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妊娠にまつわるトラブル。
子どもの死。
死について語ることがタブーの世の中。
だけど本当に事が知りたいと最近思います。
なかなかいえないいろんな事があると思う。
良かったらメールで話してね
メール
| 妊娠と死産の経過
その後のこと 言われて傷ついた言葉 号外向井亜紀の記者会見 愛子様、2001年 |
もう絵里が天使になって5年です。
最近はH13年に未熟児で産まれた娘との日々に終われ
時折思い出すくらいになってしまいた。
そんなときに本屋で、
みつけたのが「誕生死」です。
一気には読めなくて
半分だけ読んでこれを書いてます。
ずっと絵里って何のために産まれようとしたのかな、
今まで言えなかったけど、
妊娠中出産は嬉しい筈なのに
ただイライラブルーで
そもそも妊娠も実感できていてのかもわからないし
そんな私のお腹の中での22週
幸せだったわけがない気がして
それをでも考えて認めるのも恐かった。
泣き悲しむのも上手く出来ない
欠陥人間が私?
「誕生死」読んだら救われました。
どうしていいのかわからないまま
妊娠停止と生み出す分娩とをしてる人って私だけじゃない
そして、そうただ苦しいだけで
救いのない人生で終わったんじゃなくて
苦しみと短い時間で
私がイライラしてると思っていたのは
実はそれが体の苦しさだと解らせてくれて
(と一緒に私が抱えていた心の問題も解らせ)
だから妹1人だけの親をこなすだけで
それ以上は無理だときちんとした責任の範囲を解らせてくれて、
きっと文字通り天使、天国からのお使いをしてくれたんだろう。
大事な重たい責任果たし終わった絵里が今
苦しんでいるはずないかもしれない。
これも今まで実母と夫以外に話してないけど
(それもしっかりは離していない)
絵里が天国へ帰る何日かまえ、
とっくに他界した祖母と義母と一緒に
小さい子どもが病室のベットの横でのぞき込んで
微笑んでいた気がして
その時はああ助かるんだ〜と思ったけど
実際にはそうじゃなくて
役目を終えて帰る事に決めたんだろうと
あとから思うようになった。
私の体験の性質上
メールを個的にくださる方は
亡くなったこの子とを嘆き悲しむと自分が潰れそうで
それより次の子どものことを考えたいと言う方も
いらっしゃる。
一見身勝手にも思えるけれど、
でも、実際には、自分の身に起きた
自分の子の死ってあまりに大きくて
実際にそれに相応する感情が沸くのも
ずっと後だったりあるいは沸かないままだったり、
それくらい深い出来事が子どもの死です。
「誕生死」とは別な本を読んでいて
子どもの死について
「私も子どもを流産した」とうち明けられたら
出産して葬式を出すのと
流産は一緒ではない〜と
言われて傷ついたという本音を読んだ。
確かにその通りだろう。
もし多分、私の身近で子どもを亡くした人がいても、
「私も死産している」とはうち明けないかもしれない。
でも、それは、
私は言われたわけじゃないけど
「赤ちゃん小さくてだから私より苦しくなかったんじゃないか」とか
比べられたら嘆くことを拒絶されたみたいで
嫌だからそれと同じだろうと思うから。
人って愚かで
子どもが生きていても、
比べるけれど子どもが天使に帰ってもその痛みを比べる
私も人なのでしてしまうんだけど
そんな悲しいことやめなくちゃね。
せめて、ここでだけでも、確かに緩やか、止まったような時それもすべて
みんな共有したいです。無理しなくて良いよ。
泣いても良いし。泣きたくなければ泣かなくて良いし。
それすらナカナカできる場所もないもんね。
泣くのも子どもにしてあげられることだし
嘆かないのもして上げられることだし
天使になった子どもにして上げられること沢山して上げてくださいね。
ネットでようやく同じ痛みを分かち合いたい人が沢山いるのを知りました。
私のサイトは癖があって、でも、ここじゃなくても、
あなたとわかちあえる仲間を見つけてみてください。
一人で抱えていなくていいんです。
それだけは伝えたくて
死産の死んで産まれるでは足りない事から作った造語で
流産、死産、新生児死で子を亡くした方の手記本のサイトです。
誕生死
天使のママのサイト
(助産婦さんになるため学生をしていて
休止中のサイト)
Early in the Snowy Mormig
私は自分と向き合ういそびれて参加するきっかけを
失ったけれどでも、
同じ思いの人と巡り会えるML
天使の会
応援サイトと、中絶を扱ったサイト
えーと、「かなしいこと」は、中絶を正面から扱ったサイトです。
ここにもリンクするのは迷ったのですが、
やっぱり中絶もあなただけで抱えないでほしくてリンクしました。
ただ、お子さんを亡くされて、直後になにげに開くとつらいと思うので、
最初にお伝えしておきます。
天使になったあかりちゃんのために書かれた
童話が素敵です。
重い疾患のため闘病する幼い子のこと
痛くてネットでもなかなか見るとこなかったのだけど
あかりちゃんの写真何度もみているうちに
かわいいなぁとおもうようになったり
あかりちゃんとご両親はわたしには特別な人たち。
あいのうた
絵里の縁で見つけたサイト。
時間がゆっくりだけど確実に静かに流れてる感じがして
お気に入り。
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妊娠と死産の経過
入院まで
結婚3年子どもが出来なくて、だからといって、積極的にほしい訳でもなかったし、それでも年齢のこともあるし、一度は不妊外へ行ってみるべきか、迷っていたときに妊娠。実は妊娠した日からおなかが張ったりつわりがきてた感じでした。と言ってもつわりのひどい人ははいたり物も食べられないとか、言うからひどい訳じゃないと思ってましたが・・・・。
冬の妊娠なんですが、妊娠したとたんじっとしてられなくて、普通じゃあ歩かない距離歩きたくなったり、雪かきはしたし・・・・。高血圧からくるハイ状態だったんですが、そんなことは後から思ったことで、元気なんだなとしか考えてませんでした。
病院は産科だけの個人病院。ここの病院3ヶ月までは、婦人科扱いでその後ドクターが変わるって産科になる病院でした。そういう物かなと思っていたけど、普通は違うみたい。婦人科の時は血圧チェックもなくて、正月に実家へかえって血圧をはかってみて高くて、それで、親にちゃんと言いなさいと言われ、だから、わかって、検診も3ヶ月に入ってからも2週起きのままでしたが、いわないと普通の検診だけになっていて、どんなことになっていたんでしょう・・・・。そして、初期から血圧が高いのは、産科の診断だけではこのまま妊娠しても継続可能か不安なので、専門外来を紹介されたんですが、特別知り合いもないようで、隣の循環器病院を紹介された。経過は要観察。判断保留。だけどここの循環器の医師は紹介状の返信も書かない、循環器はここで見てるから関係ないって医師でした。隣り合わせで結構私のいってた産科から紹介あったはずで。普通の内科の医師はどうなのかわからないけど循環器はそうでした。血圧その頃すでに130−170ひどいときはありました。循環器は週に2回ドクターが来るだけという感じで、いいのか・・・・。って思いました。まわりは、不安なら総合病院へ移った方がいいといわれたんですが、これはその後(死産して私のために)循環器病院ショッピングして思ったけど、産科と、他科は、つながっているわけじゃないので、同じ建物に他科があるか、別な病院になっているかのちがいくらいしかないような。ハイリスク妊婦の対応に慣れた病院と言うことで探した方がいいんだと思う。でも、これは何かあって見ないと本当にはその病院がどんな対応するのか検討もつかない。事前にハイリスクがわかっていたら別な病院に行っていたかもしれない。でも、そんなの初の妊娠ではわからない。リスクの発見は、医師には責任あるはずなのに。
そして、5ヶ月検診。その日凄い朝から具合悪くて、下半身へいろんな物が奪われていくような感じがしてたのですが、そういう日たまにあったし、つわりなのかと思っていた。でも、検診でのエコー検査をみて。胎児が育っていないし羊水が少なすぎて、今にも危ない感じ。入院だとのこと。ぼーぜんでしたが、そのときのエコーの胎児私が見ても羊水なさ過ぎて子宮が胎児の廻りに今にもくっつきそうで、大変なんだというのはわかったような。
そして入院しました。
入院からその日まで
初日は、出産控えたお母さん出産直後のお母さんと同室でした。母子同室は、2日目から下の部屋に移るみたいでしたが、なんか、その部屋作り的に分娩室の出産の声が響いてくる部屋でおいおい・・・・と思っていたら、二日後には個室が空いて差額はいりませんということで移れました。入院した日は、蛋白もかなり大量に出てたのも収まり、ただ。血圧が不安定、200なんてこともあって、絶対安静面会も制限うけました。ただし私は、助産婦が大丈夫?具合悪くない?と、声をかなりかけてくるのではじめてそうかこれって具合悪いのかと思ったくらいで、気持はハイ。じっとしてるのがたいへんでした。入院中の治療のことですが、たまたま、担当の医院長が出張不在のためもあってか、何人ものドクターがいろんなことをいったので何だか混乱よく覚えてません。何回も血液検査のために大量に血をとられ腕が青あざになったこと、多分腎臓にもともと問題があったのかもしれない、ただし今の段階では、妊娠の負担かけすぎで、そうなったのかもしれないし、わからないと言われたのは覚えてます。入院10日過ぎに夫も呼ばれ、ハイリスクの説明受けました。8ヶ月だったかな、までか、1000何グラムだったかまで持てば見込みあるけど、今の段階では何とも言えないこと、万一私の命に関わる事態が起きたら夫の同意は待たず私の命に優先があります」といわれ、出産まで、退院できないと思います。といわれ、ショックが、まさか・・・というのと、不謹慎だけどお金足りるのかと思った。高血圧ハイで、入院前、前からのショッパーズ依存を、派手にやって。入院となって、あわてて定期解約したばかりだったから。いらいらして、妊娠が嫌とか気持の問題でイライラするんだとばかり思っていたけど、体調からきていた。状況が自分で理解できていたら、イライラする事の八つ当たりくらい夫にしてもよかったのに、(妊娠に不満でこのままでいいのかとか、そんんなかんじでイライラするんだと思っていたので暗い後ろめたさもあって、誰にも言えなくて、余計依存に走っていたような。
このハイリスクの説明を受けた翌日羊水が増える様子もないので、(羊水って胎児の排泄物なんだそうで、羊水が増えないのは胎児が弱っているってことか、もともとの奇形その他病気があるのかもしれないとのこと。)点滴が増えました。この夜。たっていられないくらいめまいがして、助産婦呼ぼうかどういようか迷ってると、眠気が襲ってそのまま眠りにつきました。
その日の朝やその後のこと少し
朝いつものように助産婦さんがきて胎児の心音をチェックしていつも探すの大変なんだけど、いくら探してもなくて、ドクターも呼ばれ、いくら聞いてもない、そして、エコーも持ってきて、胎児を確認して、生きていないこと確認しました。それからのこと、記憶にはあるんだけど、今、思い出そうとしても、ビデオテープを再生してるみたいにしか思い出せなくて、私に起きたことと言う実感もあるけど、それなのに、言葉にできない。客観視をしたくない。夫に電話して泣いてたこと、母にも電話したこと、お見舞いにくると行っていた人に断りの電話したこと・・・・。死亡した胎児も、出産と同じに、人口陣痛つけて取り出すんだと説明受けたことその言葉きいたときはなんで同じ言葉なんだかえてくれって、腹を立てていたんだけど、今頃になっては、5ヶ月半、泣き声あげられなかったけど、でも、命には変わりないし、ちゃんと生きて出産したそして何十年生きる命と同じに、扱うべきで、分けることの方が変かも、と思う。
絵里の命日になったおなかから出てきた日前後のことと退院
死産のこと詳しく書こうとして、今更記憶がはっきりしなくなっていて、思い出したくないから覚えなかったのかもしれないけど、膣を広げる針と子宮をひろげるふうせんみたいなもの膣から入れられたこと覚えてない。広がってくるのに時間がかかりますと言われていたけど、半日もしないうちに抜けて、ナースコールをして、分娩室に移って。そこでもまだまだ時間がかかるよと言われました。夫を呼んだんだけど、彼ときたら人が痛いのにくだらないこといって、マイペースすぎて、こんなんなら、立ち会い出産ないらない、なんか、励ますとかなんかないのかと、ぶちぶち文句を言っていた記憶がある。でも、たまたま誰もいなかったけど分娩室でというのは、ショックだった。だって、出産の人とカーテン越しなんてそれってありなんて想像出来ない。そういう無神経が医療の中にあることが、びっくり。出産は4人に1人くらいは何かトラブルあるといわれてるのに健康な出産を中心に廻ってるのがなんで?という気がします。
長いからトイレも行っていいと言われていてトイレへ行って、ところがどうも変。出血と、固まりが落ちた。どうしていいのかわからなかったけど、トイレに流すのも変かと思い、助産婦さんを呼んだ。そう、胎児が外へ出たんです。助産婦は普通の事みたいになんでもないから分娩台に戻っていてといい、戻って待っていたら胎児だったこと、ただ子宮に残りがあるかもしれないのでドクターの処置を受けてと言われ、助産婦にもその前に触診され次がドクター。痛いことは痛かったけど、「助産婦さんが痛いことはあまり痛くなくてよかたね」ってねっていっていたのは記憶にある。それに、胎児が体から出た瞬間からだが軽くなったのと、その後とたんに薬が効き始め。血圧の200超えなんてなくなった。「出産は病気じゃない」というけど現実は、びょうきじゃないにせよ母体の命の一部を削って体に負担をかける行為なわけで、健康で産むのが当たりまえとわざわざ言われてるようで、なんか違うぞと思う。
初期から高血圧になるのには胎児に奇形があったかもしれないと言うことで解剖に回しました。220グラム。最初の所見は男の子と言ってましたが解剖結果では、女の子だったことが判明。解剖の見た形的には異常はなかったものの、母胎が安定しない負担から脳内出血していたということでした。
膣の消毒やその後の経過治療は入院してるから当然朝の外来前に診察室でなんだけど、出産間近なママ達と診察待ってるのが、どうも変な感じでした。頼むから声かけないでねって祈っていた。自分のこと言えないからね。不安がられるのも同情されるのも嫌だった。死産後は、気を使ってくれて婦人科がわの病室に(同じフロアの反対側)これも開いていたから個室に移してもらったし、だけど、たまたますいていたから配慮も受けられたけど、退院の日には婦人科側の病室にも出産妊婦びっしりだったし、これって運が悪ければ、同室での入院生活もありだったのかと思ったらいたたまれなくなりました。産婦人科は幸せな入院だけじゃない。実際、その後はよくわからなかったけど、生死さまよって救急隔離室へ運び込まれたらしき人みたし。婦人科入院の人たちはどんな気持になるんだろうと、複雑な気分でした。産科と婦人科って、はっきり分かれていてもいいのではないのか、とか、思いますが婦人科だけでは病院成り立ちにくいのかな。でも、それならせめて配慮されてもいいのに。
退院はもう翌々日には、退院。なんで?って気もしたけどここにいても気が滅入るからいいかって思った。ただし、私は母がいて、安静環境あったけど、上に子供がいるとか、一気に重い現実をしょってる人もいるのになんか変。そういえば、ドクターも婦長も色々言っていたけど、次の子どもの話とか、今聴いてもなぁつて思うこととか、ばっかりで、後から知った死産も普通の出産以上にその後大事にしないと、後まで響く話は全く聞かなかった。死産も流産も中絶もリセットとは違う人生の書き換えなんだし、体にも心も長期の影響があるのに、フォローをする医療体制はなにもない。自分に起きなければ知り得なかったけどそれが現実です。納得いかなかったから、本屋も探したけれど不妊治療の本は沢山あったけど、死産、流産、中絶その後の事についての本はありません。だから、現実に問題にされていないと言うことなんでしょう。障害を持っても産まれて生きていれば、産科とは違う新生児医療という枠があるみたいだけど、死んでしまったら終わり。でもね、他人からみれば、それで終わりかもしれないけど、当事者の親にとってはたとえ子どもが死んでしまっても、生きて成長していく子どもを持つのと同じにその後の長い年月がある。終わりじゃあない。スタートなのに。なんだか、リセット扱いされているようでなんででしょう。
以上が経過です。実際には、入院中に火葬にだしたりもしたんですが、そのことは、事実とは前後しますが、そのこのことに書きたいと思います。
5ヶ月過ぎの胎児は法的に死亡診断書が必要で、火葬する事になります。私が絵里ちゃんを見たのは、トイレで血だらけ肉のかたまりみたいだった時と洗ってきれいにしてもらって箱詰めにして、火葬に行くときまで病院で保管しておきますと言われ。遠目でしか見ていなくて、今思えばちゃんと見ても良かったのか思ったりするんですが、人の形していたんでしょうね。きっと。家の母は宗教的で、戒名つけようとしてお寺に連絡したのを聞いて、戒名なんて何十万単位だし、そして、どうも嫌いな住職でその人からもらうのはお断りって気がして、名前つけるんだから勝手なことをするなと怒って戦って、名前を付けました。後にも、一回目だけ入ったけど次からは気分悪いから無視している水子供養の日に、毎年紙の名前入り墓碑みたいやつももらって、ますます戒名なんてしなくて良かったと思う。まあ、小心者で言えば喧嘩なのでいかない本当の理由も親には言わないけど。だつてさぁ、子どもが闇をさまよってどうのこうのっていうお経聞いて、何にも悪いことしてないのにそんなことある筈ない。お断りって感じ。
火葬は、母や婦長が今寒いのに無理したら大変だからいかない方がいいと止めるんていきませんでした。夫と母だけでいった。夫はそんなのひどいと怒ってましたが・・・・・。母が言うには普通は子どもの母はいかないよ。というし。骨はないと言っていたけど細い針金みたいなのが残ってました。それは、ちょうど祖父がその前の月に他界していて、納骨したとき一緒に納骨したのでみました。それみてほんとに人だったんだとちらっと思いました。エコーで見た絵里ちゃんはまるきりエイリアンみたいだったし。母子手帳も、エコーの写真も火葬の時に燃やしてしまったんですが、母子手帳は悲しくてみれなさそうだし、でも、写真はあっても良かったような気もするしでも、一緒に空に返して良かったような気もするし。よくわかりません。
これも入院中の話なんですが、こんな事になると思わず、友達にも妊娠の話し伝えまくっていたし、たまたま入院直前に遊ぶ話を何になんとしていたし、それを断るのに入院したこと伝えた友達も多く、どうせ後でぽつりぽつり。聞かれて答えて落ち込むくらいなら今気分がハイのうちに済ました方がへこまない気がして、電話かけまくりました。この辺って他の人はどうなんでしょ。忘れた頃に、出産いつだった?とか、どうした?きかれるのより、ましなようなきがしたんですが。
体調は、退院後、主治医の紹介で、別な循環器を紹介され通いました。1ヶ月母がうるさく寝いなさいといい。寝てました。出産後、1週間で水仕事して、無理したせいで、出血がひどくなって子宮取った友達がいたり、1ヶ月から1ヶ月半は、安静にするものだと昔から決まっているんだと、しつこくいわれました。母がいなかったらテンションがおかしくて、具合悪いのもわかんなくて、それから、精神的変調はあったかも。なんせ、忘れたけど、気に入らないこと言われ、泣きながら本気で夜中に家出しよううちへ帰ろうとして止められたり・・・・・。変でした。ただ、母は実用的な世話はありがたかったけど、泣くんじゃないとか、ただいってみたいことにいちいち腹を立てるし、気持はつらかった。でも、これ、夫は正反対に何一役たたず、自分から会いにも来ないばかたれでしたが、なんか、ただいってみたいこといくらいっても、ぐずぐずしてても、ふにゃふにゃと受け止めるから凄く気は楽で、究極に正反対な居心地でした。いきなり次の子どもの話欲しいとも欲しくないとも決められないわからないままで、何いっても怒らなかったから。なんていうか、夫はあまりに役立たず、実用性がないのはショックで今なら、別れても私は悪者じゃないと本気で思ったでも、じゃあ実家が居心地いいかと言えば正直言って体もそれにあせて心もしんどいのだけは自覚あって、とても一人じゃ今どうにもならないのは感じたから、実家にいたけど、泣けば泣くなと怒るし、はやくうちへ帰りたいと思っていた。でも体調は、1ヶ月、半年、1年と時間が過ぎていく中でそうか具合悪かったんだと後でわかるくらいで、だからこそ、無理が出来てしまうんだと思うんだけど、人それぞれ事情という条件があるから簡単に無理しないで安静にとはいえないんだけど、それでも、今しなくていいことは人を頼れる限り放棄した方が後から長い目で見たら楽になると思う。
世間に言いたいこと
3回忌がすぎてみて、死産直後は、ずっと死んだ子の年を数えていま生きていたら、幼稚園とかおもって、よその子どもをみていたたまれないのかなと思っていたんですが、実際には、そういうときもあるしたまらないときもあるけど、なんていえばいいか、心の中には生きていて悲しくない。だけど、そんなこと、人には言えないと言うのか、絵里の話をすることがタブーみたいな感じがするのが悲しい。死について語れない空気が寂しくて、そんなの変と思い始めたんで、あえて、死産ということばも、天使になったという言い方もせず「死」と言う言葉を使おうかと思い始めました。人生、長生きする人もいるけど、胎児で天に帰る人生も、重さは一緒なんだから、隠すことないのかなって思う。
でも、そうはいっても健康な出産しかしたことがないと分かちあえない気持もあるような気がして、ネットの前は雑誌のペンフレンドコーナーに乗せたりして、誰かと分かち合おうとしてみたんですが、妊娠への思いや事情は、プライベートすぎて重くて、なかなか上手くいかなかった。いろんな事情、があるし、友達も流産したんだけど、その頃仕事忙しくて、日々普通だったと言っていた人もいたし、(それでその後すぐ妊娠したみたい。)逆に、1週間の流産でも、1年妊娠避けたという人もいるし。薬を飲みつづけているせいで奇形を不安がられ、親、義両親からの猛反対で泣く泣く中絶した人や、生理が1週間遅れ、その後かなりの出血で流産。不正出血とは違うと感じ、病院へ行って流産なのは確認したけど、不妊治療中でおまけに義両親との同居のため、言うに言えず、そっと、捨てるしかなかった人。初期の流産や死産は火葬もできないし、もし私ならどうしていたんだろうとか考えました。ほんとにいろんな形で子供を失うことがある。多分出産が人と比べられないいろんな事情があるのと同じかそれ以上何だと思います。ついでに言えば同じ悲しみ体験したからって、思いやりが育つかと言えばそれも違う。「流産死産を繰り返しやっと、子どもが授かりました。あなたのつらさがわかります。」って手紙。それが、最後「追伸 今子どもが昼寝してくれたから、手紙書いてます」と締めてあったり。不妊治療のつらさや愚痴が延々綴ってあったり。逆に健康な出産しかしたことがなくても、一緒に泣いてくれる友達もいたし。上手く言えないけど、なんていえばいいのか、なんでわたしにこんなこととみたいな被害者意識ないとはいわない、そこまでいうのは嘘なんですが、だからといって、殻に閉じこもって本当のこと、沈黙してる限り、分かり合えない問題なんだと思います。痛みをわかちあうことで、心の痛みを軽くしていかないと、表面的に何もなかったみたいに振る舞い続けても、わかってもらえない怒りは、いつまでも消えないから、それは、よくない。
これ書いていて思ったけど、妊娠、出産は、女だからって括って、自分に重ねすぎて、わかるつもりになってしまうんだけど、本当は、自分と、他人は違うし、いろんな人がいるんだと常に意識することが思いやりのはじめの一歩何じゃないのかな。4人に一人は出産のトラブルあると言われてるし、10組に1組は不妊に悩んでいると言われ、確率的には他人事じゃないんだから、「妊娠は病気ではない」とか、なんていうのか、産めて当たり前みたいな、間違った常識を前提にして、とやかく人のこと言い続ける非常識は変えていかないといけないんだと思う。
といっても、今の常識世界では、子供を失うことも、それから不妊も、異世界かのように思う方が残念ながら自然。語り合う言葉がさえない。勝手な思いこみが常識で、何が言われて嫌かも、それすら、実際にそういう立場に立たないとわかんないことが沢山ある。
すぐにわかりあえるとか、思わないんだけど、今、出来ることすぐにわかって欲しいことって、最低ラインとして「不用意な慰め言葉やら、こんな事は言われて嫌」のマニュアルがあったらいいのになと思います。取りあえず、私が言われて嫌だったことコーナーにします。言われたこれが許せないとか、もし、よかったらメールか掲示板で教えてください。転載して増やしていこうかと思ってます。合わせて言われてほっとした言葉も募集します。
妊娠も出産も順調に済むのが当たり前という間違った常識と、
出産にいたらなかった子どもの死はリセットのように感じてる人が多すぎます。
被害者意識は持ちたくないけど、かなり精神的にまいってしまう出来事なので、
思いやりを受けて、助けてもらわなければ、立ち直れない事わかって欲しい。そう思います。
死産した後で友達にその話を電話したとき、2人にも言われました。
私自身のリスクも大きかった、ハイリスク妊娠だったし、だけどそんなの想像もできなかったし。
子ども助けたくない妊婦なんていないと思うけど・・・・・。
ちなみにこれをいった友達は、一人は独身。
一人は、入退院を繰り返す病気がちで頑張って出産した人。じぶんがうまくいったからって、
何なんだろうと思ってしまいました。
「私も、流産繰り返した末に子供を授かったのであなたの気持ちが分かります」って手紙の結びの言葉。
育児の愚痴、親ばか、幸せなのはわかるけど、なぜ、私を選んで語るんでしょう?
結局自分のことしか考えてないんだと思ってしまいます。人によると思うけど最低3回忌くらいの年数は、喪中感覚で、
子どもの自慢とか親ばかは勘弁って気分です。
年賀状とか、毎年子どもの写真でくれてた人が別なのでくれたのは、そこまでしなくても・・・・と思うけど、
「楽しく2人では」母が言った。先の事なんて、凄く悩むけど、なぜ、他人が指図する?
頑張れば?は、クラス会でも言われたし。
(子ども欲しくない?としつこくきかれ頭に来たのでリスクある話を
あえてしたにもかかわらず言われた)
年賀状でそう書いてきた身内もいた。揺れているので触れられると答えようがない。
これは、本人の意にそう形で見守って欲しい。それが思いやりです。
だってやってみなければ答えが出ないことだから、本人にしか決められないし、
後悔のない結果へたどり着くにはそれしかない、良い悪いなんてないことなんだから。
ワイドショーで向井亜紀が、やっとこどもが出来たら子宮頸癌のステージ5。
子どもを諦め子宮摘出したこと告白していた。
いたたまれなかった。たまたまみていた番組では
東ちずるが「写真誌のスクープがきっかけで結局語るしかなくなってかわいそうだ。
別なコメンティターが毅然として強くて立派だといったことにも、
それしかしようがないことにその言い方は違うと。
そうそのとおり。私が死産した直後。けっこう妊娠は広めていて、
ああこれいまのハイなうちにわーっと事実を言った方が楽かそれともあとで
ぽつぽつ言う方が楽かとか考えていたこと思い出したけど。
呆然というのがただしくてしかも体調がひどく悪くてそこからも躁的ハイがくるし。
他の選択やもしもを塗りつぶすしかない
それ以上考えたらおかしくなると感じるくらいおわれているのだ。
震災のあとのがんばりに「強いね。私なら出来ない」がどれだけ残酷な響きかと
質は同じ。必死にならないと壊れるのだ。それに思うけど、逆に泣き崩れていたら
「泣いてばかりいないで頑張りな」と励ますわけで。あるがままに寄り添いがない。
いったいどうすれっていうんだと思ってしまう。心の中が空っぽでもでも、
生きないといけないと感じるからこそ、毎日をこなしているのにね。
崖の縁を落ちないように下をのぞかないで歩けるように緊張が解けないまま生きているそんな感じかも。
その緊張感にたいして「強いね」は誉め言葉ではない。
泣き崩れていない産んであげられなかった子どもに対してや自分のことを受け入れて悲しめない
事を暗に非難している響きがあるのだ。
そして、例えば「強いねあなたなら頑張れる」これも
その一言には本当は助けが必要な今にも崩れる状況への寄り添いがない。
うーんだからっていきなり「そんなに無理しなくて良いよ」も
それはやっぱり寄り添いではない。
だからやっぱり崖の上を歩いていること思ってほしい。
そういう時って声がけ一つで集中とぎれて落ちるでしょう。
状況見て声かけてもいいタイミングみて声をかけることか見守るしかないでしょう。
そういう気配りが本人への寄り添いなんだと言いたい私でした。
愛子様の映像が繰り返し流れた2001年だったけど、
多分多く大半の人にはおめでたく幸せを運ぶけど、長女の死産が
もしそれが2001年だったらたまらなかったろうなぁと思う。
これからずっと生涯成長し続ける愛子様をみなければらならず、
時がたてば自分の子どもの成長にみえて喜べるかもしれないし
一生一生できないかもしれない。
他人の幸せを一緒に喜べないそれも人の感情としてはありなときもあるわけで、
無理せずあなたの気持ちのままでわかてる誰かが周囲にいるといいなと思ってしまいます。