「よう子の長距離介護日記」 から「姉妹の介護日記」

タイトルを変更した今の気持ちです。 聞いていただけますか・・・ 


                                                    2002/09/08

ようこそ いらっしゃいませ! 

この部屋は 8月25日にオープンしました。
母が倒れてから 始まった介護の日々を ここに母が生きていることを 
妹と私が介護をしながら いろんな事を味わい暮らしていることを
何らかの形であらわしたかったのです。

母はくも膜下出血で2002年2月23日に倒れました。
幾度かの危機をこえて 現在要介護4で痴呆症が進んでいます。
医者からは アルツハイマーもはいっている
重度の痴呆だと言われました。
でも今のところ 妹や私のことは認識できているようです。

母と妹は四国の徳島 私は東京 
実際の介護は 妹がしてくれています。

倒れてからの半年は 病状も不安定で私もずっと母についていました。
そのとき 集めたもので「よう子の長距離介護日記」のHPをつくりました。

 今回妹はHPをみるために 自分のパソコンを購入しました。
そして感想として 「お姉さん お母さんの生の情報がもっともっとあったらいいと思うよ。
私がずっとつけていたメモがあるから それを使って。」といってきました。

実際の介護だけで 精一杯の妹に 余計な時間をとらせるのも
彼女の睡眠時間を削りそうで 
私の眼からみた母と妹の姿を書いてました。
それが私ができることでした。
でも 私は妹の感想を聞いて 気がつきました。
いくら私が心をいれて書いても 実際にずっと母について
母の一部始終をみてきた介護記録とは違う
全然違うのだということを。 

数日後 妹から分厚い封筒が届きました。
妹が母の傍で書きとめたメモ帖 手紙 覚書等すべて送ってくれました。
克明に小さな字で 付けられた日記。
こんなにつけているとは…
私もいない。 父は頼りにならない状況で 
一人で書きつづけてきたであろう日記。
ひとつひとつ目を通しながら その時々の母と妹の姿が見えるようで
胸が熱くなりました。
これを 載せたい!
これを 載せなきゃ意味がない!

妹に「受け取ったよ」と電話すると
「最初から書いてね。同じようにくも膜下出血になった人の家族は
初めから知りたいと思うから 私がそうだったから」といわれました。

それから毎日毎日妹の記録をうちこんできました。
会社で 自宅で・・少しづつうちこんできました。
すぐそばに 母と妹を感じながら 
そして どこかで同じようにがんばっている介護の仲間を感じながら・・・

妹の介護日記はこうしている今も続いています。

今日は母にはじめて習字をさせてあげたそうです。
100円ショップで習字道具一式そろえ 子供の習字の教科書をもちこみ
母にかかせたら ヒットヒット!久々のヒット!
「天空」と堂々とした字を書き 自分の名前も書いたそうです。
その作品をピンクの厚紙にはりつけ 病院中のいろんな人にみてもらい
今は母の枕もとにはってあるとのことです。
 
母に「上手に書いたね」というと 「私そんなこと してないわよ。」とのこと。
5分後には自分がしたことをすっかり忘れている母。
でも いいの・・・
たとえ 片っ端から忘れていっても 
その時々母がその瞬間を味わい 楽しんでくれたら。
その母の笑顔を私は決して忘れないから。

学校の先生を休んでいる妹は
母専属の「さちこ先生」となりました。
最高の先生でしょう。

母も妹も自己最高で今を生きてるんかなと思ったりします。
そしてちょっと恥ずかしいけど わ・た・し・も 。

妹の介護記録を加えて HPのタイトルを変えてみたくなりました。
「姉妹の介護日記」
これからも どうぞよろしく!

では ごゆっくり



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