
| 水を翔ける! |
実はオリンピックでメダルを手にした事がない 誤解と伝説に包まれたスイマー
"フジヤマのトビウオ"古橋廣之進
いわゆる「千葉すず問題」や「法政大学女子学生パンフレット問題」で
無数のサイトで批判されていた水泳連盟会長の古橋広之進さん。しかし、功績をこれほど誤解されている人も珍しいと思って、このページを作る事にしました。
昭和の水泳史で、「フジヤマのトビウオ」が載っていない本はありません。
古橋広之進 1928〜 敗戦にうちひしがれた国民に勇気と希望をあたえた水泳選手。
第2次世界大戦後、日本は国際水泳連盟への復帰がゆるされず、1948年のロンドン・オリンピックに参加できませんでしたが、同時期にひらかれた日本選手権で日本大学在学中の古橋さんは1500m自由形で18分37秒0の世界新を樹立。それに対しロンドン・オリンピックのマクレーン(米国)の優勝タイムは19分18秒5だった。翌49年、国際水泳連盟復帰がゆるされた直後の8月、古橋ら6選手はロサンゼルスの全米選手権に招待され、古橋は400、800、1500m自由形、800mリレーの4種目に世界新で優勝、米国の新聞に「フジヤマのトビウオ」とよばれた。現役中に更新した世界記録は33回。(マイクロソフト ENCARTA98 古橋広之進)
それで誤解されているようですが、古橋さんは、五輪でメダルを1つも取っていません。
戦後日本が初参加した1952年のヘルシンキ五輪で400m自由形に出場したものの8位。
この事を指して、古橋さんが選手としての絶好調を戦争で逃した悲劇のスイマーと評するサイトも見ましたが、1950年の南米遠征でわずらったアメーバ赤痢の後遺症で体調をくずしていたからだそうです。選手としては素晴らしい記録を残していながら、オリンピックでメダルを残せなかった人は、古橋広之進さんだけではありません。反日感情の高い1949年の全米大会に出場できたのも、古橋さんだけではありません。だいたい、それに出場できたのは、選手としての古橋さんの力ではなく、当時の日本水泳連盟の人たちの尽力が大。米ソ冷戦下の日本の役割を考えた時の日米の友好関係を築くべきだという風潮も無視できません。
では、選手ではなく指導者として、メダル獲得に貢献したかというと、1985年に日本水泳連盟の会長になって以降、競泳選手がとったメダルは、6個。(表1)オリンピック日本選手団団長だったアトランタでは競泳は0個。
「メダルに貢献したかもしれないが、現在活躍している人達から見れば、ただの煩い年寄り」
という古橋さんへの批判サイトはかなり怪しいです。どう考えてもメダルには貢献していません。もう少し調べた上での批判サイトであってほしいです。
古橋広之進さんの功績を、部外者が客観的に考えてみるページです。
4ビートストロークと古橋広之進 素朴な疑問-本当に精神主義で勝利したのか?
シンクロと華麗なる古橋広之進 (2001年01月20日UP)
スイミングクラブと古橋広之進 (2001年2月14日更新)調査継続中
古橋広之進に米国水泳連盟の会長を(2001年01月25日UP)
敬称略
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