【 吉田拓郎 】

 ジャジャジャジャーン! MENISCUS1周年記念に ULTRAMAN の音楽人生史が
始まりました。パチパチパチ(笑)。 誰も拍手してねえってか(笑)。別段、
何てことはないのですが、いままで聴きあさってきた音楽や、影響を受けたシ
ンガー・ソングライターなんかを書いてみましょうか、という企画です。

 まあ、歳も歳なんで、年代ものの名前が登場しますから、若い読者にはさー
っぱり分からん、ってなことになるでしょうが、まあ笑ってやってくだシャイ。
では、記念すべき第1回目は、タイトルロゴにもなっている「吉田拓郎」です。

 「吉田拓郎」と言えば「LOVE LOVE 愛してる」というTV番組のあの人です。
かつては日本を代表するフォーク・シンガー・ソングライターだったんです。

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  喫茶店に入って、彼女と二人で、コーヒーを注文すること、
   ああ、それが青春!

  映画館に彼女と二人で入って、彼女の手を握ること、
   ああ、それが青春!

 言わずとも知れた、吉田拓郎の「青春の詩(うた)」です。ラジオの深夜放
送が流したこの曲を初めて聞いたときのショックは生涯忘れられないでしょう。
こんな事を歌にしていいんだ、というカルチャーショックと、真を言い当てて
いる、という共感が交じり合って背筋ゾクゾクもんでした。その日、私は熱発
したのでした(笑)。たぶん、高校1年の冬のことだと記憶しています。

 高2のクラスメイトの郡ちゃんが「LPレコード」を持っていたのです。そ
れも2枚。「LPレコード」というものが分からない人は、以降、読まなくて
もイイです(笑)。

 それは忘れようにも思い出せない「古い船を今動かせるのは、古い水夫じゃ
ないだろう」という自主製作版、そしてデビューアルバムの「青春の詩」だっ
たんです。それはもう、カセットテープにダビングして、聴きまくりの毎日だ
ったことは想像に難くないでしょう。勉強もせず(笑)。

 私はこの頃には、ギターというものが少しは弾けたんです。それは次回の話
として取っておきますが、本格的にギターにハマルきっかけになったのは、こ
の「青春の詩」だったわけです。

 このアルバムには「今日までそして明日から」という名曲も入っています。

     私は今日まで生きてみました
     時には誰かに裏切られて
     時には誰かにおびやかされて
     私は今日まで生きてみました
     そして今私は思っています
     明日からもこうして生きていくだろうと

 この曲は歌詞も素晴らしいんです。こういった詩は誰でも書ける詩ではあり
ません。この曲は吉田拓郎の真骨頂と言っても過言ではないでしょう。まさに
吉田拓郎しか作れない曲です。当時はこういった、いわゆる「メッセージ・ソ
ング」というのがフォークの特徴だったように思います。

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 吉田拓郎は鹿児島県の出身で、広島の大学では「広島フォーク村」を主宰し
ます。当時は猫も杓子もフォークでしたからねえ。そういえば、沖縄フォーク
村という集団もあったなあ。どうしてるんでしょう。

 東京、いや関西?のレコード会社「URC(アングラ・レコード・クラブ)」
が、彼に目を付けます。1970年、シングル「イメージの詩/マークII」でデビュ
ーします。


         「マークII(ツー)」

     さよならが言えないで 何処までも歩いたね
     街明かりさえ消えて 足音が寂しいよ
     分かってくれる ただ一人の君を
     別れたくないのに 冷たいこの世界

 たぶん、こういう詩だった(笑)。私は個人的には、この歌よりも「イメー
ジの詩(うた)」の方が好きなんですが…。「イメージの詩」ってシングルの
片面に入ったんでしょうかねえ?けっこう長々とした歌だったんですが???
途中で切ったのか、シングルバージョンで短くしたんでしょうかねえ?知って
いる人がいたら教えてくだしゃい!?

 吉田拓郎の果たした社会への影響はかなりの物があります。まったく歌謡曲
というジャンルとは違っていたフォークソングに、かなりの「字あまりソング」
に、陽の目を当てたということ。そして何よりもフォーク・ブームの火付け役
になったということです。

 1972年、六紋銭という小室等が率いるフォークグループのボーカルだった、
婚約者の「四角圭子(よすみけいこ)」に贈った歌「結婚しようよ」が大ヒッ
トします。アレンジャーは加藤和彦だったという記憶があります。この曲はど
っちかというとアレンジの方が素晴らしいんです。加藤和彦については、また
改めて…。そして、この歌の大ヒットでフォーク・ファンは大騒ぎをします。

 当時は、毎夏、長野県?の中津川で、フォーク・ジャンボリーという結構大
きなフォーク・コンサートが開催されていました。吉田拓郎がステージに上っ
たとき、観客は全員で「かえれ、かえれ」の大シュプレヒコールを行ったので
す。もちろん拓郎は怒ってステージを降りました。これが有名な「かえれ事件」
です。これは、後々まで尾を引いて行くわけですな。

 多くのフォーク・ファンは、「結婚しようよ」が大ヒットしたことに対して、
「吉田拓郎は資本主義に魂を売った金儲け主義者だ」というレッテルを貼ろう
としていたわけです。四畳半フォークは、四畳半から抜け出させたくなかった
わけです。四畳半からマンションに移り住んだ奴に対して非難、いや、ひがみ
根性丸出しで、文句を言ったということです。

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 高校3年の時ですから、1973年だと思います。名盤「元気です」が発売され
ます。このアルバムの歌詞カードには拓郎のメッセージが添えてありました。
「君たちは『かえれ』などと言ってはいけない」という書き出しだったように
記憶しています。こんなメッセージが入ること自体、異例でしょう。

 このアルバムは、それまでの吉田拓郎のアルバムとは一味も二味も違うもの
になっていました。私は当初、つまらないアルバムだと思っていましたから…。
何度も聴いているうちに、これは相当スゴイアルバムだぞと思うようになって
来たんです。噛めば噛むほど味があるアルバムだったわけですな。

 何処が違っているかというと、それまでの曲の歌詞には、青春やら、人生や
ら、人間やら、裏切りやらといった人生哲学的な歌詞が多かったのですが、そ
ういった歌詞がまったく姿を消したのです。大転換だと思ったのは私だけだっ
たのでしょうか? まあ、大人になったのね、ということなんでしょうけど…。

 「春だったね」「線香花火」「たどり着いたらいつも雨降り」「旅の宿」と
いずれも佳作揃いの名盤でした。歌詞はほとんどが「岡本おさみ」という人が
書いていました。自分で歌詞を書かなくなったと言うところも大きな変化だっ
たと思います。

 そして高校3年の冬、いや夏? いつだっけ? 金沢レイプ事件が起こるわ
けです。これって、何時でしたっけ? 記憶が曖昧になってきました。知って
いる人がいたら教えてくださいな。これは純粋だった当時の私にはショックで
したねえ。1週間くらい勉強が手に着かなかったほどです。ということはいつ
もと変わらなかったという風にも取れますな(笑)。

 拓郎が金沢でファンの娘に手を出して、その娘が警察に訴えた、という事件
でした。拓郎は「おれはやってねえ」の一点張りで、何週間かすぎた頃、訴え
は退くんですが、そこで金銭の授受があったかどうかは、純粋だった当時の私
には知る由もなかったわけです。この事件を思い出して書いているわけですが、
今思えば「おれはやってねえ」わけねえだろ、と思っちゃいますよね(爆)。

 まったく資料も見ずに記憶だけで書いたので、かなり間違っているところも
あろうかとは思いますが、次号からきちんと書きますので勘弁して下さい。

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          ■つま恋・コンサート(1)

 それは、1975年、ボクは専門学校2年生の夏のことだった。静岡県掛川市で、
5万人を集めた大コンサートが開催された。それが、あの伝説の「吉田拓郎・
かぐやひめ・つま恋コンサート」である。当初は、拓郎一人で5万人を集めた
コンサートを開催する予定だったのだが、5万人という数のすごさに恐れをな
してか、「かぐやひめ」にも出演依頼をしたのである(笑)。

 「かぐやひめ」とは、ご存知、南高節(みなみこうせつ)の率いるフォーク
グループで、1973年に「神田川」が売れに売れ、「赤ちょうちん」「妹よ」と
連続ヒットし、フォーク界のスターに駆け上ったトリオである。名曲「22歳の
別れ」が出たのもこのころである。

 しかし、彼らは「つま恋コンサート」の4ヶ月前、1975年4月に解散してし
まうのである。音楽の方向性がそれぞれに違ってきた、というのが解散理由で
あったが、後にフォーク・デュオ・グループ「風」を結成する伊勢正三が、南
高節と合わなくなったためであろうとボクは推察している。そういう訳有りだ
ったのだが、1975年8月の「つま恋」では再結成、いや再集合するのである。
というか、解散するときにそういう約束になっていたのである。

 「22歳の別れ」は「かぐやひめ」の「しょうやん」こと伊勢正三が結成する
「風」のファーストヒットになった曲であるが、実はこの曲は「かぐやひめ」
時代に発表された曲で、南高節は「風」に、はなむけとしてプレゼントしたの
である。ちなみにボクは「22歳の別れ」こそ名曲だと思うが、未だ「神田川」
の良さは、サーッパリ分からない、というか、好きになれない。合わないんだ
な、ボクの体質と(笑)。

 こうして、5万人を集めたジョイント・コンサートが開催されることになっ
た訳である。当時、一晩で5万人を集めたコンサートは、日本では初めてだっ
たはずである。それも夕方5時から翌朝5時までの12時間徹夜コンサートであ
る。まさしく、アホカイナ、の極地である。

 この前年の夏には、郡山市で「ワン・ステップ・フェスティバル」と銘打っ
た、数万人を集めたコンサートが開催されてはいるが、それは1週間という長
期間であった。このコンサートについても後日、解剖を試みる予定だ。

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 1975年8月2日、その日、ボクは親友のイチャくんと東海道線の鈍行列車に
乗り込んだ。真夏の太陽は容赦なく二人に降り注いでいた。何もかもが暑かっ
た。鈍行列車は熱波が襲うように、昼下がりの「掛川駅」に滑り込んだ。

 掛川って「市」だったよな? と振り返ってみる程さもない駅だった記憶が
ある。駅を出ると同い年ぐらいの奴らがたくさんいた。こいつらみんな「つま
恋」に行くんだなあ、みんなで同じような想い出創りに行くわけだ、と思うと
変な気分になった。

 食堂で飯を食って、夜食のパンを買って、これで準備は完了のはず。二人は
「つま恋」に向かうことにした。場所はよく分からなかったのだが、なんと駅
から「つま恋」まで人が数珠繋ぎになって歩いているので、地図なんてなくて
も前の人について行けばどうにかなるのである。まるで、牛に引かれて善光寺
参り、いや、金魚の糞、いや、密に群がるアリさんのよう・・・。

 それはそれは、真夏のよく晴れ上がった昼下がりであった。それは、それは
遠かった。どんどん山に向かっている。だいたい「つま恋」という地名?から
して、なんか胡散臭いとは思わないかい。なんなんだ「つま恋」どういう由来
なんだ「つま恋」。30分は歩いたろうか、つま恋多目的広場が見えてきた。

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 この歳になって「つま恋」の地名が気になりだしたので、ネットで調べてみ
たらちゃんと載ってました、ありました。

「つま恋」の由来

  たびねする 小夜の中山 さよ中に
  鹿ぞ鳴くなる 妻よ恋しき
              (風雅和歌集)

 この歌は、橘為仲が小夜の中山(日坂峠:旧東海道の難所)でひとり旅寝の
床についている時、山中に響く鹿の鳴き声に、都に残した妻を想い、詠ったも
のです。時の流れをこえて妻を慕う夫の心のひだが、読む者の胸にしみわたり
ます。“つま恋”はこれにちなんで命名されたものです。


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 到着したのは、蝉の鳴き声が響きわたる山の中だった。山を切り開いて平ら
にしただけの何にもない、奇妙な場所だった。そこにテントを張ったステージ
と、10m四方にロープを張って通路を作っただけという、5万人がほんとに
集まっても大丈夫なのかい、いや、5万人もほんとに集まるのかい、といった
感じの会場だった。もっとも一晩中、がんがん歌いっぱなしになるのだから、
山の中じゃないと出来なかったのだろう、今思えば頷ける。

 そのときすでに仮設トイレは満員の状態で、ちょっと催してきたぞ、といっ
た時に並び始めないと、自分の番になるまで持ちこたえられなくなる状態であ
った。男子トイレはまだしも、女子トイレは完璧に数が足りないと思われた。
並んでいる人数が半端じゃないのだ。ますます人は増えてきているのに、これ
は大変なことになると思った記憶がある。ああ、ボクは男で良かったなあ、と
思ったものだ(笑)。しかし、あれはホントにどうしたでしょう。きっとその
辺でやっちゃった女性もかなりいたでしょうねえ。

 イチャくんとボクは、適当に開いているところに座った。結構いっぱいだっ
たのだが、ステージに近いところに割り込んでいった。この時、たぶん14時半
から15時あたりだったと思う。

 歴史的な事件が起こる場所に着いたなあ、という期待と緊張感が混じり合い、
少々興奮気味だったのを覚えている。それは、その辺の室内会場で行われるコ
ンサートを待つときとはまったく違っていた。明らかに興奮している自分を違
う自分が必死になって自制しているのがハッキリ分かるのである。

 上空にはヘリコプターが旋回していて、明らかに異常事態を監視してやると
言わんばかりの超低空飛行も行われた。ステージのマイクを通してヘリコプタ
ーの操縦者に「危険ですから、低空飛行は行わないでください」と叫ぶ場面が
数回あったのを記憶している。ヘリの風で砂埃が立ちこめるくらいまで平気で
降りてくるのである。注意を呼びかけるもの当然であろう。後で知ったのだが、
映画用の撮影もあったようだ。そういった収入も見込んでの5万人コンサート
だったわけだ。

 炎天下の開演待ちはけっこう疲れる。所々にときおり奇声を発して、囃し立
てられる奴がいる。どこからともなく「イメージの詩」が歌われ始め大合唱に
なる。いかにもコンサートの始まる前の緊張感から来る行為なのだが、思わず
合唱してしまうところが面白い。イチャくんなんぞ、大得意とするところだ。
これでボクがギターを持って行っていたなら二人の回りは、拓郎ファンの大合
唱が延々と続いていたでしょう。イチャくんが歌うのを止めない限り…。

 炎天下の開演待ちが、こんなに疲れるものだとは思わなかった。えんえんと
えんてんかのもとで、まちにまつのである… えんえんと…。

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          ■つま恋・コンサート(2)

 午後5時、ステージに人影が動き始めた。PAから音が出始めた。トランザ
ムだ。そう言えば、このころの拓郎はバックバンドに「トランザム」を起用し
ていた。おそらく、練習の音出しだったのだろう。演奏だけで、終了してしま
った。観客はそれは大騒ぎしたと思うでしょう。ところが、まったく反応しな
かったのだから面白い。パチパチと拍手が起こったに過ぎないのだ。いかに客
の目的が「拓郎」「かぐやひめ」だったかが伺えるだろう。

 そうして、待ちに待った「吉田拓郎」がステージに登場するのである。
会場はやんややんやの大喝采…。拓郎ファンは狂喜乱舞、となったと思うでし
ょう。ところがそうはならなかった。みんなけっこう冷静に見ていたのである。
炎天下で待ち続けたボクたちは、とても疲れてしまっていた(遠藤賢二風)。
そう、夕方5時なんてまだ暑くて動き出す気にさえなれなかった状態だったの
だ。

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  ひとつ ひとりじゃ さみしすぎる
  ふたりじゃ いきさえ つまるへや
  みっつ みはてぬ ゆめにやぶれ
  よいつぶれ よかぜと おどるまち
   かなしみばかり かぞえて また くれてゆく
     ああ せいしゅんは もえる かげろうか
     ああ せいしゅんは もえる かげろうか

 オープニングナンバーは、きっと誰もが予想を外したと思われる。「ああ青
春」は、売れっ子作詞家「松本隆」の歌詞である。(松本隆については、いつ
か、とことん解剖する)それは、私的には、まさかのオープニングナンバーで
あった。イチャくんと「まさか!」と叫びあった記憶がある。

 覚えているのは、かなりビビっているとしか思えない、拓郎の引きつった顔
である。終始、冷静に、とか立つな、とかいうような制止する言葉が多かった
ように記憶している。始めたのはイイが、5万人集まってみると、怖い、とい
うのが本音だったようである。暴動が起きたら誰も制止できないだろうから、
あれだけの人数を…。あっちのはじっこの人なんて、米粒より小さいぐらいな
のだ。後ろの方はきっと、参加したに過ぎない状態だっただろうと思われる。

 実のところ、曲順は全く覚えていない。何曲歌っただろう、拓郎のステージ
が終わると休憩を挟んで「かぐやひめ」のステージになった。すると、今まで
静かだった隣の野郎が、やたら元気を取り戻し、大きく手を開いて全身で拍手
を始めたのである。なるほど「かぐやひめ」ファンなんだな、と誰もが思った。

 要するに拓郎ファンは、静かになるのである。拓郎のステージの時は、拓郎
ファンが立ち上がって、一緒に歌い、かぐやひめのステージの時は、かぐやひ
めのファンが立ち上がって、一緒に歌うといった、交互に立ち上がるという珍
しい光景が認められた。これほどファン層が違うのだ。

 曲名が全く思い出せないので、ネットに頼ることにした。ほーら、あっとい
う間に全曲が調べられた。全く記憶という代物は、いい加減で、サイコーなん
だ。このイイ加減さが、サイコーなんぢゃ…。

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■吉田拓郎 1st.Stage (PM5:10〜PM6:20)

1.ああ青春
2.花酔曲
3.暮らし
4.春だったね
5.おきざりにした悲しみは
6.むなしさだけがあった
7.やせっぽちのブルース
8.春の風が吹いていたら
9.今日までそして明日から
10.暑中見舞
11.都万の秋
12.夕立ち
13.おはよう
14.ペニーレインでバーボン
15.人生を語らず
16.いつか街で会ったなら
17.世捨人唄
18.贈り物
19.戻って来た恋人
20.イメージの詩

 20曲も歌っていたとは思わなかった。この頃は、まだ明るすぎて、どうも乗
り切れない状態だった。でも、イメージの詩の時は、ファンが立ち上がって、
大合唱になった記憶がある。

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■かぐや姫 1st.Stage (PM6:50〜PM8:30)

21.人生は流行ステップ
22.ひとりきり
23.黄色い船
24.今はちがう季節
25.うちのお父さん
26.この秋に
27.雨に消えたほほえみ
28.ペテン師
29.マキシーのために
30.あの日のこと
31.おもかげ色の空
32.けれど生きている
33.なごり雪
34.夏の思い出
35.君がよければ
36.加茂の流れに
37.妹
38.僕の胸でおやすみ
39.あの人の手紙

 このステージの頃は、暗くなってきたので、ファンは立ち上がり始める。当
然、拓郎ファンは座ったまま…。それに、この休憩がやたら長いのである。時
間を見てお分かりと思うが、30分も何にもない状態で観客は置き去りにされて
いるのである。あちこちで勇者が立ち上がって、応援団の三三七拍子合戦が始
まったりしている。それを囃し立てて、笑いが起きる。何とも奇妙な光景だっ
た。

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■吉田拓郎 2nd.Stage (PM9:00〜PM10:30)

40.夏休み
41.まにあうかもしれない
42.旅の宿
43.どうしてこんなに悲しいんだろう
44.結婚しようよ
45.知 識
46.おやじの唄
47.私の足音
48.僕のエピローグ
49.ひらひら
50.野の仏
51.さすらい時代
52.金曜日の朝
53.伽草子
54.襟裳岬
55.親 切
56.三軒目の店ごと
57.ともだち
58.シンシア
59.せんこう花火
60.されど私の人生

 夕闇になっての拓郎のステージとあって、ほとんどの拓郎ファンは立ち上が
り、一緒に歌っていた。 2nd.Stage ラストを飾った「されど私の人生」は、
斉藤哲夫、詞・曲の名曲中の名曲である。イチャくんも私も声が枯れるほど一
緒になって、がなり立てたことは言うまでもない。

 そして、なぜか、山本コータローの「ウィークエンド」が友情出演するので
ある。ところが、みんなシラーと、シラを切ったように盛り上がらないのであ
る。拓郎ファン、かぐやひめファンは冷たいのだった。

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■ウィークエンド Stage (PM11:00〜PM11:30)

61.ウィークエンドのテーマ
62.サーフィン・サマーナイト
63.春でした
64.めぐる季節
65.東京のうた
66.岬めぐり

 要するに「ウィークエンド」は「岬めぐり」ただ1曲のグループだったのだ、
と分からしめた友情参加であった、と言えよう。

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■かぐや姫 2nd.Stage (PM11:50〜AM1:00)

67.赤ちょうちん
68.アビー・ロードの街
69.星降る夜
70.置手紙
71.眼をとじて
72.雪が降る日に
73.神田川

 そうして、解散後の曲の紹介に発展するのである。

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■風 Stage (AM1:00〜AM1:30)

74.でいどりーむ
75.海岸通り
76.なんとなく
77.はずれくじ
78.星 空

 名曲「22歳の別れ」は演らなかったのか。記載がない。記憶もない。

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■山田パンダ Stage (AM1:30〜AM2:00)

79.さよなら友よ
80.窓 辺
81.風の街

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■南こうせつ Stage (AM2:00〜AM2:50)

82.昨日にさよなら
83.花一文目
84.カリブの海
85.みんなでおどろう
86.海になりたい
87.荻窪二丁目
88.旅するあなた
89.嵐の航海
90.幼い日に

 この辺りの記憶は全くない。

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■吉田拓郎 Last Stage (AM3:00〜AM4:35)

91.こうき心
92.ビートルズが教えてくれた
93.たどり着いたらいつも雨降り
94.君去りし後
95.ルーム・ライト
96.マーク II
97.落 陽
98.地下鉄にのって
99.からっ風のブルース
100.新しい朝
101.君が好き
102.雪
103.となりの町のお嬢さん
104.晩餐
105.明日の前に
106.僕の唄はサヨナラだけ
107.我が良き友よ
108.恋の歌
109.人間なんて

 拓郎ファンなら、ラストナンバーは「人間なんて」に決まっている、と思っ
ていたはずである。1971年の中津川フォーク・ジャンボリーの「人間なんて」
があまりにもすごかったので、あの時から、拓郎の大きなステージでのラスト
ナンバーは「人間なんて」以外に考えられなくなっていたのだ。

 しかし、ボクは中津川には参加しなかったが、それを超えられないことは分
かっていたし、それを望んでもいなかったような気がする。そうした異常なほ
どの盛り上がりというのは、その時の音楽的環境や政治的環境や観客の環境な
どが大きく関与するのであって、その時にしかできないものなのだ。

 それでも、拓郎ファンは拓郎と一緒になって、がなり立てたのである。もう、
全員が総立ちであったことは言うまでもない。涙を流していた奴もいた、はず。
そうしなければならない歌なのである。「人間なんて」と言う叫びは、そうい
う叫びなのである。人間なんて、ラララーと歌ったら、総立ちにならなければ
ならなかったのである。ファンとは、あまりにも悲しい、時もあるのだ。

 ボクは明らかに興奮していた。みんなだって興奮していたに違いなかった。
みんなでタオルを持ち上げて、ぐるぐる回しながら「人間なんて」をがなり立
てている。もう、音なんてどうでもよかった。にんげんなんてえー、と叫んで
いれば良かったのである。そうしなけらばならないエナジーが「人間なんて」
には内包している。

 そして、ボクは悲しかった。人間なんてを歌っているということは、次の歌
はナイ、ということを知っていたから…。

------------------------------------------------------------//MENISCUS

  にんげんなんて ララーラララララーララー
  にんげんなんて ララーラララララーララー

    なにかが ほしいオイラ それが なんだかわからない
    だけど なにかが たりないよお それがなんだかわからない

    そらに うかぶ くもは いつかどこかに きえてゆく
    そこに なにかが あるのだろうか それは だれにもわからない

  にんげんなんて ララーラララララーララー
  にんげんなんて ララーラララララーララー

 こうしてボクの中の吉田拓郎は、完全燃焼していくのであった。そして、こ
れを最後に拓郎熱は快方の一途をたどるのである。そう、拓郎の音楽では物足
りなくなっていくのである。それは、決別したというわけではない。他にも聴
くべき音楽がたくさんあることに気付いた、ということである。そういう自分
になっていったのは、拓郎によって覚醒したからだと思っている、いまでも。

 拓郎に教えられたことはあまりにも多すぎる。それは、オリジナリティの大
切さだったり、創作することの楽しさだったり、自分を見つめ直すことだった
り、世界と自分の接点を考えることだったり、アイデンティティだったり…。

 現在の自分の原点は、また、成長した音楽的な自分があるのは吉田拓郎があ
ったからと言っても過言ではない。それは、ボクの原点は「青春の詩」だと思
っているからである。ボクの中では「青春の詩」は、単に「青春の詩」だけで
は終わらないほど大きな意味を持つ「青春の詩」なのである。

------------------------------------------------------------//MENISCUS

 というわけで、今のボクは「LOVE LOVE 愛してる」に出演している吉田拓郎
を見ても何も感じないオジサンになってしまった。それは、当時「青春の詩」
を歌っていた吉田拓郎とは別人だと思っているからである。あの時、あの場所
にいた吉田拓郎は、あの時、あの場所にいたからボクにとっての吉田拓郎なの
だと思っている。

 つまり、もう、ボクは吉田拓郎をまったく必要としなくなった、ということ
である。「青春の詩」も必要としなくなった、ということである。ヒトは変化
するのである。イイ栄養、ワルイ栄養、いろいろなものを吸収して、変化する
のである。それが「自然」ということなのだ。ボクはそういう風に変化したと
いうことであり、また、変化するきっかけを作ったのは、まぎれもなく吉田拓
郎の「青春の詩」だったということである。
                       (完)
                            ( ULTRAMAN )

・・・‥‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━……‥‥・・・
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