自閉症用日本語解説辞典

ア行

カ行

サ行

タ行

ナ行

ハ行

マ行

ヤ行

ラ行

ワ行
ア行

愛にまつわる慣用句

「別れるなら死ぬ」

DV加害者がよく使う究極な脅しと嫌がらせで愛ではない

「こんなに愛してるのに」

非常に一方的押しつけの可能性が高く
じつは愛じゃないことが多い

頭を使え

考えて行動しなさいと言う意味だけど、言葉と意味が一致してないし、
なんとなく、卑下されてる感じがしなくもないんですが。
更に考えて行動なさいも漠然としたメッセージ過ぎて
あまり良いアドバイスではないかと・・・

謝る
謝る行為ってもともと場の空気を捉えるのが得意じゃない人
(例えば私?)は
不得意です。
謝って済む問題か〜と言われたら
もっと謝って誠意見せろと言う意味だけど
極端に言葉通りにとる軽発達障害抱えた人だと
謝ってもだめなら、どうしたらいいのお金払えばいいの?とか
全く悪気なしにそうとって言葉にしたり・・
私はさすがに悪かったという気持はあるし誠意も見せたいんだけど
緊張か思いっきり緩んでの行動かしか上手く
頭も体も動かなくて反省というのか神妙さを行動で示せない。
失敗の動揺のままだと更に行動滅茶苦茶で二次的に次々
ケアミス起こしかねないし。気持リセットしてしか行動できないのです。
もう忘れたのとか言われるけど、そうじゃないというのかね。。
意志

意志って何か。意志の弱い人と散々非難を含んで言われ続け
意志のある人になりたいとずっと思っていたけど
ある時気がつきました。
意志ってなに?そして考えた結論
意志には
二つ意味があってひとつは
やりたいこと実現させたいことの実現のために
行動計画表を無理なく段取りよく立ててスケジュール管理すること
もうひとつは
そもそもやりたいことという欲望や思いつきは無限なので一番どれが
自分に大事で必要かの優先順位づけしないといけない。
つまり生きるための計画表を立ててそれを実行すること。

そう思うと意志の強い人と表現されるような人が
尊敬される人だと思われるのはわかったけど、
だからといって、
生きることをどうするかという問題についてを
突然、他人に「意志を持て」とか「意志の問題」とか一言で
括って言われても
私がなにをどうしたい、またはなにが出来るかとか
生きることを考える上のアドバイスとしては全く意味がないのもわかった。

今更
カ行

頑張る(または頑張れ


自分に気合を入れるために使うのには便利な単語だけど
頑張ってと聞かされる相手の状況と
自分と相手のと関係無視して使うのは変

万能な励まし用語と勘違いしていると
阪神震災被災者にもひょいと「頑張ってください」と
とりかえしのつかない残酷な状況でも使ってしまうので要注意

気合

気合とは何?よくひとにいわれるけど未だ言われてる意味がわからない
誰か教えてください


今日どうしました?

たまに友達に電話したらいわれたら
あれ迷惑だったのかとか病院行ってドクターに言われたら
どうしましたってそんな具合悪いからきてるのに。。と
思っていたけど実は挨拶の意味を持ってるみたいです。
ドクターにいわりたら挨拶なんだらはい今日はここが調子よくないです
久しぶり電話した友達にはずっと気になっていたの元気かと思ってとか
なんとなく声が聞きたくなったのとかと繋げばいわけです。
たまにはホントに迷惑でどうしたの?もあるかもしれないけど
そういう場合は声が違うからそれで区別する方が無難かと

感情(気持)を分かち合う


感情を分かち合うというのは嬉しいことは倍
悲しいことは半分になるとても素敵な行為なのだけど
現代はあまりそういう機会がほんとにない。

虐待

虐待というのは主語が加害者で、
被害者は被虐待者(または被虐待児)
能動態の受け身で表現されてます。
たかが言葉ではあるけれど言葉ってあなどれない作用があって
虐待行為を言葉通り虐待をただ行為としてだけ考えても
虐待行為が終わってからの
被害者が抱え込む
被害を受けてしまってたために残るその後の
今の瞬間に続く後遺症的な被害者心理が
すんでしまった過去の虐待行為と繋がってみえにくい。

被虐待のあと、被害者が生きる上で
虐待された記憶は
ただの思い出と違ってきちんと起きたことを誰かの支援を受けて
どう捉えたら虐待の記憶と離れて生きやすくなるのか整理されない限り
意識無意識に関わらず時を超えて過去のことにならず
今の思考に影響し続けかねないことについて
記憶処理のメカニズムがもっと解明されてきちんと理解される時が
早くくるのを被虐待児だった私は願います。

共感

共感という行為はかなり一方的で
少なくても励ます場合に使うときは
相手が共感されたと理解できて完結しないと
たんなる意見の押しつけである。

子ども虐待


子ども虐待は英語のCHILD ABUSEを
訳した言葉だといわれているけれど、

サ行



●死にたいと感じるときはそれだけ疲れていたりしんどいということ。
自分をいたわろう。。

●死ぬ気になれば何でも出来ると
言う人がいるけど
世の中には死ぬ気になったら
死ぬに決まって死ぬ気にならないためにかろうじて生きてる人間もいる
(例えば私)

●死というのは敗北とは違う。
生きることって死で終わってそれで完結する一つのストーリーで
切り離せない。

●胎児として1日生きたベビーも誕生から1日だけ生きたベビーも
100年生きた老人もみんな別な生きたストーリーなんだから
短い長いで比べられても意味がない。
最愛の人とか子どもを失った遺族に
80年も生きて大往生でよかったねも、胎児のうちになくなって
産まれて苦しむだけよりよかったねとか
3ヶ月しか生きられないで意味があったのかとか・・・
かけがえない変わりがない人を
失った悲しみにあまりにかけ離れたこと思って比べる人案外
多いんですよね。

躾けと虐待

生きる能力を伸ばすのが躾けで
生きる能力を奪うのが虐待

障碍
後天的にはいつ体の機能が一部損傷して健常といわれる範囲の人で
なくなるのかは誰も解らないし
先天的には受精から
実際には絶対共通はへその位置が同じだという以外なんでもありに育ち
ちゃんと子宮からでて呼吸できるところまで育つことができたら生きていける
そんな感じみたいです。

タ行

努力

努力ってやみくもにしても成果にはつながらない。
自分で努力するときは、
まずすることは自分が何に躓いているのか考えることから
はじめるべき

他人に努力しなさいとなどと漠然と抽象的なことで
励ますのはほどほどに。

DV(ドメスティックバイオレンス)

狭義ではパートナー同士での支配被支配関係を暴力などで
加害者が続けようとし続けることということでしょうけど、

ナ行

日本語

日本語は主語が曖昧だし、更に言えば、
英語でのaリンゴとtheリンゴの違いすら区別がない。
心理学では、よく自分と他人の境界が曖昧で
他者に侵入しやすい問題を話題にするけど
その問題実は突き詰めていけば
日本語の構造からきているつまり、日本人ってもともと
ものを突き詰めるのが
不得意なLD遺伝子民族なんじゃないのかと思ったりする。
少なくてもaリンゴとtheリンゴの使い分けが理解できないと
「私」が「the私」で「a私」はあり得ないこと、つまり
「I」と「We」の違いはなかなかわからないのかも・・・と思ったりする。

ニュースで思うこと

●女子高校生が誘拐監禁されて殺されコンクリート詰めにされた事件
いまだにむかつく本が売れ続けて再販重ねてる。
「うちの子に限って」
最初から全く面識がない誘拐監禁だったのに
途中までの強姦は合意かのような表現だったりひどすぎる。
●大統領秘書との不倫騒ぎ。元秘書のキャラを売名みたいにいうけど
大統領秘書となるんだったら
それだけの有能さや将来キャリアがあったはずでそれと引き替えて
言われるような売名する価値あるのかと思うし、
公私無視したような規準で秘書を採用してるならそっちが問題。
セクハラのすり替えはよくないかと・・・
●日本ではカーチェイスしか
報道されなかったバスケット選手のOJシンブソンの妻殺し。
あれDVだったんですよ。知ってました?
ハ行

反省

反省だけしてもそれは過ちを繰り返さない努力とイコールではない
反省が上手にできるにこしたことはないけど
それだけで今後のその人がどう変わるかの規準ではない

マ行

まえむきと後ろ向き

後ろをむいてはいけない前を向いてと
励まされるたび思うのは前ってどっち?後ろってどっち?
冗談で思うわけではない

生きるための
方向は無限かもしれない選択から選ぶわけで単一方向ではないし
過去の振り返りは感傷に浸って
将来の方向決めるための過去の点検が必要なときが
人にはあるわけで、そのために振り返るわけで
回想してるだけじゃないこと場合によってはある。
生きるための情報判断は過去の積み重ねから引き出しつづけているわけで
今からスタートというのは実はあり得ないし・・・
言葉として「前向き」「後ろ向き」って実はどうも概念が意味不明
ヤ行

やる気

よくひとにやる気になるかならないかの問題といわれるけど
どうもやる気になるってどういうことなのか
これも私には抽象的すぎて謎です。
やる気さえあれば人生敵なしみたいに表現されてるので
やる気というのが何かわたしもわかれば
人生もっと楽に生きられるのかも・・・

やってみないとわからない

やってみないとわからないといわれるけど
どうもそのニュアンスが駄目だったり
失敗したりの可能性の見積もりが
かなり低いか全くふくなれていないかそんな感じがして
聞いて戸惑う私。

しかも、とんでもない場合にもよく使われているから要注意
例えばDVの当事者にちゃんと話し合えとそれもやってみないで
被害者は逃げるなと・・・

年間60人はDVの結果被害者が殺されてます。

DVのエスカレートは、別れ話のときが一番危険なので
殺される被害者の数増やす可能性含んでもアドバイスとして
「やってみないとわからない」なのだ。
使い方まちがわれてそうな言葉のひとつ。

ラ行

(相手を)理解する

理解するの主語はあくまで私なので
相手が理解されたと感じるということはまた別である。

ワ行

私が出来るからあなたもできる

私とあなたは個性も違うし状況も別なのに
どうして出来る根拠になるのかもわからないし、
主語逆転させてあなたが出来るなら私もできると考えるのも
相手を格下扱いするみたいでどうも違和感感じるし
どうしてそれが励ましなのか謎