

アダムスキー型円盤
世界的に有名なUFOコンタクティ、ジョージ・アダムスキー。 一昔前までは、もっともポピュラーなUFOと言えば、彼がコンタクトしたという『アダムスキー型円盤』だった。
1952年、 カリフォルニア州デザートセンター近辺で、アダムスキーを始めとする七人の人々は、ピクニックの最中、突如、砂漠に着陸した空飛ぶ円盤に遭遇した。 中からは宇宙人が現れ、アダムスキーにテレパシーで話しかけてきた。
宇宙人は名前をオーソンといい、金星からやって来たのだという。
同行の一人ジョージ・ウィリアムソンは、物的証拠として金星人オーソンが地面に残して行った足跡の石膏型を採取している。
その翌月に、アダムスキーは再び金星人の円盤を目撃し、飛行する円盤の写真を撮影。 この時は同じ現場にいたジェロルド・ベイカーという人物も円盤の写真を撮る事に成功している。
以後、宇宙人に気に入られたアダムスキーは次々とコンタクトを重ね、円盤に乗せられ太陽系の各惑星へと招待されるまでになった。そして、スペース・ブラザーズから学んだという宇宙哲学の布教につとめたのだった・・・。
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<(左)ジョージ・アダムスキー> 後ろの人物画は、彼がコンタクト したという宇宙人像。 <アダムスキー型円盤(右)> 説明の必要がないほど有名な UFO。 |
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●スペース・ブラザーズから教えられたはずの宇宙哲学の布教活動を、アダムスキーは、宇宙人とのファースト・コンタクトよりもずっと以前の1935年から開始している。
また、彼が首にぶらさげている金星人から貰ったというペンダントが、彼がまだ金星人と出くわしてもいなかったはずの若い頃の写真にもしっかりと写っている。
彼は元々「ロイヤル・オーダー・オブ・チベット」という新興宗教の教祖だったのだ。 つまり、偉大なる宇宙人から「教え」を授かったなどという話は、カルト教団の教祖にありがちな信者獲得のためのデマ話に過ぎなかった。
●彼が宇宙人と共に月や火星、金星などを旅したという体験談の具体的内容は、あまりにもバカバカしいので、ここでは紹介しないが、その中身は、なぜか、ファースト・コンタクト以前の1949年に彼自身が書いたSF小説『宇宙のパイオニア』の内容にそっくりである。 アダムスキー本人はこれに関して、「幽体離脱をして宇宙船に乗り込んだ時のもの」とわけのわからない説明をしている。
●ファースト・コンタクトの場で、金星人の足跡の石膏型を取ったジョージ・ウィリアムソンも、アダムスキー同様、かなりうさんくさい人物だ。
アダムスキーと出会う前から、自動書記によって宇宙人と交信する事ができたと主張していたらしいが、「人類学者」という触れ込みにも関わらず、彼が博士号をもらったはずの大学はどこにも存在せず、1959年には、どういうわけか名前を改名して、「自分はユーゴスラビアの皇族の後継者だった!」などと主張し始めている。 なかなかユニークなお仲間である。
●ファースト・コンタクトの場に居合わせた人物の一人、アル・ベーリーは、後になり円盤を見たという証言を撤回している。
アダムスキーは一人で渓谷に入って行き、他の六人のいた所からは、実は円盤も宇宙人も見えなかったのだという。
●アダムスキー型円盤の写真を撮った事になっているジェロルド・ベイカーも、写真を撮ったのはアダムスキー本人であり、自分ではないと証言している。
以下、アダムスキーがベイカー宛てに出した手紙の内容。
【本に載っている写真には、すでに君の名前が付けられている。 〜(略)〜 君はいろいろと良い事ができるよ。 知識は十分にあるし、需要もあるんだから、円盤に関する講演だってできるんだ。
あの本で生活する事もできるよ。】
→ つまり、お前が撮った事にしておけと言っているわけだ。
■ 他にも、アダムスキーの話のデタラメさは数えあげたら切りがないほどある。
最近、アダムスキー型円盤の話をほとんど聞かなくなったのは、そうした事実がUFOビリーバーにも浸透したためだと思われる。
だが、驚くなかれ。そうした事実を知らされてもなお、アダムスキーの話を信じている人々が、今も存在しているのだ。 彼らに言わせれば、それらの情報は政府によってコントロールされており、偽りの情報が流されているのだそうな・・・。
ふ〜
<End>