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自分の問題から、心の本や、虐待問題の本、セクシャリティの本を、読みまくりました。
その中から紹介したいと思います。
(本が本棚から家出していてタイトル以外不明です、(^^;)ごめんなさい)
アルコールの問題を抱えた人、その家族、親がそうだった人のための本です。今言われるようになったACの原点のような本です。
これ読んで、私の親はアルコール問題抱えていなかったけど、書かれてた「言うな」「感じるな」「信じるな」のルールの中で、子供をやって育った私のことのようでした。
自分の親たちは悪気はないだろうけど、かなりかわったひとたちで、おかけで私もまともなコミニュケーションのモデルを取り込まずに大人になっているらしいという、大事な発見をさせてくれた本です。
どんなに一生懸命になっても、表現の仕方が正しくなければ、正しく相手に伝わらなかったり相手の言うこと誤解したりして、当然ですよね。もっと早く知りたかったです。
集英社、ささやさなえ画、椎名篤子原作
椎名篤子さんの「親になるほど難しいことはない」が原作の児童虐待で苦しむ人をサポートする現場のフィクションです。
この漫画を連載した直後から、編集部に深刻な虐待で苦しむ人からのSOSの手紙が寄せられ始め、それがきっかけで、虐待で苦しむ人のためのサポートに向けて、「こども虐待を考える会」が活動を始めています。
詳しいことは「児童虐待ージャナリストからの提言」発行 ・北海道子どもの虐待防止協会 を読んでほしいと思います。
(札幌市北区北40条西4丁目麻生郵便局留め 北海道子ども虐待防止協会) へ問い合わせて下さい。
「子ども虐待を考える会」の事務局は
(東京都大森郵便局私書箱21号) です。
JICC出版、スーザン・エストリッチ著、中岡典子訳
10年前に出版された本を図書館で見つけました。いい本ですが残念なことに、再販予定なしで手にいることが出来ません。
でもどーしても人にも勧めたくて、本当はいけないことですが、図書館の本をコピーしてしまいました。
レイプを巡ってほんとに何も考えず聞き流している色んな言われ方が、なんの落ち度もない被害者を傷つけるのか、裁判の判決文として並べて読むとよくわかります。
この本を読むまで考えたこともなかったのですが、被害者への偏見的な言い分が世の中に浸透していて何が問題なのかわかりにくくしているようです。
絶対、被害者は悪くない、なのに被害者に落ち度かあるかのようなすり替えを認めていると、法律までが加害者を養護するために使われます。図書館へ行けばあるかもしれません。読んでみて下さい。
最近の大統領のセクハラ裁判も、スキャンダルとしてしか取り上げられないけど、大統領の秘書実習生に、なれるくらいなら相当の将来キャリアも望める女性な筈。、普通で考えたら売名とかそんなんで告訴してメリットが、あるとも思えないし、会ったこともない女性をスキャンダルでしか取り上げないのはおかしいと思う。もし仮に大統領の秘書に「女の華」を要求して採用になってるなら、もっと問題だしなにか違うと思う。
勇気を持ってセクハラの告発した女性に対してひどい偏見だらけの報道でばかりで悲しくなります。
会ったこともない女性なんだから公平な視点で、取り上げてほしいです。
社会評論社、門野晴子 中山千夏 丸山友岐子 日方ヒロコ
タイトルの事件のあった翌年、1990年に発行されていた本を、去年読みました。実はこれを去年読むまで、被害者の女の子は犯人の少年の知り合いだったように思ってましたが、全く知らない女の子を拉致する形で監禁していた事件だったのを知りました。
殺された女の子に申し訳ない思いこみしてました。
被害者への配慮のない報道は10年近くたった今でも変わりなく思えて、そういう意味でも忘れないためにも、おすすめの本です。
誠信書房、J.スゥイガート著、斉藤学監修訳、橘由子、青島淳子訳
母性が女の本能のように言われ、子育ての大変を正当に評価されない世の中ですが出産や育児に、どれだけ大変な複雑な感情を伴うものか偏りなく語られています。
ちょっと高い本ですが、読む価値あります。
本の中身とは関係ない話になりますが、母性が本能だというのはたぶん違うのではないでしょうか。
ほかの動物だって猿は単独で檻で育つと子育てしないし、出産に驚いて踏みつぶす例も見られるし、馬も競走馬として育てた馬は子育てしないしほかの動物が本能じゃないので、人間だけに本能として母性があるとは思えなくて、母性って学習しないと身に付かないものに思うのですが。
今って、母親になることや、父親になることを学習するとか身近に子どもを見る機会もないまま、いきなり親になる人がほとんどで、わからなくて混乱が起きるのがその方が自然の結果で、母性本能なんてでたらめ信じて出来ないことを責めてても、なんの解決にもならないと思う私でした。
大ベストセラーの本です。詳しくは、Torey Hayden’sWorld「one child」というHPがリンクしてあるのでそちらでどうぞ。
最初の作品、次の作品のシーラという主人公が使った言葉が、読んでいて、同じような感覚で同じ事を言った記憶があって自分のことのような感じがした作品です。もちろん、シーラの環境ほど過激な体験してませんが。
ところが、「この本読んでこう言うこともあるのを初めて知った」と言う感想も多くて、良いとか悪いとか、そういうことではないけど私と、世間の間にずれがあるのは前から感じていましたが、やっぱりなーと複雑な気分になります。
シーラが、問題起こす手前でやめて、帰ってきて「運が良かっただけ」と言うシーンがあって、私もそれまで自分のことをそう思っていて、だけどシーラがちゃんと戻ってきたのはそういうことじゃない、子どもの時はやってしまったけどいまはやめられた。それだけで十分なんだとシーラに思うので、私自身だって「運が良かっただけ」とかそうじやない気がするようになりました。私は最近でこそ思わなくなりましたが、
「切れて人殺したらどうしよう」とか「オウムに入信してはまったらどうしよう」とか、
とにかくあらゆるネガティブな人生も自分に重なって思えて、そうならなかったのは
「運が良かっただけ」そう思ってました。
でも、そんな低い自己価値しか持ってないのはかわいそうな気がしてきてやめることにしました。
東京書籍、小西聖子編著
犯罪に巻き込まれるという理不尽な形で家族を失った方のことがかかれています。
重いテーマですが、自分に起きないこととは限らないし、せめて、もし知り合いが巻き込まれたとき、傷つけなくて済むようになりたいと思いました。
相手のためではなくて自分が気持ちよくなりたいための何気ない励まし言葉ってたくさんありますが、そういう言葉が傷つけるようです。
つい習慣ででてしまう言葉も言われてみると、確かにむごい言葉なんだと納得できます。ほんとに何も考えずいってしまうことで相手を傷つけることもある、そういうのって、ふだんは考えませんが、考えないから、遺族の方へも言えてしまうってことに思えて、考えさせられました。
浦沢直樹、小学館 「ビックコミツクス オリジナル」に連載中の漫画です。
12巻の中に天才を育てる教育の名の下で虐待されて育ったグリーマーさんが登場します。
「今俺は、笑っているだろう・・・」「これは学んだものだ」「笑っている形を学んだものなんだ」
今何を感じでるんわからなくてどう反応して良いかわからないそういうグリーマーさんの気分に近いものを私も感じることがあります。
ACの人が自分の感情ってわからないという言い方をします。、実際私もそう思うのですがなかなか何がいいたいのかわかってもらえないし、私自身もどういうことなのか上手い説明思い浮かびません。でも事実よくわからないんですよね。一つ言えるのはボディランゲージも、決して自然に表現できるようになるものではなく、学習して身につけるものなのに「眼は口以上にものを言う」とか言うことわざがあるように絶対性があるように誤解されているようで、変なボディランゲージを身につける必要に迫られて育った私みたい人間は修正できず理解してもらうまで大変なんです。本当に感じたり思うことが表現に結びきません。だからってなにも感じない訳じゃない。ただどう反応して良いかわからない。そんな感じです。
NHK出版
調査の対象者に偏りなく本当の事実としての「アメリカのセックス」についての科学的な調査を始めて大規模にデータとして調査した本です。
有名なキンゼイレポートやハイトレポートも、サンプルに偏りがあり科学的ではないそうです。
読んで思いましたが、日本でも今、女が大胆に性を語るようになったとか言ってるけど少なくても私の周りは話を振っても沈黙が答えって友達が多いしそれは嘘っぽいし、または、極端な下ネタでしか性の話が語られていないけど、そんな話は害はあっても役に立たないし、もっと事実として正しいセックスの情報は必要なのにない。科学的で事実に即したセックスについて学習したいと思うのですが本当に情報がなかなか手に入りません。おすすめの本などありましたら教えて下さい。
山下大明、小学館
年間で200日くらいは山で暮らしてとった写真集だそうです。たぶん私が同じ場所にたっても同じに見えなくて、ものはただ見ても何も見えてこない。カルチャーショックを受けました。縄文杉を見に行って観光写真を撮るくらいならいって荒らすだけでやってはいけないことだと思う。実際、今は縄文杉のまわりは立ち入り出来ないそうです。
自然はただ見ていてもみえなくて、近所の公園と、屋久島の豊かな森の違いはたぶん自然と接している中で見る目を育てて心で見えるものだと思います。ちなみに、私は、ただ「きれい」ってだけしか見てない観光写真と、もっと、その場の色んな事を写し込んだ写真の区別くらいは出来ると思う。だけど、縄文杉に会いに行ける人間かといえばわからない。
それにしても同じ国内なのに屋久島は遠い。いきたいと思ったことがあって、しかし、もっと遠い沖縄やハワイよりお金も時間もかかるんでくじけました。だから良いのかもしれませんけど。
児童心理の臨床から沢山の本を、出しています。70年代から活躍しているので草分け的な方だと思います(詳しくないので「だと思う」です。すいません)
今の私が読むと母親の責任、責任っていわれても、それだけで子どもが育つ訳じゃないのに・・・。などと受け入れがたいのですが、保母の資格を取る学校へ通いだした頃初めて読んだ頃は、私の視点が子ども側にあって不登校の子どもの立ち直るプロセスの考え方が、私の事みたいで私のそのころのあり方を遅い反抗期だと思えばいい、それで良いといわれて支えられたような気がしていました。人の心はいきなり出来上がるんじゃなくてプロセスがあって、そのプロセスを理解してあわせていくのが教育なんだろうって教えていただきました。
吉廣紀代子 青木書店
暴力を受けたことのある妻へのインタビュー本です。序章の部分でインタビューにあたっての苦労話が語られています。いかに暴力について語ることがタブーであるか考えさせられます。けれど現実には日本国内で年間40人はわかっているだけで夫の虐待の末、妻が殺されています。女を殴れる男かどうかなんて、それまで暴力ふるう人間みたことなければ簡単には、見抜けないし一度結婚してしまったらやっぱり世間の無知で「殴るにはそれだけの理由があるんだろう」なんて味方してくれないし万一、暴力夫を持ってしまったら四面楚歌の現実が待っているようです。それはひどい話だと思う。暴力夫になるか見抜けないなんて、可能性のない人はいないんだし他人事で良いはずないのになんででしょう。本当のことを知る必要あると思います。
マーシャ・キャメロン著 桃井健司訳
多重人格者の自伝です。虐待された育った人の自伝読むたび、これ以上むごい虐待はないのでは、と、思うのですがいつももっと凄い虐待の現実を突きつけられます。現実につぶされることなく、著者が豊かな人生を手に入れ、ほっとしてしまいます。だけど、解説者の精神科医が日本の虐待は、アメリカやヨーロッパほど凄くないなんていっているけど、それって本当でしょうか。ものすごい虐待を受けた人が治療へたどりつけるくらい精神科が開けていないって事かもしれない可能性ある気がするんですが。日本でまだ、虐待を語って受け入れられる土壌が出来いていないから語れないとか。アメリカやヨーロッパでも最初は、もうちょっと、凄くない事から語られだしている筈じゃないのかとか疑う私はひねくれものなんでしょうね。もちろんそのとうりで、ひどい虐待なんてない方がいいと思っていますが・・・。
この本の虐待はもの凄いので、全く、虐待の本を読んだことのない人は、1冊目むきじゃないです。多重人格の本はこれ以外も色々読んでますが、代表でこれだけにしておきます。多重人格ってそうなるには、かなりの事がないと簡単にはならない、でも、読んでるとならなかったのは運の問題もある気がして他人の話でもないような・・・。それに、なんにも知らない素人のばかげた発想かもしれないけど、多重人格の乖離の空白があっても、日常で行き詰まらないと、、治療には結びつかないんだし、多少の不変さだけで凄く困らず生活している多重人格の人が存在してても、きっとわからないかも・・・。と思うのですが・・・・。
↑は本のタイトルではありません。
比留間久夫の「100%ピュア」は、共感できて読んでいたのにラストのラストでレイプの未遂が「心がファックしてなければ何もなかったと同じ100%ピュア」なんていい方されていてがっかりしました。レイプは暴力でセックスじゃない。暴力を振るわれた怖さは、なかったことに出来るはずがない。
あまねかずみの「knock!」(漫画)5話、明日はきっと では、母親の恋人に強姦されそうになった中学生の女の子に学校医が「バージンなんて心の問題だ」というんです。
おもわず「あんたなにいってんの!」と、読んで怒りまくった私でした。強姦されそうになった直後になんでそんなことが問題になる?ましてや子どもに・・・。ひどい目にあったこと一緒に悲しむとか、相手を怒るとかもっとまともな対応ないのでしょうか。本当にこんなこといったら、子どもは苦しみます。「わすれなさい」とか、「気にするな」とかいっているのとおなじでひどいと思う。子どもの側から、バージンじゃないこと気にして先に行ったなら、ちょっとは、違うかもしれませんが、でも、雰囲気として、「挿入されなくて良かったね」って響きのようで、いわれて救いになるとはあんまり思えない。
このシリーズはもう一作品、読んで気分悪くなった話があるんですが、母親が自分の虐待を反省するシーンで中学生の娘に「自分は父親にかわいがられなかったのにかわいがられている娘を見ていると憎らしくなった」みたいこと告白するんですがそれって中学生の子どもにいうのは残酷ですよね。
30になった娘に過去のこととして語るなら「だから許して」も、ありでしょうが中学生の子どもに告白すべき事じゃない。いわれて許せる事じゃないと思うけど感動的な和解話として話が終わっていて信じられませんでした。わかったふりした子どもは重い荷物を背負わされたと思うけど・・・。
アルフレッド・ベンシャミン著、林義子、上杉明訳、春秋社
1990年出版の本で、今、手にはいるかわからいのですが、こんな風に相手に思ってもらえていってもらいたいそう思わせる本です。
「クライアント自身を尊重し、その人の世界を尊重するということは、相手とその世界に誠心誠意関心を持つことである。(中略)関心を持つことと好奇心を持つことは紙一重である。そしてその境界線はあいまいなのだが、確実に存在している。カウンセラーは、ほとんどのクライアントは関心を持たれる事は喜ぶが、好奇心に対しては怒りを感ずることを知っておかねばならない。クライアントは、カウンセラーが関心を持つのはクライアントのためであり、カウンセラーが好奇心を示してうながしたり行動するときは、カウンセラー自身のために動いているのを素早く察知するものである。」
カウンセリングという特別な出会いでなくても、相手を思いやる行為に通じる基本だと思うけど、忘れているか、区別が出来ない事ってよくありがちで、反省してしまいます。好奇心からの発言って実は、いわれて傷つくことが多いんです。相手の気持ちより自分の結論が先にあるのがほとんどだし。そんな相手に納得してもらうための会話なんてむなしいですよね。
トレーシー・トンプソン著、大野裕監修、藤井留美訳、大和書房
「ワシントンポストの記者の著者が少女時代からの心の病を克服し、回復していくまでをつづる感動のノンフィクション」ってのが帯宣伝です。
私もうつ気質はあるので、わかるなーって思いながら読みました。現実の認識が飛ぶというか、感情の色がなくなるというか・・。作業能率が違ってくる
ちなみに、心療内科の薬飲んだ友達が「薬の力って凄い。全然やる気ないのに、どんどん頑張っちゃうんだ」と、表現してました。・・本の内容とは関係ないですね。すいません。
ウイリアム・ピーターズ著、白石文人訳日本放送出版協会
1988年のNHK特集を出版化した本です。見た方もいると思いますが、目の色で子どもを分けて差別されるってどんなことか授業として体験させていました。
たった数日で、劣っていると扱われた目の色のこともたちが本当に成績が落ちたりやる気が消えたりするのは、びっくりします。
子どもに人格否定言語を浴びせるのがどれだけ、悪影響を残すのか証明していました。
麻生信子、二期出版
いじめに取り組み続ける教師の本です。絶対に、いじめはいけないことだという姿勢で、それを子でもに伝えていく姿が、きっちり書かれていて著者を尊敬してしまいます。いじめも、いじめを発見するアンテナがないと目の前で起きていてもみえなかったり、親たちからして、「いじめられる方にも問題があるんでしょう」と、間接応援を大人がしてしまう事態になるようです。子どもだけの問題ではないみたい。
そういえば、「むかしからいじめはあった、いじめられて人間強くなった」この言い分って本当でしょうか。「昔のいじめとは質が違うから比べられない」とか。いじめられて、心の傷になって人生ゆがめた人だって沢山いると思うんだけど。いじめられたから今の立派な自分がいると思ってる人はどのくらいいるのでしょう。その人たちだっていじめにあわなくても立派な人間になったかもしれないし、いじめられて、その相手の人間に本気で感謝する人なんているわけないし、それにいじめられた体験なんて、人に話したい話ではないし。人に話せないような体験させといて、悪いことだと気づかず私が立派な人間にしたなんておもってたりするのかな・・。いじめをどういう立場で体験した人がいってるのか気になります。私は自分がやられて嫌なことは、人も不快に思うことなんだから、やっちゃいけないと思うけど。
「少年A」の父母著、文芸春秋
神戸の少年Aの父母の手記です。神戸の事件の事件について加害者を非難しないと異端扱い受けそうで、だけどどうしても、全くあったことのない子どものことを、誰が言ったかわからない悪意伝聞を基に、あれこれ言うっていうことが、私のポリシーに反していて、ノーコメントって事にしていたのですが、この本はA少年の父母の手記なので読みました。裁判所の精神鑑定はA少年が被虐児だったといいでも、父母はそう思っていないみたいで、本当のところはわからないけど、仮に、虐待の影響があったとしても、猫の解剖で興奮するとかいうとこまでいくと、もう、医療の専門家のヘルプが必要な話だし、罪もない子どもが巻き込まれて殺される前に、誰かが介入できなかったのかって思ってしまいます。
↑友達に貸したら感想は「気持ち悪かった。うちはそんな親じゃない」彼女は私から見ても、普通の親でその通りだけど、でも何度も書いててしつこいようだけど、育てにくい子供が産まれなかったのは運の問題で、誰にでも確率はあるし。そんないい方ないじゃないかと思うのですが、虐待されて育った子どもがみんな、殺人者になるわけでもないことでもわかるはず。と思う私ですが、どうして、私が正しいかは説明のしようがない・・・。
加害者の事にふれようとするとき、「許せない」とか怒り以外を口にしようとすると、「被害者のこと考えたら」って話になります。私は当然、訳があってもなくても他人に殺されたくないし、自分の知り合いが会うのも嫌です。でも、許せってことではないですが、怒りをぶつけていても、たとえば厳罰主義で殺人者を死刑にし続けても殺人はなくならない。それより、犯した人に罪と向かい合わせて、語らせることの方が、やってしまう前の人に思いとどまってもらうとか、どうして殺人に至るかのプロセスの解明をして予防に役立てるとか、有効だと思うのですが。それにこれはあくまで想像ですが、殺人なんてやってしまったらうなされて安眠なんて一生、訪れないでしょう。今もし罪がわかってなくても、ある時、気づいて一生苦しむわけで、自分を自分で罰するシステムが心にはあるんです。それって死刑の恐怖ぐらいの恐怖はあると思ってます。被害者とその遺族に配慮できる社会システムは絶対必要だし、そうなっていなくて、まわりがセカンド加害者をやってるような現実はかえていかないといけないけど、全く知り合いでない一般論の私のことで言えば、加害者にも被害者にもなるかもしれないし、自分の家族が被害者にも加害者にもなりえる、どちらにもなりたくない。犯罪が起きる前に介入出来る社会にならないと困る。犯罪が起きて初めて対応する社会というのは腹立たしい。
ところで、書店では、「少年A」の横に被害者の父母の方の本が並べて置いてありました。もし私が被害者の遺族ならそれ見てどう思うか想像しようと思っただけで、頭の間かが真っ白、本当に被害者の遺族になった気持ちはとうてい、日常の感覚では追いつかないことなんだと、改めて感じます。被害者遺族の方の本は、興味本位でなく寄り添って読む自信がなくて、買えませんでした。ご冥福をお祈りします。犯罪のない社会がほしいです。
中坊公平、朝日新聞社
森永砒素ミルク中毒の裁判、豊田商事の債権の回収、そして「住宅金融債権管理機構」の社長として、住専の不良債権を処理回収する指揮をとり・・・と、ものすごく偉い人で尊敬します。住専の話なんて、もう忘れている人もいるかもしれませんがほぼ順調に回収してもう税金がまた使われることはありません。暴力団とも対峙しながらかなり緻密に計画的に正義を通しているわけで偉いなーと思います。
尊敬する人といわれ思い浮かべる人の5人目に加わりました。後、4人はジャネット・F・フランクリン(日米戦争への参戦をたった一人反対した合衆国上院議員)、レイチェル・カーソン(沈黙の春の作者、有名な本ですが、60年代に農薬の危険性を指摘した先駆者です)ガンジー(インドの首相で故人、知らない人いませんよね)福島正信(自然にを生きるの作者、↓の本です)
また本とは関係ない話ですが
尊敬する人で思い出しましたが、子供の頃「偉人伝」って言葉は人格者のことを言うのだと信じていて、世界の偉人といわれる人、たとえば、キューりー婦人とか読んでどこが偉いんだかよくわからなかった。偉人とは偉大な業績を残した人のことで人格とは関係ないんですね。大人になって謎がとけました。偉人といえば野口英世の話ですが彼は、当時莫大な給料もらっていたにもかかわらず浪費家で、帰国するお金も残せなくて援助してもらって帰国してたの知ってましたか。偉大な業績残したからって偉いとは限らないのに、なんで偉人なんでしょうね。どうせ子どもに読ませるなら「人格者」の話の方がためになると思いませんか。
福岡正信著、金子寿郎(聞き手)春秋社
NHKのドキュメンタリーからの抜粋らしいですが、残念ながら一本も見ていません。みたいなーチャンスがないかと思っています。
自然農法、米麦連続不耕起直播を実践している方です。田圃の直播きを実践しいてます。水田は自然に反している・・・のだそうです。そう簡単には信じられないのが、人間の頭の固い悲しいところなんでしょう。きっと、100年200年先には先駆者として知らない人はいない、学校の歴史の教科書に載っている方だと思います。凡人の私は説明できませんが、興味持ったら読んでみて下さい。
でも、有機農法さえも、自然の姿ではないと言い切っています。思うけど、これは私でも何となくわかるような。数年、ニセコに近い田舎で生活していたのですが、北海道の美しい風景として絵はがきそのままの風景の中で生活しましたが、確かに夏と冬はそうでした。でも農作物のない春先や秋は、茶色い土しかなくて、砂漠みたいで、人工の風景であって、自然とは違うというか、福島正信の本すでに読んでいたので、種を買ってうえて肥料をやり続けなければ成り立たない農業は、自然の姿でないって言うのもわかったような。ちなみに農業やり続けると土はどんどん硬くなっていって、耕耘機の力でかなり深く掘り起こさないと翌年植えることさえ出来ないそうです。
板谷利佳子、(神奈川県警察本部性犯罪捜査係長)、角川書店
レイプ被害者と刑事の手紙の交流そのまま本にしたノンフィクションです。コメントしようと思ったけど陳腐な言葉でコメントできない内容なのでできません。
女にレイプされたい願望があるなんて、ちょっとでも思ってる人や、レイプが刺激の強いセックス遊びに思ってる人、被害者になったらどんなことが起きるか知ってほしいと思います。そして、レイプの加害者にもっと怒りましょう。
男女平等教育をすすめる会 編、新評社
東京国立市の小学校は、男女混合名簿、つまり、男女を分けずに名簿を作るのがほぼ、普通だそうです。するとどうなるか。男の子のグループ、女の子のグループというかたまり方がなくなるそうです。「隠されたプログラム」と呼ぶそうですが表で平等をいっていても、結局、教科書もそうだし、教師による男の子が騒いでも元気がいいとおおらかに受け取るのに、なのに女の子が騒ぐとすぐ気になるといった言葉ではないところから、性差を意識させていくのも、差別だそうです。考えたことなかったけどそうですね。なかなか気づかないけど。
ためしに、女が先の名簿を取り入れてみたら、すぐに、男の子から「いつも女が先はずるい」と声が挙がったそうで、でも、女の子は男の子が先の名簿が先でも、ずるいって声はあがらないわけで、そうやって女の子はすでに差別に取り込まれているのに気づいてショックをを受けたそうです。そうですね。だって「いつも後って気分悪い」よね。でも、この本読むまで考えなかったわけで、私もなんだかショックです。
ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著、村山寿美子訳、講談社
母親の子育て、マザリングの結果の影響、どんな育てられ方をしてきたのかを理解することで今の自分の問題を分析したり変えていこうという趣旨の本です。6パターンに分類しています。私の親は支配ママでしょう、なんでもやってもらって育っていて、たしかに、満足を先延ばしにしてでも今しないといけないことをやるっていうのかなり苦手で、人のせいにするのも得意だし、「私のいってるのは言い訳だけだ」よく人にいわれるし、耳が痛いです。実は今、事務をやっていてほどけにくい蝶結びをやるのに苦労していてが出来ず、恥ずかしいのでした。きっともっと若いときからしつこく練習したら出来ていたような。今から覚えるのは大変です。あと、二桁くらいまでの足し算、引き算と、九九、覚えてそんはありません。若いうちに覚えた方が良いよ。わたしは、実は九九がすらすらでてこない。これは結構不便なんですよね。今更、思います。
パティ・ディビス、玉置悟訳、KKベストセラーズ
レーガン元大統領の娘が母に虐待されたこと、父は冷血人間だったことなどをつづった自伝です。彼女は真実語ったことで、家族ののけ者になったようです。家族ってなんでしょうね。
山本おさむ、小学館
埼玉にろう重複障害者のための作業所や、施設を作るための「ふれあいの里、どんぐりをつくる会」をモデルにした漫画です。
作品とは関係ないことですが、最重度障害者のための施設で、働いていたことがあるんですが、そのときまわりで、よく言われたのが「偉いね。私に出来ない」でした。
24時間責任がかかってくる親とは違って、かなり個性的な感覚の彼らと時間の間だけ、つきあう仕事は面白かった。見慣れてしまえばかわいい個性に思えるし、今事務の仕事をやってるけど、じっと机に向かってるのも疲れるし、仕事は何をやっても大変なのに・・・。と思う私でした。
「どんぐりの家」は重い現実を淡々と、きれい事ではないのにきれいに描いていて障害者のこと知らない人にはおすすめの漫画です。作者があとがきで
「漫画を読んでいる間は、圭子ちゃん(注、主人公の名前)が、障害を持っていることを忘れてほしいと思っている。「オギャア」と、この世に生まれてきた一人の人間としての、圭子ちゃんを、基本に置きたい」
とあって、そういうふうに自分と障害者を、区別しない作者だから描けるのかなと思います。
岩崎政人、集英社文庫
アルコール、仕事、食べること、その他本来なら趣味で済むものに、度を超えて縛られてしまうことを嗜癖(しへき)といいます。「依存症」と名の付く病気です。心の問題は病気としてとらえるのは難しけれど、なぜ病気なのかわかりやすくて、文庫だし、知らない人は一度読んでみて下さい。
穂積純、高文研
「甦る魂」の続編です。実兄の性虐待の後遺症から回復していくプロセスを誠実に書き綴っています。実は、このHPを持つ決心というか勢いをくれたのは「甦る魂」の影響が大きいと思ってます。子供の頃に傷つけられてそのせいで外を見る認識が歪んでしまうことについて、当事者が語った最初の一人だと思います。読んで、私だけじゃないらしいから、いつか私がおかしくないこと語ろう、沈黙していてもわかってもらえない、そう思うようになったのでした。
穂積さんが「解き放たれる魂」を書くためのプロセスの「甦る魂」も、一緒に読んで下さい。そうしなければ性虐待の苦しみはわかりません。
本の紹介とは、離れますが・・・言いたいこと。
「甦る魂」に支えれたこと、穂純さんに直接伝えたいと思いつつ、5年以上すぎた1999年の秋に穂純さんがの2作目「解き放たれる魂」を読んでその中で、「森」という虐待被害からの回復を目指したい仲間向けに会報を発行しているのをしって、私も入りたいと思い、結局それからも、3ヶ月すぎた暮れにようやく、実現しました。初めて「甦る魂」を読んだとき、感じたことがなにで、どう表現したらいいのか、それをどう表現できたら相手に伝わるのか、全然わからなかったんです。それまでは、自分に対しても、他人に対しても、分析したり何か言わなきゃ気が済まないワイドショーのレポーターみたいな自分しか心の中に意識できなくて、だけど、そんなことでは、間違いなく傷つけるし、だいたい私の伝えたいことはそんな事じゃない。それしかわからなかった。伝えたかった本当の気持ちは、5年考え続けてようやく見つけた感じです。
「初めて甦る魂読んだときは、それまでの自分の声、何かと比べたり、すぐに良いとか悪いとか考えたがったり分析魔な自分の声しか聞こえていなかったんだけど、別な声が違う、そんなこと私は感じていないと、主張したのを初めて意識しただけだったのですが、分析魔な私の声のいつもの汚いいらいらする声と違って、小声だったのに、かなり強くその声が私を揺さぶり、こっちを人に伝えたいと思い始めたんです。長い間、心の中で埋もれていた声に耳を傾けるのは、聞き分ける方法も、よくわからなかったけど、「甦る魂」は、今、一言で言えば、怒ることは格好いいと思った出会いでした。世の中すべてのメッセージは怒りは恥ずかし、やっちゃいけないことだと、言っているような感じで、克服すべき感情のように思いこまされていて、だけど、私の内側からのメッセージは格好いいなと感じたし、頑張れとは思うけど、恥ずかしいとかやめなさいなんてそんなの違う、そんな事言うのは許せないそう思いました。だけど、「あなたは格好いい」「頑張れ」なんて、言葉だけだと薄っぺらくて、もっと違うことを言わなきゃ伝わらないと、思ってしまった。で、言えなかったけど、結局、この言葉がやっぱり私の気持ちです。自分が傷つけられたことに怒って、大事にしてよと、主張するのはいけないことだと思いこまされていたけど、そうじゃないと教えてくれた本です。そして、人とつながりたいって思い続けたら、必ず、誰かと会えるんだなぁって。沈黙する必要はないって。教えてくれました。
干刈あがた、朝日新聞社
いじめの風景を書いた小説です。出版が1987年で読んだのは、1994年、前後だったと思う。この本ではオキシドール脱色の黄色い髪に意味が込められていていて、今そういうことしている子どもいるかわからないけど、10年たっても、今も、いじめの風景は変わってないような気がします。なんにも援助のないまま、この本の頃の中学生が同じ年頃の子供の親になっています。自力で人の痛みに反応できる人になっていること願うけど、現実はどうでしょうか。子どもにやったことは10年20年先に答えが返ってくる、今だけの話ではないこと、大人の私たちはわかっているでしょうか。
読んで感想を送ったら出版社の編集長が丁寧に、干刈あがたがすでに故人であること、本の内容考えると封を切らずに送り返した方がいいと思ったことを添えて教えてくれました。干刈さんの短編小説は大好きでだったので、知らなくてこの頃見かけないと思っていたのでショックでした。
野辺明子、加部一彦、横尾京子編、中央法規
障害児を産んだ方たちの手記集です。読んでいて泣けてきました。障害を抱えて生まれてくるかもしれない前提が医療の中にないみたい。障害を持って生まれた子供のことは、新生児医療の分野で産科では対応がほとんどない。確かに、命を救うということではそれで良いんでしょうけど、この時期の両親への対応は、その後の、親子関係まで一生を左右する。何気ない一言で、救われもするし、どん底まで落とせる。障害児や未熟児は、虐待受けるハイリスクな条件にも入ってきてるのに。
つい半世紀前までは、出産も命がけだったのです。今も本当は現実はそうなのに、安全に生まれて当たり前のような空気になってしまった。簡単には変えられることではないけど、変わっていかないと切ない。女は、子供を産んで育てる機械ではない。情けなくなるばかりです。
でも、看護婦の友達が何人かいるけど、忙しすぎるのです。もっと医療現場の働く環境よくならないと、まずいかも。彼女たちがいうのに、「優しくするには、忙しすぎる」なのでした。彼女たちなりに、一生懸命やっているし、多分ただの愚痴なんでしょうが時々、「え?」って思うこと言うのです。確かに、細切れの生活し続けたらストレスもたまるだろうし、一方的に非難してもしょうがないのですが、理想と現実の折り合い何とかしてほしいです。