源義経とジンギスカン同一人物説





 源義朝の九男で、幼名、牛若丸‥。言うまでもなく鎌倉時代の英雄、源義経の事である。兄、源頼朝が起こした平氏追討の戦いに加わり、屋島、壇ノ浦などでの戦いで、部下の武蔵坊弁慶と共に大活躍したとされる。 一方、ほぼ同時代、大陸の方では、モンゴルから突如として現れた成吉思汗(ジンギスカン)によって、中国の領土は征服された。
ところが、この源義経とジンギスカンが同一人物だという説があるのだ。 義経は兄、頼朝によって逆賊の汚名を着せられ、衣川という所で殺されたはず。その義経がジンギスカンとどうつながるのか・・・?

この源義経=ジンギスカン説によると、 殺されたのは実は替え玉で、本物の義経は衣川を脱出、 蝦夷(エゾ=つまり現在の北海道)まで逃れたのち、部下たちと共に大陸へと渡った。  大陸での義経は、自らをジンギスと名乗り、モンゴル民族を従え次々と諸国を征服、蒙古帝国を打ち建てた‥という事になる。
この説の信奉者が主張する、義経とジンギスカンが同一人物である事の根拠をいくつか挙げると・・。

●記録に残る義経の生まれた年は西暦1159年。 ジンギスカンの生まれた年は、ちゃんとした記録が残っていないため、はっきりしないが、学者の研究によると、1158年〜1162年ごろらしい。  つまり、この二人がほぼ同時期に生まれている事は間違いない。
●義経が殺されたとされるのは(つまり歴史上から姿を消したのは)、西暦1189年。 ジンギスカンが初めて歴史上に登場してくるのが1193年〜1194年ごろ。 この二人が同一人物だと仮定しても矛盾しない。
●水戸光圀(つまり水戸黄門)編纂の『大日本史』によると、当時からすでに、義経は衣川で死なず蝦夷へ逃れたという言い伝えがあった事がわかる。 また、義経の死に関しての疑問点も記されている。
●義経の首が鎌倉に届けられるのに、百三十里の距離を43日もかかっている。 年中で物の腐敗が一番早い6月後半から8月始めの暑さの中をである。 当然、首は腐敗していたはずで、検視官が見ても、その首が本物であるかどうかの判別など付くはずもなかった。  つまり、わざと首を腐らすために時間をかけて運んだと考えられる。
●東北地方から北海道までの特定のコース上(宮古→八戸→三厩→福山→日高)に、義経ゆかりの遺跡といわれるものがいくつも存在している。 衣川を脱出した義経一行がたどった経路だと考えられる。
●ジンギスカンは旧名をテムジンといった。 日本では偉い人を天神様というが、テムジンとは、日本語の天神(テンジン)がなまったものでは?
●源義経を音読みすればゲンギケイとなる。 それがなまってゲンギス→ジンギスとなったのでは? また、汗(カン)という称号も上(カミ)が変化したものと考えられる。  つまり、ゲンギケイカミ→ジンギスカン。
●蒙古史の中でも、伝説的なジンギスカンの前半生に関する部分に現れる挿話には、日本の源平合戦の各場面とそっくりな話がいくつも登場する。
●蒙古語は日本語と文法がほとんど同じで、言葉ごとに訳語をあてていけば、そのまま日本語になる。 また、食物、着物、相撲、巻狩りなど、蒙古人の風俗習慣は、日本の鎌倉時代の風習によく似ている。
●ジンギスカンは、その生涯を通じて「九」という数字にこだわった。 義経の別名は「九郎」である。
●ジンギスカンの孫、フビライの代になって、モンゴル帝国は完全に中国を征服。 国号を元とした。 この「元(ゲン)」という国号は、源氏の「源(ゲン)」に別の文字をあてたものと思われる。
●時代が下って、中国王朝の清(シン)の皇帝は、自らをジンギスカンの子孫と称した。 清の歴史書の中には、六代皇帝、 乾隆帝自身が筆をとって書き記した部分があるのだが、「私の姓は源といい、義経の末裔である。  先祖は清和源氏から出ており、そのため、国号を清と定めた。」と記されているのだ。つまり、中国の皇帝も源義経=ジンギスカン説を認めていた事になる。

以上が、 源義経=ジンギスカン説のおおよその内容である。本当に、ジンギスカンは義経だったのだろうか・・・?



< 英雄伝説 >

 
  源義経[左]と三厩村 
  (みんまやむら)にあ 
  る義経ゆかりの義経 
  寺[右]。
   


 悲劇の最後を遂げたはずの英雄が実は生きていたというような伝承は、 どの時代にも見られる一種の信仰であって、世界中に存在する。  この説はおもしろい説だと思うし、個人的には好きなタイプの話ではあるが、全体を通して見て、その主張するところのほとんどが「言葉のゴロ合わせ」と「想像」とで成り立っていて、説得力とか信憑性について言えば、ほとんど何もないと言っていいだろう。 何の法則もなく言葉のゴロ合わせをするのは容易いし、想像するだけならどんな説を組み立てる事もできる。 言葉のゴロ合わせにしろ、冷静に考えれば「ゲンギケイ→ジンギス」なんて、
いったいどう訛(なま)ればそうなるのだろうという感じだし(^^)、こじつけにしろ無理があり過ぎる。 大体、源義経をなぜ音読みにしなければならないのか?
東北〜北海道間に義経をゆかりとする遺跡があるのは事実かもしれないが、それは義経が通った跡に遺跡ができたのではなく、そういう伝説を元にそうした遺跡が作られたと考えるべきだろう。  実際、北東アジアを南下して来るロシア帝国の脅威に対し、北海道が日本の領土であることを主張する理由づけとして、アイヌ人たちに義経とアイヌの神(オキクルミ)が同一人物であることを強制した、という事実があるそうだ。
ただ、義経の首を届けるのに43日もかかっているというのは、たしかに不思議である。 しかし、実はこの点についてはすでに解明されている。 当時、義経の兄、頼朝は亡き母の供養の祭典を営むことになっていた。  この供養が終わるのを待つために、
義経の首はゆっくり届けるようにとの指示が鎌倉側から出されていたのだ。
清の歴史書の中に皇帝自身が書き記したとされる問題の文についても、実は
後人の偽作だという事がわかっている。  そもそも、源義経とジンギスカンが同一人物であるという説は、「かつて、皇族の子孫がユーラシア大陸を支配していた」という架空の話を根拠に、日本の中国大陸進出を正当化しようとした明治〜大正期の軍部が広めた妄説なのである。

以上、とても有名な奇説の一つだし、ドラマにしたら壮大なスケールのおもしろいものができそうな気がするが‥、到底ありえない話、と言っていいだろう。
<End>