
ウーロンゴン便り
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City to Surf出場記 (2000・11 update)
情けないけど・・・ダーリングハーバーで置き引き (2000・11 update)
マルチカルチャーデイ (2000・12 update)
大事件!?アパートの駐車場で車上荒らし (2000・12 update)
スクールレポートー子どもたちの通知簿 (2001・3・3 update)
AUSSIE JINGLE BELLS (2000・12 update)
亜希と万里の初体験ー大冒険 (2001・1・28 update)
スキューバダイビングライセンス取得記ー前編 (2001・2・3 update)
スキューバダイビングライセンス取得記ー後編 (2001・2・18 update)
病院と薬 (2001・3・19 update)
ロイヤルイースターショー (2001・4・20 update)
アンザックデイ (2001・4・25 update))
ボランティアーMeals on Wheels (2001・8・13 update)
City to Surf 出場記 (2000・7・16)
6月始めにキャンパスイーストにあるオフィスへ家賃の支払いに行ったとき、(大学が所有している寮はすべてこのオフィスで管理している)7月の
Sun-Herald City to Surf の参加者を募る掲示を見つけた。例年8月半ばに行われる14Kmレースで、参加者も4万人を超える大イベントということで、その名前は聞いたことがあった。
実は私は4年ほど前から、マラソンを趣味にしている。最初走り出した時は2kmくらいで気分が悪くなってしまったが、若い頃からスポーツは大好きだし、20台の頃は生徒と一緒にマラソン大会も走っていたりしたため、すぐに10Kmくらいは走れるようになった。
ランニングを始めて3ヶ月目に10Kmレース、5ヶ月目にハーフマラソン、丸1年たってフルマラソンにチャレンジし、いわゆるビギナーズラックというかその初マラソンが自己ベストのまま今にいたっている。(ちなみに4時間2分くらいで、これは初マラソンとしてはすごいと回りから言われ、いい気になっています) でもその後3,4回のフルマラソンにチャレンジしたものの、4時間15分から20分程度の記録が続いているので、この3年間のオーストラリア滞在中にで自己ベストが出すことがひとつの目標だ。
キャンパスイーストの掲示には出場料22ドルで、往復のバスが出ると書いてある。思わずオフィスの人に、
「キャンパスイーストの住人でなくても申し込めますか?」
「大丈夫と思うけど、担当のBredに電話してみて。」
と言われた。7月16日〈日)の朝8時ごろにキャンパスイーストからバスで出発し、10時からのレースに出て帰るのはもう夕方になるかもしれない。まず子どもたちをどうにかしなきゃいけない。家に戻り、さっそく香織さんに預かってもらえないかと聞くと、すぐOKと言ってくれた。すぐにBredに電話をして出たいと告げ、またキャンパスイーストに申込書を出しに行ったのは締め切りの日だった。
さて当日、ベッドにいる子どもたちに声をかけ、7時半頃キャンパスイーストへ。香織さんが9時ごろ子どもたちを迎えに来て、家に連れて行ってくれることになっている。久しぶりのマラソン大会にわくわくしながら行くと、マイクロバスの運転手さんとちょっと年配の女性が入り口のところにいた。その女性は運転手さんの隣人で、たまたま
City to Surf の話になり、そのバスに乗っていけばということになったそうだ。
「私は Nokia Back で行くんだけど、あなたは?」
「今までにフルマラソンも出てるから、Group
B に登録してます。」
この City to Surf はとにかく膨大な数の出場者で、参加者は3つのグループに分けられている。まず前年までに90分以内に走ったことがあれば
Group A に登録できる。そうでない人や初めての人は
Group B そしてのんびりと歩きたい人は Nokia
Back of the Pack というグループで1番最後にスタートする。
8時前にぞろぞろと若い学生が出てきて、バスに果物やサンドイッチ、飲み物を積み込んだ。全員で20人くらいだろうか。見た限りアジア系の学生は少なく、オージーっぽい子が多い。キャンパスには留学生ばかりが目に付くことが多いので、これほどオージーの学生に囲まれたのは初めてだ。
出発してまもなく金髪のすごく背の高い男の子が寄ってきて、
「マサコだよね。キャンパスイーストチームのTシャツがあるんだけどいる?」
「もらってもいいの?みんなそれを着て走るのかな?」
「走るヤツもいるよ。でもあなたには大きすぎるけど。1サイズしかないんだ。」
もらえるものはもらわなきゃソンとばかりに受け取ると、ちゃんと
University of Wollongon Campus East のロゴ入り。私にはTシャツドレス並みの長さだった。
シドニーに行くのはこちらへ来て初めてだ。空港からここへ来たときは、眠かったこともあり、あまり景色を見ていなかった。でも今度は空港へ行く道も覚えておこうと、ずっと景色を眺めていた。道は山の中を通り、いくつかの町を通り、海岸線を通った。1時間ほどで空港の標識が見えた。でもそこからシドニー市内にはまだ30分以上かかる。しかもさすがに市内は交通量も多く、スタート地点のハイドパークの近くにバスが停まったのはもう9時20分頃だった。
運転手さんとBredが早口でなんか話している。再集合地点は
Meeting Point でとか言ってるけど、ほんとにみんなに会えるんだろうか。何万人も人がいるのに、迷子になったらどうしよう。
「ほんとにみんなに会えるのかしら。」と
Nokia Back に出る女性に聞くと、「Don't worry.
Have a nice run!」 と行ってしまった。グループごとに受付場所も違うから、とにかく急いで受付を済ませて荷物を預けないと。たしか9時半までって書いてあったっけ。
あまりに人だらけで、自分がどこにいるかもわからない。とにかく同じ青色のゼッケンの人に受け付け場所を聞いてそこまで走る。私の受付は
Sydney Grammar School でその駐車場みたいなところで、みんな着替えていた。今日はラッキーなことに暖かく、もうランニングスタイルでも寒くなさそうだ。全部リュックに詰めて受付でもらった青いビニール袋に入れて、外に停まっているトラックに放りこんだ。でも外にゼッケンナンバーが書いてあるとはいえ、この何万人もの荷物からちゃんと見つかるんだろうか。
公園の簡易トイレも長蛇の列、でもまだ時間が間に合いそうだから行っとかなきゃ。出てくるともう10時10分前くらいで、青色のゼッケンの人ごみの中に入った。
終わってからわかったけれど、今回の参加者は42,409人だったそうだ。もうスタート地点といってもどこかわからず、とにかく身動きが取れないくらい人に囲まれている。しかも私は背が低いので、回りの人間で何も見えない。Group
A は10時スタートということだけど、それもいつだったのか全くわからなかった。ただ遠くのほうで歓声が聞こえるなあと思っただけ。
スタート時に上に着ていた服は、スタート地点に置いていけば、リサイクルとしてボランティアの人が回収してくれるそうだ。10時近くになると、あっちこっちから道路の端に向かって服が飛んできて、私の目の前の人の頭にもすっぽりTシャツが乗った。
10時10分を過ぎてから、なんとなく回りが動き出した。でも走るなんてとんでもなく、人ごみに押され歩くのみ。そのまま歩きつづけると初めてスタート地点が見えた。それを過ぎる頃から、ようやく人を押しのけて走る人が見え出したので、私もさあ出発とばかりに走り出した。でもとにかく人だらけで走りにくい。まるでバスケットボールのドリブルをしながら走っているようで、ジグザグ走行。5分ほどしてようやく人を避けながらもちゃんと走れるようになった。
キングスクロスに向かうウイリアムストリートは見慣れたところだ。シドニーに来るたびに、キングスクロスの近くの安いアパートに泊まっていたから。通りのカフェの日よけの屋根の上で、バンドが音楽をかき鳴らしている。これはアマチュアグループなんだろうか。ロックのリズムが心地よく、沿道の声援もものすごい。
回りから歩く人がいなくなり、ようやくマラソンらしくなってきた。ローズベイに沿って走るニューサウスヘッドロードはかなりの坂道がつづいている。でもとにかく天気がよく、声援も途切れることがないので気持ちよく走れる。ちょうど半分くらいのところで、丘の上からシドニー湾が見え、ハーバーブリッジやオペラハウス、たくさんのヨットが見えたときは、あまりにも美しい景色に感動して思わず涙が出そうになった。
そこからの後半は下り坂が多く、本当に楽だった。14Kmとたいした距離ではないけど、何せこちらにきて一ヵ月半ろくに走っていないため完全に練習不足。でも記録よりも、回りの雰囲気も含めて楽しむために出たレースだったので、本当にきれいで走りやすいコースが最高にうれしかった。
ゴールもたくさんゲートがあり、そこを通るとカードを渡された。そのカードにゼッケンについているシールを貼って係りの人に渡す。そして次のゲートで参加賞のメダルがもらえた。正確なタイムはわからないが、目標とした90分は切れたようだ。これでもし来年出る場合は
Group A で参加できる。
サンヘラルドの新聞も無料で配られていて、もらったゲータレードと持ってきたサンドイッチをつまみながら、ミーティングポイントでずっと新聞を読んでいた。でも本当に人だらけで、しかもBredも含めて他の学生たちの顔も全く思い出せない。どうしても金髪の子は皆同じ顔に見えて覚えにくいのだ。ミーティングポイントはアルファベットの旗が立っているので、とにかくCの旗が見えるところで座っていた。
どれくらい待っただろう。新聞もかなり読み終えた頃、「Hi」と声がして顔を上げると一緒に来た年配の女性だった。
「向こうにドライバーがいるから、バスが停まっているところまで行きましょう。」
「よかった。あなたが見つけてくれなかったら、もう帰れないかと心配になってきたところだったの。」
バスのドライバーのおじさんも、向こうの学校のところに停めたから先に行ってていいよというので、二人でバスのほうへ向かった。でも言われた学校のところには見つからず、また元の場所に戻りかけたらキャンパスイーストの学生のグループとすれ違い、その女性が気づいてくれた。本当に私一人だったら、行方不明になってしまっていたのじゃないかと思えるほど人とだらけ。もうスタートから3時間近くが経とうとしているのに、まだにこやかに歩いてくる人もいる。
バスに戻ると隣の学生がサンドイッチと飲み物を渡してくれた。さっき持ってきた一切れは食べていたけど、ありがたく頂戴する。本当はキャンパスイーストの学生用なんだろうけど、だれも気にしていない。一緒にあったオレンジももらってしまった。
キャンパスイーストに戻ったのはもう5時ごろだった。何人かがカメラを持ってきて、私も一緒に写った。私も持ってくればよかったと後悔。そのまま子どもたちを迎えに行く。香織さんがテレビの放送をビデオにとってくれていた。42、000人では、とても写っているとは思えないけれどいい思い出だ。
翌週のサンヘラルド紙には、完走者全員の記録が載った。私は42,409人中14,749位で89分51秒という記録だった。最後の人は5時間もかかっている。たった14Kmなのでゆっくり歩いてもこれより早いんじゃないかと思えるけど、きっと記録なんて関係ないのだろう。このレースは年齢制限もないし、亜希や万里より小さな子どもも、ベビーカーを押した人も、まるで仮装行列のように着ぐるみを着た人までいた。(あまりにいい天気だったから大変だったろうな)レースというよりも、シドニーの1大イベントを楽しむために参加する人も多いのだろう。そしてそれを支えるボランティアの数も生半可じゃないようだ。ボンダイビーチからバスの帰り道はレースが行われた道を通ったが、たった数時間で4万人が飲み散らかした紙コップは、跡形もなく片付けられていた。かなりの交通規制が行われたようだが、日本のような交通渋滞は見られなかった。たった22ドル〈約1400円)の参加費でメダルと記録用紙も後日送られてきた。日本だと10Kmレースでも3000円くらいする。協賛している企業も多いが、とにかくかなりのボランティアが働いているのだろう。
「来年はみんなで出よう。ふうとくんもりりかちゃんも。もししんどくなったら、りりかちゃんだったらおぶってあげるよ。」
「本当ね。そしたらみんなでメダルがもらえるやん。」
香織さんと来年の決意をして、満足して私たちは家路についた。
情けないけど・・・ダーリングハーバーで置き引き (2000・8・5)
これはほんとは書きたくない・・・けどこれも経験のひとつなので、進まないペン、いやキーボードをすすめている。
私たちの住むグラデュエイトハウスには、自治会みたいな委員会があって、いろいろな係りの役員もいる。独自の行事もあり、前に書いたパーティもそのひとつだ。7月のニュースレターに8月にダーリングハーバーへのツアーをするという案内が載っていた。向こうに行けば、基本的に自由行動。バス代は一人5ドル。
「亜希、万里、ここからバスでダーリングハーバーに連れて行ってくれるって書いてあるけどどうする?」
「それ、どこ?」
「水族館のあるとこ。また水族館に行きたい?」
「行く、行く!」
うちの子たちはなぜか水族館が大好きだ。シドニーだけでなく他の都市でも行っていて飽きないのだろうか? まあ海底トンネルでサメのお腹を見るのは、おもしろいから私も好きなんだけど。
「どうせなら、ふうとたちも一緒にいけないかなあ。」
「じゃあ、ママ電話して聞いてみるね。」
ということでさっそく役員の人に電話を聞いてみると、もしバスの席が開いていたらOKとのこと。2日前に確認してほしいと言われた。すぐに香織さんに電話をして、そのことを話す。
「一緒にいけるたらいいけど。」
「いつもそんなに希望者も多くないらしいから、大丈夫だと思うよ。」
8月5日土曜日、香織さんたちを含めても、5家族くらいしか参加者がなくバスはがらがらだった。子どもたちはみんな大喜びで、水族館にいけると騒いでいる。香織さんと私も何だか遠足気分。この前
City to Surf の時の通っていったのと同じ道をバスは進んでいく。亜希と万里は5月以来1度もシドニーに出ていないし、ここに来た日のピックアップのミニバスの中ではほとんど寝ていたため、ほとんどの景色は初めてと同じだ。
「ママ、ウーロンゴンのビーチが見えるよ。」
「ほんとにきれいだねえ。」
まるでおのぼりさんのごとく、私たちのバスはシドニーに向かって走っていった。
ダーリングハーバーに着いて、Presidentのジムがみんなを水族館まで連れて行ってくれた。そこからはもう自由行動で、帰りはバスで集合。子連れにとってはとても気楽だ。
シドニー水族館へは初めてオーストラリアに来た4年前に行ったきりだ。あの時万里は5歳だったからあまり覚えていないかもしれない。私もすべて覚えているわけではないが、入ってすぐのところにオリンピックのマスコットにも選ばれている「カモノハシ」は前にいたという記憶はない。それを見るなり4人の子どもたちは、「Platypusだ」と走っていった。
「香織さん、Platypusってなんだっけ?」
「カモノハシだった?」
「そうか、子どもの方がよく知ってるねえ。」
私の想像していたより、カモノハシは小さくてかわいらしかった。そこからイルカや、海底トンネルでサメやエイに大騒ぎをしながら水族館を見て回った。
お昼頃に見終わって、ハーバーサイドショッピングセンターのフードコーナーで食事にする。何にしようかと見ているうちに亜希たちは意外なものを見つけた。
「ママ、あれがほしい。」
「なに?えーっ!りんごあめ?」
小ぶりのりんごに真っ赤なアメのコーティング。日本のお祭りで売ってるのと全く同じだ。私は小さい頃、いつも欲しいと買ってもらったくせに、外側のアメを食べたとたん出てくるりんごの酸っぱさに我慢できなくて、途中でいらないとほおりだしては怒られた。それを思い出し、子どもたちにも「絶対最後まで食べなあかんよ。」と身勝手な注意をする。
日曜日とはいえ、日本の観光地に比べると人は本当に少ない。今日は冬でもとても暖かくて気持ちがいい。どこに行こうかといいながらぶらぶら歩いて公園のところまで来て、子どもたちはそこで止まってしまった。
「じゃあ私たちはお茶でも飲んで来ようか。」
「向こうのマクドのあたりなら、子どもたちもわかるからいいんじゃない。」
と、子どもに向こうにいるからと声をかけ、私たちはマクドナルドのとなりのカフェの外のテーブルでカプチーノを飲むことにした。
二人でおしゃべりをして、何分くらい経ったのだろうか。「子どもたちどうしてるかな。」と席を立ったとたん、背中のところに置いていたリュックサックがないことに気がついた。
「リュックがない!えー!いつの間に?」
「いつ取られたんだろう。私はずっと目の前に座ってたのに。」
私は独身時代にバックパッカーとしてかなりの国を歩いている。治安の悪い国、政情不安定な国も含めて20カ国以上は訪れているし、渡航歴も20回近くになる。でも今まで、盗難にあったことがなかった。だからこの置き引きは本当にショックであまりの情けなさに声も出なかった。香織さんも目の前に座っていて気づかなかったことショックを受けている。
「ここはシドニーで1番盗難が多いんだって。4月におばの家族と来たときも、おばがセガワールドで置き引きにあったの。」
「やっぱり、プロの仕業なんだろうね。」
「何が入ってたの。」
「デジタルカメラに使い捨てカメラ、後は亜希の帽子と・・・バナナが4本と・・・タオルかな。とにかく財布はウエストポーチの中だから。」
「警察に行こう。前にも行ったから場所は覚えているし。」
「香織さんも、同じ警察に2回も付き添っていくなんて不思議だね。」
そこから歩いて数分の警察では、置き引きにあったといってもたいしたことでないといった様子で、女性の警官が盗難証明を書いてくれた。でもデジタルカメラもメーカーだけしか覚えておらず、後はたいしたものでないため言うのもちょっとはずかしい。10分もかからず証明書が出て、私たちは子どもたちのところへ戻った。
「ごめん、万里ちゃんのリュックと〈実は借りていた)亜希ちゃんの帽子が盗まれちゃった。それにこの間から取った写真もアウト。」
他のものはともかくこの使い捨てカメラだけが、一番悔しかった。この前行った動物園の写真も入っていたのに。
時間があまりなくなったため、中華街のパディスマーケットで亜希に代わりの帽子を買っただけでバスに戻った。バスの中で、香織さんと保険のことを話しているうちに、ふと気づいた。
「クレジットカードについてくる保険って3ヶ月以内なら有効じゃないかな。私たちが来たのは5月10日だから、まだ間に合うわ。」
「おばも海外旅行保険で、ほぼ全額戻ってきたって言ってたわ。」
「そしたら、デジタルカメラは同じ額でももっといいものが買えるかもしれないね。とにかく悔しいのはあの使い捨てカメラだけ。」
翌朝カード会社に電話をすると、帰国しなくても書類を揃え、夫が日本から郵送手続きをすることでOKだとわかった。
後日、日本から問い合わせてもらった結果、警察の盗難証明、パスポートコピー(写真と出入国のスタンプのページ)、保険会社からの書類(これは夫が代理で記入してくれたので、よくわからないが、保険請求書みたいなものらしい)で手続きはすんだようだ。夫が書いた額よりは、使用年数考慮とかで引かれていたらしいが、私は盗まれたデジタルカメラより高性能の211万画素、15秒動画録画〈HQモード)のカメラを夫に頼んで手に入れた。日本のデジタル産業はたった半年で、同じ値段のカメラでも高性能のものが手に入るようにしてくれた。ということで、カメラだけを考えると、この置き引きは決して損をしたわけではなかった。
しかし・・・私は情けない。ウーロンゴンという田舎に住み早3ヶ月〈それでもオールトラリアで9番目に大きい都市らしい)、旅行者としての危機感もなく、ぼーっとしていたのだと思う。バックパッカーをしていたのは10数年前で、それ以後に訪れた国は、ニュージーランド、シンガポール、オーストラリアと比較的治安のいい国か、ツアーで行った韓国、中国。やっぱり、バックパッカーのカンは無くしているのだろう。まあ、これくらいの被害ですんだことはいい経験だったと思うべきと自分を納得させている。
マルチカルチャーデイ (2000・11・24)
グインビル小学校は、10カ国以上の子どもたちがいるマルチカルチャー(多文化)が特色といえるかもしれない。ウーロンゴンという市自体マルチカルチャー、マルチリンガル(多言語)を特色にあげているし、大学が近く、グラデュエイトハウスの子どもたちはほとんどこの小学校に通っていることもその理由のひとつだろう。実際亜希のクラスの女の子は、13人中11人までが移民か一時滞在者の子どもで、金髪の子は2人しかいない。でも、2世3世も含まれているはずなので、どの子が外国籍の子かはまったく判断がつかない。
亜希と万里も最初から外国人としての特別扱いをされることもあまりなく、自然に小学校に溶けこむことが出来た。またESL(英語補習)クラスの先生も、各国からの子どもたちの対応に慣れておられ、子どもたちへの対応も本当によくして下さる。同じウーロンゴンでも、ESLクラスのないところや、また半年だけでそれ以後は有料になるところもあるそうだが、このグインビルは必要がなくなるまでESLクラスに参加できるらしい。
このマルチカルチャーを1番感じたのが11月24日に行われたマルチカルチャーデイだった。この日、子どもたちはクラスごとにテーマ国の展示をつくり、学年を超えた小グループでその展示を見て回る。外国人家庭から借りた展示品を見ながら、その国に関するクイズを解いてツアーカードに答えを書き込んでいく。低学年から順に、日本、インド、ポーランド、インドネシア、中国、トルコ、韓国で、亜希の浴衣は最年少のK/Fクラスの壁を飾った。万里のクラスは中国で、担任の先生に聞くと中国人の女の子はいないとのこと。我が家には子供用のチャイナドレスが2枚あるので、それを展示してもらおうと思った。
「赤いチャイナドレスが2枚あるんですけど、持って来ましょうか。」
「だったらマリとショーコがそれを着ればいいわ。日本人の女の子がチャイナドレスを着るのもおもしろいじゃない?」
亜希のクラスはトルコだったため、特に何も用意せず、私は白インゲンのような豆で白あんをつくり、それで水ようかんのようなものをつくった。学校からのプリントによると、なんでもいいからお国料理を持っていき、子どもたちは50セントを払ってそれを試食できるとのこと。そのお金は後日ユニセフに寄付するそうだ。
行ってみて驚いたのは、クラスのテーマに関わらず多くの子どもたちが民族衣装を着ていたり、親も民族衣装の人がいたことだ。見ただけでオーストラリア人とわかる子まで、サリーっぽい生地やバティックの生地を身体に巻いている。(下にビキニの水着を着ているけど、なんかアンバランス) こんなことなら、浴衣をかすのじゃなかった。亜希に着せておけば目だったのに・・・と見栄っ張りな親の意識が働く。でも万里と祥子ちゃんはかなり目立っていて、(やっぱり赤のチャイナドレスはかわいい!)二人とも恥ずかしがっている。万里には朝髪の毛もおだんごをつくり、それらしくしておいたのに、行ってみるとすでにはずれていた。
最初にいつも集会をする図書館で、子どもや親の有志による踊りや歌の披露があった。最初は、みんなからジュニアと呼ばれている亜希のクラスの縦にも横にも大きい男の子の家族で、私にはとても懐かしいニュージーランドのマオリの歌と踊りだった。NZに短期留学をしたときに、ロトルアというマオリの多い観光地でショーを見て、その激しさにびっくりしたのだった。でも子どもたちはあまりに小さくて、全く覚えていないだろう。(なんせ、万里は10ヶ月の赤ちゃん!)
その後もまだ小学校1年生の女の子のベリーダンス(トルコで有名な官能的な踊り)や歌、バリダンス(インドネシア)、韓国の歌とオーストラリアにいながらいろんな文化を楽しむことができた。こんなとき、着物を着て踊りでも披露できたらいいのにと、自分の無芸さが悲しくなった。せめて浴衣で盆踊りでもと思うが、一応大阪の都会育ちの私はあまり機会が多くなかったため、盆踊りひとつ覚えていない。
亜希もケン玉では、ちょっとこんなときにはピンとこないだろうし・・・やっぱり人前で何かできるっていうのはすばらしいなあと、亜希と同じクラスのアウディとナイヤの美しいバリンスを見て、つくづく感じた。本当に二人とも10歳とは思えない色っぽさと美しさだった。
出し物が終わって、子どもたちは先に書いたようにグループに分かれ各教室を回っていく。あまり英語の読めない万里と祥子ちゃんには、6年生の女の子がつきっきりでクイズを読んで説明してくれている。私はその様子を遠巻きに見ながら、二人がちゃんと答えを書いているのを見て不思議だった。まだ万里はたいして英語がしゃべれないが、リーダーの女の子の早口の英語に、なんとなく反応している。すべてのグループが教室を回り終わった頃、校長先生がマイクで、生徒や保護者たちにこう言われた。
「今から、お母さんたちが作ってくださった世界中の料理をみんなで食べましょう。一番小さいK/Fクラスから順に並んでください。でも
Year 6のみんなも心配しないで。食べ物はたくさんあります。協力してくださったお父さん、お母さんも子どもたちと召し上がってください。」
私も亜希のクラスまで待って一緒に並んだ。こういうときに不思議なのは、親が混ざっても当然という顔をしていることだ。中には1番始めのクラスと一緒にとりに行っている親もいた。6月のアスレチックカーニバルも、10月のパラリンピックも、かなり親の協力が必要とされている。それが全員にではなくボランティア的に行われ、なんとなくうまくいっているのも、おおらかな国だなと思う。日本では、学校で何か行事をするときには、かなりきっちり計画をたて、そのとおりにしようと教師は躍起になるが、それに比べるとなんていいかげんなんだろうと感じる。でも、先生方も含めて行事を楽しんでいるのがよくわかり、こんなのんびりさも魅力だと思う。
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| 右端から万里、祥子ちゃん、7,8才の子たち | 亜希とそのクラスの女の子 |
スクールレポートー子どもたちの通知簿 (2000・12・20)
クイーンズランド州、西オーストラリア州は2学期制だが、それ以外の州は4学期制を採用している。1学期(1月下旬〜4月上旬) 2学期(4月下旬〜7月上旬) 3学期(7月下旬〜9月下旬) 4学期(10月中旬〜12月中旬)で、日本とは反対の夏休みが年度末の1番長い休暇となる。2000年はオリンピックのため、例年とは日程が少し変わり、9月11日〜10月2日まではすべての学校が休みになった。
12月20日で今年度の授業がすべて終わり、子どもたちは日本より一足早く4年生と3年生を終えてしまった。こちらの学校は(といっても他の学校は知らないのだが)、始業式や終業式のようなものがなく、学期の最初の日も最後の日も、普通に始まり普通に終わる。通知簿にあたるスクールレポートも、担任の先生が書き次第配られるようで、12月に入ってしばらくすると万里のが封筒に入って渡され、その2、3日後に亜希も持って帰ってきた。
日本の小学校の通知表も、昔に(つまり自分のこと、私の小学生時代は5段階評価だった)比べるとわかりにくい。どういう観点で評価されているのか、いまいちわからないなあと感じている。まあ私がつける成績も、生徒たちにはなんでそんな成績になるのかわかっていなかったかもしれないが。
とにかく持って帰ったものを少しどきどきしながら開けてみた。
いくつかに分かれているが、大きく分けられるのは国語(つまり英語)、算数、その他の科目、そして「社会的発達と行動習慣」と総合コメント。
すべてを紹介するのは無理なので(というより訳すのが面倒なので・・・すみません)、英語だけを取り上げてみると・・・
ENGLISH
READING ・1人で様々な分野の本を読むことができる
・書き言葉を理解するために幅広い読解能力がある
・書き言葉を理解するために幅広い読解技術を使うことができる
WRITING ・文章を考え、構成し、構成する能力がある
・適当な文章構造を用いることができる
・正しい文法と句読点を使って書くことができる
TALKING AND LISTENING ・クラス活動で正式な、またはくだけた表現でコミュニケーションができる
・さまざまな口頭発表ができる
・さまざまな状況で、話を聞き取ることができる
算数も NUMBER[数字・計算] SPACE[図形・グラフ] MEASUREMENT[計測・単位] (この日本語訳は英単語の直訳ではなく、内容を表すために訳しています) に大きく分かれ、また細分化されている。その他の科目としては、CREATIVE ARTS(芸術) PERSONAL DEVELOPMENT, HEALTH and PHYSICAL
EDUCATION(個人の発達、保健体育) HUMAN SOCIETY AND ITS ENVIRONMENT(人間社会と環境) SCIENCE AND TECHNOLOGY(科学と技術) でこれらは2,3種類にしか分かれていない。その一つ一つの項目に、B-Beginning(初歩) D-Developing(発達段階) M-Maintaining(維持)とマークする欄があり、チェックされている(これは直訳ですがBDMの順に良いということでしょう)。
当然ながら亜希も万里も英語についてはすべてBで、算数は亜希はDとMでよくできると書いてもらえ、万里はBとDが混ざっていて、英語がわからないために自信を持って答えられないというコメントがついていた。
ESL(英語補習)クラスに出ている子どもたちには、そのレポートもついてくる。NSW州にはESLスケールという基準があり、公立の小学校のESLクラスではその基準によって判断される。ORAL INTERACTION (聞き話す活動) READING AND RESPONDING (読みと対応) WRITINGに分かれていて、ORAL INTERACTION だけは8段階、あとは10段階に分かれている。 二人ともまだまだ初歩の段階だが、ひとつひとつにコメントを書いてもらっていて、二人のESLクラスでの活動が想像できた。
今回の研修が決まったとき、自分にとってのプラス面だけでなく、「子どもたちがバイリンガルになれる!」と喜んだのは言うまでもない。一応それを専門に勉強している私は(私のマスターコースで「第2言語習得」とか「バイリンガル教育」とかやっています)、約3年間の滞在で子どもが間違いなくバイリンガルになれるはずだと信じている。だがこの2000年末で8ヶ月になろうとしている2人の英語力は、ペラペラには程遠い。家ではどうしても日本語だけの生活になり、また回りにも日本人がまあまあいるために、英語を使う必要性にかけているかもしれない。今のところはあせらずに、それよりも日本の勉強に遅れないように、「チャレンジ」を叱咤激励しながらやらせている毎日だ。
まあ、うちの子たちは、超活動的と言われる私のペースにも参ることなく、ここでしか出来ないこともどんどん経験してきた。できるだけ多くの人に出会うチャンスをつくり、私の大学のクラスメートたちとのパーティにも連れて行っている。この半年で車は5000Kmを走っていて、平日にはほとんど車に乗る必要がない生活としては、かなりドライブもしてきたということだ。
勉強だけがすべてではない、英語はそのうちにしゃべるようになるだろうと思っていても、スクールレポートを見ながらため息が出てしまうのは、私もやっぱり「今の日本の母親」なんだろうか・・・!?
AUSSIE JINGLE BELLS (2000・12・25)
この前から、子どもたちを迎えに行くと、クリスマスソングが聞こえてきました。おなじみの「きよしこの夜」や「ジングルベル」もありましたが、遠くで聞こえてくるだけだったので、歌詞までは注意していませんでした。でも先週の小学校で Carols by Torchlightという行事があり、そこで歌われているジングルベルを聞いてびっくり!全然歌詞が違うのです。
「亜希、カンガルーがどうのこうのとか、バーベキューとかスイミングとか聞こえたけど、学校でこれを歌ってんの?」
「そうやで。全部歌われへんけど、知ってるもん。」
ジングルベルの英語の歌詞はただひとつと思っていた私は、一緒に歌えなくて悔しい思いをして、子どもたちが適当に〈?〉歌うのを聞いていました。
残念ながら6時半から始まった子どもたちのCarolsは、直後に雨が降り出し、せっかく練習した子どもたちも、舞台(そんなたいそうなものではないが)で歌えずに、屋根のあるキャンティーンに全員がぎっしり入り込んで、大合唱となりました。
子どもたちが歌っているのを聞くだけでは、とても何と歌っているのかはわからず、学校の先生に教えてもらおうかなと思っていたら、同じ専攻で博士課程にいるマサさんが、「CDを貸してもらったから、ダビングしてあげるよ。」と歌詞もコピーしてくれました。そのクリスマスソングばかりのCDは、曲はかなりおなじみのものもありましたが、歌詞はかなり違っていて、とてもおもしろいのです。
ということで、私が感動(?)したオージージングルベルを紹介します!
AUSSIE JINGLE BELLS オージー ジングルベル
Dashing through the bush ブッシュを突っ走ろう
In a rusty Holden Ute ポンコツのホールデンユートに乗ってさ
Kicking up the dust ほこりをけちらかして
Esky in the boot トランクにはアイスボックス
Kelpie by my side 横にはケルピードッグが乗っている
Singing Christmas songs クリスマスソングを歌いながら
It’s summer time and I am in
今は真夏だ、おいらは
My singlet, shorts and thongs シャツに短パン、サンダル姿
Chorus
Oh, Jingle Bells, Jingle Bells
ジングルベル ジングルベル
Jingle all the way
ジングルオールザウエイ
Christmas in Australia
オーストラリアのクリスマス
On a scorching summer’s day
焼け付けるような真夏の日
Jingle Bells,Jingle Bells ジングルベル ジングルベル
Christmas time is beaut クリスマスはサイコーだ
On what fun it is to ride
なんておもしろいんだろう
In a rusty Holden Ute ポンコツのホールデンユートに乗るのは
Engine’s getting hot エンジンが熱くなっている
Dodge the kangaroos カンガルーを避けながら
Swaggy climbs aboard
旅人も車に乗り込んでくる
He is welcome too 歓迎してもらえるよ
All the family is there 家族みんなそこにいる
Sitting by the pool プールのそばに座って
Christmas day, the Aussie way
オージー風のクリスマスは
By the barbecue!
バーベキューだ
Come the afternoon
昼になったよ
Grandpa has a doze
おじいちゃんは居眠りだ
The kids and uncle Bruce
子どもたちとブルースおじさんは
Are swimming in their clothes
服を着たまま泳いでる
The time comes round to go
そろそろ出発する頃だ
We take a family snap
家族の写真を撮ろう
Then pack the car and all shoot through それから車に荷物を詰めてぶっ飛ばそう
Before the washing up
車を洗う前にね
translated
by Masa & Nakko
もうひとつ驚いたものがあります。
オーストラリアの国歌はAdvance Australia Fairですが(これは国民投票で決められたそうです)、この曲を使った「Australian Let Us Barbecue!!」という歌まで入っているのです。
「オーストラリア人はクリスマスのためにみんなにバーベキューをさせる」という歌詞で始まるのですが、国歌の替え歌が、こんな風に子ども用のCDにはいっているのにはびっくりしました。とことん明るいオージー気質かなと、日本の国歌論争を考えると、その違いに唖然としています。
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