
神々の住む島ーバリ その2
6月30日
午前中はル・メイヨール美術館を見に行こうと、あまり気乗りのしない亜希と万里を連れて、メインビーチとは反対の方へ歩き出した。ベルギー人画家ル・メイヨールが、1932年から26年間滞在していたアトリエが小さな美術館になっているというので楽しみに行ってみると、なぜか休み。土曜日は午前中開いているはずなのに。しかたなく私はまたひとりで町に出かけることにし、子どもたちはホテルのプールで過ごすことになった。
![]() ホテルから北の方へ歩いていくと、観光客の ほとんどいないビーチに出ました。 |
![]() ビーチ沿いにもちゃんと神様が祭ってありました。 |
バリでは9割がバリ・ヒンドュー教徒であり、人々の信仰心は篤く、至るところでお供え物が捧げられている。メインストリートのジャラン・ダナウ・タンブリンガン沿いには多くのお店が建ち並んでいるが、その店先には必ずお供えが見られる。ただ店の前というより道路に置いてある感じで、見ていると外国人はうっかり蹴っ飛ばしてしまうこともあるようだ。私の前でもひっくり返した外国人が「Sorry」と言っているのが聞こえた。
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お供えを捧げるのは女性の仕事お供えを入れている入れ物も、市場で売られていました |
サヌールは思っていたような都会ではなかった。バリのリゾートに行くチャンスはなかったが、クタ&レギャンが1番賑やかで、若者に人気のところらしい。ヌサ・ドュアは日系のホテルもあり、日本からのツアー客も多い高級リゾート地。でもサヌールは、本当に日本人を見かけることが少なく、町を歩いていて出会ったのは1度だけだった。
![]() ジャラン・ダナウ・タンブリガン通り |
![]() バリの女性は頭に乗せて荷物を運ぶ |
ひとりでぶらぶらと歩き、なにかお昼ご飯を買っていこうと、現地の人が何人か食べているお店を覗いた。持ち帰れるかと聞くとOK。ビーチの近くとはいえ、こんな小さな店の女の子も簡単な英語がわかるのだと感心してしまった(この程度は日本人の若い子もわかるだろうが、英語で話しかけられると躊躇してしまう人が多いだけかもしれない)。
売っていたのはバリ人の常用食のナシ・チャンプル。ご飯の上にいろんなおかずを一緒に盛り合わせたもので、私にはとても美味しそうに見える。ただ子どもが食べれるかどうかわからない。
「これは辛い?」
「それほど辛くない。でもチリ(唐辛子)を入れないでおきましょうか?」
ふたつ買って、ひとつはチリをぬいてもらった。1個が5000ルピー。ホテルに戻って子どもたちに食べさせてみると、チリぬきのほうでも辛いと文句。特に辛さに弱い亜希はまったくだめだった。
![]() バナナの皮で包んであって、開けると こうなっていました |
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物価と買い物
今回の旅行で1番大変だったのは、物価が把握できないことだった。あまりにもインフレがひどいらしく、最新版の地球の歩き方に載っている値段もまったく違っている。最初にメインストリートの近くで買ったワンピースは、大失敗だった。これはたぶん2倍近いお金で買ってしまったと思う(それでも日本円にしてみると安いのだが)。
サヌールではメインストリートのお店よりも、サヌールビーチマーケットのお店の方が最初の言い値も安く値引きもしてくれた。お土産はほとんどそこで買ったが、損な買い物ではなかったと思う。
私が空港やホテルで換金したときのレートは1万円が895,000ルピア、1米ドルで11,000ルピアだった。ルピアで書くとすぐに通用しなくなるので、米ドルに換算してだいたいの物価をあげておいたほうがいいだろうと思う。
サロン・子どものワンピース・水着など 3ドル (大人用だともう少し高いかも?)
タクシー 1区間くらい 2ドル サヌールから空港まで 4ドル
ナシゴレン 1ドルから1.5ドル
ビール小ビン 1ドル
ちょっとしたレストランでの食事 5ドルくらい
Pringles(ポテトチップス) 1.7ドル (これはさすがにアメリカからの輸入で高いです!)
インターネット20分くらい 50セント (町のインターネットカフェでホテルはもっと高い)
出国税 75000ルピア(7ドルくらい) これもガイドブックとは大違いでした
日本円で考えると何もかも安く感じてしまいそうなので、まず10,000ルピアが1米ドルくらいと考えて、それを2倍にしてオーストラリアドルで物価を考えるという面倒なことをしてた。でもこの方が、生活感覚があってわかりやすかったのだが、4日目くらいからはルビアで考えられるようになり、買い物のたびに値切りたくなった。
泊まっていたホテルはオーストラリア人ばかりと思えるほどだったが、やはり弱いオーストラリアドルで十分に遊べる近いリゾート地はバリということなのだろうか。私も荷物がもっと少なければいろいろ買えたのにと、ちょっと悔しい思いでバリを後にした。