海士くんのお友達、お世話になった先生や看護婦さんが
思い出を語ってくれました。
海士くんは、私が見た中で一番の頑張りやさんだったと思います。
思い病気のため短い命ではあったけど…入院してから、何度も危篤状態になりながら、
2ヶ月間よくがんばったと思います。ただ、病院に入院する前に、ご両親と楽しい時間を過ご
せておいて、かえって良かったのかなぁと思うこともありました。
2000年になる瞬間は、ICUで看護婦と私と海士くんと3人で迎えました。一緒に乗り越
えられるかなぁと思うこともあったけど、病気の重さには勝てず残念です。でも、私たちや、
ご両親の心の中で海士くんは生きていて、いろんなことを教えてくれるような気がします。
              
たいへんお世話になったY大学病院の担当医の岩本先生から素敵なメッセージをいただきました。  
ありがとうございます。
海くんの身体拭きのとき、オムツを換えようとお尻をもちあげて、汚れたオムツを引いたとたん…
「ブリブリ〜〜」て…(^_^;)着物をうんちまみれにしてしまう。慌てて、新しいオムツを入れるけど、間に合わず…。それ をきれいにしてもう一度新しいオムツにしようとすると。また…。バスタオルもシーツも汚れてしまい…これを3回続け てやってくれたことがありました。 最初は、あらら〜〜〜。なんだけど3回目になるともうおかしくて一人で笑いなが ら海くんに「さすがにもうでないよね〜」って話し掛けていました。
あとは、いつも起きちゃうとSPO2下がっちゃうから、薬を盛られて…。(って、私も盛っていました(^_^;)
でも、元気な海くんはそれにも負けずモゾモゾって。すごく可愛いかったなぁ。とってもかわいい!!っていう思いと、 共に戦った戦友というかそういう思いもありますね。
本当によく頑張ったもんね。だから途中で退場しなくちゃいけなくなったのは、とっても悔しかった。最後まで一緒に 頑張りたかったなぁ…。

という思いを語ってくれたのは、Y大学病院の担当看護婦をかって出ていただいた『やくちゃん』こと陰山ナースです。
夕方、突然飛び込んできた海士くん。すでに、とても苦しい状態であることは、すぐにわかりました。 
また、お風呂に入ったり、笑ったりすることが出来る様にと思っていましたが、力およびませんでした。
今までの患者さんの中で一番(多分そうだと思います)頑張りやさんで私達も逆に奮い立たせられることも多かっ たです。今でもたくさんの人が、海士くんの事を話します。みんなの気持ちの中に生きているのだと思います。
最後にお母さんが「海士くんのにおいをかいでいます」と言ったとき、同じ感情をもちました
いろんな機械がなくなって、海士くんだけになって、「やっぱり海士くんのにおいだったんだ」と思いました。
ずっと眠らされていた海士くんだったので、ほんの少しの眼を開けたり、モジモジしたり、咳き込んだりの仕草と、
やはり残っているのは、海士くんのいいにおいです。お父さん、お母さんとも、生活を共にしているような感覚でし たが、本当に前向きで良い御両親(失礼かもしれませんが)だなぁと思っていました。 また、どこかでお会いでき ることを楽しみにしています。   

毎日の様に先生に会うことが私達の日課でもありました。また、ぜったいお会いしたいです
Y大学病院の担当医の横山先生からの心暖まるメッセージでした。 ありがとうございます。
転院の日、私の目に飛び込んできたのは、真っ赤なお洋服と毛糸の帽子をかぶった、海士くん
のお出かけ着姿だったのをよく覚えています。
帽子、本当によく似合ってかわいかった!Lucky Cokorは、「赤」だとお母様がおっしゃっていたけれど、やっぱり 赤はしっくり来なかったですね(笑)。見慣れないせいかもしれませんが…。天国でもやはりMildなパステルカ
ラーを着ているのでしょうか?
自分自身が辛い時、海士くんの頑張っている姿を見て、何度も励まされました。ありがとう、海士くん。
素敵なHPを楽しみにしています。       

海士によく睨まれていた??? Y大学病院の研修医の古ドンこと古川先生からのメッセージです。 
ありがとうこざいます。