子孫を残さない個体の意義〜脱恋愛至上主義のために〜


一番いい恋愛に対する態度は恋愛をたっとび(貴び)、恋愛に依らずでしょう。。恋愛をいいものと思うし、恋をすることもあるが別にそれなしでも 満足して生きられるという感じです。 セックス、結婚、出産に対しても同様で理想はたっとびかつ依らず でしょう。 個人的には、恋愛願望なんかは強い ほうなんでそれに振り回されないようにということでこの思想を作りました。個人的には子どもなんかいたらとてもかわいいだろうなと思います。でも、願望だけじゃだめなんですね。この思想を漠然と考えたのは大学2年生のときでした。

恋愛至上主義を唱える人は、セックスは子孫を残す行為 であり、それなくしては人類は生存でき重要極まりないものないという。 これ自体はその通りである。 確かに全人口を通してみれば、一定の性交渉と出産は行われないと いけない。合理的精神と同様どろどろの本能的領域も発達していないと 人間は存在できない。 そして、もちろん、子供がいるということはそれは誇りと尊敬 に値することである。 しかし、個々の人々を見れば必ずしも性交渉をして父親母親 とならなければいけない義務はない。 親になるというのは義務ではなく、合理的側面と本能的側面 の両方で精神的肉体的社会的にある程度自分を確立したものが者が 権利、あるいは地に足ついた夢として自ら選ぶべきものである。 親になって子孫を残すという社会のあり方を維持するには 社会的圧力も相当必要であるがそうならなかった者、なれなかった者を 押しつぶすものやなりたくない者を無理矢理ならせるものであっては ならない。 ならねばならないでなっているから多くの人に十分な社会的精神的準備をするひまがなく離婚とか暴力とか家庭内別居とか出てくるのでしょう。

性愛至上主義の虜になった人々、特にその中でも いいオトコと美人の恋愛が一番いい恋愛であるとする人々は 子孫を残せなかった個体(何故か彼ら彼女らは子孫を残せなかった オスという言葉を使い、子孫を残せなかったメスについての話を避ける) はクズであるという。あえて個人のことは話題にしないが一般論として 子孫を残せないオスは情けないという言い方をする進化心理学 の支持者はしばしば自分には子供が全くおらず、作る気もない ことにはふれたがらない。一体自分の理論で自分自身を評価したら、一体 どうなってしまうのだろうか?この矛盾自体彼ら彼女らの考えが いろいろな意味でナンセンスな証拠ではないだろうか?

全員が子どもを残すよりも
大体同じ遺伝子型を持つ4個体(♂2♀2)が2つのつがい
を作って子供を残す場合、

1:両方が2にんずつ、合計4人子どもを作る
2:片方が子どもを4人作りもう片方が生まれた子供の面倒を見るなど それをサポートする役目に回る

場合、1よりも2のほうが安定して子孫を残せるらしいです。 特に社会(群れ)が発達するほど2が有利になるという 傾向は顕著になります

もともと、全員が子どもを作るよりも半分は子どもを作らずに 半分がそれをサポートする役目に回るのがオスメスの有性生殖 の始まりです。 で、今度はそれをもうちょっと推し進めようという考え方です。 実際問題、結婚して子どもを作るのは半分から3分の2くらいで のこりはこうした人々をサポートする側にまわったほうが (夫婦カウンセラーや教育者やボランティア、その他もろもろ) いいのではないだろうか?

もうちょっと深い思想の話もあります。

自分が子孫を残せなくても自分以外の生命体の生存、繁栄にに貢献 できればその生命体は遺伝子的に価値があるとみなせる

1:さっきの他の個体のつがいへの協力
2:動物、植物の栽培、飼育、
3:腹の中で寄生虫を飼う。大腸菌もここに入る?

人間社会だと

4:社会の役に立つことをする、もここに含まれる。

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