。個性のようなものと言う捉え方ですね。)
KはK。健康だろうと、ちょっと病気があろうと、人という観点からは何も変わりはないんですよね。

そんな、想像力のない人の言動に、振り回されないようにならなければ・・・

でも、本当はまだ自分自身の心の中に、障害という壁があったことを思い知らされた出来事でした。

   
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