保育器の中の多聞
保育器の中の多聞
保育器の中の多聞
退院の日
お世話になった看護婦さんとも今日でお別れ

  多聞は、生まれた後、さらに体重が減少し、1200gまで落ち込んだ。一割程度の体重の減少は当たり前のようだが、ただでさえ極小未熟児である多聞にとっては、大きな出来事である。肺機能も十分でないため、鼻から通した管の中を流れる母乳混じりのお乳を、体にとり入れるのである。当初一回の授乳がわずか数ccで、それさえ時に吐き出してしまうという大変な状況であった。
 保育器の中にいる多聞は、紫外線のようなものが照射される中、目を覆われ、体のあちこちに、管やコードが伸びていた。保育器は、さながら生命維持装置の如くである。外部からは、遮断され、日に一度の面会も、新生児処置室の中にさえ入れず、遠く離れた窓の外から、その様子を眺めるしかない状況であった。私は、ビデオカメラとカメラを携え、望遠レンズを用いて多聞の姿をファインダーに収めた。起きていることはまずなく、呼吸で上下する胸や、手や足を動かす様子に、元気であることを確認したものである。
 たまに泣いていたり、目を開けていたりいれば、儲け物とばかりに、またその様子を写真やビデオに収めたりした。一ヵ月ほどして、初めて多聞に触れる機会が訪れた。私と妻は、用意されていた白い服を身につけ、保育器に付いているゴム手袋に手をはめる恰好で、多聞の手や足に触った。間近に見る多聞は本当に小さく、手は私の親指程度しかなかった(そのことを思う時、多聞は本当に大きくなった)。たった一回きりのわずかな時間ではあったが、私たち夫婦には、大きなプレゼントであった。           
 体重が、もうすぐ2000gに届こうとしていた時、ようやく保育器から出ることとなる。そして当初の出産予定日のちょうど一週間前の十二月十四日、多聞は無事退院した。
 一昔前なら、おそらく多聞の生命はなかったであろう。そのことを思う時、多聞が生きていることが何よりも嬉しかった。妻も一週間で退院し、産後の休みもなく、せっせと母乳を冷凍保存しては、他の荷物と共に病院に届ける日々であった。