私達の田舎暮し



なんて楽しい家作り!


 私は家を建てている最中に、だんだん意固地になって行ったらしい。 たくさんの人たちが見物に訪れて来て、いろんな人がいろんなアドヴァイスをしてくれた。 中には建築関係の方も何人かいたが、彼等のアドヴァイスは、私には、何の役にも建たなかった。 おおよそプロの人たちの言う事は、常識の範囲内のことが多く、私のように、道具も機械もお金もほとんど無い者が、建て坪30坪、総床面積90坪の家を建てるのに必要なアドヴァイスをくれた人は、一人も居なかった。 
 自分でも家を建てたい、ログハウスを建てたいから、一緒に作業を手伝わせてくれ、という方も何人も来ていただいたが、私は、「お話は何でも聞きます。経験談も何でもします。何時間見ていても結構です。しかし、手伝いだけは遠慮します。」と言うのが常だった。
 いつも一人での作業が多く、誰か手伝ってくれると助かるなあ、と思う事は何度もあったが、手助けしてもらった後、その事に慣れて、誰かの【助けを当てにする】ようになる自分が恐かったのです。
 私には、家族の励ましと、家族の少しの手助けと、家族の喜ぶ姿を見る事だけで充分でした。
 時の経過と共に我が家の姿がドンドン現れてきました。 10m×10mの大きさの家を建てるなんて、素人には無理だ。と言っていた人たちも、だんだんと出来上がっていく我が家を見て、何も言わなくなってきました。
 プロには考えられないような作業の遅さや、機械類の無さを自分のアイデアで建てて行く私に暖かい励ましをしてくれるようになりました。

出来上がって来た壁


一番高いところは10m。家の形が見えて来た。

 私が丸太から、チェーンソウで切り出した柱を磨くサンダー掛けは妻の仕事でした。 サンダーかけで出る木の粉に髪の毛を真っ白にしながらも、何本もこなして行く女房は、スッカリサンダーかけがうまくなってきました。 妻のそばでいつも二尾の愛犬達が作業を見守っていました。 木の粉だらけになりながら。

サンダーをかける妻の傍にはいつも愛犬が。

 この犬達の名前は黒い方がMYU(ミュー)。茶色がTHITA(シータ)と言います。 犬好きの妻が、山に引っ越したら、ブリーダーになりたいと言う希望で飼いはじめた犬達です。 家が出来上がって行くに従い私達の資金も乏しくなってきました。 いよいよ屋根を仕上げると言う時になって、屋根の仕上げ材を買えないでいる時、この子たちが5尾づつ子犬を生んでくれました。
 女房は、ブリーダー修行の真似事をしていました。 御産が近付くと、徹夜で看病し、生まれたばかりの子犬に息を吹き込み、血だらけになりながら出産の面倒を見ていました。そうして出産させ、自ら授乳して育てている子犬達への愛情は、はた目にも健気なものでした。 当時シーズーが人気な犬種だったらしく、そうして生まれて来た子犬達は10匹とも引き取られて行きました。
 可愛い盛りの子犬を手放した代金で、我が家の屋根材(コロニアルを使用)が買えたのです。 今でも二尾の犬達は元気にしています。 若かった犬達も、もう随分と年をとって来ましたが、いつも一緒に暮らしています。
 ブリーダーを目指していた妻は、子犬達が引き取られて行く時の辛い気持ちに慣れる事が出来ず、ブリーダーになる夢を捨てました。
 我が家の屋根が出来たのは、工事を始めて、3年目の夏=1993年のことでした。