ウーロンゴン便り 

 亜希と万里の初体験ー大冒険 (2001・1・1〜1・19)
 我が家にとって21世紀初めの大ニュースは、亜希と万里が二人だけで日本に一時帰国したことだ。
話は2000年9月にさかのぼる。オリンピック休暇中、私の母がほぼ1ヶ月こちらに滞在した。実は亜希は「ママよりあーちゃん(私の母をこう呼んでいる)が好き」と公言しているほどのおばあちゃん子。これまで2回オーストラリアに一緒に旅行に来て、2回とも母は一足早く帰国した。そのたびに別れた夜に亜希は「あーちゃんがいない。」と泣きじゃくっていた。
 オリンピック、ファームステイ etc と楽しんだあと、母の帰国の日が近づくにつれ亜希は憂うつな顔をするようになった。
 「パパも先月来たし、あーちゃんもこれで帰ったら、今度は誰か来てくれるのかなあ。」
 「牧先生(子どもたちのピアノの先生)が来てくれるって言ってはったよ。」
 「あーちゃんはいつ来れるの。」
 「9月でこんなに暑かったら1月はちょっとねえ。」
とこんなふうに亜希は毎日ぶつぶつ言っている。2月に夫がまた1週間ほど来ると言っていたが、それより子どもを帰したらどうだろうと思いついた。
 「亜希ちゃん、もし牧先生と同じ飛行機のチケットが取れたら、一緒に帰れるよ。帰りは二人だけで飛行機に乗らなきゃいけないけど、それで大丈夫?」
 「うん!それでいいから帰る。」
 すでにその先生とお友達のチケットは、「呼び寄せ便」としてこちらで予約を入れていた。帰りはともかく、シドニーから大阪へは同じ1月2日の便でと旅行社に頼んだ。しかし、いつになってもOKが出ない。先生たちのチケットは11月末に往復ともOKが出た。でもアンセットも全日空も(これは共同便)1月2日は見込みが少なく、アンセットからはウエイティングリストもはずされたと連絡が入った。
 「亜希ちゃん、もし二人だけで飛行機に乗ることになっても日本に帰りたい?大丈夫?」
 「うん、二人だけでも帰る。」
 亜希はかなりしっかりしている方とはいえ、今まで二人だけでどこかへ行ったのは、バスと電車を乗りついで行く私の実家のみ。それでも最初はバス停まで送り、目的地が終点というメリットがあった。向こうには母が迎えに来て、そんな練習を何回かしたあと、亜希が小学校3年生になった頃から二人だけで行けるようになった。でも今回は、直行便でも8時間はかかる。
 年末も押し迫ってきた12月21日、1月1日シドニー発1月19日帰国の便が取れたと連絡が入った。結局二人だけで帰ることになるが、これを逃すともう取れないかもしれないのでその日程に決めた。全日空で予約が入り、子どもだけで飛行機に乗る場合は書類が必要と連絡があった。友人宅を経由して(我が家はファックスがないので)ファックスで届いたのは「Unaccompanied Minor(非同伴小児運送申込書と書いてあった)」という書類で、日程、空港まで送っていく保護者、到着者で迎える保護者の氏名と連絡先などを書き込むようになっていた。でもこれできっと全日空の職員が二人の世話をしてくれるのだろう。
 27日には速達で航空券が届いて、いよいよ帰国の準備をする。子どもたちがどの程度自分たちで出入国の手続きをしなければならないかがわからないので、二人に予習ノートを作らせることにした。
 「まず飛行機の乗り方って書いて・・・最初はチェックイン。そこはママがやるから心配ないけど、次はEmigration(出国審査)。これは一人ずつパスポートとボーディングパスとカードを見せるんだよ。それからゲートに行って待つの。」
 「ゲートは何番?」
 「行ってみないとわかんない。でもたぶん乗るときには、亜希ちゃんたちがいなかったら探してくれるよ。」
 亜希は真剣な顔でノートを作り、万里も同じように横で書き出したが途中で嫌になったらしく放り出した。
 出発前日の夜荷物の確認をしていると、亜希がまたそのノートを出して眺めている。ちょっと緊張しているのがわかる。
 「パスポートはどうする?一人ずつ持つ?」
 即座に万里が答えた。
 「亜希ちゃんが持つ。」
 ほんとに気楽な子だ。亜希はまだ「ゲートは何番かな。荷物が出てくるところもわかるのかな。」と不安そう。
 いよいよ2001年1月1日(月)朝、中サイズのスーツケースといらない本や小学校のプリント類と入れたダンボール箱を車に乗せて、まず近くのノースウーロンゴン駅まで、牧先生とお友達を送っていった。そこには私のクラスメートで1番仲のいい中国人のスーザンが、子どもたちへのプレゼントを持って来てくれていた。そして空港へ向かった。
 緊張している亜希といつもどおりの万里を連れてチェックインカウンターへ。「Unaccompanied Minor」の書類はファックスで送ってあると言うと、もうひとつ「Ansett Explorer」という前と同じ内容を書き込むように言われその書類と送ったファックス、そして航空券をホッチキスでとめて渡してくれた。
 「9時30分にもう1度ここへ来てください。係員が来ますから。」
ということで、その間に持ってきたおにぎりを食べさせようとフードコートへ行った。ここには陶器でできた巨大なカエルの置物があり、これに触ると幸運が訪れるそうだ。前に母を送りにきたとき、「ちゃんと日本に帰れるのが1番の幸福ね。」と母が触ったのを二人は覚えていて、二人ともそれに触っていくと言っている。
 マクドナルドのブレックファーストを食べながら、私もだんだん憂うつになってきた。よりにもよって元旦に一人で寝る羽目になるなんて・・・3人とも口数が少なくなり、いよいよその時間が来た。私はカラ元気を出して、「さあ行こうか。」と子どもたちを促す。
 カウンターに戻るとまだその係りの人は来ておらず、ソファに座って少し待った。
 「亜希ちゃん、昨日も復習したから大丈夫よ。飛行機には日本人のスチュワーデスさんもいるし、日本人のお客さんも一杯いるから。」
 不安そうな亜希に比べると、責任のない万里は平気な顔をしている。まだ私と離れるという実感もないようだ。
 少しして背の高い金髪の女性がやってきた。
 「この子たち、まだあまり英語が話せないのですが・・・簡単な指示はわかります。」
 「大丈夫です。中で日本語を話せるものと代わりますから。ゲートの入り口までついて来られますか?」
 両手に二人の手を握って、そのゲートまで歩いた。そして「がんばってね」の一言だけで私は涙が溢れ出し、二人も涙顔でそのゲートの内側に消えていった。
 空港の外の駐車場に向かいながら、涙が止まらなかった。重い心のまま運転し家に戻り、私はすぐに友人宅へ駆け込んだ。

 一方、亜希と万里は――(ここからは帰国後亜希の話をまとめたもので、事実とは異なった部分もあるかも!?)
 最初あの背の高い女の人とパスポートの検査のとこへ行きました。ママに教えてもらったけど、全然必要なくてその女の人が私たちのパスポートを渡して、全部やってくれました。それから飛行機に乗るところまで行ったら、そこには日本人の係りの人もいました。椅子に座って待っててと言われて、他の人たちと一緒に待ちました。隣に座っているのも日本人の家族で、日本人がいっぱいいました。でもママと離れてしまったのが悲しくて、涙がぽろぽろ出ました。万里はえんえん泣いているので、回りの人が「大丈夫?」と聞いてくれました。
そのうちにオーストラリア人の男の人が来て、飛行機に1番に乗せてくれました。窓側の3つの席の真中と通路側で、結局窓側の席はずっと開いていました。
 乗ってからも悲しくて悲しくて、他の人に見られないようにこっそり泣いていました。食事が来たけど、万里も好きなものじゃなかったので仕方なしに食べました。
 乗ったときすぐに、座席の前にコンピューターの画面みたいなのがあるのに気がついて、それで映画を見たりゲームができるのに気づきました。ご飯のあとすぐにドクターマリオみたいのや他のゲームもやりました。やり方がわからないものは、スチュワートのお兄さんが教えてくれました。ずっとやったらあかんかなあと思ったけど、おもしろくてやめられず、ご飯を食べているとき意外はずっとやってしまいました。ママが一緒だと怒られるだろうなあと思いました。でもゲームをやってたので、悲しいのも忘れてあっという間に日本に着きました。
 飛行機が着く前に日本人のスチュワーデスさんが来て、すっごく広い座席のところに連れて行ってくれて、そこでシートベルトを締めて着陸しました。(これはなんとファーストクラスの座席に移ったということ!?by Mama) 飛行機が止まって出て行くのも1番でした。外に出るとまた他の日本人の女の人がいて、パスポートの検査の時も全部やってくれました。そして荷物が出るところに来て、私たちがスーツケースとダンボールを見つけると、そのお姉さんが取ってくれて、そのまますぐゲートから外に出ました。
 ゲートの外にはパパとあーちゃんとおじいちゃんが迎えに来てくれていました。スーツケースを開けて、中からフリースとコートを出して着て外に出ると、やっぱりすごーく寒かったです。
 寝るときにやっぱりさみしくなって、ふたりとも泣いちゃいました。

 オーストラリアに帰る日は、あーちゃんのところから空港へ行きました。京阪枚方市駅まで、あーちゃんのお花のお稽古にきているおばさんが送ってくれて、そこから電車で守口市まで行きました。ここは何回か来ているのでよく知っています。あーちゃんが私の酔い止めの薬を買いに行ったら、お店が閉まっていたそうです。おかしいなあ。前にママはここで買ってくれたのに。おうちにシーバンド(磁気のはいったリストバンドで乗り物酔い防止として売っています)を忘れてきたので、ちょっと心配。夜の飛行機は長いんだから。
 関西空港に行ってパパを探したら見つからず、携帯電話に電話してやっと会えました。
 チェックインはパパがしてくれました。また何時にここに戻ってきてくださいと言われ、戻るとお姉さんが待っていてくれました。みんなとゲートまで歩いていって、そこで私は悲しくなって、あーちゃんにしがみついて泣いてしまいました。万里はちょっと悲しそうでしたが、泣きませんでした。
 お姉さんに連れられて中に入り、パスポートの検査のところもお姉さんが教えてくれました。モノレールも一緒に乗って、また最後のゲートのところで「ここで待っててね。」と言われたので座って待ちました。時間が来て、私たちはまた1番に飛行機に乗り込みました。たくさんの人が乗ってきたけど、なかなか出発しませんでした。私が窓側で、万里の横にれいこさんというお姉さんが座りました。私は離陸してすぐ寝てしまいましたが、万里はれいこさんと遊んでいました。ちょっとして起きると二人は仲良くなっていました。ご飯を食べてお姉さんと話をしました。
 ブリスベンに着くまで、万里も私もあまり寝れませんでした。ブリスベンに着くと太ったおじさんがやってきて、外に出してくれました。ママからボーディングパスを必ず持って降りなさいと言われていたので、ちゃんとかばんの中に入れていました。だから、カウンターで言われたときすぐ出せました。(亜希ちゃんあなたはえらい!ママはこの前忘れて、弁解しました)
 おじさんはテレビのあるガラス張りの部屋へ私たちを連れて行ってくれて、テレビのチャンネルを「ポパイ」にしてくれました。その部屋は私たちだけでした。
 またそのおじさんが呼びに来てくれて飛行機に乗りました。私たちは1番に乗りましたが、れいこさんは途中から数えても82番目に戻ってきました。ママが言ってた Incoming Passenger Card(入国カード)は書く必要がなかったです。れいこさんがスチュワーデスさんに聞いてくれたけど、いらないと言われました。
 (シドニーまでお世話になったれいこさん。お名前しかわかりませんが、万が一このHPを見ていたら、本当にありがとうございました。)
 空港に着いて出たところにお兄さんが立っていて、その人に連れて行ってもらいました。途中から日本人のお姉さんも一緒に入国審査もすぐ終わりました。スーツケースもすごく早く出てきて、あっという間に外に出れました。でもママが来てなくて、ちょっと心配になりました。でもお姉さんが「座って待ってましょうね。」と言ってくれたのでそうしました。そうしたらすぐに万里が「ママだ!」と叫んで走っていきました。ママを見たとたん涙がいっぱい出てきました。

これが亜希の予習ノートです! 日本から帰ってきて感動の対面の後、全日空のお姉さんと(亜希は涙顔)

 二人の話を聞くと、「まるでVIP扱いだねー」と感心。家に戻りスーツケースを見ると、Priority(優先)というタッグまでついていた。道理で早く出てくるはずだ。飛行機は予定より少し送れて9時15分着。私が空港の駐車場に着いたのが9時45分で、そこから5分くらいしかかかっていないはずだ。普通なら1時間近くかかるのに、たった30分で出てくるなんて・・・。
 子どもたちのチケットは大人の料金より安く現金価格で、一人税込み1068.4ドルだった。最初申し込んだアンセットだと同じ飛行機なのに少し高くて、1121.4ドル。カードを使ったためそれより2.5%増しで、まだ請求書が来ていないためはっきりはしないが、7万円くらいだろうと思う。たった7万円でVIP扱いとは、本当に子どもだけの方が得だなと実感。今度も子どもだけで帰そうと、私は密かに決意した。(また独身生活を楽しめる!)

 スキューバダイビングライセンス取得記ー前編  (2001・1・5〜1・7)
 ?十年来の悲願(?)ライセンス取得へ
今は昔・・・何年前かは言いたかないけどまだ独身時代でバックパッカーをやってた頃、高校時代からの友人がこう言った。
 「そんだけアジアに行ってんだから、スキューバのライセンス取れば?日本よりよっぽど安いし、やったら病み付きになるよー。ホントに口では言えないくらいきれいなんだから。」
 「海の底って怖くない?」
 「全然。ちゃんと訓練を受けてライセンス取るわけだし、潜るときも必ずペアで潜らなきゃいけないし。」
 「でもライセンス取るのって難しいんとちがう?」
 「大丈夫、私でも取れてんから。」
 その友人は確かに高校時代、運動はあまり得意でなかった。彼女の話す「お魚になった気分」というのにずいぶん惹かれ、いろいろと話を聞いてみたが、ライセンス取得にかかる費用(その当時の日本だとかなり高く、はっきり覚えていないけど、そのお金でアジアの国にいけると思った)、用具を購入した場合の費用、(なんかお金のことばっかりだけど、旅行ばかりしている私にとってこれは大きな問題)で躊躇し、極めつけは「もうダイビングしかやりたくなくなるほどのめり込む」という彼女の言葉に、恐れをなしてしまったのだ。
 ライセンスを取るのが怖いのではなく、はまりやすい私の性格で、いったんはまってしまったらもう他の旅行に行けなくなるかもしれないということが、ダイビングをその時始めなかった1番大きな理由だった。
 そして今回オーストラリアに住むチャンスが出来たとき、あの時の友人の言葉を思い出し、絶対にダイビングのライセンスを取ろうと決心した。こちらに着くなり情報を集めたが、やはり丸4日間はかかる。子どもがいる間にそれだけの日程をつくるのはやっぱり無理。大学の掲示板に貼ってあったのは、週末泊り込んで取るコース。これはもっと無理だろう。
 結局子どもたちが一時帰国したこのお正月が最大のチャンスだと思い、年末に電話で詳細を問い合わせた。ウーロンゴンから南へ車で30分ほど行ったところに、Shellharbourという町があり、そこはスキューバのポイントが多くスクールもあるそうだ。観光局のガイドブックに載っていたところに電話をすると、連続4日間通って費用は320ドル(すみませんが、これはうろ覚えのため正確ではありません)くらいとのこと。もう1ヶ所は大学の掲示板にあった「SCUBA 'N SURF」という個人がやっているスクールだった。電話をすると1月5,6,7日の週末、12,13,14日の週末と2週間続けてそこに泊り込んでライセンスを取得することになる。シンビオへ行く途中のStanwell Parkにあるらしく、器材代もすべて含めて220ドル!(15000円くらい) 日本だと5万円くらいすると聞いたことがあるのに、なんて安いんだろうとびっくり。
 「パスポートサイズの写真が2枚、健康診断の証明書、シーツと枕カバーと布団、それに台所は使っていいから自分の食料も持ってきたほうがいいよ。」
 「あのー水着もいりますよね。(じっくり考えるとなんてバカな質問!!)」
 「もちろんだよ。シャンプーとかもね。(笑)」
 いったいどんなところに泊まるのか想像できない。バックパッカー用のアコモデーションみたいなとこかなあ。
 年末に大学の診療所に検診を受けにいった。費用は44ドル。最初に検尿をして、あとは聴診器を当てられたり、横になって足を触られたり。ちょっとおもしろかったのは肺活量の検査だ。2重のストローみたいなものに、「思いっきり息を吹き込んで」と言われやってみたけど、最初はうまくいかず、もう1度やってみたら、「Better」とOKをもらえた。なんかこれでほんとに大丈夫なのかなと思えるほど、ちゃちな道具だった。とにかくたった10分ほどで終わり、証明書がもらえた。

 いよいよSUCUB 'N SURFへ出発
 さて、1月5日(金)、まずパスポートサイズの写真を撮り、食料の買出しへ。といっても一人だし、持っていく量もしれている。それに、今夜は7時16分の電車に乗ればいいので、夕食も済ましていこう。Stanwell Parkには7時46分に着いて、そこまで迎えに来てくれるそうだ。
 家を出ようとしたら小雨がぱらついていた。North Wollongong駅まで歩いて15分ほど。あまり電車に乗ることもないので、Stanwell Parkの駅が何個目かわからない。でも到着時間を聞いているから大丈夫だろう。電車を下りて、出口に向かって歩いていくと、向こうに男の人が見え、「ウーロンゴンからダイビングにやってきた人だね。」と笑いながら声をかけてくれた。
 ミニバスの中には、アジア系の女の子が一人と男の子が数人。シドニー大学とニューサウスウェールズ大学から来ているそうだ。すぐに普通の家に着いて入ってみると、オーストラリア人が7人、韓国人の女の子が1人待っていた。
 一通り自己紹介を済ませ、ピーター(インストラクターでこの家の持ち主)から、これからの日程とこの家でのルールを聞いた。一体どんなところに泊まるのだろうと思っていたけれど、個人の家だったんだ。それからPADIのオープンウオーターコース講習ビデオを2本見ると、もう11時だった。明日は7時15分から講義をスタートするという。なんてハードなんだろうとびっくりしながら与えられた部屋へ。私はシドニー大学でマレーシア出身のハニーと、ワーホリで来ていてウーロンゴンカレッジに通う韓国人のスージーと同室だった。
 その夜、私はほとんど眠れなかった。前日によく眠っていたせいもあるが、枕が代わると眠れなくなるのは年のせいなんだろうか!?バックパッカー時代は、たいていどこでも寝れたのに・・・

 12時間弱の講義ーもうついてけない!
 6時半ごろには物音がし出したので、私も起きて朝食をとった。各自が持ってきたものを適当に料理して食べている。7時10分には全員がリビングにそろっていた。16人で内訳は、オーストラリア人男4女3、シンガポールかマレーシア人男5女1、韓国人女1、そして日本人の私。オージーは一人の男の子以外はすべてカップルで、1組は夫婦のようだ。シンガポーリアンはグループ。
 PADI Open Water Diver Courseは5つのモジュールに分かれていて、ビデオもそのモジュールごとにある。昨夜は1と2を見たわけだが,今朝はそれをピーターが講義していく。ピーターの英語はゆっくりで聞き取りやすいが、聞いたこともない単語がたくさん含まれていて(これは日本語でも知らない言葉かもしれない)、もう想像するしかない。でも私のマスターの分野では出てこないが、日常語として使うはずの単語を再確認できるのもおもしろい。例えば「1気圧」を何というのかと聞かれたらすぐに答えられなかったが、「1 atomospheric pressure」でそのまま訳しているのだ。「浮力」も「buoyancy」で救命ブイのブイという言葉はここから来ているのかと納得。
 2時間ちょっとぶっ続けでやった後、庭に出て実際器材を用意した。自分の体のサイズに合ったBCD(浮力調整具)、タンク、レギュレーターを取り付ける練習。生まれて初めて触るものばかりのため、わけがわかんないという感じで、自分でもドンくさいと思う。2回繰り返して部屋に戻り、また次のモジュールのビデオを見て1時45分、ようやくランチタイム。
 1時間後水着を着て集合し、ウエットスーツ、フード、ブーツ、フィンを合わせることから始まった。天気がよく暑くなってきたので、ウエットスーツを着ようとすると汗ばんで気持ちが悪い。手を通すだけでも四苦八苦。これにBCDとタンク、ウエイトベルト(多分10Kg以上)をつけるともうふらふら。ホントにこんなカッコで海に入るんだろうか!?さらにウエットスーツを脱ぐのはもっと大変だった。汗でへばりついて腕が抜けない。人に手伝ってもらって必死の思いで脱いだら、生き返った心地がした。
 もうすでに4時、お茶を飲みながら講義がスタート。いつまでやるんだろう。もう英語で何を言われてもすんなり頭に入るとは思えない。ボーっとした頭で講義を聞きビデオを見て、ようやくモジュール5のビデオが終わったのは夜7時45分だった。そしてピーターが言った。
 「明日はプールで実習なんで、ここを7時15分に出発するよ。朝起きたらシャワーを浴びたり、食事をするんじゃなくて、自分のボックス(器材をすべていれてある)を車に積むのが、1番の仕事だから忘れないように。」
 もうみんな声も出ないほど疲れていて、私は睡眠不足もあり、ふらふらで簡単に食事をしてさっさと寝た。
 翌朝、6時半にはピーターが全員の部屋に「ボックスを運んだか」と声をかけていた(ピーターはもちろんこの家に住んでいる)。私は、6時過ぎには起きていたので、ゆっくり用意を整えた。
 
 コース最大の難関ー限定水域トレーニング
 さて7時15分。昨日の午後から来ているもう1人のインストラクター(この人もピーターでややこしい)の車とミニバスに分乗してプールへ。はっきりと地名を覚えていないけど、シドニーに向かってプリンセスハイウエイを進んだので、たぶんサザーランドの近くだと思う。大きなレクレーションセンターがあり、そこの50mプールを使って実習をするそうだ。
 荷物を運び、器材のセッティングをしてウエットスーツを着る。まずは200mノンストップで泳げと言われ、コンタクトのためいつもゴーグルをつけて泳いでいる私は、ゴーグルを持ってきていないことを後悔したが、もう一人のピーターが貸してくれた。しかし、私はプールでだらだら泳ぐのは得意で(平泳ぎだけ)、200mなんてへっちゃらと思ったが、ホントに全員泳げるのだろうか。と思ったら前が詰まったりして50mごと足をつくので、みんな難なく泳いでいた。それが終わると10分間浮いてろと言われた。これも仰向けになっていると大丈夫だが、立ち泳ぎを続けている人もいる。やっぱりダイビングライセンスを取ろうという人で、泳ぎが苦手な人はいないのか。
 いよいよ器材をつけてプールへ。フィンは持ったまま入り、水中でつける。スポーツが好きな割には、身体が異常に硬い私は、足を高く上げたり曲げたりするのもままならない。結局ピーターがつけてくれた。(ふと思い出したが、スキーのキックターンも身体が硬いとやりにくい。産後とくに身体が硬くなったようで、それからはキックターンはやらず、無理やり向きを代えるか、急斜面は転がって向きを代えている。情けないけど・・・)
 午前中やったことは、レギュレーター(空気を吸うところ)が外れたときどうやって戻すかとか、マスクに水が入ったときどうするか、シュノーケルとレギュレーターの交換とかで、二人ずつペアになってインストラクターの前に出て、言われた通りにやっていくのだけど、とにかくずーっと水の中にいるわけで、それだけでもしんどい。9時ごろスタートした午前の訓練は、1時になってようやく終わった。でも水から上がるときの重さといったらもう大変。一瞬タンクを背負ったまま後ろに倒れそうな気がした。その上、水にぬれたウエットスーツを脱ぐのも一苦労。もう昼からやるのは嫌だ!と強く思ってしまった。
 約1時間の休憩後、またウエットスーツを着て器材をつけてプールへ。さすがにうんざりで気が重い。実はこのとき、シドニー大学から来ている男の子がひとり、体調不良のため続けられなくて脱落した。でもたいてい1グループに1人か2人はそんなことがあるらしい。
 昼からはマスクをはずして泳いでもう1度マスクをつけたり、ペアの子に自分の空気がなくなったことを知らせてバックアップ用のレギュレーターを使ったり、BCDをはずしてまたはめたり、ウエイトベルトをはずしてはめたり・・・(これは思い出した順に書いているだけで、実際の順番とは違っているかもしれません。だからダイビングライセンスを持った方が読まれたら、不自然な点があるかもしれませんが、ご了承ください) 時々、ピーターが説明していることがわからなくて、他の人がやっているのを見ながら想像してやっていたが、私のペアのスージーはもっと英語がだめで、私にひたすら確かめてくる。でも私にしても、知識がないことを理解するのは大変で、二人して落ちこぼれそうになる。だんだん疲れもたまり身体も冷えて、泣きたくなってきた。「なんでこの年になって、こんなしんどい思いしてこんなことやってんのよ!」と心の中で叫びながら、ひたすら耐えるしかない。
 午後6時、ようやく訓練が終わりプールから上がった。8時間もプールにつかっていたことになる。もうふらふらだ。それから全員で自分の器材やウエットスーツetcを消毒洗浄し、荷物を運び、ようやく帰路につく。家について、またウエットスーツを干し、器材を片付け、そして全員で家中の掃除にかかった。
 すべてが終わったらもう8時を過ぎていた。シドニーに帰る人はミニバスで駅まで送ってくれ、スージーとウーロンゴンの手前の町に住むカップルと私は、もうひとりのピーターが車で送ってくれた。
 ふらふらした足取りでアパート3階の自分の部屋に戻ったのは9時20分だった。
 


 スキューバダイビングライセンス取得記ー後編 (2001・1・12〜1・14)                          プール実習のあと、ピーターが言った。
 「きっと明日あさっては身体がだるくてたまんないよ。日頃水の中に1時間もいないだろう?」
 でも私は、この子どものいない「花の独身生活?」を無駄にはしたくなくて、火・水はクラスメートで1番仲のいい中国人のスーザンと、キャンベラに1泊のドライブ旅行を楽しんだ。 なおかつ木曜日にはご飯配りのボランティアにも行き、あっという間に金曜日・・・

 まずペーパーテスト 
 先週帰るときに、プリント数枚を渡されすべてやってくるようにという宿題。英語版だけでなく、日本語版のテキストも貸してくれたので、照らし合わせながら問題をやってみたが、かなり時間がかかった。金曜日の朝、ピーターに電話をすると、5時40分に迎えに来てくれるとのこと。また先週と同じ用意をして、ピーターのミニバスに乗り込んだ。
 到着してすぐに、宿題の解答を貸してくれて答えあわせをするようにと言われた。かなりきちんとやったつもりだけれど、まだ間違いはある。わからないところを読み返しているうちに時間が過ぎ、ぞろぞろと先週の仲間が集まりだした。
 先週プールで脱落した男の子は来ていない。でもオージーの男の子がガールフレンドを連れて来ていて、一緒に潜るそうだ。ということで延べ人数は同じ16人。8時にはみんながそろい、まず自分の器材を用意する。先週やっているので今回はスムーズだ。それが終わると宿題の答えあわせと説明に入った。私はすでに終わっているから気が楽。でもやっておいて良かった。オーバーヘッドプロジェクターを使っているのだけれど、他の人と同じペースで答えあわせをしながら理解していくのは大変だ。
 それが終わるといよいよペーパーテスト。ラッキーなことに日本語バージョンも一部コピーがあり、英語と照らし合わせながらやらせてもらえた。でもなぜか何箇所かは問題が違っている。一通り出来た者からインストラクターに採点してもらいに行く。
 「いくつまで間違ってもいいの?」
 「ほとんどあわなきゃだめだ。」
 思わずうそでしょと思いながら採点してもらったら、やっぱり4,5箇所は間違えている。
 「まちがえたところを、もう1回考えておいで。」
 結局、できるまでやらせてもらえるということだった。私は2回目にまだひとつまちがっていたけれど、それでOKだった。英語バージョンかしなくて四苦八苦しているスージーはもうひとりのピーターがつきっきり。 
 全員が終わったのは、やはり11時を過ぎていた。
 「明日は起きたらすぐにボックスを車に運ぶように。朝7時15分に出発だ。」
 いよいよ海に潜るのかと思うとうれしいけれど、頭は疲れきっていて何も考える気にならなかった。

 オープンウオータートレーニング1日目
 朝6時には目が覚めたので、15分頃には起き出して用意をした。まず言われたとおりボックスを運ぶ。各自が朝食をとって、7時20分頃に出発した。シェルハーバーに行くそうだ。
 まず着いたところはダイビングショップ。ここでエアーを充填したタンクを車に積み込む。それからビーチ沿いの駐車場へ。
 「今日潜るところはトイレがないから、まずここで行ったほうがいいよ。」
 それからまた車に乗り込み10数分。着いたのはBass Pointの Bushrangers Bayというところだった。荷物を降ろすとすぐに、海の見えるところまで行き、潜る場所に着いてピーターが説明してくれる。この海岸は砂ではなく石だらけで、しかも海岸まではかなり木でできた階段を下りていかねばならない。
 「着替えて器材を用意したら、チェックするから声をかけて。それが終わってからバディ(ダイビングのペアをこう呼ぶ)チェック。」
 ウエットスーツは着るときも脱ぐときもうんざりする。慣れたらましになるのだろうか。ピーターにチェックしてもらって、バディのスージーと確認しあっていざ海岸へ。でもそこまで行くのにも少し距離があり、重い器材を背負っているのでつらい。海岸も石だらけで、薄いブーツを履いていても痛い。もう海に入る前から気が重くなる。そして入ってみるとやっぱり冷たい。真夏でこんなに冷たいのに、冬にダイビングやサーフィンをする人の気がしれない。もたもたフィンをつけていたら、やっぱりピーターが来て手伝ってくれた。もう最初から落ちこぼれている。
 8人ずつのグループに分かれ、また二人ずつインストラクターの近くまで行き、プールでやったことを練習する。この1日でやったことはレギュレーターが外れたときの対処、マスククリア(マスクに水が入ったときに鼻から息を出して水を抜く)、バディから空気をもらう、などなど(これもはっきりやった順を覚えていないのです)。水面ではシュノーケルを使って泳いだり、シュノーケルとレギュレーターを素早く交換したり水中への降下、浮上・・・。とにかく言われるがまま、人がやっているところを見て何とかついていったとしか言えない。
 1番パニックになったのは、最初に少し沖の方までバディとペアになった泳いでいたとき、シュノーケルから水が流れ込み、思いっきり水を飲んで息ができなくなったことだ。でもこれは私のせいではなかった。泳ぐときも水面上でも、必ず一人がもう一人のタンクの上を右手で持つように言われる。スージーが私のタンクのあたりに手をかけて泳ぎだしたのだが、途中で私を押さえ込んだらしい。いきなり身体ごと沈み、水を飲んだ私は激しく咳き込み、レギュレーターを慌ててくわえて息をしようとしたけど苦しくてできない。と思ったら、ピーターが助けてくれた。スージーに押さえつけたらだめだと注意しているが、彼女はそうしたこともわかっていなかった。 
 初めてのダイブは12mの深さで38分間。降下するときの耳抜き(エレベーターに乗ったときに耳がきーんとするけど、その対処のこと)はうまくいったけど、水中での浮力調整がうまくいかない。ちょっと空気を入れるとすぐに浮き、空気を抜くと海底まで沈み、その辺に転がっているウニに手をついて痛い思いをしたり、海草にからまりそうになったり・・・私のように上に行ったり下がったりするのをバルーン(風船)というらしい・・・ 必ずバディは一緒にいるように、しかも2人ずつインストラクターからの位置も決められているのに、落ちこぼれコンビのスージーと私はお互いの位置さえもわかっていない。とにかくピーターの近くに行こうともがいているだけ。 
 海底を楽しむゆとりもなく1回目が終わり、陸に上がった私はあまりの重さに後ろにひっくり返りそうになった。(実はプールの時よりももう少し重りを増やしている・・・)階段の一段一段が気が遠くなりそうで、「なんでお金を払ってまで、こんなしんどいことやらなきゃいけないのよ!」とやっぱり後悔していた。
 昼食の後、ピーターから午後の講習の説明を受け、また同じ手順で海に入った。濡れたウエットスーツを着るだけで嫌になり,ますます疲れて重い器材にうんざりする。
 2回目のダイブも12mで30分間。まだ海底を楽しむようなゆとりはないけれど、目の前を魚が泳いでいくのを見ると不思議な気持ちになる。ゆっくりと泳いでいるから触れそうなのに、手を伸ばすとすっと逃げていき決して触れることができない。白っぽくて変な形のものが泳いでいると思ったら、イカだった。自分が水族館の大きな水槽の中にいる感じだ。
 海底の中にいるときは、チャレンジしてよかったと思う。でも海から陸に上がるときは後悔する。いつになったら楽しめるのやら・・・ 

 余談ですが・・・デジカメは話題になりました
 今回はデジカメをかばんに入れてきた。オーストラリアではまだデジカメがポピュラーになっていないため、持っているとかなり注目される。友人にデジカメで撮った写真をe-mailで送ると、思いっきり感謝してもらえる。
 夜に皆で雑談をしているとき、たまたまデジカメが話題になり、見せると質問ぜめになった。よく知っている人は価格を知りたがり、知らない人は、コンピュータにどう取り込むのかを聞いてくる。4年前に初めてオーストラリアに旅行に来たとき、デジタルビデオを持ってきたら、行く先々で人から覗かれ質問された。そのときはデジタルビデオだからというより、その小ささに驚かれたようだった。でも今回は、デジタルカメラを知っている人も多く、たいてい価格を聞かれるので、日本のHPでチェックして答えられるようにしている。
 でも日本では安くても、個人輸入する方法も見つからなければ、やっぱりオーストラリアの価格が下がるまではどうしようもないのだろうか。

 オープンウオータートレーニング2日目
 朝1番にいつもどおりボックスを車へ積み込む。昨日と同じくシェルハーバーのダイビングショップでタンクを積み、公園でトイレ休憩。そしてBass Pointに向かったが、今日はThe Gutterというポイントだった。釣りにいいようなところで、歩いて海に入っていくのではなく、岩場から飛び込んで入らなければならない。でも水中ではインストラクターが待ち構えていて、フィンもすぐ付けてくれたから、それほど大変ではなかった。
 つらかったのは午前中にやった練習で、水面でBCD(ベスト型の浮力調整具)をはずして、その上に乗るようにしてはめ直すことと、やはりウエイトベルトの取り外しと付け直し。これは先週プールでも大変だったので、海だともっと身体が浮きやすいのでやりにくい。結局ピーターが押さえつけてくれてやっとできた。
 午前中のダイブは17.5mで32分、午後は13.4mで39分。昨日よりは少しフィンの使い方もましになったらしく、皆についていけるようになった。スージーもゆとりができたのか、お互いに位置を確認しながらついていく。時々ピーターが手招きしてくれて、穴の中にいるうなぎを見せてくれたり、石をたたいて魚を寄せたり。あまりきれいといえない変な形の魚を捕まえて触らせてくれたり。
 水中を漂っている感じはなんと言えばいいのだろう。レギュレーターからの自分の呼吸する音だけしか聞こえず、自分が動いているのか魚たちだけが泳いでいるのかわからないような動きを感じない世界。自分の手さえも大きく見えるために、自分の手と思えないような不思議な感覚。これで思うように泳げるようになれば、どれほどすばらしいだろう。
 昨日のポイントよりも荷物の置いてある場所までの距離は少ない。でもインストラクターに手伝ってもらうとはいえ岩場にエイっと上らねばならず、上がった瞬間の重さにやはりふらーっとなる。 2日間4回のダイブで、海中にいるときはおもしろかったが、出てきたときのつらさはなんとも言えない。こればっかりは多少ランニングで鍛えても、どうしようもない気がする。ライセンスを取っても、あと何回ダイビングに行く気になるんだろう。
 昨日と同じく荷物を片付けて、シェルハーバーのダイビングショップへ。ここでタンクを詰めなおしてもらう。それから公園で、器材やウエットスーツの洗浄。もう1度タンクを車に詰め込んで、Stanwell Parkのピーターの家に戻るともう6時半を過ぎていた。
 それから最後のペーパーワーク。今日のダイビングの記録を書いたり、PADIのライセンス取得の申し込みを書いたり。それからまた全員で家の掃除をして、ピーターから仮のライセンスをつけたDiver's Logbookを返してもらい、ついにこのコースが終了した。
 今回もピーターが家まで送ってくれ、フラフラになりながらもやりとおした満足感で一杯の気分で部屋に戻ったのは、9時50分だった。


左からキャメロン・バネッサ・私・ピーター この映画スターのように美しいカップルに私はいつも見とれていました

コースをやり終えた16人の仲間とインストラクターの二人のピーター

 おまけー再びトレーニング
 2週間ほどして、私のもとには写真入のPADIライセンスが届いた。でもまったく自信はない。このまま潜らなければ、この前やったこともほとんど忘れてしまうだろう。でも子どもたちも日本から戻ってきて、そうそう泊りがけで行くわけにもいかない・・・
 そんなことを回りに話していたら、かおりさんがすぐ言ってくれた。
 「見ておいてあげるから行ってきたら?」
 12月から親しくしている日本人カップルのゆきこさんとふみくんも見てくれると言ってくれる。もうやっぱり今しかない。
 ピーターのコースは隔週で講義・プールと海での実習になり、その海の実習の日は人数が越えなければ、格安で参加させてもらえる。(なんとエアー代込みで74ドルでした)私はすぐに電話して、2月の2週目に行きたいと申し込んだ。
 その金曜日の夕方、子どもたちに夕食を食べさせて私は出かけた。幸いかおりさんたちは隣の隣に住んでいて、もう同じ家にいるのも同然。寝るときだけ自分たちのところへ戻ればいいから、子どもたちも安心している。電車でStanwell Parkまで行き、また迎えにきてもらった。着くとすぐに自分の器材を用意する。でも前回すべてのサイズも記録しているから簡単だ。それから、2週間前を思い出しながら、他の人たちがテストを受けるのを眺めていた。私はあの時たいへんだったんだ。でも今回のグループは留学生らしい人はいなくて、アジア系でもたぶんオーストラリア人だろうと思われる。おかげで英語しか聞こえないという珍しい2泊3日となった。
 今回の私のバディはシドニー大学を出たばかりというステキなオージーの男の子。しかも運動神経もいいらしく、ライセンスを持っている私なんかよりよっぽど上手にすべてのスキルをこなしていく。私の方が助けてもらってばかりで、潜ってもついていけなくて、絶えず私を探してくれているのがわかる。情けないけど・・・
 でも今回全く同じ訓練を受けたことで、やっと他の人と同じくらいのレベルになったと思う。やっぱりこの前のままだと、恥ずかしくてライセンスを持っていますとは言えないほどだ。浮力の調整も少しうまくなり、バルーン状態ではなくなった。回りを見るゆとりも出てきて、海中の美しさを実感することができた。ピーターがイカをつかまえようと躍起になり、イカが墨を出すのを見て、変に納得した。「やっぱりこれは武器なんだ。」
 陸に上がるたびにその重さにはうんざりして、もう2度とやらないかもと思うものの、海に入るとまたやりたいなあと言う気になる。まあフルマラソンも30kmを超えると、「なんでこんなことやってんだろう。もう2度と走るもんか。」と思うので、同じことだろう。苦しさを上回るすばらしさがあるから、人は続けるのだろうな。
 次に潜れるのはいつかわからない。でもそのチャンスがあればきっと私は行くのだろう。とりあえず、念願のライセンスを取得できただけでも満足だ。

私がお世話になったSCUBA 'N SURFの連絡先
Peter Shoobert    24 Murrawal Road, Stanwell Park NSW 2598
             Tel: (02) 4294 3500 or 0428 858 323
             ホームページ www.scubansurf.com.au