
オーストラリア 母子留学奮戦記
出発までのどたばた日記
1月27日から3月9日まで
何も考えずに、行きたいと思った瞬間、行動を起こしてしまう私。
子どもに泣かれようが、非難されようが平気。今しかできないことをやるんだから。
3月9日から3月31日まで
いざ決定するともう大変。仕事は片付けなきゃいけないし、留学の申し込みやvisaの
手配もしなきゃいけない。間に合うんだろうか?
やり残した仕事もいっぱい人に押し付けて・・・ごめんなさい!
4月1日から5月9日出発まで
休職に入ったらヒマになる!と思っていたのに甘かった。
多々ある宴会や送別会をこなし、家の片付け、荷物の用意
間に合わないよー!!!
ついに来たよ 母子留学奮戦記
5月9日から5月21日まで
いろいろあったけれどついに出発!日本の皆さん、当分の間はお別れですが、がんばって
きます。
生活するためにはいろいろと揃えなくては。でも車のない生活はつらい!
5月22日から7月9日まで
私も語学研修が始まりました。2月の新学期までのんびりやればいいと思っていたのに、
英語力試験を受ければ、7月からの後期に入れる可能性があることがわかり、ひたすら
受験生生活に突入。
1月27日から3月9日まで
1月27日(木)
思い立ったら即行動!
その日は会議がなく久しぶりに時間のある放課後だった。
合唱コンクールまであと1週間。でもクラスの乗りも悪いし、気分転換に机の整理でもしようっと。何これ?そういえば最初の職員会議で校長が説明してたけど来年からかなあ。いつ申し込みだろう。来年までに準備して申し込みたいな。えっ?今年度は1月31日とするって。この4月から適用なの?本当かな?府教委のすることって何でこんな急なんだろう。でも申し込もう!!
夫にも同僚にも誰にも相談せずに、書類を見つけて30分後私は校長室で「自己研修制度に申し込みたい」と告げていた。「おうちも了承済みですね。」「はい。」(うそばっかり)
子どもに泣かれてもやりたいことはやる!
その日子供たちは私の実家にお茶のお稽古に行く日で、私は学校から直行するつもりだった。でも教頭先生から書類を受け取り、あさっての土曜日に申請書を出してほしいと言われた私はまず本屋へ行って留学関係の本を探した。そして実家へ行き、まず子供たちに「もしかして来年からオーストラリアの小学校に行くことになったらどうする?」 とたんに亜希は「いやー!!」と泣き出してしまった。その声に驚いた母も慌てて様子を見にきた。万理は事情がわからないのかぽかんとしている。アー前途多難。
母や私になだめられて亜希はやっと落ち着いたものの不満顔。仕方ないなあ。
我が家のダンナは理解満点!
家に帰り子どもたちを寝かせたあとダンナに「話があるの。真剣な話。」と切り出す。一気に説明してダンナの顔色を覗うと、「おまえが行くって言うたら行くんやろなあ。」とボツリ。さすがに前のことがあるからわかってる。「子どもらは?」「もちろん連れて行くよ。」「勉強はどうすんねん?」「多分チャレンジは海外でも続けられるし、今はe−mailで毎日連絡も取れるから、作文を添削してくれたらいいやん。」
(幸いなことにダンナは国語の教師)
話もそこそこに私はコンピューターに向かい、英語教授法(TESOL)というコースのある大学のホームページを検索していた。
1月28日(金)
インターネットで留学先を調べる
前日に引き続きコンピューターに向かい、昨日目星をつけたディーキン大学、ウーロンゴン大学、シドニー工科大学のホームページを見ながら、メルボルンにあるディーキン大学にしようと決める。本当はシドニーの方がなじみがあっていいのだけれど、今年はオリンピックの関係でニューサウスウェールズ州のすべての学校は、その期間中休みになってしまうことがわかり、子どもたちには良くないかなと思ったからだ。
夜中の2時までかかって自己研修制度申請用紙をつくる。ホントに疲れた。
1月29日(土)
朝ダンナに文章をチェックしてもらい、学校で校長に提出した。
2月10日(木)
2月に入って何の音沙汰なしだし、いろいろ考え出すと、本当に行くことになったらどうしよう!!という気持ちの方が強くなってきた。仕事もその他のことも何もかも放り出していくわけだし・・・きっとみんな怒るだろうなあ。そう思いながら10日間過ごしたら校長から面接の日取りを渡された。来週金曜日。どんなことを聞かれるんだろう。
2月18日(金)
何の用意もせず面接にのぞんでしまった
今日は府教委の面接。有休を出して行ってくれと言われた。ちょっとなんで?という感じ。授業も振り替えたから3時間連続でやって、あたふた学校を出た。午後2時にプリムローズ大阪3階「福の間」。結婚式場もある小さなホテルといった感じのところ。でも府の施設なんだ。こんなところ全然知らなかった。10分ほど前に着いて待っていると、私の前の人がなんかたくさんの本を抱えて出てきた。私よりちょっと年上かなという女性。ちょっとして中に呼ばれた。さあ、何を聞かれるんだろう。
「まずこの研修に希望を出された理由をおっしゃってください。」
なんてマニュアル的な聞き方!と思いながら、届け出願いに書いたことと同じことを話した。大学時代の専攻が英語ではないので、もう1度勉強しなおしたいとずっと考えていたこと,オーストラリアはアジアからの移民が多いので、同じ英語教授法でも、考慮されていること、3回旅行に行き、子どもたちを連れて行くのには良い環境だとわかっていることなどを話した。
インターネットで検索してホームページからも資料を取っていること、現地にe-mailで問い合わせていることは感心してくれたけど、「これができないとこんな短期間に準備できるわけがない。」と文句を言いたいのをこらえた。
「もっと準備をして来年申し込むというのはできないのですか。なぜこの4月からなのですか。府教委としては、受け入れ許可のないものを認めるのは難しいので。」と、1番若そうな面接官が言う。「それなら4月に発表して来年度より実施て言うなよ。」と心の中で言い返しながら、「上の子どもが今度小学校4年生です。時期としては来年度からが一番子どものためにいいと思いましたから。」と答えた。
あっという間に面接は終わった。約15分。最後にも、「なにぶん初めてでご希望に添えないこともあるとご了承ください。」と言われ、もう来年は無理なんだろうなとがっかりしながら、でもちょっとほっとした気持ちもあり複雑な思いだった。
2月26日(土)
ディーキン大学からは何の音沙汰もない。いいかげんな対応だなあ。もし本当にこの研修が認められたら間に合わないや。第2希望のウーロンゴン大学にも問い合わせてみようっと。
ここは東京にも事務局を持っていて、日本のいくつかの大学と単位協定も結んでいる。オリンピックの休みがなければ、最初からここにしたいという気持ちはあった。取りあえずオーストラリアと東京の両方に同じような内容の問い合わせのメールを送った。
2月28日(月)
ウーロンゴン大学のすばやい返事に感激!
両方から早速e-mailで返事がきてびっくり。入学案内も郵便で送ってくれたとか。ずいぶん早い対応で親切なのに感激。東京オフィスの方からは、かなりていねいにアドバイスをしてくれている。今までにTOEFLなども受けていないが、付属のカレッジで一定期間学べば2月からマスターに入れるとのこと。
府教委からは音沙汰なし。面接のときに、2月末をめどに決定すると言ってたけど、学校で何も言われなかった。やっぱり今年は無理だったんだろうな。
3月9日(木)
決定はうれしいけれど・・・皆さんごめんなさい
昼過ぎ校長から「長期自主研修支援制度の適用について」という適用決定の通知書をもらった。先月の面接からもうあきらめていたからうれしいというより、どうしようという気持ちのほうが強い。なんて皆に言えばいいんだろう。
今日は遅くまで担任会議があるだろう。それが終わったら、とにかくこの1年間、英語科のペアでやってきたH先生に言わなきゃ。
すべての仕事が終わって、H先生に声をかけた。「先生ごめんなさい。何も言ってなかったけど、私、自己研修制度に応募していて、それが通ったって、今日通知が来たんです。」
きっと怒られるだろうと思っていた私の予想とは裏腹に、H先生は即座に、「良かったね。私もいつか申請したいなって思っていたの。」と笑顔で答えてくださった。
これから私の周りの人すべてに、このことを話していかなくてはならない。でも最初に話したH先生が、非難することなく笑顔で喜んでくれたことが、私に大きな勇気を与えてくれた。これからどれほど大きな困難な待ち受けていても、私は何とか乗り越えていこうという気持ちになれるだろう。