
グリーンマイルを見たのは去年2000年の暮れだった。
怒りまくって勢いで以下の文章を書いたんたけど
それから半年以上立って2001年の夏の今
むかつきも含め
客観的な感覚で思うことは、
グリーンマイルの映画で怒りまくった私が
相当少数に属し、何で怒るかすら
素直じゃないさすぎと思われる。
だいたいひどい映画でむかついたなんて
率直に喋った後の相手のリアクションに
弁明しなきゃいけない自分が面倒で
感想述べる気もしない。
ただだからもういいやというのか、
どうかんがえたって私は自分の感覚が
おかしいとは思わないから
変なのは社会の軸で
私じゃないぞと思う決定打に
「グリーンマイル」がなった。
感動出来る個人がおかしいと敵対しても
通じないのだ。
社会の軸が歪んでいてそれを規準に
個人があって思考もあって、その軸が変だと疑いでもしない限り
なんでおかしいのかもわからず
そのまんま反映されていく軸。
ってこれ読んでも何言ってるのって思う人がほとんどなのかも
グリーンマイルに感動したとか繰り返し見たという人へ。
とりあえずいいたいのは
あの映画の中じゃ
結局殺された少女のために何か本当に考えた人なんかいない。
看守とコーフィのためだけの涙だし。
あと、もう一つ。
死刑になるからには其れ相応の犯罪。
殺人やったから死刑なわけで
「グリーンマイル」からは
多分、意図的に
その被害者や遺族は外されている。
描き込んだら違う映画になると思う。
って私的にはあの映画で泣いてるのをみてたら
ストーカーだって虐待加害者だって
泣くじゃない〜!!などと
気持ち悪く成るんだけど。
私の気持ち悪くなった直感間違ってないと思うよ。
多分ね。
自己無力にさいなまれるのは誰だってあるんだ
しにたいなら勝手にどうぞと思うし、
それでも生きるのは結局自分のためで
人のタメじゃない
あなたのために生きているなんて
言われたら迷惑だ。誰も幸せにしません。
グリーンマイルを見た。史上最悪な映画だと思った。
後から後から怒りが沸く許せない映画なのだ。
がしかし。多くの評価が「感動した」「泣いた」なのだ。
私のマイノリティ感覚と多数派の感覚の隔たりが
しょっちゅう「もしかして私、異星人?」と
感じるルーツなのだと思った。
泣けない怒りしか沸かないマイノリティの言い分。
はっきり言って異議申し立てしなくちゃと思った。
別にわかってくれない人がいてもいい。
理解しろとも言わない。
ただ異議だけは言わないと苦しい。
あの映画、多くの性暴力の犠牲で殺された被害者そして、
そのほかの凶悪犯罪の被害者への冒涜映画だと思う。
生きる理不尽描きたいなら別のやり方で描いてほしかった。
「グリーンマイル」は認めない。
見て一番先に思ったのは
この映画は自殺のすすめかと思った。
そして死にたいなら別な方法で勝手に死ねよなと
思った。
コーフィはたしかに苦しかったのだろう。
でも、被害者に何もできない無力を認めず
よくあることだ、もうみたくないとぬかして死んでいった。
自分のために泣いて死んだのだであって
少女たちに何もできない痛みがどこにもない。
あの映画の登場人物はすべて
自分の無力とコーフィのためには泣いたが
少女たちへの無力は泣いていない。
そして苦しい殉教者気取り。
おまえは何様なんだ?馬鹿野郎。
そして其れを美化する映画。
絶対に認めない。
もし真犯人知っていて何もできない無力さから死刑になるのなら
全く違う描き方になるはずだ。
自分の無力を美化して嘆く史上最悪なナルシズム映画に思った。
更に深読み
以下は深読みただの深読みであるといいと思うこと
コーフィの設定が映画見ながら陳腐だなぁと感じて気になった。
よーく考えると、黒人で不思議な力を持つ設定も
無力を嘆くための強化の小道具設定なのかも。
むかつくのは自己無力を嘆くことを
神からの殉教に見立てて勘違いしていること。
全然違うよね。
よくああまで勘違いできるもんだ。
現実のもっと泥の中で苦しんで
それでも生きようと頑張るすべての人への
冒涜映画だ
やってはいけないことをほとんどすべて盛り込んで
見せたと言うことでは
意義あるのかも。
まだ続く許せない冒涜だと思うこと。
↑の続きみたいものなんだけど、
自己無力美化を死刑に絡めて描くなんてこれ以上の冒涜ないぞ。
死刑に至る犯罪の犠牲者。
遺族の怒り。苦しみ。
犯罪起こした人。勿論、罪は自分にある。
だけどそこへ追い込まれたたいていやりきれない
背景もあるんだ。それぞれすべての人が
生きる理不尽に直面しているんだ。
逃げ出す場所なんかないんだぞ。
コーフィはそこから逃げたのだ。
ただそけだけなんだ。
それが美化されたら生きて苦しむ私たちは?
ここの部分が一番私にとって
冒涜に感じるポイントなんだと思う。
頑張って生きているすべての人を何だと思うと
あんな映画が出来るんだ?
生きることの理不尽は殺された少女も遺族も、
死刑になったほかの囚人もその被害者、遺族、
それからえーと、とにかく
コーフィだけが抱えているわけじゃない。
みんなみたくない醜いことに直面して生きている。
(または殺された)
なんで、そこから逃げたコーフィだけがなんで特別扱いの
ヒーローなわけ??
逃げること自体はありかもしれないけど、
死刑という極限を小道具にどういう神経したらあんな物語作れるわけ?
やりきれない怒りしか残らない最悪映画だ。
あの映画見てなぜ泣けるんだ。
苦しい痛みをもう見たくないといわれて何で腹立たない?
突き刺さる痛みを持つのは
コーフィだけじゃないじゃない。
グリーンマイルの中の涙は
コーフィと自分の無力にしか泣いていないんだけど
彼らにそのほかの人はどう写っているんだろう。