
| MiruMiru's Diary 2005年 8月分 |
|
夏の終わり |
| 夏休みが終わる。 明日から2学期。 おっと、言い忘れていたが、再び楠中養護学級でまた働くこととなった。 3ヶ月更新だが、おそらくこのまま3月までいくのではないかと思われる。 私が代わりを務めている本来の役職にいる先生は心の病なんだそうだ。 今年の夏はあっという間だった。 だが、この10年とは明らかに違う。 いつも失望のまま迎えていた2学期。 でも、今年は違う。 夏の終わりなので、 エステにいき、 今日は一日何もせずに過ごした。否、家にいて寝たり本を読んだり。 私が行っているのはお風呂についているエステで、全裸でやってもらうのだが、 とても人気で色んな人が次々と受けていた。 とってもとっても太っている人や、ふてぶてしい人もいた。 女性が、同性の露な体を触ったり揉んだりするのって、いい気分ではあるまい。 おまけに部屋は暑いし、力はいるし、大変そうだなと思った。 職業に貴賎はないが、どんなことでも仕事をするって本当に大変です。 |
|
大学サークルOB会 |
| 大学のサークルOB会だった。 幹事は、私+夫。(またかよ) いつもは京都で飲み食いし、終電があるかないかで解散だったのだが、 前回話し足りない感があったので、今回は学生時代に戻り、みんなで飲み明かそうというわけで、宿泊同窓会を計画した。 うちのサークルは視覚障害者が多いのと、日帰りで宴会に参加もできるようにと、場所はアクセスしやすい京都。 点字案内もあり、日帰りでアクセスしやすく、車で来た人にも対応でき、お風呂も楽しみたい、且つ安いところ、 といういろいろと難しい条件の中、条件にぴったり合う場所が見つかり、メールで打診してみると、対応のいい返事が返ってきた。 即、人数は概算で部屋を押さえてもらった。 あれから4ヶ月。 キャンセルの人が重なったり、いろいろとあったが、当日はちょっと少ない目の13名が集まった。 顧問の先生も来てくださり、宴会場はとてもキレイで、お料理も味は無難だがボリュームがあり、楽しめた。 いつもはできない宴会ゲームや私がマツケンの衣装に着替えて踊ったりと、1次会は盛り上がった。 2次会は、部屋で飲み明かした。 事前にスーパーで2次会用の飲み物とおつまみを買っていったのだが、みんな飲む飲む。 同じ階にビールの自販機があり、7回くらい往復した。 そのうち、4種あるビールの2種は「売り切れ」サインがでた。(どんだけ飲むねん) 結局、朝5時まで語り明かした。 みんな深夜に倒れ、生存者は5名であった。 私は学生時代からこういうのに強く、一番元気で全然眠くならなかった。 (夫は寝た) 朝風呂に入り、8時に朝食だったが、起きてきたのは7名のみ。 10時チェックアウトだが、ロビーに集合した皆の顔はむくんでいた。 でも、「心起きなく話せるのっていいね」「酔いつぶれても大丈夫っていう安心がよかった」と、手前味噌であるが概ね好評であった。 私たちは車で来たので、高速に乗り、家路に着いた。 ・・・と思ったが、夫が「日本橋へ行きたい」というので、寄った。 寄って、うろうろして買い物し、カレーショップでカレーを食べた。 久々のデートだった。 しかし、左の足の神経が痛くなってきて、腰が痛くなってきたので、そろそろ帰った。 ホッとしたから腰にきたのだろうか。 帰宅してお風呂に入ってでてきたら午後4時。 それから、急に眠くなってきてそのまま泥のように眠り、目が覚めると午後11時。 洗濯したりものを食べたりして、またお風呂に入ると睡魔に襲われ、深夜2時にふとんに入った。 一度も目が覚めることなく、今朝は10時に起きました。 これには自分でも驚いた。トータル睡眠15時間。 でも、朝夜逆転せずによかった。 これで夏のイベントも終わり。 旅行が好きでない夫も、大学のサークルOB会は気兼ねなく過ごせるのが良いようで、 楽しそうだった。 無事に次回の幹事に引き継ぎ終了。 |
|
復活 |
| みるみる復活。 マイナスモードから抜け出しました。 よっしゃー。あんまり時間もないしがんばるぞ。 迷わずにすすもう 願いに 近づける いつの日にか夢見た場所で アハハと笑っているでしょう |
|
脱出 |
| 忍という字は、心臓の上に刃物を置いている。 心の上に刃をおくんだから、それは辛いことなんですよ。 今日、羽賀くんから突然電話が入った。 聞くと、研修で近所まで来たから、めしでもくわないかということだった。 ちょうど気分が沈んだままだったので、喜んで行った。 焼肉を食べたいと私が言ったので、つきあってくれた。 羽賀くんはいつだって前向きで自信たっぷりに話す。 愚痴も吐き、話も聞き、なんだかすっきりした。 羽賀くんはもともと中学の先生として10年やってきたが、小学校の免許も持っているため、今年大阪に任用されて小学校5年生に配属されている。 (「小中共通という、小学校、中学校どちらでも働けますよ、という職種枠で受験したため) 「小学校は初めてやけど、おもしろいで。」 彼のクラスは大変なのだが、そんなことは気にしてもいない。 ああ、一緒の職場で働いてみたかったなあ〜!と思った。 |
|
マイナス思考はマイナスを呼ぶ |
| ここ2日ほどマイナス思考であった。 昨年初めて大阪を受験し、一発合格した友人が久々にメールを送ってきたので、心中穏やかでないことを返信した。 すると、夜中に、一生懸命応援してくれている返事が返って来てびっくり。 朝起きて気付いた。 今日、マツダ先生の中学校へご挨拶に行った。 マツダ先生と1時間くらいしゃべった。 マツダ先生はなんでも受け止めてくれるので、ついつい弱音を吐いてしまう。 今日も、知らず知らずのうちに愚痴を吐いており、マツダ先生は一生懸命前向きに諭してくれた。 久々にお会いできたのに、悪いことをした。 午後、自習室に行った。 知ってる人は、誰もいなかった。 看護コースや地方公務員の勉強をしている人ばかりだった。 そうだな、教員採用試験は2次の筆記が終わったから、あとは面接と模擬授業のみだから、机にかじりつくものでもない。 だけど、それも、誰かいないか探した。ドアが開くたびに、誰か知っているものが来たかと見たが、来なかった。 1次ではみんながいたが、2次試験は、一人での闘いだ。 不安が津波のように押し寄せるが、どうしようもない。 苦しい。苦しいが、闘うしかない。 不思議なことに、考えが後ろ向きだと、ついてないことばかり起こった。 気持ちが余計沈んだ。 行った先行った先であんまりついてなかったので、プールへ行こうと思っていたが、やめにした。 行動を起こすから、何かが起こるのだ。 こんな日は、家でじっとしておくに限る。 明日は、気持ちを切り替えて、また「首席で通る!」と思えるように頑張ろう。 時間がない。大切に使わなければ。 |
|
墓参 |
| 昨日、夫が休みで、私も久しぶりに自由な時間ができた。 こういう日があったら、夫婦でみる家のお墓参りへ行こうと思っていた。 しかし、お正月やお盆に実家へ帰る習慣のない広末家で育った夫に、お盆にお墓参りへ行くという習慣を理解してもらうのは並大抵の努力ではいかなかった。 4時間くらいかけて話をし、やっとしぶしぶつれていった。嗚呼、たった車で30分のところなのに。。 ちなみに、夫は九州にある広末家方の墓を見たことがなく、夫の母親も見たことがないらしい。 結婚して一度も墓参をしたことがなく、今年は特に大事な年であるので、ご先祖様に守ってもらわなくては。 そういう私は、今春10年ぶりにみる家の墓参をし、それから1人でまた試験前に参っていた。 その時、「次は旦那さんをつれてきます。」と墓前で約束をしたので、やいのやいのいってつれていった。 ・・・はぁ〜。 アメリカ人に日本の習慣を教えるのにもこんな苦労しないと思うぞ。 |
|
受かりたい。受かる。・・・ことを願って |
| ※10日の分、追加記述しました。 2次試験だった。 初めて受ける2次試験。 前日まで必死に勉強していた。 勉強しても、勉強してもし足りない。 現代文、古文、漢文、学習指導要領、書写、指導法などを網羅する。 前日の夜は早めに寝ようと思っていたのに、結局欠かさず見ている「ドラゴン桜」も、録画して、勉強した。 しかし、一番得意なはずの現代文でつまづく。 同じような問題を何度も解くのだが、どうしても正解率が50%しか合わない。 「作者はどうしてこのような動作をしたのですか。心の動きを読み取りながら、正しいものを選びなさい。」 という、五択の問題。 どうしても、どうしても2回に1回間違う。 不安になっているところへ、シンくんから珍しく励ましメールがきた。 ちょっと愚痴って、それからまた取り組む。 とにかく、解けないまま終わったら不安だけが残るので、正解率が上がったら、寝よう。 2〜3題解いて、ちょっとだけ上がったので、やめた。 学習指導要領を読みながら寝た。 そして、今日。 早めに起き、新聞を読み、少し問題を解いてから、出発した。 会場では、精鋭たちが勢ぞろいだった。 誰一人、忘れ物をした人はいないし、欠席者もいなかった。 1次試験のときにいるような、激しい茶髪や、へんな人は皆無だった。 残り3名の講師を見た。 へえ・・・この人たちなのか。 問題が配られた。解答用紙だけで全部で8枚ほどあった。 時間は2時間。 始まった。 とにかく、記述だった。 ラッキーなことに、五択はなかった。(嬉泣) でも、「〜〜について600字で述べよ。」 「〜〜についてどう指導するか。300字で述べなさい。」 「○○とはどういうことか。要旨を100字以内でまとめなさい。」 「作者の心の動きを70字で説明しなさい。」 などと、とにかく、書く書く書く書く書くーーーーーー、で、トータル1200字くらい書いたと思う。 1200字って、論文とかわらないし。 しかも、考えさせるものが多く時間がぎりぎりだった。 古典と漢文は10分しか解く時間がなかった。 5分5分で解いた。 あっという間に終わった。 とりあえず全部は埋めた。 後悔しない出来だったか?と、自問するも、・・・・・気にかかることは山盛りだった。 でも、もう終わったことなので、後は天にまかせるしかなかった。 右手の小指の横が、鉛筆の鉛でまっくろになっていた。 会場で、去年の予備校で同じ面接授業を受けた人がいた。 お互い顔を覚えていて、乗換駅でお昼を食べることにした。 食べながら、わかった。 「僕、父親が校長会の役員なんですよね。」 2次試験は、ハイレベルですよ。 ええ、内容もそうですけど、受験生もハイレベルですね。 これは、とんでもないことになってきました。 誰か、私にも校長先生のお父さんをください。(泣) こっ、こうなったらもう面接と模擬授業に賭けるしかない! 次は9月!見てろよ!! |
|
私は阿武教子 |
| 1次に合格してから、2日がたった。受かった日は、連絡やお礼や情報収集にあけくれ色々と忙しかった。 発表の日のことも日記に記しておきたいのだけれど、改めて書くのは試験が終わってからにしよう。 その時、8月10日の欄を増やします。 ******************************************************************************** 私は昨年度の悔しさから、「来年は絶対に首席で通る」ということを誓って1年を過ごしてきた。 1番差で落ちた惨めさを、もう二度と味わないために。 「ぎりぎりでもすべりこめたらいい」という考えを無意識のうちに持っていた私に、日記を読んでくれた人がアドバイスしてくれたのだった。 夢を掴むかどうかは、夢を高いところに持てるかどうかだと、その人は言ってくれた。 そんなアドバイスをもらった後日、私は失意のうちにアテネオリンピックを見ていた。 谷選手以外知らなかった柔道だが、ある選手に私は釘付けになった。 阿武教子という選手だった。 地味で、ちょっと不安な雰囲気を持ち、なんとなく私と似ていると思った。 その選手は、3度目の五輪出場だということだった。 とても強く、世界選手権では優勝できる力の持ち主なのに、オリンピックになると1回戦で負けてしまう悲劇の女王と呼ばれていた。 いまやジンクスとなり、そのジンクスに阿武選手は相当苦しんでいた。 3度目ということは、10年近い間、苦しんできたということだ。 しかし、兄や家族や、周りの人たちに支えられ、アテネで見事、初戦に勝った。 初戦なのに、阿武選手が泣いていたような気がする。 そしてジンクスを破り1回戦突破した阿武選手は、次々に試合に勝ち、金メダルを取った。 初めて勝った機会に、そのままトップに上り詰めたのである。 その時、私はこの人だ、と思った。 私は阿武教子選手だ。私は阿武教子選手になる。 来年は、初戦突破し、そのまま金メダルを取ろう。 そう思って1年後の今日、私は初戦突破した。 色々な人に支えられた。 まだ闘いは続きます。 何があっても大丈夫なように首席で通りなさいよ、と今年はまた違う人に言われた。 絶対に絶対に首席で通る。 |
|
10年目にして初めて |
1次結果に私の番号がありました。 涙がこぼれました。 ************************************************** 当日、私は役所に張り出す掲示板まで、番号を見に行くつもりでいた。 昨年、インターネットで見た時の衝撃が忘れられず、とてもサイトで見る気にはなれなかった。 しかし、当日朝、目が覚めたら10時。 すでに、発表の時間だった。 仕方なく、のろのろと起き、ゆっくりと着替え、景気付けにカツサンドを食べた。 しかし、ろくに喉を通らない。 もうすでに、運命は決まっているのだ。 私がこんなにやきもきしている間に。 10時35分。 やっと、パソコンを立ち上げた。 教育委員会のサイトはすぐに開けた。 しかし、なぜか結果発表のページが更新されていない。 え?え?と思いながら、2ちゃんねるの情報を見ると、「まだ発表されてない。どういうことだー。」と騒いでいたので、 教育委員会のことだから、ばたばたしているのだろうな、と思った。 そのまま2ちゃんねるを更新していると、次々とことばが現れた。 「吐きそう・・・」「めまいがする・・・」「怖い・・・」 みんな、私の気持ちを代弁していた。 しばらくぼーっとしていた。 どう、気持ちの整理をつけようか考えあぐねていた。 すると、「発表、キター!」と発言があったので、すぐに教育委員会のページに跳ぶと、更新されていた。 「1次採用試験結果」 という一行が、どうしてもクリックできない。 心臓がばくばくいう。 去年の衝撃がフラッシュバックする。 あの、面接の時の別嬪さんは通っているのだろうか。 もう、限界だ・・・。 勇気をふりしぼって、クリックした。 小学校の欄が現れ、随分と番号があった。 2人に1人、合格している勢いだ。 いいな・・・・ 随分下にスクロールすると、やっと中学校の欄が現れた。 番号を追う。 ・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・ん? 随分とんで、私の番号が、一番最後にぽつんとあった。 「あっ、あった、あった、あった〜〜〜〜」 私は思わず叫んだ。 そして、立ち上がり、そのまま寝室へ飛んでいった。 「あったよ、あったのよ、あったのよ〜〜〜〜〜」 と、ドラマのようにベッドの上に崩れるように一人で叫んだ途端、涙が滂沱と流れた。 「うわーんうわーん、しくしく」 と、枕につっぷして泣いていると、ふと、連絡しなければならないことを思い出した。 すぐに泣き止み(笑)、携帯を取り出し、夫と、マツダ先生や星野先生、シンくん、織田先生にメールを入れた。 携帯メールを打ち終わると、すぐに現実に引き戻された。 2次試験まで10日しかない。 それは、とても空恐ろしいことだった。 2次試験は、当然のごとく1次試験をかいくぐりぬけてきた精鋭が結集するのだ。 私は喜びにひたっている時間10分で、すぐに不安になった。 ネットを再度見て、何人通ったか調べた。 一般人枠5名、 特別講師枠の中は4名の通過。 24名の講師の中で、たった4名しか受からなかったのか。 すごい戦いだったんだな・・・。と背筋が凍る思いがした。 大阪は昨年度より、1次試験に受かれば、2次試験が通らなくても、翌年もう一度だけ2次から参加できるというシステムになっている。 「1次免除」というのだが、その1次免除組が、9名も残っていた。 つまり、5名+4名+9名=18名で2次試験の戦いをするのだ。 採用は・・・よくて、6人だと見ている。 まだ、まだ厳しい。 すぐに、楠中へ報告をしに行った。 教頭先生は握手してとても喜んでくださった。 温かい手だな、と思った。 翌日から、私の1日10時間の猛勉強が始まった。 |
|
「覚悟」その3 |
| 食事の後、夫と私はそれぞれ自分の部屋に戻った。 が、先ほどの夫との会話を頭の中でリフレインしていると、なんだか急に不安になってきた。 夫が最後までしつこく反対していたら余計反発していたかもしれないが、夫が結構何も言わず引いたのでこのままでいいのかなあ、という気にもなったのだ。 私は、ネットで整形の体験談を検索した。 出てきた。 成功例と失敗談の両方が並んでいた。 しかし、気になったのは、その数が同数のコメントで仕切られていた。 ・・・つまり、整形というのは成功と失敗がフィフティ・フィフティだということだ。 成功する例ばかり考えていた私にとって、かなりの不安が押し寄せた。 更に読み進むと、 ・姉が整形したが、はっきりいってどこをしたのかわからない。 だけど、本人は大満足なようで、すっかり性格も明るくなったし、私は本人に自信がついたのなら、それで構わない。 ・目を切開法でやったら、目尻に傷が残った。すごく痛い。傷が消えない。へんな風にシワも入った。 ・整形したが、気に入らなくて戻した。でも、まったくの元通りではない。 ・整形したが、気に入らなくて2回目をした。それも気に入らなかった。 なかなかうまくいかないので、3回目を相談したら、お医者さんに 「マイケルジャクソンじゃないんだから、そんなに何度もいじったら顔が崩れる」と言われた。泣きそう。 ・何で人は整形するんだろう?整形した地点で自分に負け。 「やってよかった☆」というコメント欄は軽々しかったが、失敗のコメント欄には悲壮感が漂っていた。 私は2時間ほど、2ちゃんねるやその他美容整形のコメントを閲覧しまくり、さっきまでの気分がふっとんでしまった。 どうしていいかわからずに、廊下に出ると、夫がちょうど通りかかった。 私「整形、やめよっかな・・・」と、つぶやいてみた。 すると夫は嬉しそうに、 夫「うんうん、やめやめ。どんなのになるかわからんし、第一、人工的に顔をいじると余計ゆがむ。」 と言った。 また部屋に戻ってネットで調べた。 すると、論理的に色々とコメントをしているところがあり、そこでこんな一言を見つけた。 「勘違いしてはいけないことは、小鼻をけずったところで、鼻の穴はそのままだということだ。 鼻の穴の大きさや向きはかわらない。」 整形外科の先生がおっしゃっていた小鼻縮小手術では、鼻脇の肉をとるものなのだ。 つまり、私の鼻自体は上をむいたまま穴の形も変わらないのだから、結局ほとんど変わらないのかもしれない。 小鼻を削るだけなら思い切って飛び込んでみたかもしれないが、私の鼻の醜さは、小鼻を削り、鼻筋を通し、鼻の穴の形をせばめて・・・と、 それだけで鼻全体を全部変えてしまうくらいの大手術になる。 それはさすがに、できない。怖いし、鼻の骨を大改造するのは、年をとってからどうなるかわからなくて怖い。 更に決定打だったのは、成功した人が、今後5年後、10年後、どうなっているのか、というコメントがあまりないということだった。 その頃になって皮膚が老化し、伸び縮みし、手術したところだけが異様に歪んでしまうということはないのだろうか。 洗面所の鏡で自分の顔を見た。 鼻がえらそうに顔の真ん中であぐらをかいている。 憎憎しかった。 おもいっきり痛いほどつまんでみた。 放すと、ゆっくりとあぐらをかく。 鼻もだめ、唇も手術不可。 鏡を見ながら、私はこの顔で生きていくしかないのかなと思った。 整形手術には相当な覚悟がいり、本当は私は「この醜い顔に責任持って一生生きていく」覚悟が必要なのかもしれない。 TVを見ると、街頭ロケで決してかわいいとは思えない素人が映って、芸能人に話していた。 しかし、その子は臆びれもせず、笑顔で謙虚に答えていた。 10分もすると、慣れてきた。 美人は三日で飽き、ブスは三日で慣れる、というが、こういうことなのかなと思った。 生徒が「先生、初めはヘンな顔だと思ったけど、慣れてきた。」というのも、それだ。 だから、やっぱり、私はこの顔で、心を磨いていくしかないのか。 苦しいけれど、仕方なかった。 私はできるだけ気持ちに自信がもてるようにしよう。 ブスで卑屈や自信過剰なのが一番うざい。 ブスでも笑顔で、謙虚なのが一番いい。 あと、ブスな分、頭も必要だ。 次の日、私はクリニックへ電話をし、無期限延長をお願いした。 完全に断ってないところにまだ未練が残るが、とりあえず、この件はこれで終わりにしよう。 晩、私は鼻を洗濯バサミで挟んで寝た。 |
|
「覚悟」その2 |
| 家に帰り着くまでに、私はどうやって夫を説得しようかと考えていた。 この鼻を何ミリか削るだけで、相当ましな顔になる。 そうすれば苦しかったこのコンプレックスからも解消される。 デパートでエスカレーターに乗る度に、横にある鏡に映るおぞましい顔とはおさらばだ。 だが、その日に限って夫は遅かった。 色々と頭の中で夫と会話してみたが、夜11時ごろ、帰宅した夫と食事をしている時、切り出した。 「私、誰がなんと言おうと、整形することにしたから。」 夫はそれまで見ていたTVから視線をちらりと私に移し、何も言わずに箸を動かした。 普段から「やっぱこの顔は整形しかないわ」「ああ〜整形してたら人生かわってたのになー!」「面接も顔がきれいだったら有利だよね」と、 散々言ってきたので、またか、というようなそぶりだったが、私が真剣に整形を語りだしたので、おやおやという顔をした。 夫「やめときって。もうええ年なんだから。結婚もしてるし。」 私「年とか結婚してるとか関係ないの。広末くんは、私が20年間のこの苦しみがわからないんだ。 この顔のせいで中学生の時にイジメに遭ったし。もう、うんざりやねん。」 夫「傷あと残るやろ。それに、両親になんていうの?」 私「傷は目立たなくて、そのうち治るって。両親には言うわけないでしょ。黙ってとおす。」 夫「絶対気付かれるって。その時なんて言い訳するの。」 私「気付かれないって。」 夫「気付かれないような手術ならしても同じだろ。」 私「なんか印象変わったなあって思うかもしれないけど、鼻だって気付かれない。鼻って、顔を変えるけど、インパクトはそんなにないんだって。」 夫「やめときって。今はいいけど、年とって、その部分の皮膚や肉がどう変化するかわからないよ。 そこだけ人為的に削るんだから、年を重ねるごとに不自然にしわがよったりするかもしれないよ。」 しかし、私が頑として主張を変えないので、夫は一旦あきらめて口を閉ざした。 怒ったふうではなかったが、「まいったなあ。」という雰囲気はみてとれた。 |
|
「覚悟」その1 |
| なんなんだ、このアクセス数。 へえ〜そうか。整形のこと書いたからかな。 こんな時に増えないで、普段の学校生活を精力的に読んでほしいと思う寂しさ。 整形カウンセリングを受けにクリニックへ行った。 オシャレな内装で、センスもよく、サロンのようだった。 やっぱり高級感とイメージだよなあ、と思いながら、持病やアレルギー等のアンケート用紙を書いて名前の呼ばれるのを待つ。 カウンセリングは、執刀の先生が直接お話してくださったのでびっくりした。 てっきり受付のお姉さんがしてくれるとリラックスしてきたのに、いきなり緊張した。 診察室に入るとアンケートを見、私の顔に一瞥すると開口一番、 「うん、鼻の整形ね。それはしたほうがいいわ。小鼻が張ってる。」 と、言われたのでずきーんと来た。 でぶだとわかっていて、「デブ!」と言われて傷つくのと同じ感覚。 自分でわかっていても、言われたくない。 私がいきなりショックを受けていると、「ごめんね、でもはっきりちゃんと言わせてもらうからね。」と先生がおっしゃった。 「唇は・・・下と上のバランスが悪いね。でも、唇は見た感じ、触らないほうがいい。 あなたの場合、あごの出具合と形から、唇だけをいじっても、却ってよくないね。 顔ってバランス。バランスが大事だから。 だから、あなたの場合、目をくっきり二重にして、人からの視線を目に行くようにさせて、唇の印象を薄くしたほうがいいね。」 色々と次々と言われるので緊張した。 先生は、鼻の話に入り、実際に私の片方の鼻をそのままにし、片方を手で押さえて、アイプチのようなもので二重にして手術後がどうなるか、鏡で見せてくれた。 「両方の目鼻を見たら、一目瞭然でしょ。たった2ミリ、鼻を削るだけで、印象が全然違ってくるでしょう。」 確かに、鏡の中にいる私は目ヂカラがあり、20%くらい可愛くなっていた。 そして、「あとで消すからね。」と、鼻にボールペンでどこをどう削るのか記した。 「この部分ね、ここを取る。そうしたら随分すっきりした印象になるよ。顔の印象はかわるけど、人はどこが変わったかわからない。 傷も、小鼻のわきだから、化粧でカバーできるよ。大丈夫。」 「痛くないですか?」 やっと、ここで私は言葉を発することができた。 「痛くない。麻酔で眠ってもらって、寝ている間に30分で手術おわり。準備から全部で1時間半くらいかな。 費用は・・・」 と、提示してくれたのは、お給料1ヶ月弱くらいの値段。 「かかる費用は術後の鎮痛剤代と診察代これだけ。ダラダラと請求しない。」 と、明細を書いてくださった。 「職業は?主婦?なら、ご主人はなんと言ってるの?」 「まだ、相談してないんです。今日お話お伺いしてから話そうと・・・」 「じゃ、手術どうする?」 すぐ決めなきゃならないのか。私の心臓はどきどき言った。 しかし、 「明日お電話差し上げていいですか。今日主人に話してからにします。」 「じゃ、ご主人からOKが出たら手術だね。そうしたらすぐに手術に入れるように、せっかくだから術前検査だけ今日済ませておこうね。 心電図と血液検査。じゃあ、看護婦さんについていって。」 次から次への流れの中で、私は困惑しながら診察台に乗った。 とても別嬪さんの看護婦(師)さんが、丁寧に検査してくれた。 私はきれいになるんだ、だけど怖い・・・と思いながら、気持ちは50:50で私は7350円を払い、クリニックをあとにした。 |
|
いざ出陣 |
|
私が常々顔が不器量なことにコンプレックスを持っているということを日記に書いてきた。 |