MiruMiru's Diary 2005年 11月分 

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KAKO's Diary

 

 2005.11.30(水) 
しずちゃん先生
にかく、生徒には「しずちゃん(注:南海キャンディーズ)に似てる〜」といわれっぱなし。
そんなにでかくないし、似てるのは髪形だけだと思うが、教室に入るなり「しずちゃん!」


ちょっといじってみよう、と「バン!」と打つマネをすると、「きゃああ〜〜♪」と大喜び。←なんて単純なんだ



私「女はなあ〜シャボン玉なんやで〜」
「あはははは!あははははーっ!!」


しまった、授業のさわりなのに、テンションあげてしまった!



追伸:静かにさせるのに苦労しました。>反省

 2005.11.29(火) 
懐かしい匂い
末テスト明け。
クラブ活動が始まったので、早速剣道部を見学させていただいた。
ここは格技室がある。


どこの学校もほとんど同じ造りで、楓中と雰囲気は違うものの建物はそっくりで懐かしかった。
重いドアを開け、一礼して室内に入ると、あの、汗臭さと藍の混合した懐かしい匂いがした。
稽古していた生徒が一斉に振り向いて、「こんにちは。」と言った。
そして、パイプ椅子を持ってきて、手でほこりを丁寧に拭き、「どうぞ」と言った。
大人を敬う、なんとも懐かしい感じが蘇ってきた。


稽古に激しさはなく、大人しいものだった。
途中、何度「そこはこうするんだよ。」と、近寄って行って修正してあげたかったことだろう。
でも、私が剣道をすることを生徒は知らないし、言うつもりもなかった。
ただ、椅子に座って子どもたちの練習風景を見ていた。
剣道部は私の青春だったと思った。

 2005.11.28(月) 
浮き沈み
うも日に寄って気分の浮き沈みがある。
前向きな時と、後ろ向きな時と。

今日は寝不足も手伝って、気分が沈みがち。
そして、期末テストだったので、採点をしていると、単純作業なところで、マイナス思考がぐるぐるした。
私の気持ちなんて誰もわかるもんか。
苛立ちと最低な気分だったので、気持ちも弱りがち。
剣道も行きたくなかった。


帰りの電車で剣道どうしよう、と思いながら、席が空いたので座ろうとすたすた歩いていくと、他の人にとられてしまった。
乗り換えをして、別の路線に乗るも、また1秒差でとられてしまった。
こりゃ今日はロクなことがないと、剣道もずる休みした。
多分、今日は行っても最低な剣道だろう。


気を取り直してスーパー銭湯へ行った。
マッサージを頼んだが、2時間まちだったので、やめにしてお風呂のみを楽しんだ。
すると、入りたい種類のお風呂に、まさにタッチの差で入られてしまった。
あー・・・今日は最低。


私の好きな黒木瞳が「マイナスな時は、太陽の光をいっぱい浴びて、思い切り深呼吸する」というので、今度そうしてみよう。

 2005.11.26(土) 
子連れデート
年に子どもを産んだ友達が映画を見にいかないかと誘ってきた。
子どもはどうするの?と聞くと、預かってもらうという。
なにせ0歳児で、以前おうちにお邪魔した時、とにかくせわしなかったので、今回は久々に映画見て、おいしいランチ食べて・・・と喜んで行ったら、
預かってもらうのは映画を見ている時だけだった。
道を歩いているときも子どもがばたばたするので会話に集中できず落ち着かない。
子ども連れでも入れる喫茶があるのでお茶しようといってつれていってもらったのは、幼児遊具が置いてあり、遊び場が設置してある珍しい喫茶店。
しかし、子どもづればかりで、子どもがばたばたと遊んでおり、そこを見下ろすような感じでお母さん方がお茶や食事をしていた。
とにかく、ざわざわして落ち着かなかった。
やはり、幼児は苦手だ。


私が遊び場で難しい顔をしておもちゃを触っていると、2歳くらいの女の子がとことこを歩いてきて、何か言った。
私が受け答えしていると、

「あっ、うちのこ邪魔しちゃって!ごめんなさい、さ、ももちゃん行くわよ!」とすぐに連れて行かれた。


・・・人攫いに思えたのかも(苦笑)。>雰囲気が子ども向けじゃないからな

 2005.11.25(金) 
ストレス発散方法
中の非常勤嘱託員の講師の子が、夜、悩み事をメールで連絡してきた。
楠中で隣の席で妹のように接しており、私が楠中を去った時わんわん泣いてくれた子だ。
色々とストレスがたまっているようだったので、深夜にもかかわらず、「スカっとしにいくか!」と、車をとばしてスパワールドへ行った。
私も初めてだったのだが、値段が高いけれどもとてもよかった。
妹講師(仮称)は、1人暮らしでユニットバスなので、「半年ぶりくらいで湯船につかりました」と喜んで足をのばしていた。
「こうやってすっきり気持ちをリセットしなくちゃねえ。」といいながら、私も楽しかった。

 2005.11.24(木) 
苦しみのルール
にかく勤務2日過ぎたので、マツダ会に参加していた先生にメールを出した。
私がどんなところへ飛ばされ、どんなふうに扱われるのか心配してくださっていたからだ。


subject:無題

兎にも角にも新しい学校で二日おえました。
きちっとした学校でした。(桜中ほどではありませんが)
生徒は様子見なのか静かで、先生の躾も久々にハイレベルな事で怒るので
襟を正される思いです。前の学校に長くいすぎたからか、生徒と教師がぬるま湯になってはだめですね。
今の学校で生徒の質を崩さないように2ヶ月頑張らなければ。
とりあえず報告でした。




すると、マツダ先生と星野先生は「それはよかったね。」という返事だったが、織田先生のは違った。


Re:

松中も一時荒れて大変だったから危機感が残っているんやろな、
だからきちっとせなと言う意識がある。
そういうのがわからん教師が増えてあぐらかくとあかんねんな。
まあ難しいな。




はっとした。
そうだ、この細々とした教師側のルールは、過去の苦しい状態から脱出するためのものだったんだ。
きっと、血のにじむ思いでこのルールを守ってきたのだろう。
だから報告も細かくて、いろんなことが統一されているのだ。
会議も長い。




ここで大切なことを学ばなければ。

 2005.11.23(水) 
襟を正す
ってきました。松中学校。
前日はよく眠れなかったものの、目覚まし5つかけて起きました。
楠中よりも1時間も早く家を出なくてはなりません。
しかし、電車に揺られ、乗り換えでホームを歩いていると、久々にOLっぽいなあと思いました。
服装も、養護学級のときはその作業性からジャージでしたが、今は地味色ですがジャケットとパンツで先生といった感じです。


ちょっと語らせてください。
最近、先生も服装が大事だと思うようになってきました。
桜中にいたころは、結構ちゃらちゃらしてました。
髪の毛も少し茶色に染め、ピアスをし、服もお気に入りの可愛いのを着ていっていました。
だけど、楓中に行って生徒の荒れを見て、先生が毅然とした態度と服装でなければいけないと思うようになりました。
まずは、先生から。
だから、松中ではちゃんとした服装にします。(決意)




さて、松中の様子はどんなだったかというと、

落ち着いていました。


しかも。
先生と生徒がお友達じゃない。
生徒が敬語を使います。(使わない子もいるけど)
服装も乱れまくっている子はいません。
注意されて、反抗する子も今のところいません。
先生から注意を受けたら、一応ちゃんと聞く。
何より、授業が静か


先生が怒ることもハイレベル。
集会の時、「黙ってきくだけじゃなく、耳を傾けなさい。」と、注意されていました。


黙って座って聞いているだけで、もう、十分じゃないですか。
と、思う私は、既に心が荒れていますね。


職員室で、先生方が、「もう、あの子ったら、授業中こうでこうで、こうなのよ。本当にしょうがない子でしょ。なんとかしなくちゃ。」と言っている内容も、
他の学校だったら、指導の必要ナシなくらいの高次元。


久々に襟を正される思いでした。
ですが、安心してもいられません。
この状態を2ヶ月間、キープして、元の先生に渡すのが私の役目。
きっちりしていかなくてはいけません。
しかも、学校内の連携も、めちゃくちゃ細かいんです。
指導や事務一つにいたるまで。
ここまできっちり統一されているから、生徒も落ち着いているんだろうな、と思いました。



放課後、中国から来た子もいるので、久々に中国語でコミュニケーションをとりました。
素直だなあ・・・。
穏やかにかわいいって思えるの、何年ぶりだろう・・・。




さて、廊下を歩いていると、他学年の生徒がぽつりをつぶやきました。

「あ。(南海キャンディーズの)しずちゃんに似てる。」





せっかく青木さやかにまで昇格したのに、今度はしずちゃんですか・・・。
でも、喩えが人間だからいいや。(いいのか)


と、いうわけで、久々に一昔前の学校にいるような感じでスタートした2日間でした。
それでも、まだ慣れないので帰ってきたらバタンキューですが。

 2005.11.20(日) 
最後は人間性
日からの新しい生活に(かなり)不安に駆られながら、千葉先生の言葉を反芻し家事をしていると、ふと、マツダ先生の言葉を思い出した。
マツダ先生が一般教諭だったときの、剣道部の話。


マツダ先生がとある学校にいた時、剣道部を持つことになった。
マツダ先生は剣道の指導できないが、誰もほかに顧問になる人がいなかったのだ。
それまで顧問だった先生がバリバリの専門家で、チームは全国大会出場に手が届くくらい強かったのだが、顧問の先生が転勤することになり、指導者がいなくなったので、マツダ先生は生徒の希望を引き受けた。


生徒たちは専門家の顧問がいなくなっても自分たちで頑張った。
一生懸命稽古する生徒たちを見て、マツダ先生は自分が何もアドバイスしてやれないことにもどかしさを感じながらも、生徒を見守った。
そしてそのチームはとうとう、全国大会出場を賭けた最後の大会にまで勝ち進んだのである。

試合は、団体戦。5人対5人で、勝った人が多い方が勝ち。
試合はお互い2勝2敗の接戦で、最後に大将同士が戦うことになった。
これで、試合が決まるのである。

試合は時間延長にまで達し、どちらも譲らなかった。
しかし最後、苦戦の末マツダ先生の学校の生徒が1本を決めた。


「メンあり!」


その声を聞いたとき、大将はあまりの喜びに、思わずガッツポーズをした。
みなは感動のあまり歓声をあげ、肩を叩き、喜び合った。


その時。


「反則!勝敗取り消し。勝負をやり直します。」


審判の声が聞こえた。



「えっ?」



マツダ先生の学校の生徒は驚いて固まった。
すると、審判が、ガッツポーズをした大将を指差し、「反則」と言った。


剣道では、相手を最大限に敬う「礼」を尊重するので、勝ってガッツポーズをすると反則となるのである。
ざわめく会場に、心が動揺したのは、大将だっただろう。
試合は振り出しに戻り、やり直しとなった。


どんなに勝負に没頭しても、やはり動揺を隠し切れない大将は、試合に負け、全国大会への切符は一炊の夢となった。
そんなドラマのようなことがあったのだと、マツダ先生は昔、話をしてくれたことがあった。



その時その場にいた織田先生は言った。
「人間、究極の場面で出るのが本当の人間性やで。
最後に勝つのは、人間性なんや。」




最後の面接で、出るのは人間性だ。
だから、私は負けたのか。

千葉先生の言った言葉と、マツダ先生の言葉がリンクし、自分の心の中に沁み込んだ。


一生を決める場面で見せたその人間性で、道は決まる。
だから、人間性を磨くしかない。






私は今なら、その大将の気持ちがわかる。

 2005.11.19(土) 
最近の学校世情
直、今の学校世情はこんな感じです。
文部科学省も教育委員会も親のクレームが怖いから、制約が多すぎて学校は手も足もでない状況になっています。



「そっちの学校って、授業成立してるん?」
「うーん・・・してるとは言いがたいなあ・・・。」
「うちは割合ちゃんとしてるで。授業中飛び出すやつもおらんし、一応席についてる。」
「ええなあー・・・。」
「全校集会はあるの?」
「月に1回しかない。」
「えー。毎月曜日ないのか。でも、並んで校長先生が話しているとき、列から飛び出して後ろでスライディングしてるのいるな・・・。」
「家に遊びに来させたら、車のボンネットに乗って遊ばれた。」
「何かを聞き返されるとき、「・・・は?」って素で言われるのが腹が立つ。」
「うちは集会で座っている時、あぐらかいてるねんよ。」
「そんなのまだましやね。うちは寝そべるやつがいる。」
「『うちのこ、どんどん厳しくしたってくださいね、先生!』って親が言うから、本当に厳しくしたら親が乗り込んできて、もう厳しくしない、次やったら教師やめるって誓約書書かされた。」(←シンくん)


もう、チャイムが鳴ったら生徒が教室に入るっていうところ、どんどん少なくなってきてますよ。
ちゃんと授業ができるところへ行きたい。

 2005.11.18(金) 
2年ぶりのマツダ会(今日の日記はまったく違う話題で2つ書いています。これは午後の出来事です。)
中から帰って来て、ふと髪を切りたくなった。
時計を見ると、1時。
今日はマツダ先生、織田先生、星野先生、シンくん、私とで会う、「マツダ会」があるのだ。
それまでに間に合うだろう。


美容院へ行って、ストパーをあて、髪を切ってすっきりした。
そのまま、マツダ会へ行く。


幹事が一番に着いてないと、他の人も気まずいだろうと思い、15分前に行くと、店の前でマツダ先生とばったり会った。
そのまま、店に入り、話していると、織田先生が時間通りに来た。

しかし、星野先生とシンくんは学校で問題が起こり、「ちょっと遅れる」とメールが入った。
あーあ・・・やっぱり生徒指導か・・・と、思っていたら、20分だけ遅れて全員がそろったので、久しぶりに飲み食い、話した。


料理は、コースにしたが、一品を食べた時の方がおいしかった・・・。(これは備忘録)




話は久しぶりで満開になるかと思ったら、時々ふと話題がとぎれることがあった。
5人ともみな違う学校で、環境で、深く話せないこともあるのだろう。
話し始めたら、愚痴だけだということもあるのだろう。
ただ、一番盛り上がったのは、シンくんに好きな人ができたことだった。
同じ職場でまだ告白もしていないのだけれど、月曜に「言う」ことになった。(←その場のノリ)

何を言うのだろう?食事に誘うのか、告白するのか。
いずれにせよ、また報告してくれるらしい(笑)。



そのあと、カラオケへ行った。
カラオケ行くとは思ってなかったので、曲も準備せず、1時間だけ歌った。


途中、終電があるからと、シンくんは中抜けした。


その後、店を出て、4人でドンキホーテの観覧車に乗ろうということになった。
私は、観覧車に乗ることよりも、乗るときに写真を必ずとってくれて販売してくれるので、それを買おう!と思った。
4人だけで写ってる写真なぞ、ない。


そう思ったら、なんとドンキの観覧車は24時までだった!(24時間営業だと思っていた)

時計を見ると、24時20分。(いつまで飲んでるねん)

星野先生「あ〜やっぱり、みるさんがいると、お店休みねえ〜」
織田先生「やっぱり健在か!この、定休日女!!」
みる「定休日じゃないですよっ!大体、深夜に観覧車乗るっていうほうがおかしい!」

その後、仕方なく、帰ることになった。
織田先生とマツダ先生はその後、ネオンの海に消えていった。
2人で久しぶりに飲み明かすのだろう。


私は、星野先生とタクシーに乗った。

私は言った。
松中で7校目になる。
新しい環境に慣れるのに、たいへんなパワーがいる。
もう、正直、短期で新しい環境に飛び込むのは疲れた。

星野先生も言っていた。
星野先生の学校も大変な状況で、転勤はしたい。
だけど、転勤するのにもパワーがいる。
星野先生ももう教師生活を10年残すところとなった。
今も確かにしんどいけれど、この年になって、次の学校へ行くのもしんどい。


色々と話をしながら、また、シンくんに春が来た時に(笑)、みんなで会おうと約束した。
私が先に降り、星野先生の乗せたタクシーは角を曲がった。


家に着くと、なんと、まだ夫が帰っていなかった。
さすがに驚いた。
そして現在もまだ帰らない。(現在午前3時半)
お仕事お疲れ様・・・。
(ちなみに夫はお酒が飲めないので飲んで帰ることがない)



こうして、日記を書きながら、いろんな思いがよぎった。
一つの行事をみんなで一つになって取り組んだあとに飲んだお酒は最高だった。
やがてこうして年月が経ち、一つの思いを共有することはなくなった。
お互いの近況を伝え合い、詳しくは話せないままに思いは終わる。

星野先生は生徒指導にくたびれて、
シンくんは杉中(別名:うるさ杉中)をなんとかしたいと思いながら絶望の淵に居た。
織田先生は、教頭から教育委員会の事務へ希望もしないのに異動し、ぎりぎりの思いの中だった。
マツダ先生は校長になられ、立場上自由に言えないこともでてきた。

今の、桜中の現状も聞いた。
桜中は私たちがいた桜中ではなかった。



私たちは、もう、

 2005.11.18(金) 
私が2次で落ちた理由その3
の心の中で、何かがすとん、とはまった。


筆記がだめだったのだろうか、
面接で早口だったからだろうか、
私の人格を否定されたのだろうか、
など、悩みに悩んで、どれも違う、何か違うと思って悔しい思いをしてきたが、


きっと、これなんだ、と思った。
その途端、10月27日からずっと目の前にかかっていた霧が今、晴れた気がした。




松中に決まった時も、
2次に受かった優秀な講師が2人もいて、私にとっては随分プレッシャーだった。
だけど、そう感じる必要はない。
私は、私なんだ。
私らしくいけばいいのだ。



思えば、今までどこの学校へ行っても、大抵その環境でかわいがられ、大事にしてもらえていた。
その時の気持ちを忘れかけていた。



私「・・・・ああー・・・・あー・・・。そうです。多分、そうです。
私、すごく今わかりました。」

千葉「そう?わかった?私の話のいわんとすること。」

私「ええ。ありがとうございます。私、今日、本当にこの話を聞けてよかった。
来週から松中へ行く前にも、聞かせていただいてよかった。」

千葉「そう。それなら、よかったわ・・・。
みるさんのずっと経験されてきた想いもあるし、悔しい思いもあるだろうけれど、頑張って。

松中にね、私の知っている先生がいるのね。
先日連絡をとったら、今度のみるさんの席の隣らしいわ。
すごく素晴らしい方でね。私も、その人から学ぶことが多かったの。
だから、私、今度、優秀な人材が楠中から松中へ行くから、是非、たくさん指導して伸ばしてあげてほしいって、お願いしておいたわ。
たくさん、学ぶといいわ。知らない人の中で過ごすのって、最初とてもしんどいでしょう。
その先生に話しておいたから、少しでもお話ししてね。」
私「ありがとうございます・・・。」




どろどろした気持ちがすべて洗い流された。
そして、千葉先生は突破口を開けてくれた。
最後まで、本当に感謝してもしきれない。



私「先生ありがとうございました。先生無理せず、お元気で。
また会える日を楽しみにしています。」

千葉「ええ。みるさん、是非、来年は良い知らせが聞けることを楽しみにしています。」

 2005.11.18(金) 
私が2次で落ちた理由その2
「ねえ、みるさん。
みるさんは、すごく努力されてきて、頑張ってきたし、今回惜しくも採用試験がだめだったでしょう。
そして、「なにが悪かったんだろう?」って、すごく悩まれたとも思うの。
実は私もね、似たような経験があって、それが参考になるかわからないけど、
みるさんにもあてはまるかもしれないって思ったから、敢えて、私の失敗談をお話するわね。」

私「・・・はい。是非聞きたいです。お願いします。」

千葉「みるさんは、長年の講師経験で、自信を持っていると思うの。ええ、良い意味での自信なんだけどね。
だけど、どうでしょう・・・





私ね、若い頃、教員にはなるつもりはなくて、某航空会社の試験を受けたことがあったのね。
1次に受かって、2次の面接にすすんだのね。
でもね、落ちたの。
受かったのは、2人。1人はすごく長身でとびきりの美人。でも、もう一人は、はなもちならない何でこの人が、と思ってしまうような人だったの。


何故、私は2次で落ちたのだろう?
そう考えた時に、私の場合、原因は面接しかなかったのね。2次は面接だけだったから。
いろんなシチュエーションを思い起こして、一つ一つ考えてみたの。
そしたらね、もしかして、こういうことじゃないかと思ったの。


私は美貌にも、頭脳にも自信があったの。
若いし、とにかく周りには負けてないと思っていたし、自信があった。
集団面接の時に、別の人が、「英検3級持っています。」と言った時、私は「私は2級持ってるわ。」と思ったの。
実際、私の番が来た時に、「私は英検2級です。」って言ったしね。

でも、面接官って、誰かが答えているときに、他の人の反応も見ていると思うのね。

私は、英検3級の話を聞いたとき、なにさ、ふん、て思った。
はっきり態度には示さなかったけれど、心の中で確かに思った。
その時、面接官の表情が揺れたのを見たのね。
多分、私のその心を見たのだと、思ってる。


私は、資格も成績も受かった人よりずっと上だったけれど、落ちた。
英検3級の人は通った。


・・・航空会社って、客商売じゃない。
だからそういう心がもし、お客様の前で出たとしたら、会社に多大な損害を与えることになるでしょう。
だからだと思ったの。


生徒の前や、親の前でも、知らず知らずのうちにそういう心があっては困るし、
教職員との間にもね。


みるさんは、色んな学校を経験してきて、色んな正教諭もみてきたでしょう。
その中で、「なんでこんな人が採用されて私は」って思うことも、あるでしょう。
それは本当かもしれないけど、でも、その心なのね。



自信を持つことは大切だし、自分が何者にも揺るがない精神を持つことは大切よ。
だけど、やはり、謙虚さが必要。
人生、日々勉強なのよ。いろんなことの積み重ねでここまで来てる。
だけどそれも、転勤したらまた1からのやり直し。その学校でのやり方の中で、謙虚に自分を積み重ねていくしかない。


みるさんは、この楠中で、楠中のいいところも悪いところも身につけてしまったわね。


若くても謙虚である人と、年をとって自信がありすぎる人と、どっちを選ぶかって、
これからの可能性を伸ばしやすい人を選びたいと思うわ。指導者から言って。
謙虚な人の方が、実際かわいがられるし。


だけどね。
みるさんは、この楠中で、あんな大変な養護学級を経験して、大変だったかもしれないけど、
それもみんな、一般学級に戻った時にも役立つことだし、必ずみるさんの力になってついているの。
人生、辛いことがあっても、その時は辛くても、必ずそれは自分の実になるの。
その経験が積み重なって、すばらしい教師になっていくのよ。


私は、あと数年で退職だけれど、教師としてはたいしたことをしてないと思っているの。
なんてったって、子どもを2人産んで休職して、流産3回もして休職してるから、その間仕事をしてなかったし。
それに、私、教員試験に受かった時だって、その時腎臓を悪くしていたから採用前検診で何度もひっかかって、
学校の人から「こんな(体の弱い)使いものにならない人を・・・」と言われたこともあった。

だから、私は絶対に素晴らしい教師になってやる、って思った。
そのために、たくさん勉強もした。


辛いことも多かったけれど、今はとても楽しい人生だったって、思えるの。
ええ、とても楽しかったわ。」

 2005.11.18(金) 
私が2次で落ちた理由(今日の日記はまったく違う話題で2つ書いています。これは午前中の出来事です。)
中へ事務手続きへ行った。
かーくんのことはさておき、数人の先生が事務室へ顔を出してくれた。


教頭先生「やー、みるさん、元気な顔してるね。やっぱ、学校にいた時よりも元気な顔してるよ。」


え・・・そうかなあ・・・。
気持ち的にはそうではないんですが。。。




閑話休題。


今日、午前中あったことは、きっと一生忘れないと思う。





今日、楠中に行くに当たって、私はとても会いたい人がいた。
それは、日記の中で何度かちらちら出てきた「千葉先生」だった。

千葉先生はあと数年で退職を迎える、大ベテランの国語の先生だ。
専門の知識はもちろん、人生で様々な苦労をされてきていて、話にも味があり、またウィットに富んでいて、心の温かい先生だった。
私は、この学校にきてよかったと思うことの一つは、この先生と出会えたことだった。
国語科の師として仰ぐことができる尊敬に十分値する先生だった。


時間があるときはお昼ご飯を食べに行ったり、何気なく職員室でお茶をしながら先生の講話を聞いたりしていた。
最後の飲み会の時、「みるさんと去年出会えて、また今年も偶然同じ学校に戻ってきて出会えて、なんだかこの縁は運命だって気がするわ。」
と、言ってくださった。
私も、また、同じことを考えていた。
不思議と、千葉先生とはこれで最後のお別れという気がしない。
また、どこかで必ず会える気がした。


11月10日、最後の日、いろんな人に別れのあいさつをしながら、千葉先生とすれ違いになり、最後のあいさつがかわせなかった。
仕方なくメールを送ると、千葉先生から返信があった。



「多分、また会えると思って、今日は急ぐので帰って来てしまいました。
次の採用テストまでには必ずお会いしたいと思っています。
少し、思いついた事が有って、参考になるかどうか、わかりませんが、
メールでは伝えにくいので、会ってお話し出来たらいいなと思っています。
たいしたことではないので、忘れたら、忘れたで構わないので、
今度お会いできるのを楽しみにしています!」







気になること?・・・・なんだろう?
その答えを今日聞こうと思っていた。





千葉先生が、事務室にやってきた。
私と千葉先生は笑顔で再会を喜び、そして、千葉先生は話してくれた。

 2005.11.17(木) 
かーくんの大失態
昨日、昨日の一連の事件は、すべて楠中事務員「かーくん」(20)から始まっていた。
そして今朝、目が覚めると、「かーくん」からメールが届いていた。


か「おはようございます。前にもお伝えしたんですけど、今月のお給料は現金支給になって今準備ができましたので☆」(☆はそのまま転記)


はぁ〜!?前にもって、全然そんなこと聞いてないがな!
なんやねん、現金支給って!
(いつもは銀行振り込み)



言葉タラナイト「かーくん」との会話を遡ってみる。

一昨日
みる「21日から松中に決まりそうなの。事務書類まだ全部済んでなかったでしょ。手続きしなくちゃいけないことがあったら、私、今週中なら動けるから。」
か「そうなんですか。で、みるさんのお給料、満額支給されているんですよ。」
みる「ん?満額?任期は11月10日までだったのに?」
か「そうなんです。だから、多い分返金手続きしなくちゃいけなくって・・・。」
みる「ふーん。(手続きしなくちゃって、誰がするんだろう?)」



その後、メールが届いた。
か「給与の確認をしたら、11月10日までの分が今月支給になってて、来月の給与(12月分)に、11月21日からの分が加算されるとのことです☆」
みる「わかった。(当然そうなるでしょうねえ・・・。)」



で、今朝のメールである。
意味不明だし、「現金支給だから」「準備できたから」私にどうしろと!?
一連の言葉足らずなことも重なり、むかついたので、きつめにメールした。

みる「前にもお伝えしたって、そんなん全然聞いてないで。送信メール履歴見てみ!で、現金支給はわかったけど、そのあと私が取りにいけばいいのか、送ってくれるのか、指示してくれんと困るよ!」

すると、10分後、あせったかーくんから電話がかかってきた。


か「一昨日はすみませんでした。ははは・・・。で、現金支給なんで・・・その・・・ええと・・・・・」
みる「とりにいったらええってことやろ!?(`へ´)
(↑なんでもないことなのに、ちゃんと説明できないかーくんにいらだつみる)

か「はい。お願いします〜。」


結局、銀行に一旦満額支給されて、その後、かーくんが返金手続きをし、現金のみをおろしてきて、私に支給してくれた、ということがしばらくしてわかった。
今までとにかく「主語と述語がちゃんと言えない人やね!ちゃんとしゃべりいや!」と冗談まじりに言っていたが、それは顔を見ての会話であったから、
なんとなくその場の足りない言葉を雰囲気やニュアンスで補うことができた。
しかし、今回よ〜〜〜くわかった。
電話やメールでは全然だめ。


前々から「そんなしゃべりだったらそのうち使い者にならなくなるで!」とお説教していたが、
これは、本当に明日最後に言ってやろうと思ったことだった。

 2005.11.16(水) 
そろそろ世界が狭くなってきた
日の事件の顛末は、

「いやみや注意や苦言等一切なにも言われなかった。」

であります。
腹の中では何か思っていたかもしれないけど、とにかく嫌な思いはせずでよかった・・・。


閑話休題。


面接と打ち合わせに行ってきた。
21日から行く学校のことを「松中学校」(仮称)と呼ぶことにする。



7年くらい前に、松中の隣の学校にいたことがあった。
だから、松中のことも知っていた。
駅から「たしかこの辺だったはず・・・」と思いながら歩く。


コンビニ確認。(お弁当を作れなかった時の昼食確保)
銀行確認。(お給料引き出し)
郵便局確認。(何かと便利)
またコンビニ確認。
またコンビニ確認。


・・・・遠いなあ・・・。(かれこれ15分)


徒歩20分、やっと学校に着いた。






ちょうど終学活が終わったところで、生徒が少しずつ帰っていっていた。
「こんちは。」とあいさつしてくる。
ふむふむ・・・・。

服装の乱れは普通。
廊下も普通。
トイレは通らなかった。
掲示板も普通。


職員室へ行き、教頭先生を呼んでもらった。





教頭「あ、こんにちは。ちょうど今、もう一人講師の方も来てくださって打ち合わせしてるんですよ。」
私「え?」


・・・もう一人講師ってなんだ?(悪寒)



校長室に入ると、年齢50くらいの上品そうな人が座っている。

教頭「みる先生と同じ21日から来てくださる音楽の講師の先生です。」
私「(音楽?)こんにちは。みる山と申します。」



こんな時期に講師が2人も配置されるなんて、穏やかでない。
と、何でも悪いように考えてしまう私であった。
でも、でも、絶対そうだよな??おかしいよな??




事情を聞くと、音楽の教諭の方は体調不良で、もう2〜3週間前から来ていないのだということだった。
長い間、講師を探してもらっていたのだそうだった。


で、私は?


教頭「みるさんは、下田先生(仮称)がお父様の介護休暇を2ヶ月とられるので、その代替です。」

介護休暇・・・。(複雑)



私「この学校に前からいる講師の方はいますか?」(ちょっとでも仲間がほしい)
校長「いますよ。家庭科ともう一人の音楽の先生です。どちらも、今年2次受かりましてね。」
私「(゜◇゜)~ガーン・・・・。私、2次落ちしたんですよ・・・。」
教頭「え!1次受かってはったんですか。あら〜。」
私「優秀な講師ばかりいらっしゃるんですね。私、そんな人たちの中で恥ずかしいですわ〜。」
(最近、なんでもできますというそぶりを見せるとなんでもかんでも仕事が舞い込んでくるので、できないふりをする)
教頭「そんなことないですよ。(履歴書を見ながら)剣道もできはるんですね。楽しみですわ。
バーンといったってください!最初が肝心ですよ!コラーッってしっかり叱ったってください!」
私「はあ・・・。」







その後話を聞いたが、割合、常識的な配慮をしてくださった。


・所属は、1年生であること。
・担当は、国語科18コマで、選択授業はなし。(選択がない!(嬉泣)
・介護休暇に入られる下田先生は担任だったが、私がその代わりに入るのでなく、学年の副担任の先生が2ヶ月代替担任をやり、
その抜けた部分の副担任に私が入る。(これこそが本来のやり方)
・クラブは家庭科部だが、やらなくてもいい。
(なぜなら、私は冬休みの間は一旦身分が切られて無職となり、また1月の始業式から身分が復活するから。←大阪の財政難の為、お給料をカットするため。)
・剣道できることは、剣道部の先生が知ったら多分任されてしまうので、言わないでおくよ。By校長先生



すごいよ〜。すごすぎるよ〜。(By井戸田風)
こんなにちゃんと正しい配置の仕方をしてくれる学校は珍しいよ〜。
しかも、「引継ぎ」もできる!
(今まで仕事の引継ぎをしたことがない。「明日からすぐ来て!」と言われて行ったら、何もかも放りっぱなしというパターンばかりだった。)



校長室の話が終わり、その下田先生がやってきた。
私は、その人を知っていた。
学校図書館司書教諭の免許を取りに講習を受けたとき、その先生が来ていた。
やたらパソコンをてこずっていて、私が隣だったので、教えた覚えがある。
(ダブルクリックからわからなかった)


下田「・・・どこかでお会いしませんでした??」
私「会ってますよ。司書教諭の免許のときに・・・」


そんなこんなで、話がしやすかった。



部屋に2人きりになったので、聞いてみた。


私「ぶっちゃけ、(生徒は)がちゃがちゃしてるんですか?」
下田「はい。」



・・・・やっぱなー・・・。




色々と話を聞いた。
これは、最初からきつめにいったほうがよさそうだ。
疲れるなー・・・。



しかし、下田先生はちゃんとした先生だった。
私が着任して1週間後、期末テストがあるが、もうちゃんと作ってくださっていた。
そして、それが終わったらすぐ2学期の成績をつけなければならないが、ほとんどエクセルで整理してくださっていた。
あとは、テストの点をいれたらよいだけだ。
それから、大抵どこの学校も3学期の最初にある、百人一首大会も、「私が3学期最初いないのわかってたから」と、1年生の行事としては組まなかった。
百人一首大会は、国語科が率先してやるからだ。


あと、私がやることは、冬休みの課題(宿題)と、
3学期当初にある実力テストを作ればよい。



下田「授業はここまで進みました。先生がやりやすいように、この単元まで今週中終わらせておきます。先生はこの次の現代文から入ってください。
それとこの単元は、漢字大切なので、プリント作ってあります。先生が着任されたらまず、このプリントやらせてください。」


さすがーーーーーーーー。っていうか、ここまでやってくれるの初めてーーーーーーーーーーーー。




これが、これが本当の引継ぎだよ!
私が逆の立場だったら、ここまでやる、というのを全部網羅してくれていた。
下田先生、ありがとう!!!
講師の立場をよくわかってくださっている!!




しかも、すごくラッキーなことに、下田先生が駅から通勤用に使っている自転車をそのまま貸してくださることになった!
つまり、毎日20分歩くところを、自転車で通えるわけだ。


神様ありがとう〜〜〜。




6クラスあって大変だけど、でもどうせ2ヶ月だし(そこそこ)頑張るよ。
愛着がでてきたころ終わりだからな・・・。







学校を出て駅まで歩いた。
オーロラを一緒に見に行ってくれると言っていた友人に電話する。
昨日の事件のことを心配してくれていた。
逆の立場だったら、私は絶対「12月中旬に一緒に見に行く予定だったのに!日程変えやがってコノヤロー!」とキレているところなのに、
嫌な顔せず対応してくれた。ありがたい。
冬休み、空いていたら行こうということになった。




帰りは駅まで近く感じた。
正面に大きな月がでていた。


ふと、足を止めて思い出した。
このすぐ近くに、織田先生が勤めている教育委員会の部署があるんだった。
毎日同じ駅で通うことになるんだな。
楠中にいたときは、隣の学校の教頭先生だった。
今年は、異動されたんだった。
私が追っかけているようだが、縁があるな。
勤務時間は違うので、会うことはないだろうけれど。


松中に決まったことをメールしようかと思ったが、やめた。
金曜日に、久々に、2年ぶりに、マツダ先生、織田先生、星野先生、シンくんと私の5人で集まって飲み食いする「マツダ会」をやるのだ。
(もちろんやっぱり私が幹事)
この5人だと、体裁もなく何でも言い合える。
その時に報告しようと思った。




教育委員会に振り回されているってわかっている。
もう都合のいい講師になんかならないって思っていたのに、でも、やっぱり仕事がしたくてたまらない。
家にいると、考えることが一つで、苦しいのだ。
外にいるほうがいい。

たとえ、それが荒れている学校であっても・・・・?



わからない。不安だらけだ。
だけど、だけど、また、新しい生活が始まる。

 2005.11.15(火) 
言葉足らずな災い
中にいた時、息抜きに事務室へちょくちょく顔を出していた。
事務室の昨年新採の20歳の子が、何かと言葉足らずで、しかも頼りないので、いろいろとお説教していたのだ(苦笑)。
仮に「かーくん」とする。
で、これが前置き。





今朝、自宅の電話が鳴った。
いやな予感がした。
そのまま、寝ていた。
すると、携帯が鳴った。




・・・逃げられないと覚悟した。





案の定、電話をとると、教育委員会だった。
「おはようございます。みるさん、楠中はお疲れ様でした。実はですね、早速他校で国語科で空きがでまして・・・」


仕事が終わってまだ3日、早いですがな!(゜〇゜;)



私「・・・明日からですか?」
教「いいえ、来週の月曜からですが、○○中学で常勤講師です。2ヶ月間ですが、受けてもらえますか。」
私「・・・・・・はい(3学期からがいいって言ってたのに)・・・・・。」



こんな時期に空きがでるなんて。
穏やかじゃないな・・・。
しかも、期末テスト1週間前だし。
テスト作らなくちゃいけないのかな・・・。
それに、2学期の成績もつけなくちゃいけないな・・・。
担任持つのかな・・・
持たされたとしたら、状況がやばいに違いない。
普通常識的に考えて、中途で担任が抜けた場合、正教諭の副担任が担任代行するわけで、
それをあとから入ってきた講師が受け持つこととなるなら、クラスの状況が持ちたくないほど、しんどいと考えられる。



はあ・・・・。




明日、面接(引継ぎ)に行くことになった。
それにしても救いは、「明日からすぐ来てください!」というものではなく、
「来週から」というちゃんと教材の準備ができる状況があることだった。
よかった、教材研究ができる・・・。


すぐに、楠中の事務室に電話した。
なぜなら、前の分の書類がまだ手続き最中のものがあったので、はんこを預けてあったのだ。
そのことも含め、「来週21日からから○○中に勤めることになりそうだから、身動きできるのは今だけだから、来週になるんだったら、○○中に連絡ください。」と
例の「かーくん」に言った。


その後あわてて友達に電話し、オーロラ旅行のキャンセル(延期かも)を頼む。
ごめん。本当にごめん。



地図で学校を確認する。
学校最寄駅から徒歩1キロ強!
遠ーーーーーーーーーー・・・。
(10年間今までラッキーなことに、駅から近いところばっかりだった。)
自宅から電車で1時間か・・・。
遠いな・・・。




電話を切ってから、とめどもなく考えが浮かんだ。




予想では、多分、2年とみた。
3年ではこの時期考えられないし。
1年は扱いやすいだろうし。




荒れているのか・・・大丈夫なのか・・・
なぜ先生が2ヶ月休まれるのか・・・
仕事が2ヶ月だけで済むのか・・・




不安は、コレだけではすまなかった。
そのあと、事件が起こったのである。








2時間後、私は買い物にでかけた。
すると、携帯が鳴った。
楠中の親しくしていた先生「千葉先生」だった。


千葉「みるさん?あのね、実はね、○○中に行くらしいって、かーくんに聞いたんだけどね、
○○中に私が知ってる良い先生がいるんで、是非みるさんのことをお願いしとこうと思って、今電話したの。
そしたらね、みるさん、来週からだって言うじゃない?しかも、まだ面接もしてないっていうじゃない?
かーくんたら、『みるさんが○○中に決まった』って言うもんだから、私、もう決まったもんだと思って。
そうやって電話してたら、○○中の教頭先生がその電話を聞いてたらしくって、
『まだ決まってもいないし、職員にも説明していない講師云々の話を、勝手に話ししてもらっては困る!!』って、
怒られたの。」


私「エーーーーーーーーーーーーーー!!!
私は21日って言ったのに!!!!」


千葉「そうなのよ、来週からなのに、かーくんが言葉足らずで。
ごめんね、みるさんは悪くないの。でも、明日面接行ったら、いやなことの一つも言われるかもしれないわ。
今、楠中の先生方みんな、みるさんが○○中に決まったと思って、
『○○中なら、知り合いの先生知ってるから、みるさん守ってもらえるように電話しとく。』って話題になってたから、私、
あわてて事情話して止めておいたから。」

私「あ、ありがとうございます・・・。」


千葉「ありがとうじゃないのよ、ごめんなさいなのよ、本当、ごめんなさいね。」


私「いえいえ、いいでよ・・・。



・・・って、よくないがな!!!

私は行く前から○○中に「おしゃべりで決まってもないことをべらべらと言いふらしている講師」のレッテルを貼られてしまっているじゃないか!!
しかも、向こうの教頭先生に第一印象からマイナス!



明日面接なのに(滝汗)。←真剣




ふと携帯をみると、メールが入っていて、かーくんから、謝りのメールだった。
「千葉先生が謝っていましたが、ぼくが悪いんです。僕が決まったって言ったから。ごめんなさい。」


そうだよ、オマエが悪いんだよー!
だから、昔から言葉足らずだって言ってるだろ!!!
「21日から決まりました。」っていうのの、「21日から」というくらい、ちゃんと言えよ!!!(怒号)



怒りメールを返したが、納得いかない。
つーか、本当に、明日面接なんですけど・・・(号泣)。




せっかく○○中に行くことになり、行く前から心配事が増えた一日だった。
明日どうなるのか。

つづく。

 2005.11.12(土) 
"睡眠
実逃避したいことが出てくると、私は寝るようにしている。
そうしているうちに、何かあったときは、自然と、眠くなるようになった。


明日は日曜日。
いつもなら、土日でしなくてはいけないことをピックアップし、片付けたり買い物したり仕事をしたりする。
けれど、もう急ぐ必要がない。
私には時間が無限にあるのだから。
そう考えるとなにもする気が起きない。



一日中寝ていた。
何もしたくない。
そうでなければ、色んなことを考えてしまう。
ソファで毛布に包まっている私を見て、夫も何も言わず一人でごはんを作って食べていた。


夜が苦しい。
朝は希望に生き、夜になると絶望に変わる。
私の運命を教えてほしい。

 2005.11.11(金) 
念願
ーロラを一度、自分の目で見て見たいとずっと思い続けていた。
昔、友人に誘ってみたところ、「オーロラよりも、ミャンマー行こう、ミャンマー!」と言われ、なんとなくミャンマーになり、それからずっと
「あーっ、やっぱりオーロラみたい。」と思ってきた。


今回、ちょうど季節も時期もよく、行くことを決心した。
12月中旬、カナダへ、オーロラを見に。

 2005.11.10(木) 
離任式
、目が覚めたら、顔がむくんでいた。
スーツに着替え、早めに出発する。
職員室に行き、各学年主任にあいさつをし、菓子折りを配った。


8時30分、職員に向けてあいさつをした。

「昨年から合わせてトータル1年、ここでお世話になりました。ありがとうございました。
思えば4月の歓送迎会の時、「来年こそは受かって、皆さんと同僚として働きたいと思います」と言いましたが、
残念ながら願い叶わず、自分の実力不足でした。
でもこれは、何かが私に、講師として頂点に立ちなさい、ということだと思いましたので、
これから一年かけて、大阪で一番の講師になります。
ありがとうございました。」


それから、すぐに校庭へ出て、全生徒の前に立った。
生徒会長が、私にお別れのあいさつ文を読んでくれた。
じーんときた。

非常勤として半年、養護学級所属として半年、
たったそれだけだったのに。
私は、あっさり去るつもりだった。
生徒もあっさりだと思っていた。


泣きそうになったので、あわてて深呼吸。
生徒会長から花束を受け取った。


「突然ですが、今日で皆さんとお別れです。
教師にとって、生徒とお別れするのは、卒業式がいいに決まってる。
・・・だけど、そうもいかない、お別れも世の中には存在します・・・。」


いつもふらふらしている生徒も、今日は結構真剣に聞いてくれているように見えた。
なんて、情のある子なんだろう。


終わると、すぐに養護学級に戻り、ジャージに着替えた。
まだ、今日一日、仕事があるのだ。
がんばらなければ。



廊下を歩くと、全然知らない生徒までもが、「先生、ありがとうございました。」とあいさつしてくる。
「先生、次どこいくの?」「頑張ってね。」「先生、おつかれ。」と声をかけてくる。
また、教職員や生徒からまでも手紙をたくさんもらった。


「先生、オレと結婚してやあ〜。」
「先生、結婚してるやん。(笑)」
「じゃあ、映画つれていってやあ〜。先生のオゴリで。」
「今、14歳やろ?あと6年したらいいよ。先生、未成年はお断り。」
「じゃあ、はたちになったらな!」



副担任である1組の生徒は、最後の学活のとき、全員が声をそろえて言ってくれた。
「先生、ありがとうございました!」
「ありがとう。先生、1組が大好きだったよ。」



学活が終わると、掃除だ。
「先生、掃除いこか。」
いつも掃除を嫌がって逃げ回る生徒も、今日は神妙な顔をして、掃除をきれいにした。
いつもこんなだったらいいのに。(笑)





夕方、クラブの生徒と最後のミーティングをしていると、
養護学級の保護者が全員集まってくれた。

「先生、お世話になりました。これ、私たちからの気持ちです。」
花束と、手紙と、色紙だった。
写真つきで。




花束みっつ、手紙や色紙で、アイドルみたいだと思った。(笑)
不思議だ、たった1年だったのに。
私の方があっさり考えていた。
いつも、「仕方がないんだ。」と思って、寂しさを押し込めていた。それが、講師の宿命だったから。
だけど、本当に温かかった。
こんなに大事に送り出してくれて、ありがとう。



夜、8時、最後の仕事を職員室でしていた。
メールが入ってきた。
星野先生、織田先生。
今日の私の任期を知っての、お疲れ様メールだった。
返信した。

「意外にも保護者や生徒がすごく別れを惜しんでくれたんですよ。
泣きそうです。」

Re:「それは宝物やな。泣きたいときは思いっきり泣く。」





自転車にいっぱい荷物を載せながら、また夜道を走る。
やっと、じわじわと実感がわいてきた。


こんな時期に仕事がないなんて初めてだ。
明日から自由だ。




と、思いながら、心にぽっかり空いたままだ。
今まで、なんだかんだいって幸せだった。
もう、大阪の都合にふりまわされたくないと思いながらも、仕事がしたくてたまらない自分がいる。

 2005.11.9(水) 
理由

校長先生が明日出張なので、先にさよならのごあいさつに校長室を訪れた。
そこで、校長先生が私が、2次に落ちた理由を、教えてくれた。
教育委員会に聞いてきたらしい。


ショックを受けた。
私の、人格の根本に関わることだった。
そこを否定されたのでは、私も直せるか自信がない。
来年、1時間の面接を、切り抜けられるのかわからない。


「・・・そういうことで、みる先生が今後教諭になったときに、こいつ、失敗しよるんと違うか、と思ったらしい。」


失敗したら、私は逃げないで対処してきた。
そういうときにこそ、経験が活かせるのではないのか。
失敗しない人間がいいだなんて。
だからって、私の10年を否定して、大学出たての23歳を簡単に採用するな。
情がなさ過ぎる。あんまりに。あんまりに。
私を講師としてずっと使ってきたくせに。


負け犬の遠吠え。


 2005.11.9(水) 
送別会
中には、私を含め、4名の講師がいる。
そのうちの1人は、今年大学を卒業し、初めて講師を経験している子だ。
同じ国語科で職員室での席も隣ということもあり、2学期、心の余裕ができてきてから色々と話すことが多くなり、すっかりなついてくれるようになった。
色々と話をしているうちに、非常勤なのに常勤なみの仕事を無責任に押し付けられていたり、休日にクラブ活動をみていたり、(非常勤はクラブ活動は身分保障ができないので、してはいけない)色々と困っていたようなので、学年主任に苦言したり、管理職に報告したり、とにかく、「若いから色んな仕事をしたらいいと思うんですけど、何かあったときに責任のとれない仕事はさせないでください。」と、私が意見していた。
自分が講師として、矛盾や随分悔しい思いをしてきたことを、できるだけ守ってあげようと思っていた。
そのかわり、その講師の子には、限られた範囲内で精一杯仕事しなくてはいけない、手は抜いてはいけない、と言っていた。
学年の誰もが忙しく、結局彼女が仕事を一人でしてくれたときは、帰りにご飯を食べに行って、慰労してあげた。
(本当は学年主任の仕事なのだけれども、主任は他の仕事で頭がパニクっていたので)


10歳も年が違うので、妹というには年が離れすぎているが、なんとも素直で謙虚で一生懸命な子だった。



10日で任期が満了するので、前日の9日、職場で私の送別会を開いてくださることになった。
20名の人が集まってくださり、花束までもらった。


最後、いよいよ終わりで私が感謝の言葉を言う時、その、講師の子が泣き出した。
酔っ払っているのも手伝ってか、泣いて泣いて止まらない。
まいったなあ・・・と思いながら、あいさつを終え、その子に声をかけずに解散した。
声をかけたら、余計泣くと思ったから。


花束を抱えて、夜道を自転車で走った。
明日で終わり。


教務主任からメールが届いた。

「助けられました。すごい存在でした。そこいらの教諭よりも、
楽しんで、安心して仕事ができた同僚でした。
また、どこかの学校で一緒に仕事がしたいでーす。
ご苦労様でした。ありがとうございました。」


試験に受かっていたら、私はこの楠中に残れるはずだった。
ここで、新任として着任するはずだったのだ。



明日、離任式だ。
職員の前と、臨時集会で全校生徒の前で2回、話をしなくてはならない。
お風呂の中で考えていたら、涙がでてきた。
驚いた。
私は、悲しかったのか。知らなかった。

 2005.11.7(月) 
餞別
校の先生2人に早くもお餞別を頂いた。
9日には学校あげて送別会を開いてくださるそうだし、なんとも最後まで大事にしてくださって嬉しい。


家に帰って、夫に餞別を自慢した。
すると、夫が「僕も餞別あげるわ。」と、ひきだしから5万円を出して渡してくれた。


私「え?何これ。なんで?結婚して今まで一度だってお金もらったことないのに。」
夫「今年受かったら、2人でおいしいものを食べに行こうと思って貯金してた。
だけど、また、自分で違った使い方したらいいよ。旅行行くんだったらお小遣いにすればいいし。」


涙が出た。

 2005.11.6(日) 
別れの準備
週木曜で私の任期は終わる。
仕事の段取りと、引継ぎをしておく必要もある。
そんなわけで仕事が今ピークだ。


土曜日、講師仲間の友人と食事をし、採用結果をお互いに報告したあと別れ、
百貨店に行って、学年に渡す菓子折りを買った。
結局トータル1年強いたから、全学年に渡すか。
3学年分+よく遊びに行き話を聞いてもらっていた事務室にも一つ。
校長先生と教頭先生には菓子よりもお酒がいいだろう。
いつも、1年間以上いた学校に手土産を置いて帰る。
講師としてそこまでする必要もないかもしれないが、やっぱり、私は自分ひとりで仕事しているのではないから、
お世話になった感謝の気持ちだ。
デパ地下で買い物していると、保健室の先生とばったり会った。奇遇だ。
お茶して帰った。
保健室の先生とはじっくり話す機会がなかったので、最後でよかった。


帰りにバイクに乗りながら、いろんなことを考えた。
今日会った講師の友人は、一次で次点敗退だったらしい。
去年の私と同じだ。
あの問題解いていれば、とずっと気分がブルーらしい。
けれど、私は言った。
ギリギリで滑り込むようなことではだめだ。
どんな状況に於いても試験では頂点を目指さなくてはいけない。
高い目標は、それを上回る高い理想をたてて挑まないといけないのだと、私もずっと痛感している。
私も首席であればこんな苦しい思いをせずに済んだ。
これから来年に向けて万全な体制を準備していかなくちゃね。
講師ならできて当たり前、の世界なんだから。



11月10日で仕事が終わるのは、私にとって、ちょうどよかったのかもしれない。
毎日、何故私にはこの二度に亘る挫折が必要だったのだろうということばかり考える。
しばらくはゆっくり休んで、気持ちを落ち着けようと思う。
そして、3学期から、また仕事を引き受けよう。
仕事がなかったら、それでもよい。4月からはどこかしらあるだろう。
次はどんな学校に行くのだろう。
いい人たちに出会えるといいな・・・。

 2005.11.2(水) 
夏のストーブ

日夜、羽賀くんから電話がかかってきた。
近くまで来たので、ファミレスでお茶でもしないかということだった。
会いにいくと、「いやあ、どうしてるかと思って心配になってね。」と、お茶をおごってくれた。
大丈夫だと私は言った。


羽賀くんは一昨年、大阪の一次に受かり、二次で落ちた経験があった。
その時はとても苦しかったという。
大阪に帰りたい奥さんに、随分責められたというが、
「あの心痛は、経験したものじゃないとわからないから、奥さんに言い返さなかった。」と言っていた。
確かに40代、50代の先生は「私たちの時代は受けたら受かったからねえ。今は大変ねえ。来年くじけずに頑張りなさいよ。」と言う。
怒りがこみ上げる。
来年頑張ればといっても私は今年目一杯頑張った。
そんな簡単なことではないのだ。
悲しみに、比較だって同情だって慰めだってされたくないのだ。
紙切れ一枚のことなのに、どうしてこんなに痛いのだろう。



同じ学校で、1次に受かっていた非常勤講師の子は、同じく2次で落ちていた。
月曜日、学校を休んでいた。
そして、今日も休んでいた。(休みすぎ)
今も苦しんでいるのだろうか。(私は行きたくなかったが翌日出勤したぞ)



こんなことを思い出した。
以前、羽賀くんが北海道の知床の僻地で教師をやっていた時、バイクでそこを訪れたことがある。
夏の真っ盛りの時だったのに、雨が降っていて、とんでもなく寒かった。
夏でもセーターがいった。
夜は、ストーブをつけていた。
冗談抜きで、日本でこんなところが存在するのかと驚いた。


「とんでもない寒さね。8月なのに!」
そういうと、羽賀くんが苦笑した。
「そやろ。本土の人にはわからん寒さや。ストーブつけてるっていっても、実感してもらわれへん。
この寒さは、経験した人だけがわかるものや。だから、俺は、誰にも言わへんねん。
へー、ってな感じで終わるから。」


羽賀くんは、「結局、あの2次落ちした時、自分で解決するしかないって思った。」
と言った。
どうしようもないことなのだ。


もう、採用試験に10年落ちているのに、未だに毎年辛い。
だけど、その度に、地面に落ちた土を握り締めて、私は、立ち上がる。


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