2004.10.29〜31
刈羽村での液状化による建物の傾斜
小千谷市での建物の倒壊      



●小千谷市へ (〜10/29)
 2004年10月23日(土)、新潟県中越地震が発生してから4日目の27日(水)に、応急危険度判定活動を行うよう依頼を受けた。愛知県からは当日の早朝に先遣チーム3名が現地入り。次いで、国土交通省から各県に本格的な派遣の要請があり、我々は第1次として総勢10名で29日(金)の朝に現地入りすることとなった。寒さが伝えられ、また余震の不安もあったが、先遣者から現地の情報を聞き、建築防災担当者の先導の下、7時45分発の飛行機で名古屋空港を出発した。
 新潟空港から新潟駅までタクシーで移動するも、車窓からは全く被害が見られず平穏な状況。我々は駅前でレンタカーを確保し、北陸地方整備局で活動場所の指示を受けて、現地へ急行。行き先は小千谷市。途中、コンビニで弁当を購入。新潟西ICから一路北陸自動車道を南下する。長岡IC以南通行禁止だったが、警察官に事情を話して許可を受け、さらに関越自動車道を南下。道中はボックスカルバートをまたぐ部分以外の地盤が沈下したため、上下動が激しい。既にほとんどの箇所がアスファルトですり付けられ、若干スピードを落とす程度で通行は可能だ。車中から見る家々も時々瓦が落ちたのか屋根にブルーシートを載せた建物が散見されるが、倒壊したような建物は見ることはない。
 小千谷ICを降り市街へ向かう。左の車窓に緑の判定ステッカーが貼られた住宅がある。無傷だ。と思っていたら右の車窓には、くねくねと曲がった鉄骨造の事務所が。ようやく震災地へ近づいてきた実感が走る。市役所前の駐車場には膨大な数の報道車が陣取り、我々は隣接するスーパーマーケットの駐車場へ車を止める。スーパーマーケットは店内に入れず、外にテントを張って営業していた。さっそく市役所3階に設置された応急危険度判定本部へ向かい指示を仰ぐ。
  
小千谷市役所前は報道陣の車で占拠される  スーパーはテントで営業再開  住宅相談窓口と仮設住宅雁申込窓口が開設


●小千谷市で判定活動
 人口約4万人の小千谷市に、3万人近くの市民が避難生活を余儀なくされる事態に、市役所の職員は避難者対応や災害復旧に忙殺され、応急危険度判定本部は新潟県職員らの手により運営されている。我々は上ノ山地区で活動するよう指示を受け、住宅地図などの資料を受け取り現地へ向かう。上ノ山地区は地震被害のひどかった本町や小千谷小学校を見下ろす台地の上にある地区で、小千谷小学校側へは断崖状になっている。この道路のうち、崖側は目に付く被害が発生しているが、我々が担当した山側はそれほどの被害でもない。
 古い建物も多く、私が担当したある商店などは、築200年の商家が全く無傷で残っている。一方で土蔵の壁の崩落やブロック塀の倒壊などが目に付く。判定した27棟のうち、22棟は一応安全と判定した「調査済み」の緑のステッカー、ブロック塀や瓦・外壁の落下の注意を促す「要注意」の黄色のステッカーが3棟、老朽した土蔵が傾き「危険」としたものが1棟。全体的に建物は構造的には無傷で、猛烈な揺れにより室内の壁の剥離や亀裂などがある程度のものがほとんどだ。
 それでも相次ぐ余震に不安で、避難所生活を続ける人は多く、人々が道路などに佇み、我々の活動を見守り、わが家の順番になるとしきりと被害の状況などを説明してくれる。いつしか子供たちもやってきて、「おじさん、何してるの?○○ちゃんなんかは泣いたんだよ」と人なつっこく話しかけてくる。ある方からは栄養ドリンクまでいただき、これでは逆ではないかと申し訳なく思う。崖に面する授産施設の方から呼び止められ、是非見てくれと頼まれて崖付近までいくと、そこには地面に大きく開いた亀裂が走り、ブロック塀が亀裂部分で破壊されている。鉄筋コンクリート造のその建物には亀裂一つなく、当面安心して生活してもらっていいと話をしたが、住宅の危険度がわからず、不安で家に帰れない人々が多いことを実感した。
   倒壊の危険ありと判定された住宅
  
ブロック塀の倒壊                              石積みの崩壊        


●小千谷の被害状況
 判定終了後、歩いて市役所まで帰る。途中、控壁があるにも関わらず鉄筋がない又は腐食して倒壊したブロック塀や、石積み擁壁が完全にバラバラに崩れ落ちた現場などを見る。慈眼寺裏の墓地の墓石は軒並み倒壊し、ひどいものは5m近くもすっ飛んでいる。灯籠も倒壊。しかし屋根の曲線がきれいな立派な本堂や仁王門は無事。でも仁王さまはバラバラになって転がっていました。
 商店街には新聞などでも報道された1階がぺちゃんこになった建物や大きく傾いた木造建築物なども見られるが、概して老朽化した建物と思われる。紙を扱う商店の倉庫が倒壊しているのは積載荷重のせいか。小路を覗くと土蔵と土塀の漆喰壁がずらっと落ちている。ところがその近くには、1階がピロティのいかにも弱そうな木造住宅が傾くこともなく、全く無傷で残っている。このあたり、今回の地震波の卓越周期が阪神淡路地震にくらべてもかなり短かった影響が出ているのではないかと思われる。道路は大きく陥没し、マンホールのみが残っている。
 本部に戻り、調査票を整理して、調査結果と調査区域を報告して本日の作業は終了。小千谷市は当日を含め、翌日までで判定活動は終了する予定とのこと。避難者の心の不安を一刻も早く払拭させ、復旧に向けての前向きな心と行動を取り戻させてあげることが大事だと実感する。
  
慈眼寺 墓地の墓石の倒壊            仁王門と倒れた仁王像
  
紙問屋倉庫の崩壊                民家の崩壊                  倒れかかった商店
  
土蔵・土塀の外壁の剥落           無傷の木造ピロティ建物              道路の陥没


●刈羽村へ (10/30)
 翌日は、刈羽村で活動をするよう指示を受ける。刈羽村は柏崎市の北に位置する海岸沿いの人口約2,500人の村で、柏崎・刈羽原子力発電所で有名。震源地からは大分離れていることもあり、大した被害もないだろうとたかをくくる。北陸道から眺める道中からも大きな被害は見受けられない。
 まずは指示をされた柏崎県民振興局の会議室へ向かう。会場には、愛知県・名古屋市からの17名に加え、仙台市、遠野市などからも判定士が集まっている。しかしそこで信じられない事態が。一刻も早く判定活動をと指示を待つ我々を前に、長々と県幹部の挨拶。続いて各町村の担当者が紹介され、あとは彼らに案内をしてもらって活動をしてほしい、とのこと。「町村からは全戸調査の依頼が来ています。」との発言にもあるとおり、応急危険度判定の何たるかを全く理解していない様子。加えて、この緊急時に町村職員を呼びつける鈍感さ。町村職員も「先導しますのでついてきてください」って、「行き先を告げてもらえば我々は自分の足で駆けつけます。」
 村に着くと、「さあ何をしてもらえるの」という態度。責任者のIさんに来てもらい、応急危険度判定の趣旨を説明。また1チームで1日15〜20軒程度しか調査できないことから、建物被害の大きなところ、避難生活者の多い地区を重点的・緊急的に実施したいことを伝え、村の全域地図を広げ、調査地区の設定から始めた。さすがにI氏は理解度も高く、素早く行動してもらえたのでよかったが、判定士自ら1からスタートする羽目になるとは思ってもみなかった。市町村を攻めるわけにはいかないとは思うが、東海・東南海地震の発生が危惧され対策も進められている東海道沿岸や、最近、阪神淡路・宮城沖等の震災を経験してきた府県との違いを実感させられる事態だった。

●刈羽村の被害状況
 どうにか昼前には判定地区の割り振りを終え各地区へ出発。まずは車をJR刈羽駅前に止める。町中の建物も大きな被害はないなと感じていたところ、突然、駅前のバス待合所が大きく傾いているのを発見。なんじゃこりゃ。しかしそれ以外の建物はガラスが割れている程度でそれほど深刻とも思われない。
 さっそく歩いて、判定活動を始めていくと、次第に被害の状況がわかってくる。道路がここかしこで陥没し、大谷石の塀が倒壊。ひどい家では10cm近くもコンクリートや地面に亀裂が入っている。苔むした立派な庭に、蟻の巣のような円形の砂の模様が。液状化現象だ。コンクリートの継ぎ目からも砂が吹き出ている。犬走りの亀裂もよく見られる。しかし基礎まで亀裂が入っているケースは少なく、建物が傾いているものも少ない。垂直に立ったまま、5〜10cm近くも沈んでいる様子だ。話を伺うと、室内の襖が全く動かない状況になっているとのこと。重い屋根や立派な梁を支える太い柱が基礎もろとも沈み込み、1階床は残ったため、付け鴨居と敷居の間で襖が(これもすごく厚く立派だ)挟まってしまった。
 我々の地区に隣接する稲葉地区を担当するチームから協力要請の連絡が入った。刈羽村は日本海側に小高い峰が走り、そこから水が湧き出ている。そんな泉を敷地内に持つような稲葉地区は思った以上に被害が深刻だった。道路に面した大谷石の塀が軒並み倒れ、門扉に挟まれたコンクリート通路は大きく割れ、家屋も地面の移動により損壊している。そんな住宅が数軒続く。道路被害も大きかったようだが、早くも砂利が入れられ応急復旧が済んでいた。
 結局、17棟調査を行い、緑が12棟、「注意」が3棟、「危険」が2棟といったところ。役場に戻ったら、調査票の整理などを自らやらなければならないから大変。役場のI氏に県への報告等を依頼して2日目の活動を終わった。
   
建物周りの地面が沈下          地面の亀裂           電柱周りが液状化         地盤が割れ危険な建物
  
犬走りと基礎の亀裂            コンクリート舗装の亀裂                 大谷石塀の倒壊


●寺泊
 不謹慎と言われるかもしれないが、新潟のホテルへの帰り道、寺泊温泉に寄って疲れを癒した。海洋深層水を使用した「きんぱちの湯」は日帰り入浴客相手の近代的な施設の温泉だ。ややしょっぱい野天風呂に身体を浸していたら、他の入浴客の話し声が聞こえる。「昨日まで車に寝泊まりし、今日ようやくまともな食事にありついた」とのこと。こうした避難住民も多いことだろう。帰りがけに温泉の主人と言葉を交わす。ここ寺泊は岩盤で、地震の際にも壁に飾ったボトルやグラスが一つとして落ちなかったとのこと。柏崎・刈羽原子力発電所も、こうした岩盤質の土地の上に建設されているらしい。原発建設住民投票で話題になった巻町もすぐ北隣だ。しかしその固い岩盤が沈み込んだ平野部に積もった砂質の土地では液状化現象で被害が発生している、というのは地盤と地震被害の関係を典型的に示していて興味深い。

●刈羽村で引き続き判定活動 (10/31)
 最終日も継続して刈羽村で判定活動を行うことになった。最終日は直接村役場へ。前日の帰り際に、「翌日の調査区域を被害状況を勘案して役場で設定しておいてほしい」と依頼をしたらきちんと作業がされていた。概ね15世帯毎に区域割りして全部で36区域。このうち前日に5区域完了、3区域が調査途中。引き続き、5区域と3区域の調査完了を目指すこととした。
 前日、下げ振りを利用して家の傾斜を測定していた姿を見た住民から、「うちの家も測定してほしい」という要望が出る。目視だけよりは信頼感が増すらしい。被害状況は前日と同様。今日は瓦屋根の落下被害が目立つ。棟の部分が吹っ飛んでいる。途中で地元の柏崎日報の記者がやってきて、判定活動の趣旨や方法、結果などを取材される。また「注意」の黄色のステッカーを貼った住民にはインタビュー。きちんと説明をして不安を煽ることのないよう注意する。改修方法を問い合わせてくる住民も多く、いたずらに建て替えなくても、建て起こしや床組の改修、ジャッキアップによる基礎の改修等により、十分改修可能なことを説明した。実際、建て替えるにはもったいないほど立派な建物が多いのだ。
 集落のはずれの道路まで出ると、田んぼの地面が下がり、田んぼ側の建物が軒並み傾いている。幸い作業小屋が多いが、さすがに1/20も傾くと「危険」のステッカーを貼らざるをえない。100mほども先の保育園では30m近くも杭を打っているとのこと。山の切土に建てられた建物は全くの無被害な一方で、すぐ隣の家が液状化でやられている。全く地盤の影響を目の当たりにする思いだ。
 判定活動終了後、翌日の作業者向けに、残り区域の住宅地図をコピーし、作業用資料を作成して3日間の活動を終えた。小千谷市と刈羽村。全く違った被害様相を示す両地区を担当させてもらい、得るところも多かった。それぞれの地区の一刻も早い復旧を祈りたい。
  
落下散乱する屋根瓦          下げ振りで建物の傾斜を測定        田んぼ側に傾斜した建物


●新潟地震・阪神淡路地震との違いと東海・東南海地震への教訓
 新潟空港への帰りのタクシー車中で、運転手に昭和39年に発生した新潟地震時の話を聞いた。もう40年も前の地震ながら、60歳近くの運転手はその時の様子を今見てきたように語ってくれた。新潟地震は沖合の粟島付近を震源とする海洋型の地震で、新潟市内の道路は波のようにうねり、津波が押し寄せてきたという。昭和石油の火災や県営アパートが液状化現象により大きく傾いたことなどが有名だが、「とにかく揺れは今回の比ではなかった」と振り返ってくれた。実際、新潟市内での今回の地震の揺れは大したことはなかった。
 しかしそれにしても、40年前の教訓は今回の地震でどう生かされたのだろうか。仮設住宅建設にあたっても各府県から応援の職員が駆けつけているが、新潟県の土地柄か、住民も比較的のんびりしている、という話も聞いた。賃貸住宅に居住する者の多い都市部の震災と、戸建て持ち家の改修・建て替え支援が中心となる地方部の震災では、その対応も異なってくるだろうことをまだ国もマスコミもあまり理解していないように感じるのはおごりだろうか。必要なのはまず、不安を解消し、自力で立ち上がる力を沸き起こすことであって、可哀想可哀想で支援漬けすることではないと思うのだが。
 また、降雪設計高さ1.5〜3mという新潟の住宅は、雪を乗せていない状態では相当な強度を発揮したはずだ。それが全壊家屋の少なさにつながっていると考えた方がよい。この被害状況を鵜呑みにして漫然と構えてしまっては、東海地域は壊滅的な災害を引き起こしかねない。大都市と持ち家中心の地方部。液状化の恐れのある地区も抱える愛知県では、より複雑・複合的な対策が必要と言えるのではないだろうか。