息子「多聞(たもん)」誕生1994年
 
 多聞が生まれる少し前(十月十二日)、妻から職場に電話があり、「破水したようだ。」との連絡がありました。即日公立総合病院へ緊急入院となり、妻はベッドの上に釘付けの身となりました。それまで、定期検診の結果も順調でしたので、妻も私もただただ驚くばかりでした。
 日々、羊水が減っていく中で、一日でも長く胎児を母体にとどめ、その発育を促進させようと、皆緊張の面持ちで日々過ごしました。そうして九日後、多聞は誕生しました。以下は、その日の記録です。
                            
我が子誕生                                   
 10月21日仕事を終え、外食の後、午後6時半ごろ病院に来た。妻に今日の様子を聞き、感染症の疑いはないものの、羊水がかなり減っているということを先生から言われたと話した。確かに、妻のおなかを触ると、何やら急にへこんだ感じがし、戸惑いを感じた。シュークリームを買っていたので、食べるように促したが、「むかむかする」と言い、今日はどこか様子が変だとの印象を受けた。仕方なく私一人でシュークリームを平らげ、一息ついたあと、洗顔・体拭きのためのお湯を汲みに洗濯場へ行った。そこで、2日前から隣の病室へ、娘さんがお産の後越してきていたN先生に会い、「くれぐれも奥さんを大切にしてあげてね、出産て本当に大変なのよ」と念を押された。先生の娘さんは帝王切開で出産したのだが、その際麻酔が効かず、通常の倍の量使用したため、まだ身動きが十分できず、気分がすぐれないとのことであった。「うちの娘は、陣痛が来て3日頑張ったけど、結局生まれず帝王切開で出産したんだけど、その後痛みはひどいし、しびれはとれないし、とてもつらかったのよ。私の時は、本当に楽な出産だっただけに、娘の出産がこれほど大変になるとは思わなかったわ。先生とこも、帝王切開だけはやめときよ」と昨日聞いたばかりだった。 多少熱めのお湯で濡らしたタオルで体を拭き、髪の手入れ、歯磨き、お茶・水の入れ替えが終わり、普通ならそろそろ帰る時分になったが、何やら妻の様子がいつも以上に気にかかり、8時頃からあるであろう胎児の心拍数・脈拍数の検査(通常約40分、最近は1時間以上)の様子をみることにした。機械からは赤ちゃんの心音が聞こえ、数値で心拍数が表示され、それが記録用紙に記入されていくのだが、15分ぐらい経った時、急に心拍数が下がり、安定しないまま1分以上もの間異変を表していた。その後一端正常値に戻ったものの、再び急変し、何やら大変なことが起こっているように感じられた。看護婦さんが、記録用紙に目を通し、急に真剣な目つきで、出ていった。再び入って来て、「今自宅にいる先生がこちらに来ています」と言った。
 少しして、記録用紙を手にした先生が病室に入って来て、私に「先日も言っていたように、かなり羊水が少なくなってきており、その影響が出てきています。羊膜内部が窮屈になり、赤ちゃん自身の体が臍帯を圧迫しているため、心拍数が下がり、仮死状態を引き起こしています。一端は元に戻っていますが、赤ちゃんの体力が衰えると、心拍数が元にもどらなくなり、そのまま死んでしまう恐れがあります。」と多少震えた様子で話していた。「先生は、どうすることがいいと思いますか」と問うと、「このまま持ち直すことも考えられますが、警告のサインがでているので、至急帝王切開で出産した方がいいと思います。もちろん、現在赤ちゃんは1600g程度の超未熟児なので、出産後の合併症・障害の恐れはあります。」との言葉であった。話を聞いていた妻はとてもショックを受けたようであった。「妻と話をしますので、少し時間を下さい」と言い、先生が病室を出た後、妻と話をした。「どうしようか?」と聞くと、「産むしかないで」と事もなげに言ったので、女はいざとなったら強いと感嘆しつつ、自身の動揺した姿を恥じた。
 少しして、先生が、羊水の量を測るべく超音波診断装置を持って来、羊水を測ったところ、やはり基準値を下回っている旨を告げた。私は、「先生、帝王切開をお願いします」と告げ、手術の時間が11時頃開始で1時間以内に終わるであろうことを知った。妻の実家と私の両親にそのことを話し、いよいよ腹を決めるしかないと観念した。しばらくして、妻の両親が来て、11時より少し前に、手術が始まった。手術室前で主として義母の話を聞きながら、手術の終わるのを待った。午後11時半頃(正確には23分)、手術室の扉が開き、移送用ベッドに乗せられ、医師や看護婦に付き添われた我が子が出てきた。医師は、「呼吸をしていません。すぐに気道に管を通します」とのみ答えた。エレベーターで4階の新生児室へ運ばれるわずかな間に、わが子を見た。顔は鼻から下しか見えなかったが、はっきりした鼻の輪郭と真一文字にしっかりと閉じられた口が印象的だった。「病室で待っていて下さい」との看護婦の言葉に、やむなく病室へ向かった。部屋の中で、義母と義父に、赤ちゃんの様子を伝えたが、皆心配でならなかったようである。その後、連絡待ちの状態が続いたが、いつまでまっても何の連絡もない。その間、父母が来て、分かり得た状況を話した。やはり心配そうであった。やがて、妻が移送ベッドで病室に運ばれてきた。妻は赤ちゃんを見ることができぬまま術後の処置を受け、帰ってきた。赤ちゃんの様子が気になっているようだったが、それに応えることもできず、「痛くないか。よく頑張ったな」というのが、関の山だった。
 結局その後しばらく待ち、ようやく1時頃になって、先生が入ってきた。妻の容体を気遣い、私に胎盤を見せて説明するといい、処置室へ誘った。行きながら、「子供は生きていますか」と半ば沈痛な思いで聞くと、「ええ、勿論です。今、合併症を未然に防ぐための処置を小児科の先生にしてもらっています。私も先程みてきましたが、軌道に管を入れたおかげで、肌の色がよくなってきました。泣くことはできませんが、手足をばたばたさせていますよ」とのことだった。その話を聞き、やっと一息つくことができた。
 処置室で胎盤を見ながら、説明を聞くと、「胎盤から伸びてくる臍帯の位置が通常よりずれているため、ちょうど胎児の頭の下に臍帯が来る恰好になり、それで圧迫され、心拍数に変動が見られたのです。今夜手術をして良かったと思います。もし、日を延ばしてさらに羊水が少なくなって、子宮そのものが収縮すると、かえって大変なことになるところでした。」私はというと、初めて見る胎盤・羊膜・臍帯に驚くより、赤ちゃんが生きているという一言に安堵していた。
 病室へ帰り、義父母、父母にそのことを話すと、皆一様に喜びの色を表し、「よかった、よかった」と言い合った。義母や母などは、涙すら浮かべて大きく安心したようだった。妻にもその話をすると、幾分落ちつきを取り戻したようで、「もう皆に帰ってもらったら?」と言い、それに従い、一端皆に引き取ってもらった。
 やがて、小児科の先生に新生児室へ呼ばれ、わが子の様子を聞いた。靴を履き替え、ガラス窓越しに、オペラグラスで保育器の中の様子を見た。手足を動かし、大きく胸を上下させて息をしている様子に、頑張っているわが子を感じた。担当の先生の話によると、「体重1470gの極小未熟児で、現在の症状は、呼吸窮迫症候群で、肺機能がまだ未熟で、ここへ来ての酸素吸入で,少し自分で呼吸ができだしましたが、まだまだ不十分です。薬を与えた結果、症状の改善が見られました。それと、新生児は脳の血管が破れやすいので、未然に防ぐ薬も投与しました。あと、目や内蔵といった、体の機能全般が未熟なので、症状を未然に防ぐ手だてを講じていきます。」最後に、「あなたのお子さんは、1日1日が薬なのです。必ず成長していきますので、見守っていきましょう。」ということだった。私の方からは、命の危険性、将来的な障害の有無、順調に育ったとしての退院までの期間、妻はいつ赤ちゃんに会えるのかといったことを質問した。ここでは、950g位の未熟児が成熟していくだけの施設があること。命の危険性はまずない。妻も歩けるようになると面会が可能になること。わが子の場合、退院まで約3か月位だとの事だった。
 医師の確信ある歯切れよい言葉に、力を得、引き続き看護婦から、面会における留意事項を聞いたのち、最後に再びわが子の姿を見、その模様を妻に告げるべく、新生児室を後にした。

追記                                        
平成6年10月26日                              
 妻の乳がおとといより張り出し、昨日から出るようになる。今日初めてその様子を見て、本当にびっくりする。出るわ出るわ勢いよく飛び出る様子に、ただただ驚嘆す。人間とは、母親とはすごいなと、つくづく驚く。

多聞退院まで


「arajin」 by kacchan