コーヒーブレイク(とりあえず隠れページ) 

 私の家庭はアトピーと戦っている。もちろん我が家だけが大変ではない。自分で言うのも何だが、貴重な経験をしたと思う。一時期は妻子別々に入院し、一方私は仕事をしながら看病と長距離通勤をしてきた。長男1才前後のことである。
 おかげさまで最終的には日常生活に戻ることができたが、何とか切り抜けてきたものの一歩間違えば最悪の事態であった。私たちは幸運だった。
 今となれば、「戦っている」というのはおしゃれじゃない!けど、そのときは戦ってた。
○アトピーの目覚め
 長男が生まれて4ヶ月目のある日の夜、ミルクを飲ませた後のことである。1時間後に子供を風呂に入れた時、これまで見たことがない背中の発疹に気が付いた。風呂から出した後、妻は「ぜいぜい」しているといってあわてた。私には「ぜいぜい」とは聞こえない。何かの本で元気なら熱があっても大丈夫だ、とあったので、「大したことがない。そのうち治る」とは言って、病院には行かなくてよいと思ったが、妻は病院に行くことを主張する。ここは医療関係者の妻の言うとおりにしたほうが間違いがないので念のためと思って救急病院に連れて行くことにした。酒を飲んでいる時に限って、と思ったが毎日のように飲んでいるかも知れない。ネクタイアル中というそうな。とりあえずは酒が醒めたことにして車で出かけた。 救急病院では、やはりアレルギーとの見立てで、抗アレルギー剤の点滴をしながら一晩入院することになった。すぐに「ぜいぜい」とじんましんは収まった。私には聞こえない「ぜいぜい」が妻に聞こえるのは経験なのか母親だけが持つ超能力なのか。
 今度はアレルギーの検査をするため、病院に連れていった。その結果、牛乳と卵に高い反応があることが分かった。大豆と米に反応がなかったので、よくある一般的なアレルギーだと思った。病院でもそれ以外の抗原は検査しなかった。
 後で考えてみると、脂漏性と言われた湿疹や誕生直後にミルクを吐いて飲まなかったことなど、アレルギーを疑わせる過去の事実に思い当たる。
 いや、それは嘘である。思い当たったのは妻であり、私は全然思い当たらなかった。どうして女はこんなに敏感なのか。どんな事実もすべて疑惑のほうに接続されてしまう。浮気などしようものなら「そういえば」がごまんと出るだろう。
○ダイオキシン・環境ホルモン
 アトピーと分かった頃、保育所にある小児科医が講演しに来た。この日以来、この医師とは主治医として今に至る長いつきあいとなってしまった。彼は講演の時、その川のダイオキシン量が全国でもかなり高いことを挙げ、水道水の水質の悪さと廃棄物焼却場の隣接がアトピーの原因だと主張していた。ダイオキシンはその地域の環境の悪さの指標として使われたのである。
 実際、私はその当時、ダイオキシン・環境ホルモンの担当であった。目の前で講演を聞いて居心地が悪かった。
 それぞれの地点の魚類・底質のダイオキシンの経年変化を見ると、年変動が極めて大きい。国のK省(元K庁)の行うダイオキシン調査の実態は次のようなものである。
 あるダイオキシンが高い年のサンプリング魚は例年より大きいものであった。漁協の担当者が気を利かせ、どうせ調査に使うなら大きい魚のほうがいいと思ったのだ。大きい魚は当然高年齢魚であり、一般的に有害物質の蓄積量が高いと考えられる。また、魚では脂肪の多い雌のほうが大きい場合が多い。つまりダイオキシンは脂溶性のため、より検出の可能性の高い魚をサンプリングしてしまったと考えられる。さらに、魚は時期によって脂肪含量が変わる。成熟時期とそれ以外では数値が変わると考えられるのである。サンプリング尾数も少ない。年齢・性別・採取時期だけではない。個体差もあるだろうし、検出機器毎の誤差が30%もあるという最大の問題を抱えている。こうした検査結果がどんな意味を持つか、おわかりだろう。数値だけが一人歩きしている。
 当然、ダイオキシンの安全性について全国各地から電話が来る。マスコミもいっしょである。私が回答する場面もあり、みんな逃げたい気持ちは分かるが、そうはいかんだろ!電話で「安全です!」と言い切ったりして。マスコミはともかく、一般市民は誰かから安全なのか危険なのか言って欲しいのだ。データを持ってても断言することができない。そんなときは自分で勉強して言い切るしかない!
 厚生労働省にはTDI(耐用一日摂取量:一日に摂取可能な量)という基準があり、環境省にもかつて別の基準(前はADIやら指針値やらを使っていたが、今は使っていない)がある。ダイオキシン類に何を含めるか(コプラナPCBを含めることになって、当然値が跳ね上がった)、毒性の換算表をどうするか(換算表のファクターは厳密な実験に基づいていない)、という問題もある。研究途上の過渡期なのである。
 しかしこのページは直接的にはダイオキシンの問題についてでない。環境本なら本屋に溢れている。それに私にはマスコミ対応や流通業者の商売の不安よりも家族のことのほうが問題である。残業もそこそこに片道2時間弱の家に帰らなければならない。担当していた食中毒ウイルス、原発も多くの問題を抱えている。
 マスコミに踊らされないためにはどうしたらよいのか。すべて公表する世間の風潮からすれば、どんなデータも公表しなければならない。K庁も旧K省も直ぐに公表する時代である。こういっては何だが、旧K庁にはデータの評価をする時間がなかったらしい。風評に振り回される立場の存在には興味がないということだ。もちろん公表データの検討は容易ではなく、環境ホルモンを含めて現在のデータの意味を解釈するにはデータ不足である。安全か危険か聞きたいのは分かるが、「今はわからない」ことを国民は心で理解してほしい。
 「わからない」とは事実をつかんでいないことと同義ではない。わからないことの不安を役所に転嫁するのは完全な甘え、日本人特有の構造的な甘えである。自分で何ができるか、を並行して考えていく習慣が欲しい。
 担当していたダイオキシン、環境ホルモン、原発等の問題点とは「危ない側面があるが、どこがどの位危ないかがはっきり言えないこと、現在の豊かな生活維持のためには完全な排除が困難なこと」である。これはアトピーと全く同じである。だから不安を持ちながら市民が右往左往する。除去食ではないが、症状(危害)と相談しながらある程度便利さを犠牲にするしかない。
 そんなある日、医者から「旧K庁のダイオキシン調査をしたのはあなた?」と聞かれたのには驚いた。アトピー用品店で私が話したのを聞いたらしい。実際は旧K庁やK省の調査には間接的にしか関与していない。実はこの時期、環境ホルモンの研修会の講師を、ある大学の助教授に依頼している。その講師の名字はくしくもあの小児科医と同じであった。あまり無い名字だし、まさか親戚?と思って恐る恐る講師依頼に行ったのだが、実際には無関係のようであった。その講師には前に述べた環境ホルモン類の測定機器の誤差について教えてもらった。
○心の整理
 除去を始めてから、子供の症状にはあまり変化がなかったが、親の精神状態は悪化してきた。テレビで誰かが言っていたが、市場で最も強いのは親の子供への想いだという。誰しもがある程度は囚われるし、私も子供を守るためには殺人すら犯すかもしれない。妻は自分の気持ちに頑迷であるが故に逃げられなかったのだ。つまり心で考えられても頭で考えることができないのだ。これはどこから来るのだろう。最近のように何でもAC(アダルトチルドレン)として片づけるのは安易過ぎるのではなかろうか。思考とはいわば心を結晶化させたものである。結晶化は教育というか訓練するしかない。結晶化を含め、コミュニケーションの技法としての教育が欠落していることは大きな問題と思う。
○アトピー対策
 もし症状を完全に無くしたいのなら、危険なものの除去・排除は徹底してやるしかない。除去効果が出始めるまで1年ほどかかった。確かにこれには絶大な効果があったが、効果が目に見えるまでは精神のダッチロールであった。時間的・金銭的負担もきつい。環境問題の産業側が抱える課題、すなわち安全だけを考えては商売にならないという課題と同じである。
 
高(食環境) 省農薬 無農薬 除去食
中(住環境) 掃除 引越し 家の新築
危険度/コスト・負荷
どこに対処のラインを引くか。まず第一に、アトピーの危険度を縦軸に、労働負荷も含めたコストを横軸にランク分けしてみた。我が子の場合、ダニ、カビ等、衣・住環境については比較的値が低いので危険度は中位、食べ物については危険度は高位と考える。労働負荷も含めたコストでは、家の新築はコスト高であり、引っ越しはコスト中、掃除はコスト低となるだろう。除去食についてはコスト高、無農薬食品購入についてはコスト中になろうか。もちろんこれらは抗原の反応の高さと症状によって異なることはいうまでもない。
 次に個別の対応について考えてみた。危険度が高いものについては例外なく実施することとし、危険度が中位のものはコストが低い場合のみ実施するものと考える。家の新築については、危険度中だがコスト高であることから実施しないこととした。また、引っ越しはコスト中だが現状では無理、アトピー用の道具を用いた掃除はコスト低なので実施することとする。食べ物対策は当面すべて実施することにする。ただ、無農薬や弁当については危険性が不明であり、我が子の場合、常に無農薬のもののみの購入までは必要ないかもしれない。安全と健康のために原則無農薬実践するにしても、試して危険性を判断していき、購入のための労力を減らしていくしかないと思う。
 アトピーでは危険性の判断が難しいが、産業分野ではコストの判断のほうが難しい。リサイクルのためのモデル事業を立ち上げてみた。再生・再利用がどれほどのコストになるのか、後進国日本では市民の意識が低いので、どこまで協力してもらえるのか、どんな工夫があるのか、頭が痛い。
 掃除はかなりの重労働であるが、特に布団は大変である。家族全員の掛け布団から敷布団まで表裏を隅々まで掃除する。冬場には寝具も増えるので、大急ぎでやっても寝具だけで25分はかかる。これを出勤前に行うのは大変である。夏は布団との格闘で汗だくになる。逆に言えば冬に行うと身体が暖まって良いのが唯一の救いといえよう。仕事から帰ってきてからは部屋の掃除がある。
○除去食
 除去のしすぎは低コレステロールによるうつ病やビタミンB1不足によるウェルニッケ脳症を引き起こす。これが問題であった。危険なものは完全に管理し、必要量を食べて栄養不足にならないようにすることである。私も10kg激痩せである(今はかなり戻り、妻はリバウンド!)。うつ病になると食欲も減退し、さらに低コレステロールになって悪循環を引き起こしてしまう。ウェルニッケ脳症になると記憶障害などが発生してしまう。実際、医師に不信感を抱いている助産婦が除去食の指導を行い、子供がウェルニッケ脳症になってしまった例も身近にある。
 どうアトピーの料理を作るか、子供が1才で妻が病気になった時に考えてみた。まず、既存の料理のうち、食べられない食材を同じ様な色や食感の食材で代用することが考えられる。小さい子供は他の子供と同じ物を食べたがる。そこで類似料理を作る必要がある。しかしいつも同じ色や加工性を持った食材を使えるとは限らない。
 色のバリエーションは割と容易であった。ケーキも作った。上新粉を蒸して蒸しパンの台にし、クリームはサツマイモやジャガイモ、カボチャを使って彩りを添えられるし、これは試してないがキャロブを使えばチョコケーキ風にもできるそうだ。
 では似た食感のほうはどうか。残念ながら市販のホワイトソースの出来は良くない。バターやゴマの香りを再現するのも不可能だ。ないものねだりはやめて初めから「お前(息子)の辞書にグラタンという文字はない!」と言い切ったほうがよさそうだ。
○振り返って
 妻の尊厳のために言って置くが、彼女はこれまでよくやってきたと思う。しかし一人で、あるいは家族だけでできることは限られている。社会に救いを求めることをためらう必要はない。情報社会ではあっても、妥当性を考えると口コミ情報に頼ってしまう。私たちのケースでは多くの人に救いを求めたことが結果的に正解だったのだと思う。
 子供が1〜2才にかけて、私と妻の職場には多くの迷惑をかけたし、助けてもらった。保育所や施設・病院にはとてもお世話になった。友人たちには多くの助言をもらった。本当に恵まれていたと思う。
 現代的なツールはとても有効な武器となった。一つはPHSである。出産のために買ったのだが、その時は出産後に連絡をもらったために結局無駄に終わった。しかし妻を病院に、子供を施設に入れるための手続きのためにはそれまでいた病院の妻・子供双方の主治医、転院先の病院と乳児院、児童相談所と多く、仕事をしながらこれらの調整を行うのには携帯は極めて有効であった。職場ではきっとけげんな顔をされていたに違いない。
 もう一つ、インターネットも助けになった。インターネットの中でも最近ブームであるメールマガジンによるうつ病の体験談や抗うつ薬の情報、学会等の情報のように、直接の助けではないが、それでもアトピーとうつ病というものを手っ取り早く俯瞰するには有効なツールであった。もちろん、いくつかの本も読んではいたが。
 ツールのもう一つはモバイルパソコンである。インターネット用以外にもう一つノートパソコンを持ち、電車で仕事をする。妻の面会時間は7時まで。妻の病院までの往復1時間、バスで子供のところへ30分、それ以外に通勤2時間強。家に帰って10時、それから夕食。朝は妻のものの洗濯があるので5時半には起きないと間に合わない。残業は一切する時間がない。仕事に追い詰められた時、電車でノートパソコンが活躍する。ローカル線なのでそんな人は珍しかったらしく、有名だったらしい。
 父親としての責務を考えてみる。父親の立場でいえば、母親がもっと肩の力を抜いたらいいのにと思うのだが、彼女らはそうはできないのだ。つまり乳飲み子を抱えた母親とは無条件に子供を守る主観的で利己的な盲目的視点となるようにプログラムされているということだ。だからアトピーへの適切な対策が見えない。逆にいえば、父親とは、母親とは違う客観的で社会的な視点を持って、社会への窓となるべき存在といえるだろう。
 これまで、私は医療関係とはあまり縁がなかったのだが、今回のことで改めて社会の状況と医療環境を実感することとなった。医療を取り巻く環境はダイナミックに激動しており、アトピーと食事、精神疾患の多面的な研究を期待する。乳児院と病院がなければ私の家族は最悪の事態に追い込まれたことだろう。今思えば妻子とも生死の境にあって最悪だったし、よく復活することができたものだと我ながら思う。私も地方自治体の財政的危機は十分に分かっている。その上で言うのだ。乳児院の重要性は、救いを求めて駆け込む私たちのような家族がいかに多いか、その需要と虐待の現状を見ればすぐに分かるはずである。普段は縁がなくとも何かの拍子に公共機関に頼らざるを得なくなる時もあるのだ。その入所背景を見れば誰も乳児院の存続を疑うものはおるまい。乳児院の意義を一般市民は知らなすぎる。公共団体の事業について、評価委員会のような何でもかんでも協議会・委員会、あるいは議員を頼む前に、直接投票・インターネットアンケートのような開かれた一般市民ニーズの把握と評価システムを望む。
 実存状況で生きる人たちの魅力、といったら怒られるだろうが、我が家族を含めて追い詰められた人たち、医療関係者たちとの出会いは本当に興味深かった。本音というか人間の本質で生活する、という意味で彼らは魅力的なのだ。私も必死ではあったが、その実、スリルと好奇心を満たしてもらった。何事も経験、であり、事実は小説より奇なりであった。

 

○周囲の理解と協力
 これがあってこれまでやってこれたという感じ。まず、昼食とおやつを除去食にしてもらっている保育所の努力には感謝しているし、一時期児童相談所と乳児院には助けてもらった。特に乳児院では完全な除去食と他の子の食べ残しに触れないような環境整備の徹底をしてもらい、頭が下がった。対応の一部だが、専用の別室を準備、風呂は一番風呂、職員が触れる際には専用の前掛け、除去食の食材は無農薬もしくは省農薬のもの、至れり尽せりで実際そこまで対応してくれるところが他にはなかっただろう。「集団生活でも徹底した除去管理が可能だ」ということを示してくれました。

 

○しんどかった昔
 以前は米や海藻、豚肉もだめだったので、毎日大根と人参の限られた野菜の味噌汁とおひたしだけで、本当にしんどかった。母乳から子供に入るので、私たち親も除去食をしていたために夫婦で激痩せ状態になった。アナフィラキシーにおびえながらいつまで続くのかが見えずに除去生活を続けることは妻にとって大きな精神的負担になり、私も一時はハードワークと長距離通勤をこなしながら妻子それぞれの入院看病という超ハードな生活を送った。現在も炊事・掃除・洗濯の負担に加えて移動できないこと等、大きな行動の制約が続いている。

 頭で理解することと心で理解することはかなり違う。信頼があっても医師の言葉はすぐには心に入ってこない。それだけ完全除去の意味が難しいのだ。完全除去すれば治り・かつ喘息を予防する確率が高まることを、医師にはしっかり示してほしい。
 心で理解するには医師の言葉や子供の症状ではなく自ら得た多くの知識と実践による自己判断、自己責任が必要だ。私たち夫婦ともに支える側としての仕事をしていたために、支えられることに慣れておらず、そのことが結果的に事態を悪化させた。精神的に参ったときはなりふりかまわずありとあらゆる周囲に積極的に救いを求めること!

 

○今もしんどい?
 有給休暇は夫婦とも使い切り。家事がよそより多いのは仕方がない。炊事・掃除・洗濯いずれも2倍以上の作業量があるだろう。果てしなく続く徒労感がないことはないが、それでもそれを楽しむ方法はある。「がんばる」のはやめよう。