1998年8月 もどる          
8月1日(土)晴れ
 多聞、しきりに「ほっかいどう」と繰り返す。よほど、楽しみにしているようだ。微熱が少しあるのが気にかかるが、大丈夫だろう。夕方、祖母との会話にも、「ほっかいどう」が、頻繁に出てきた。本人はどうやら祖父母も一緒に行って欲しいようだが、「お父ちゃん、お母ちゃん、多聞、3人、行く。」とのこと。言葉が、具体的になってきた(最も人数はいい加減)。
 楽しい旅行にしたい。今度このページの更新は、5日になるだろう。 
8月2日(日)晴れ(北海道は曇り)北海道旅行
 朝、6時起床。多聞を抱いて下へ降りると、「お父ちゃんお母ちゃん。お早う。」との声。全く賢き我が子なり。次いで出た言葉は、「北海道」。それでは、元気に行ってくることにする。
 高速船→関空→新千歳空港→(235号)→大豊(寿司屋)→日高ケンタッキーファーム→(237号)→然別湖(ホテル福原)
 朝7時20分発の高速船に乗る。意外に速いスピードに、多聞は多少驚くが、やがて3人で寝る。関空発のJAL747便は、500余人乗りのジャンボジェット機で、我々は翼付近の席だったが、先頭まで実に遠く感じる(カーブになっていて、先頭は見えなかった)。丁度多聞の目の前に、スチュワーデスの席があったこともあり、何かと気を配って頂いた。仕事とは言え、見るからに神経をすり減らしそうな職業だと思った。
 新千歳空港の近くで、レンタカーを借り、日高ケンタッキーファームへ向かう。カーナビの誘導で向かうが、初めての機械は何かにつけ、扱いに戸惑うものである。途中で予定の道を反れたらしく、カーナビのリルート機能で新たにルート設定とあいなった。1時半を回っていたこともあり、昼食の店を探していたところ、鵡川(むかわ)付近で「大豊」なる寿司屋を見つける。この店、地元では有名らしく、何度も新聞はじめマスコミで紹介されている風だった(紹介記事等、店に飾っている)。特上にぎりを注文する。トロはじめ、帆立て、イクラ、ウニ等どれも美味しく、「さすがに。」と思う。店を出る段になり、店主が、「僕美味しかったで?」と多聞に話しかける。「美味しい。」「はい。」等、多聞も店主に負けぬ大声で答えていたのが印象的であった(この店、味も一流なら、店主の声の大きさも超一流である。多聞もその声につられて、風邪気味であったようだが、頑張ったのだろう)。最後に店主と共に記念撮影をし、店を後にする。(料金も手頃で、お薦めである)
大豊にて記念撮影
 日高ケンタッキーファームの周囲一帯は、あちこちに牧場や牧草地があり、馬たちが実に生き生きとしていたようだ。ここでは、馬車に乗り、馬に乗った。多聞は、小豆島で馬に乗ったこともあり、恐れることもなく、馬車に乗った後も、自ら「乗る乗る」といって、親の手を引き、馬に乗るべく歩いていった。乗馬の際、鞍の把手を掴み、左足を係員にはね上げてもらうため、親の方が多少しんどかった。馬の上の多聞は、多少緊張気味であったが、結構楽しんだようだ。後で食べたソフトクリームは、本当に美味であった。物の本によると、北海道の生乳で作ったソフトクリームは、乳脂肪が多く、あまり生クリームを加えなくてもいいとのこと。これぞ、誠の味か。こういった味も、北海道の魅力だ。(中性脂肪は、個人的に気になるものの)
日高にて1日高2日高3日高4
 この後、北上し、富良野の東にある然別湖へ向かう。170qの道のりだ。途中「日勝峠」で、濃い霧に見舞われる。前の車は何とか見えるものの、後は何も見えない。右カーブでは、赤い明かりが幻想的に見える。何のことはない。2つ前の車のブレーキランプが宙に浮いたように見えるのだ。時折、突然対向車が目の前に現れる。難とも不気味だ。
 「目的地付近です。これで、ルート案内を終わります。」と、カーナビの音声が告げる。同時に、ホテルの前に着く。なかなか便利なものである。ホテル到着、午後7時半。
 すぐに、夕食。久々にビールを飲む。次いで、入浴。多聞は妻とともに。歯磨きをした後、バタンキュー。ここは、携帯の電波も届かず、多聞は大好きな祖母の声も聞けず、すぐ寝る。
多聞と妻くつろぐ
8月3日(月)曇り
 然別湖→(273号)層雲峡→(333号)ワッカ原生花園→オホーツク流氷館→網走湖(網走観光ホテル)
 朝、7時起床。肌寒く、鼻がムズムズする。北海道は、日中晴れ間の間は暑いが、夜間はさすがに冷える。朝風呂へ多聞と共に。今一つ本調子でない多聞の体をしっかり温めたいと思い、長湯をす。気持ちのよいものである。
 朝食は、バイキンングなり。私のみ、パン食。近くの牧場でとれた牛乳を頂く。本当にこくがあって美味しい。多聞卵かけをそこそこ食べる。今一つ食欲がない。
 出発前、前の然別湖で記念撮影。曇天ではあるが、見事な景色である。昨夜は、こんなに目前に湖があるとは思わなかった。
親子で記念撮影多聞
 9時前に、出発。カーナビのルート設定に手間取る。どうやら、網走監獄博物館に至るルート検索ができなかった模様。妻からなじられるが、こういうことは、きちんとせねば気がすまぬ性格ゆえ、妻に運転してもらいながら、じっくりとカーナビと向き合う。
 10時過ぎ、層雲峡に到着。大雪山黒岳の標識あり。ロープウエイにて、黒岳駅に。こから200m歩いてリフトに乗る。多聞は「立っち」と言って、ここでも歩こうとする。少し、手を引いて歩き、リフトに向かう。
層雲峡ロープウエイ
 多聞は、今回の旅行で、大いに歩いた(もちろん親に手をつないでもらってであるが)。今までも歩こうとしたことはあったが、多くは歩けなかった。気持ちはあっても、体がついていかないというのが実情であった。
 リフトを下りると、展望台しかなかったが、ここにはシマリスがいた。寒霞渓の猿のように、人間に慣れており、餌をもらって食べていた。記念撮影の後、次の場所へ急ぐべく、再びリフトへ。下りると、ロープウエイのアナウンスがあり、次は20分後とのこと。丁度出たばかりだ。多聞は、ここでも「立っち」というので、ゆっくり、手を引き下り道を歩く。何と200mの道のりを歩き通した。見事というほかない。感動である。次の目的地は、ワッカ原生花園。網走に近く、サロマ湖の東端にある。150qの道のりなり。妻に運転をしてもらい、途中多聞と共に後部座席で寝る。妻もうとうとしかけたとのこと(危ないなあ)。後半運転を交代。
 ワッカ原生花園付近にある「東急ホテル」のシャングリラ(どこかで聞いたなあ)で、昼食。多聞は、ここに着くまで寝つづけていた。美味であった。これまで食べた料理に共通していたのは、「えび」「さけ」「ほたて」の魚介類だ。
 ワッカ原生花園で、自転車を借り、サイクリング。
妻と自転車に
 こんな時いつも多聞は、私の前にいる。
私と自転車に
 重いペダルをこぎつつ、どこまでも続く、野性の草花の絨毯ときれいな空気に魅了される(たまに、原生花園の名前入りのオンボロバスが黒い煙を吐きながら通るのがしゃくにさわるが)。 しばらく行った後、引き返す。先程昼食を食べた東急ホテルが湖畔に見える。ライトグリーンの屋根がここの風景に見事に調和している。多聞は、「ワッカ」「ワッカ」と大声で叫びながら、嬉々として伸び伸びとしていた。
 センターに帰り、自転車を返し、一休み。妙に、いつもの安物のインスタントコーヒーが美味しい。近くを飛び回るハエはうっとおしいが、これも自然か。多聞は、ずっと「バシュ、バシュ(バスのこと)乗る」と、言い続けた。どうやらこの旅の主要目的らしい。残念ながら、バスに乗る機会はなく、どうはぐらかそうかと思案に暮れる。
 その後、網走方面へ向かい、網走湖の東にある「オホーツク流氷館」に行く。5時を過ぎていたため、「網走監獄博物館」などは、もう閉館時刻で行けなかった。ここでは、流氷の映画をみ、流氷体験と称して、マイナス15度の冷凍庫の中で、展示してある流氷をさわったり、よく見るバナナを使っての釘打ちをした。
流氷と共に
 ここにしか展示されていないという、あの「クリオネ(流氷の天使)」も見たが、小さすぎてよく分からないというのが、実情だった。
流氷館にて流氷館屋上展望台その2
 本日最終、網走観光ホテルへ向かう。わずかの距離にもかかわらず、また道を間違えたため、遠回りをしてします。機械に頼りすぎるのはよくない(もしくは機械の癖を見抜く力量がいるというべきか)。ホテル到着午後7時。早速夕食(やはり美味なり)、そして入浴(多聞とともに男湯へ)。歯磨きの後、私以外御就寝。小生、二日分の徒然を書く(ポケットワープロを持参した自分に、我ながらよくやると感心す)。では、寝ることにしよう。就寝午前1時半。 
8月4日(火)曇り
 網走湖→博物館網走監獄→(244号)小清水原生花園→昼食(岡寿司)→オシンコシンの滝→知床観光遊覧船→知床五湖→(知床横断道路)羅臼→(標津経由)→屈斜湖
 7時起床。多聞は、妻と朝風呂へ。
 天気予報では、ずっと雨天のはずだが、実際に雨は降らず。曇天ではあるが、たまに晴れ間もあり、なかなか天候には恵まれている。昨夜雨が降ったようだが、朝の清々しい空気に、窓外に見える網走湖の景色も雄大だ。
 朝、バイキングを食べ、出発。多聞小食なるも、まあ元気か。旅行に出てから、「大」が出ていないのが心配だ。
 まず「網走監獄博物館」に行く。昨日行った「オホーツク流氷館」に距離的に近い。昭和60年、それまで実際に使用されていた「網走刑務所」をここへ移転、復元したそうだ。全体の様子から受ける感じのためか、多聞も半ば緊張気味だ。「鏡橋」(入出獄の際、自身の姿を映し出す鏡の意で、衿を正し、心を清めよう」という思いがらついたのこと)
鏡橋にて
 「教誨堂」(罪を反省し、更生へとさとし導く場、荘厳である。)や他に生活や労働・監視のための施設がある。特に、舎房は放射状五翼平屋舎房と呼ばれ、5つの棟が丁度開いた扇子の形に配置され、中心に位置する見張り所からは、一目で監視できるようになっている。
舎房
 一つ一つの部屋は狭く、寝具と木の台のようなものしかなく、入口の小さな戸には覗き窓がついている。また、刑務所内で更なる悪事をはたらいた者が入る懲罰房もあり、この部屋には寝具がないなど、徹底した処置をとっていたようである。
懲罰房のモデル
 この刑務所は、明治時代にできたそうだが、当初は、政治犯、軍事犯の氏族が大半であったとのこと。後に、重罪犯が収容されるようになったそうである。目の当たりにして、なかなか言葉にはできないが、ここにはもう一つの日本の近代史があることだけは、確かなようである。
ラベンダー前
 緊張気味であった多聞も、ここで鐘を鳴らしてようやく笑顔と歓声が出た。(去年の北海道(富良野)でも、春の小豆島でも、彼は鐘を鳴らしに鳴らして喜んでいた。)「警鐘」と言って、非常事態を皆に周知するためのものだ。多聞にしてみれば、そのようなことはともかく、鐘そのものの音の響きが気に入っているのだろう。今回、網走で堪能して、一つ思い出になったのではなかろうか。
警鐘を楽しげに鳴らす者あり
 次なる場所「小清水原生花園」では、鉄道の駅があった。原生園をバックにした鉄道風景は、なかなか味がある。
原生花園駅にてその2
 また、後方に控える海とあいまって、別世界をイメージさせる。水のあるところに、広大なる原生の園あり。さすがは北海道と感嘆す。
原生花園にてその2その3
 昼食後、244号線を知床方面に進む。オシンコシンの滝では、観光客が多く訪れ、豊かな水量が醸しだす涼しげな光景をバックに、記念写真を撮る人が多い。多聞は、「もう、行く。」を連発し、「怖いん?」と聞くと、小さな可愛い声で「こわい」と呟いた。
オシンコシンの滝にて
 知床五湖の手前で、遊覧船の乗り場があり、その手前で、「クルーザーはいかが。遊覧船は、名所のそばまでは近寄れないから、こっちの方がいいよ。」との声につられ(商売がうまいなあ)、1時間の船旅に出た。
クルーザー
 海から知床半島海岸に迫るという船ならではの光景は、ビデオと写真の被写体には十分で、人が訪れない場所ならではの海鳥の世界を垣間見ることができた。多聞はというと、私のビデオカメラをことあるごとにいじり続け、キャビンの窓外の世界をあえて見ようとはしなかった(海がこわいのである)。
 カムイワッカ(神の水)と呼ばれる(陸から海に注ぐ)滝
カムイワッカの滝や、「男の涙」「女の涙」と呼ばれる湧き水、洞穴や様々な岩の形、鳥の生態等、なかなか面白いものであった。海が綺麗で、エメラルドグリーンであった。また、知床五湖からしみ出てくる水の流れに沿って、黄緑色の苔が生えている様も、実に綺麗である。
 私が、景色を堪能し、ビデオやカメラに熱中していると、向かい合わせに座っていた家族連れの五才の男の子が、吐いてしまった。そのお父さんやお母さんは、慌てたのはいうまでもないが、ティッシュ等の持ち合わせがなかったようだ。妻が、持ち合わせの携帯ティッシュやビニール袋、お手拭きを、船長(乗員はひとりしかいないが)が箱入りティッシュを差し出し、何とか汚物の処理を済ませた。子どもは、いつ調子を崩すか、予見できないものだと思いつつ、妻の準備の良さには正直言って感心した。
遊覧船の港にて遊覧船の港そばの店
 次に行った知床五湖では、第一展望台から眺めたが、どうやら一つの展望台からは、一つの湖しかみえないようで、おまけに「ヒグマが出るので、いくつかの湖へは行けません。」との掲示。
知床五湖展望台にてその2
 やむなく、羅臼へ出て、標津経由(知床とは対岸周りで屈斜路湖へ行くコース)で旅館に行く。網走湖から屈斜路湖へ直接行けば30q程度なのに、今日は220qも走ってしまった。特に羅臼からは、海岸沿いのうドライブのみで、急ぎ急ぎ大回りの道を通り、ホテルへと向かう。が、途中寄ったコンビニで、休憩がてら車から降りると、潮の香りがし、辺りを飛び回るカモメの群れを見、思わず「知床旅情」の歌を思い出した。初めて見る光景だけに、よき思い出となる。
 妻と多聞は、後部座席でぐっすり休み続け、ホテルへ到着。午後7時半。(いつも遅い!)「レークウッド屈斜路」ホテルで、夕食、入浴、バタンキュー。(徒然を書く元気もなかった) 
8月5日(水)曇り
 屈斜路湖畔「自然塾」→摩周湖→阿寒湖→釧路空港→関空→徳島
  午前7時起床。多聞は妻と朝風呂へ。そう言えば昨夜多聞と露天風呂へ入った際、「お母ちゃん」と呼ぶと、「はーい、多聞君」との返事。多聞は、大喜びだった。
 朝食後、屈斜路湖半にある「自然塾」に向かう。ここでは、アウトドアレジャーの大半を経験できそうだ。またコテージ風の建物が散在しており、どうやら家族単位で宿泊もできるようだ。こういうところで泊まるのも、おつなものだ。
 多聞は、乗馬と乳搾り体験を楽しんだ(?)。乗馬は、馬場を一周するコースだが、多聞は妻と乗るのを嫌がり、2回とも私と乗る。なかなかの臆病者である。
多聞馬に乗る
 乳搾りの際も、あれほど好きな牛を目の前にして、また臆病風に吹かれたようで、牛の前に座るものの、牛の乳を搾ろうとはしなかった。乳搾り体験をしたのは、私のみとなった。
乳しぼり
 (牛の乳首は結構温かい)帰りに、出来立てのホットミルクを頂いたが、さすがにまったりとしていた。まあ美味である。
 次に「摩周湖」へ向かう。天候がぐずついていたこともあり、まさに「霧の摩周湖」そのものだ。第2展望台
霧の摩周湖
からは、湖どころか前方は何も見えない状況で、第1展望台に向かう。ここでは、摩周湖の展示館があり、湖の四季のワイドビジョンや摩周湖の中央に浮かぶ島(カムイシュ)にまつわる伝説などを紹介していた。
 しばらく、展望台で佇んでいると、「霧が晴れてきたよ。」との声が聞こえ、人が押し寄せた。風の影響か、全景とはいかないが、半分ほどは姿を表した。「カムイシュ」も見え、ビデオとカメラの出番となる。少しは粘ってみるものである。が、今日の天候で、よく見えたものと幸運を感じた次第である。
摩周湖(湖岸線見えますか?)
 昼食後、マリモで有名な阿寒湖で記念撮影。
阿寒湖にて
 考えてみれば、今回の旅は「湖」から「湖」へ移動した感がある。飛行機の時刻を気にしつつ、風景を楽しんだ後、阿寒湖を後にし、70qの釧路空港への道のりを急ぐ。車の両サイドに見える牧場の景色を見つつ、空港手前の「日産レンタカー」で車を返し、空港へ。
 午後5時20分、飛行機は一路関西へ。多聞は、飛行機に何度かのっていることもあり、さほど緊張もなく、むしろじっとしていなかった。なだめすかしたりしながら、2時間の空の旅である。曇天が幸いしたか、窓の外に広がる雲と光の織りなす数々の模様は、見ていて実に綺麗で、シャッターを押し続けた。(妻は、家族の写っていない写真は、無意味で、後で後悔すると私の袖を引き続けた。芸術の分からない者なりと思う。そう言えば知床での遊覧船でも同じことを言っていた。
 関空に着くと、約2時間のアクセス待ちとなり、空港内のレストラン(パブというべきか)で夕食をとる。空港ターミナルセンターを出ると、むっと熱気が体を包んだ。「熱い。」実感である。北海道は、涼しいと実感す(朝方は寒いほどだった)。そう言えば、水道から出る水も、とても冷たかった。徳島では、生ぬるい感じだが、ここではいきなり冷たい水が出た。顔を洗えば、気分爽快である(歯にしみるが)。            夕食を終え、午後9時、いよいよ高速船乗り場に向かう。申し訳ないことだが、ことあるごとに「バシュバシュ」と言い続けてきた多聞の期待に答えることはできずじまいだった。今まで、苦し紛れに、例えば昨日の「知床五湖」では、駐車場に止まっていたバスのことを、「もう、バスおねんねしとんよ。」とか、今朝の「自然塾」前に止まっていたバスのことを、「まだ、バス起きてないな。」などと、息子を騙しつづけた(しょうのない親である)。多聞も、私の言葉を覚えたようで、ホテルで、「お父ちゃん、バシュねんね」「バシュ、もうおっきしとうな。」などと確認をする始末である。場所を変え、車に戻ろうとするたび、「バシュ、バシュ」という言葉に、「よっぽどバスに乗りたいんだな。」とは思うのだが、いかんともしがたい。しかたなく、「小清水原生花園」では、とまっていたバスのところまで多聞を連れて行き、ガイドさんに協力していただいて(というより勝手に巻き込んで)「バスに乗ったら、お家に帰れないよ。お父さんお母さんともバイバイになるよ。」などと言ってもらったりした(実に悪い父親である)。最終日の今日、何とか息子の希望を叶えたいという思いはあったのだが、その機会も時間ももうなかったのである。
 ところが、高速船ターミナルへ向かうのは、「バス」であったことを思い出した。多聞は、大喜びでバスに乗り、わずかばかりの快適な一時をもった。高速船の中でも、「バシュのったなあ。おとうやん、バシュのったな。」としきりにいっていた。やがて、疲れがでてきたのか、多聞は妻と共に、眠りにつく。
 11時前、無事徳島に着く。多聞は、バスがないのを見て、「バシュ、ねんね。」「バシュもうっかい(もう一回)のる。」とのこと。是非また、機会を設けたいと思う。
 帰宅して、シャワー、歯磨き、そしてバタンキュー。
 今回の旅行は、車での移動が大半の時間を占めたが、多聞は起きている間は、賑やかであった。知床半島に向かう車中で、私がおもむろに「知床旅情」を口ずさむと、「おとうやん、やめー」と一端の事を言い、「海」の歌に切り換えると、語尾だけ「なー」「しー」「るー」など、声をそろえ、終わると「もうっかい」と催促し、かなりの時間歌いながら過ごした。また、私がサングラスをかけたり、シートベルトをしめると、「いっしょなー」と自分と同じ姿に気をよくしたようで、嬉しがっていたりした。また、いろんな場所で触れ合う方々に対し、多聞は「たもん」「3さい」「おとうやんとおかあちゃんとたもん、3にん」「ほっかいどーのホテル」など、知っていることばをつかって、彼なりに会話をした。「えび、たべる」「おかあちゃんとおふろいく」「たもん、じゅーちゅかう」等、自分の気持ちをさらにはっきりと言えるようになった。こう考えると、昨年の北海道旅行と比べ、大きな変化である。1年間の成長を心から嬉しく思った次第である。勿論、多聞は終始「いい子」ではなく、むしろその逆の場合も多く、親の手に余ることもしばしばだが(「えび食べる。魚いらんの。(強要すると、人前でも関係なく大声で)「キーッ」)、これも成長すればこそかも知れぬと思うと、その場では叱ったりしても、すぐに忘れてしまうのも親ならではであろうか。何はともあれ、今回の旅行も、多聞を引っ張り回したようで、実は親が引っ張り回された。やはり、多聞が主人公であった。 
8月27日(木)沖縄旅行                            
 朝7時起床。8時半にタクシーで空港に。多聞は、タクシーが気にいったようで、「タクシー乗ったな。」と何度も言っていた。その後伊丹空港行きYS型旅客機に乗る。伊丹空港へ着く直前、高度をさげたためか、ジェットコースターのような「落下感覚」を何度か味わう。多聞も気持ち悪いらしく、「飛行機いや、この飛行機いや。」と連発。ジェットコースターが大の苦手の私も、時折目をつむってこらえていたが、妻だけは平気な顔で、「高度が下がるとよくあるんよ。」とのこと。この感覚は、堪えがたいものがある。
 伊丹空港から11時40分発のJALにて午後1時半頃沖縄に到着。さすがにボーイングだけあって、先程の落下感はなかったものの、飛行機の昇降口を降り、ターミナルロビーへ向かう通路で、異様な暑さを覚えた。聞くところでは、気温34℃、湿度が高いとのこと。月初めに行った北海道では、気温13℃だったので、約20℃の差である。
 飛行機の中で、しびれをきらした多聞は、大声でわめいたり、私に噛みついたりして、私自身、ストレスが溜まった。おまけにこの暑さ。しかも団体旅行。夏休みの最後という時期。試験で意気消沈したばかり。何やかやで、楽しいというより、しんどいというのが正直なところだ。それにしても暑い。まったく暑い。避暑の対極の行動である。  
 今回の旅行はツアーで来たわけだが、格安ツアーであるためか、三日前になって急に交通アクセスとホテルの変更を手紙で通知してきた。沖縄に旅行者が殺到しているためとのことだが、関空発のはずが、伊丹発になったのは、大きな痛手であった。高速船が飛行機(YS)にかわり、おまけに復路は関空着なので、往復割引も使えず、余分に2万円程の出費となってしまった。文句を言っても始まらないが、余分の交通費を旅行会社に支払ってもらいたいものである。
 行く前から、けちの付いた旅行である。おまけにこの暑さ。多聞がわめくのも無理はないが、私もストレスで爆発寸前。旅行に行って疲れるとは、まさにこのことか。人間、ストレスが溜まると、理性より感情が先に立つもの、しかもストレス発散に向けて。   
 那覇空港に着き、妻が荷物を引き取りに行った間、多聞は落ちつきなく、椅子から降りたり、「母ちゃんは?」と呼んだり、大声でわめいたり、対応に難渋する。そこにいる大勢の人にとっては、とんでもない迷惑である。私自身切れる寸前で、ようやく妻が来た。
 ツアー受け付け場所へ行く。団体受付周辺は、各旅行社のツアー客の受け付けで、人、人、人。「なんでこんなに人がいるの?」と思わず口をつく。人を見にきたわけではないのだが、これでは観光客を見る旅行と変わらない。一体今回の旅行は、何なのだ。
 ようやく、観光バスに乗り込み、首里城へ向け、出発したのが、午後2時15分。バスが大好きな多聞は、「出発進行!」(どこでこんな言葉を覚えたのか?)と大喜び。クーラーも効いて快適であった。ただ多聞が私の膝の上に乗っていたのだが。
(写真1)

 首里城で、4時まで過ごす。城は、復元されたそうだが、豪華絢爛であった。「これなに?」「王様の部屋だよ。」朱色の太い柱と壁が印象的であった。王というものは、どこの世界においても、ゴージャスなものだ。「多聞の部屋ない。」と、多聞も自分の生活との違いを認識したのであろう。                         
 夕方、エッカホテルに到着。 


8月28日(金)                                
 6時半起床。8時出発。
新原(ニーバル)ビーチにて、午後4時まで海水浴。朝早いためか、私たちツアー以外の客はおらず、海岸を独占した気分である。グラスボートにて、珊瑚と魚を間近に見る。ぐずついた天気だったが、太陽に照らされた海は、青とエメラルドグリーンで彩られ、珊瑚礁ならではの海の景色に感動する。
 パラソルと椅子を借り、休みながら海に入っては、ただ浮き続ける。少し沖の方にプラスチィック製の浮島があり、たまに上がっては、日光浴にいそしむ。
 スコールと呼ぶには、小降りの雨が二度あったが、すぐに止み、手頃な休憩時間となる。やがて雲の合間に太陽があらわれ、強烈な日差しを避けるべく、海に入る。妻と多聞は日焼け止めクリームを塗るも、水に流れあまり効果はない様子。
 昼食は、カレーライスと沖縄うどん。なかなかの美味。
 多聞は、海を怖がっていたが、「なみぜんぜんない。」と徐々に慣れ、体のこわばりもとれてきた。午後、風のため波が起こり、少し水を飲むが、咳き込みはしたが泣くことなく、その後も海で浮いていた。沖縄の海は穏やかである。
 着替えの際、煙草(ボックス)に入れておいたお金が、煙草ごと紛失。妻にバッグに入れておくように言ったが、入れてないとのこと。「いくら入っとんたん?」「一万五千円!」「えーー!?」責任を押しつけても後の祭り。着替えの後パラソルのあたりを探すも見当たらず。「いい思いをしたやつがおるんか?」と想像しながらしょぼくれて一端は妻と多聞のもとへ。が、あきらめきれずもう一度探しに行く。今度は、風向きも考えながらトイレまでの道も探す。が、見当たらず。しかたなく、戻りつつ、雨の際一時避難した屋根付きの椅子のそばを通る。ふとみると、椅子の脚の下にTENDERの煙草が。思わず近寄り手にとると、確かに私の落とした物。中には煙草一本と、銀紙と箱の間にに確かに一万五千円が。近くに人がいたので、声こそ出さなかったが、思わず笑みが込み上げてきた。
 何食わぬ顔で、煙草を吸いながら妻のもとへ行く。気づいた妻に、小さな声で「あった。」と告げる。再び抑えようのない笑顔に。妻日く「お金が見つからなかったら、沖縄の旅行そのものが後味悪いものになってしまうとこだったな。」まさにまさに。
 見つけたお金でジュースを買い、バスに乗り込み、ホテルへ。荷物の整理をしていた妻が、「あんた水着は?」 しっかりと忘れてきてしまった。妻になじられ、後味の悪い旅行になりそうだ。一喜一憂とは、このことか。
 今夜のお宿は、日航グランドキャッスルホテル。よき宿なり。本来ならここで、昨夜も泊まるはずだったのだが。
 ホテル内の「舜天」なる店で、中華料理を食べる。最高であった。そういえば、ヨーロッパへの新婚旅行でも、食事がよかったのは、日航ホテルであったことを思い出す。
 食後、ホテル内の店で水着を買う。 
8月29日(土)晴れ
 朝6時半起床。8時出発。バスの中から嘉手納基地を見、沖縄民芸村、名護のパイン園、
万座毛、海洋博記念公園を見学。
 土曜日ということで、嘉手納基地は静かだったが、平日は飛行機の発着で騒音も甚だしいとのこと。民芸村では、ハブとマングースの戦いを見る。まず、マングースが勝つことのこと。
後、サトウキビを牛の引く石臼で絞る様子や、健康食品のコーナー等、見る。
 パイン園では、パインをはじめちんすこうやパインケーキ等の物産品の味見をしてまわり、空腹を癒した。
 万座毛は、絶景である。わずか7分の滞在時間であったが、崖の下に広がる海は、深いエメラルドブルーで、沖縄の海そのものイメージだった。
 海洋博記念公園では、プラネタリウムや海洋文化の展示、水族館を見学。広い所である。明日は、ここにあるエメラルドビーチで泳ぐ予定。
(海洋文化センター横の大きなボールの上で
 夜、ホテル前にとまっているバス(我々がこの旅行で乗っているもの)の前で
記念撮影。「もうばすくんねんねしよんなあ」と。

8月30日(日)晴れ
 6時半起床。9時20分出発。昨日に続き、海洋博記念公園に行き、エメラルドビーチにて、海水浴。本当に綺麗な海岸で、波も穏やかである。多聞も、少しずつ水の恐怖がなくなってきているようで嬉しい。昨日買った浮輪が、気に入ったようで、機嫌良く浮き、親が少し離れてもあまり気にとめない様子。
(写真1)(写真2)(写真3)
 海洋博記念公園は、本当に素晴らしい施設である。ここでは、あまり金を使わず楽しめる。シャワーも無料。缶ジュースも110円だった。おまけに売店にあった「ちんすこう」は、15個入りで300円。実に安い。ゆっくり楽しむなら、ここに限る。多聞は、施設内の移動に使われている
電動バス(一回百円)に大喜び。本当にバス好きである。北海道であまり乗れなかっただけに、今回の旅行は、彼にとっては最高だろう。
 午後、守礼民芸センターに寄り、那覇空港へ。いよいよ沖縄旅行も終わりに近づく。空港は、狭い空港のロビーは、人の波で埋まる。4時10分発のボーイングで関空へ。夕食をとり、高速船にて徳島へ。船内で多聞はなかなか眠らず、ようやく寝たかと思うと、もう着いてしまった。
 タクシーで、わが家へ向かう。多聞は、タクシーも大好きで、行き帰りに乗れて、これまた嬉しかったようだが、疲れのためか、心地よい振動をゆりかごがわりにして眠ってしまった。わが家に着くと、そのまま彼は寝床へ。午後10時なり。
 今回の沖縄旅行は、旅行会社には腹が立ったものの、格安であったことは間違いなく、添乗員ならびにガイドさんは、とてもいい方で、暑さに慣れるに従い、徐々に心地よい旅行となった。特に多聞は、ガイドさんに何かと声をかけてもらい、快適であったように思う。バスを使用しての集団行動のため、子連れの身では、時間的な制約がきついのは否めないが。
 次に沖縄に行く機会があれば、是非レンタカーを使用したい。 
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